ボストン市庁舎のレビュー・感想・評価
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民主主義の実像
タイトル通りにボストンの市役所の仕事を丁寧に追いかけた作品なのだが、いつものワイズマンらしい部分とちょっと変わってるかなという部分が混在する。ワイズマン作品には特定の主人公的なポジションの人物がいないのだが、今回は当時の市長、ウォルシュ氏が頻繁に登場する。確かに彼は魅力的だ。労働者階級出身で、かつてアルコール依存症で、市民の声をよく聞いている。スピーチも上手い。ワイズマンは午前中に市役所を見て回り、その日何が行われているかを見てからその日の撮影対象を決めるそうだ。最初からウォルシュを追うと決めていたのではなく、面白そうなものにカメラを向けたらウォルシュがいたということらしい。そういう意味では、ワイズマンはいつものスタイルを貫いている。
この映画を観ると、政治は生活のあらゆる場面を支えているものだということがよくわかる。ゴミ収集も、ネズミ退治も全部政治なのだ。その他、大麻ショップのオープンをめぐる住民との議論が面白い。このシーンだけで20分くらいあるのだが、本当にエキサイティングかつ知的な刺激にあふれている。
Human Behavioral Science Sample
It's hard to say whether Japanese audiences will find much fun in this opus of an ant farm display of the internal workings of a US city's bureaucratic office. A four and a half hour epic, we see various offices of the city hall, from police, to cultural events, low-income housing meetings, and more. We spend a lot of time with the mayor to become familiar with that job. How about a Tokyo version?
不親切すぎる。
訳者と配給は、この字幕だけでボストンやアメリカ、その政治を知らない人がこの映画を満喫できると思うのか?
非常に不親切だ。
何度か出てくるが、NAACP(NCCAPだったかも?)って何?
いくつものミーティングの途中の場面が流れるが、何の会議でどういう人が参加して何を話し合っているか、一切説明されない。
ボストン「市庁舎」というからには、市で働く公務員とその働きぶりを捉えた映画なのだと勝手に期待していたが、
原題のBoston City Hall を訳しただけで、この映画の内容なら「ボストン ある一年の記録」とか「市民目線の街づくり」とかの方が適切といえる。
自分は市役所で働く公務員なので、何か得るものがあるはずと期待してみたが、市長の言葉のいくつか以外には何もなかった。
差別と不平等に行政の人間が敏感で真摯に話し合っていることは良いと思ったが。
「我々の仕事はボストン市民を助けること/間接的または直接的に人を助ける/君達は公務員としてその責任がある」
「人に話ができないと心の傷になる/国のために戦った帰還兵とアルコール中毒では見かけは大違いですが、心の傷は同じです/絶望感や無力感、何をしても無駄な感じ」
という言葉は記憶しておきたい。
道路の色分けをつける作業、コミュニティで料理を作って食べる行事、ネズミ駆除の現場確認、街路樹剪定、
これって市職員なの?
市が委託してる業者とかNGOの人じゃなくて?
途中で「この人が市長なのかな?」というのはわかるが、
全ての場面において、制服を着ている警察官以外は、どういう立場の誰なのかわからない。
「市民の暮らし」を語るのならば、そんなことは重要ではないかもしれないが、「市庁舎」と銘打って作った映画で、そこを説明しないのは酷い。
どんな経過があって開かれた会議なのかもわからないのに、会議中の発言を訳して流すだけという、不親切すぎるつくり。
ただ長いだけでなく、消化不良の連続なので観てるのが苦痛になる。
映画自体に説明がないためだろうが、それにしても不親切すぎる。
確かにあの市長は魅力的だった。
依存症になった過去を持つ一市民からスタートした人で、市政に関し高い志と人に伝える言葉を持つ人だということがわかる。
だけど、戦没者慰霊の日の集まりとか、完全に市長を追っただけ。
麻薬の店?の会合に関しては、市当局者はいないようだったし、市民の暮らしとしては重要なトピックだけど、市民側が真っ当な分、開業したいだけな店側の人間の自分語りに辟易。
最後のホールで催されてたのは何?
参加者は市の公務員っぽかったけど、最後まで置き去りにされた感じで未消化。
尺が長いため映画館では料金が高かったと思うが、観終わったあと、この未消化のモヤモヤを解消するためにパンフレットを買うかといえば、私はNO。
レビューの中にパンフレットは良かったと書いてるのがあったので、パンフレットは充実してるのかもしれないが、
通常より高いチケットを買わせて、プラスアルファのお金を払った人にしか、映画を理解するのに必要な情報を提供しないのはちょっとどうかと思う。
度々はさまれるボストンの景色は美しかったが、映画の内容自体から得るものはなかった。
映画館で観なくて良かった。
U-NEXTで数百円分のポイントしか使っていないが、モヤモヤする。
長いからゆっくりみようと思っていたのに、閲覧時間が2日とあとから気付き、焦ったのもある。
配信で観る方は要注意です。
行政に携わる人たちとこの映画について語ってみたい
4時間半、それだけの価値のある映画。これまで引越しが多かったこともあって、地域行政の方々とは書類手続きだけの関係であったが、市民や県民とどのように向き合っているのかを知りたいと思った。
特にアメリカ人がよく使う自らの「part of solution」の実現を、「対話」によって前に進めようということについては、日本でも参考になると思う。
行政は許認可を与えることが目的ではなく、地域でできる限り多くの人たちが幸せに暮らすことができるよう、対話をしていくのが大事なのだ。映画にあるように「不幸なのは悩みがあることではなく、悩みを誰にも話すことができないこと」なのだから。
置き去りにしたものを自省する4時間半
話せばわかるという時代はどこに置き去りにされたのだろうか。いつのまにか、話してもわかりあえないことに洗脳されてしまっている自分がいる。
なのに、ボストンの市長と市職員たちの熱弁には、少なくとも話してもわかりあえないという諦めがない。
それはある意味嘘臭いとも思える。だが長時間のドキュメンタリーの間、ずっと対話し続けている彼らを見て、うーん、こんなのあり?と度肝を抜かれるのである。
市長が、「力を合わせればなんでもできる。それが民主主義です」と少しも恥らいもなく言い切る。そして、不平等は法律違反、地域の利益は地域が動かす、という言葉が市民との対話の中で飛び交う。ここは古代ギリシャのポリス?
理想を掲げられなくなった自分がいる。というより、掲げるべき理想があるはずだ、と信じなくなっている自分がいる。だから、この理想を掲げた熱弁の数々は至極疲れる。聞いてて照れ臭くもなる。
置き去りにしたものを自省する4時間半。誰しもが突きつけられるだろう。
あなたはどう考えるのか、あなたはどうしたいのか、あなたはただ黙ってればいいのかと。
「世の中にはどんな問題があるのか」
4時間半にもわたるストーリーのないドキュメンタリー。きついかなと心配しながら座席に座る。案の定前夜の睡眠不足がたたり、座るやいなやうとうと。多分15分くらいかな。
ストーリーなんてないから途中からでも大丈夫。
頭がスッキリしてここから映画に集中。予想以上に面白い。驚くほど多岐にわたる相談が市に寄せられ、またさまざまな団体やら集会やら会議やらに市、市長が関わっていく。考え方の根本は常に弱者、マイノリティの救済がある。
最後に、市長が市長就任5年を記念する講演会で「アメリカは移民の国です。そしてボストンではこれからも新たな移民を受け入れ、自由で平等な社会を築いていく」と宣言、その思いを語る。折しもアメリカはトランプ治世下。市長の思いとは逆行する動きがアメリカ社会に見られていたようです。
今の世の中には、どのような問題があるのか、よくわかる。またどう対処すべきなのか考えさせられる。この映画ではさまざまな問題点を我々に提示するだけで、個々の解決策まで追ってはいない。しかし市長や市の職員あるいはボストンの市民たちとともにどうしたらよいのか考えさせられることになるだろう。
若い人には特にお勧めです。
聴く力、喋る力、そして映し出す力
1 ボストンを舞台に、市民と共に創り上げている街づくりの一端を捉えたドキュメンタリー。
2 映画ではボストンを国の縮図として捉えている。その上で、市長が先頭に立ち、トランプができなかった分断や差別の解消を目指し、市民の生活水準の底上げや住みよい街づくりに取り組む真摯な姿を映し出す。
3 映画の多くのシ−ンは、市長など幹部と市民との対話からなる。市は、住環境や貧困、シェルター、薬物などに関わる施策の公聴会や説明会で、市民の意見を聴く。市民は、臆することなく堂々としかも冷静に意見を出している。このことはとても良いことではあるが、絵柄としてはよく似た構図であり、次第に飽きてくる。少し整理できなかったのかなぁと思う。また、市民から出された様々な意見が内部でいかように整理され政策に反映されるのか、そうした過程の描写がなかったのも残念であった。
4 対話のシ−ンの合間に、市長や職員の仕事振りとか街や建物の風景が示された。
この中では、市長が招かれた退役軍人の集会のシ−ンが印象深い。アメリカが経てきた戦争に駐軍した退役軍人が自分の体験を語る。ワイズマンの反戦に対する願いを感じるシ−ンとなった。また、街の清掃、駐車違反の異議申し立て窓口の場面が面白く感じられた。
5 この映画にはナレーションは付いていない。後付けのナレ−タ−による説明に頼ることなく、取材した映像と音声だけで作り上げた。ドキュメンタリーの本来の姿であろう。また、大勢の市民の姿をカメラが捉えたが、肖像権の許可を得るのは大変だったろうと思う。そして、全編を通じ、社会的弱者に対するボストン市長の取り組みへのシンパシーが滲み出る労作となった。
真摯な言葉は明晰である
なんといっても長尺だが、まったく解説などない独特のスタイル。
しかしリアルな人々の生活が見えているだけに退屈しないし、最初に議論されていたことが後々進んで再度登場したり、気付きも多い。誠実な行政というのはそういうものだろう。
そして、市長や市職員の行動が「市民ために仕事をするのだ」という信念で貫かれており、そこが本当に羨ましい。
これらの真摯な人々の語る言葉は明晰で迷いがない。
不明瞭な言葉で誤魔化そうとするばかりの我が国の政治家や公僕に爪の垢でも叩き込んでやりたい…
ありのままに
ボストン市庁舎の業務、市政、街の営みをそのまま流していた。
大学の街のイメージが強かったが、実情は他の地域と同じく貧富の差が激しい様子だった。
上映時間は非常に長く、事前に食事を取っておく必要がある。
インタビュー方式ではなく、出来事、やりとりをそのまま映しているので、出来事の裏側をある程度想像できない人には厳しい作品かもしれない。
人を選ぶ部分で★3です。
長い…
長いのは知ってたけど、やっぱり長い。
どのような内容かはあらかじめ確認のうえ見に行きましたが、わたし個人的には他の映画にすれば良かったと後悔。
鑑賞料にも役所にお勤めの方の割引があり利用者も結構いたから、役所勤めの方が見るには良いかもしれませんね。
とにかく長い
アメリカのボストン市庁舎へ入り込み、市役所の人々とともに街のあちこちを撮影していた。警察、消防、保健衛生、高齢者支援、出生、結婚、死亡記録、ホームレスの人々の支援、同性婚の承認など数百種類ものサービスを提供する市役所の仕事の苦悩と現状、そして市民の幸せのために奮闘する市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちの姿を映していた。
アイリッシュ系の市長はよく頑張ってるのはわかる。こういう作品は必要だとも思う。しかし、長い。ダラダラと続くから耐えきれず途中ウトウトしてしまった。チケット代も高いし、お値段に合ってるかといえば???
ま、良い経験にはなったし、市役所や県庁で働く公務員には観て欲しいと思った作品。
【“尊重と敬意。市長の仕事とは多くの扉を開く事。”当時の市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちが、多様な人種と文化が共存するボストン市民の幸のために奮闘する姿を描いたドキュメンタリー作品。】
ー 当時の市長マーティ・ウォルシュは、現在バイデン政権の労働長官に起用されている。そして、彼が職を辞任した後、民主党所属のアジア系市議、ミシェル・ウー氏がボストン市長としては初の女性、有色人種として当選した事は記憶に新しい。-
◆感想
・当時の市長マーティ・ウォルシュに薫陶を受けたのか、劇中に登場する市職員達の、市民に対し、”寛大で尊重と敬意”を払いながら仕事をする様が印象的である。
- 駐車違反者に対する遇し方のシーンは、分かり易い。
彼らの仕事の仕方はお役所的、官僚的ではないのである。ー
・マーティ・ウォルシュが自ら、且つてアルコール依存だった事、移民であった事が、彼の行政を行う上での基本姿勢になっている事が良く分かる。
ー 彼の基本姿勢は、常にマイノリティ側、弱者側にあるのである。
そして、全米ライフル協会に対する怒りのコメント。ー
・多様な人種と文化が共存するボストン市は、数百種類ものサービスを提供している。
このドキュメンタリー作品でも、その幾つかが描かれている。
警察、消防、保健衛生、高齢者支援、出生、結婚、死亡記録、ホームレスの人々の支援、同性婚の承認、退役軍人へのサポート、移民対応、地球温暖化対応、様々な依存者対応、知的障碍者支援・・。
その幅広さに驚く。
・更に、市が何かを決める際には、上から目線ではなく、数多いコミュニティに入り込んで、住民代表の意見を粘り強く聞く姿勢にも、感銘を受けた。
- 様々な問題に対し、徹底的に討議する姿をカメラは捉えている。-
<米国内に広がる分断化。
有色人種や女性への差別など難問が山積する中、当時の市長マーティ・ウォルシュと市役所職員たちの市民に対する接し方、基本的な考え方は尊い。
特に、ラストで披露された、マーティ・ウォルシュの”民主主義とは何か”をテーマにしたスピーチは素晴らしいと思ったドキュメンタリー作品である。>
<2022年1月4日 刈谷日劇にて鑑賞>
長い! けど覚醒する。
ここでそれっぽい客観的説明的ナレーションが入っても良くない?という挿入カット(ボストン市庁舎の建物や町並みの美しいファサード)でも無音。見る人に全部材料が放り出すように与えられてしまう。
ボストン市の多様性と包括性はきっと世界一なのだと思う。脚本のないドキュメンタリーでしか表現し得ない言葉の応酬と間合い。以心伝心の対極の世界。為政者側・市民側双方のレベルを日本国のそれらと比べてしまうにつけ落ち込んでしまった。文化の違いとか言って逃げるわけにはいかないのだと思う。21世紀なのだから。
過日、女性市長誕生のニュースを見たときは驚いたけど、これで腹落ちした。土壌はあったのだ。
ワイズマン監督作品を観るのは3作目
恐れ慄くような上映時間なので、決死の覚悟(大袈裟)で臨んだら…意外と起きてた。
いつもの感じです。ナレーションやテロップ、インタビューはいっさいなし。風景や短いシーンを挟み込みつつ、さまざまなひとや場所や出来事を無造作に取っている(ように見える)。が、映されるものを観れば、そこに明確な主張があるの。強いて言えば、どこにでも現れる人がたくさん映ってる。
ボストンというと…『スポットライト』『マンチェスター・バイ・ザ・シー』が思い浮かぶので、どこかで見たような風景もあったような。
面白かったのは、シェルターの話、学校の定員の話、アイリッシュの境遇にチラッと触れてたとことか。所々、「ちょっとこのパート長すぎない?」と思ってしまうこともあり。
(おそらくカトリックの)教会が映ると、いよいよ行くのか行くのかとワクワ…ドキドキしたり(結局行かない。市政とは直接は関係ないし)。
ただやはり対象が巨大すぎるのか、ジャクソン・ハイツの時も思ったが、どうしても捉えていない別の側面があるだろうにと、思ってしまう。
図書館の映画よりは分散しててとらえどころがない。場が一点ではない...
図書館の映画よりは分散しててとらえどころがない。場が一点ではないから。長すぎてきつい。でも市長はよかった。言説が力を持ってて、日本と違うと思う。
でも、ドラッグ、銃、人種問題など、日本では考えられないような社会問題のリアリティがあった。
戦争体験者の語りのシールも良かった。たくさんの戦争を経験してきた国だということを実感。でも、ベトナムにせよ、イラクにせよ、自由を守るための戦争だったと美化されてるのには驚く。
市長自身が依存症だった話は圧巻。
市長の勇気に支えられているところが大きい
タイトルの通り、舞台はボストン。ボストンと言えば、川を隔てた対岸のケンブリッジにはハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)がある。マサチューセッツ州の州都であり、ボストン茶会事件という歴史的な出来事でも有名だ。アメリカで最も重要な都市のひとつである。
実は映画を観て少し驚いた。職員がこれほど真面目に話し合い、そして職務に努力している自治体が、トランプを大統領に選ぶアメリカにあるとは思ってもいなかったのだ。考えてみれば、アベシンゾーが長いこと総理大臣だった日本にも、まともな自治体はある。大変失礼した。
市長が誇らしげに演説するように、ボストンは失業率やその他の数字でアメリカの都市をリードしている。アメリカで最も優れた市政が行なわれていると言っていい。それを支えているのが、会議で繰り広げられる職員同士の熱い議論である。
なにせ、ひとりひとりの発言が長い。同じ長い話でも、井戸端会議の長い話とは違って、ちゃんとしたデータと自分の経験を踏まえての長い話である。こういうまとまった論理の展開が出来るのは、日頃からの問題意識と、その解決のための努力があってこそだ。
こういった会議が日常的に行なわれ、ときには市長も参加する。部署ごとの責任者に権限が移譲され、責任者が一同に介して市政を取りまとめる会議も行なう。そこでは市長から直接考え方が伝えられ、それに対しての議論もある。市長に賛成する意見もあれば、反対する意見もある。市政は上意下達ではなくボトムアップでもない。市長も職員たちも、市民の安全を守り市民の希望を実現するための対等なパートナーなのだ。だからフランクな議論ができる。
警察署長は単に法を執行するだけではなく、被害者のケアや出所した犯罪者の更生にも協力する。しかしどこまでもそれをやっていくと犯罪者の取締りが疎かになるから、どこかで次の部署にバトンを渡す必要がある。ボストン市庁舎には、既にその部署が用意されている。用意周到なことには、更にその次の部署まで用意されているのだ。
同じようなことが他の事案でも実施される。部署から部署へ引き継がれるのだ。市長は部署同士が少しずつオーバーラップしてスムーズに問題が解決されるように、部署の責任者を集めて議論を重ねていく。目指すのは民主主義の完全な実現だ。素晴らしい。実に素晴らしい。
市長は銃規制の法案が通らないことに憤る。学校での銃乱射事件が起こるのは世界でもアメリカだけだ。銃があるから乱射事件が起こる。銃を規制すればいいのは誰にでも分かることだが、全米ライフル協会が長期に亘って政権に圧力をかけ続け、共和党の政治家を中心に、銃規制法案が通らないようにしている。
市長は、不祥事を起こしたメーカーがリコールしたり改善策を示したりするのと同じように、全米ライフル協会は学校の銃乱射事件が起こらないように改善策を出す義務があると主張する。まさにその通りだ。この市長は当方が言いたかったことを百倍も上手く表現してくれる。見事である。そして勇気がある。
ボストンの職員が心置きなく働けるのは、市長の勇気に支えられているところが大きい。議論でも「市長が言っている」という言葉がたくさん出る。それだけ現市長に対する信頼が厚いということだ。こういう首長さんは日本にもいる。コロナ禍に対して画期的な対策を講じた世田谷区長の保坂展人さんや和歌山県知事の仁坂さん、東大出の元国会議員とは思えないほど熱い男、明石市の泉市長などだ。これらの首長さんたちは信頼されているだけではなく、尊敬されてもいると思う。総理大臣も首長のひとりだが、岸田文雄を尊敬している日本国民は何%いるだろうか。小池百合子を尊敬している東京都民は何%いるだろうか。
国が地方自治体にあれこれ規制をかけて、首長に手腕を発揮させないでいる面もあるが、それで諦めるのではなく、規制や条件の中で出来ることを工夫して実現するのが優れた首長だ。そういう首長の一番の仕事は、職員が働きやすい環境を整備することである。頑張りたい職員、努力したい職員は沢山いる。上から押さえつけて努力させないのが最悪の上司で、押さえつけを取り払って天井をなくせば、優れた職員はどこまでもハシゴを昇っていく。
首長によって都道府県や市区町村の住みやすさ、幸福度が変わるとすれば、有権者の使命は優れた首長を選ぶことだ。しかし日本では、ドブ板選挙と言われるような縁故政治がいまだに主流である。縁故資本主義と呼ばれるように、日本の社会自体が縁故主義なのだ。有権者は縁故に左右されてしまい、自分の判断を放棄している。これでは国民主権とは言えない。日本の有権者の多くは民主主義を放棄しているに等しい。無念だ。
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