リル・バック ストリートから世界へのレビュー・感想・評価
全6件を表示
ストリートとクラシックバレエのコラボレーション
リル・バックのことは詳しく知らなかったけど、この映画見て、この人のリアルなパフォーマンスがとても見たくなった。ストリートと伝統のコラボレーションですね。ヨーヨー・マがヒップホップでバレエを踊るリル・バックの過去映像を発見し、自宅に招いて「瀕死の白鳥」踊らせて、たまたまそこにいたスパイク・ジョーンズがスマホで撮影した動画をYouTubeにアップしたらエラくBuzzったって話が最高です。
踊る足
ヤバい。感じたことを全て文章化することが、とてもじゃないけど出来そうにありません。
とにかく。
The Dying Swan の素晴らしさ、ですよ。
もう、10年も経ってるんですね。ストリートのヒップホップダンサーが、Nobleなバレーの教育を受けて表現者としての才能を開花させて行く。メンフィスと言う、歴史的にもアフリカ系アメリカ人に取っては特別な意味を持つ街に生まれ育ち。ダンスに情熱を向けることで、ギャングの道に足を踏み入れることがなかったと言う少年。教育、大人たちの愛情、本人の努力と意識。貧困との決別は、そこに尽きるか。
メンフィスの戻ったリル・バックがダンスを教えながら言うんです。
「音楽を聴け。そして、分解し再構築せよ。」
それって、全く、ジャズと一緒だよ。と言うか、古典音楽さえも同じだよ。
そもそも、彼に芸術家としての資質が備わっている、ってのもあるんでしょうが、勉強もしているんだろうなぁ、ってのは感じました。
☆は、彼のダンスへの称賛です。
身体能力の凄さ
天才的身体能力があればなんでも踊れるんだと確信した。
数年前に観たオハッドナハリンのドキュメンタリーの時にも感じたが、生活の中で使わない様な筋肉さえ自由自在に操れる身体能力をもっていれば、軽々と踊りの幅を超えて行けるのだ。
リルバックの通過点の様に様々なジャンルの踊りが紹介される中クラシックバレエのシーンもあったが、独特の表現力とまだまだ余力のあるジャンプに驚いた。
リルバックを育てたメンフィスのストリート文化がメインで描かれているのだが、私自身の興味の枠を超えている部分は言葉が追いきれなくて残念だった。
ストリートとクラッシックをつなぎ、新たな境地へ。
これは、ストリートダンスに、クラッシックを取り入れたことによる化学変化だ!
これにより、古典的な音楽とも、新たな音楽とも、コラボレーションが可能になった。
柔らかな骨格と、それを支える柔軟な筋肉が、見たことのない動きを創り出す。
オットットと、つま先立ちになり、バランスを崩したと思いきや、バランスを保ち続けている。
様々な人達と関わり、有名になっても、ストリートを忘れず、子どもたちにダンスを教えている姿が素晴らしい!
常にアメリカンドリームであり続けてほしい。そう願うばかりだ。
自分のスタイルに妥協なし
「サウスメンフィス」とか、「オレンジマウンド」とかいう地区名が出てくるので地図を見ると、東京23区の一つの区と同じか小さいくらいの面積のイメージだ。
ストリートビューを眺めると、都会の“下町”という感じは無く、なぜこの地区が治安が悪いのか、地図からは理解できなかった。
(ちなみに、エルビス・プレスリー等が録音した「サン・スタジオ」や、キング牧師が射殺されたモーテルは地区の外だが、すぐ北側にある。)
自分は「ジューキンとバレエを融合」という謳い文句に惹かれて観に行ったのであるが、この点はあまり期待しない方がいいと思う。
少なくとも、“モダンバレエ”や“バレエ音楽”と親和性があっても、“クラシックバレエ”とは関係ない。
映画の中で、「ストリートと“クラシック”の化学反応」と語られるが、額面通りには受け取れない。
自分は専門的なことは分からないが、ジューキンとは、主に上体を安定させて足で踊り、柔らかい足首でさりげなくスピンを多用するダンスと言えそうだ。
荒れた地面でやれば、スニーカーはたちまち履きつぶされるだろう。
リル・バックにとってバレエへの興味は、(1)つま先で何度も回る、(2)身体を柔らかく使う、(3)足を高く上げるといった要素技術や、ヒップ・ホップに限らずに多様な音楽に合わせて踊れるようになることが目的のようだ。
実際、つま先立ちの長さや運足の滑らかさは、さすがというか、群を抜いているように見える。
ただし、バレエはあくまでジューキンを“拡張”するための方法であり、バレエとのハイブリッドなスタイルのダンスを目指しているわけではないと思う。
例えば「白鳥」を踊るが、題名にあるような「Real Swan」とは言いがたい。肩から肘までは動かすが、手は畳むことが多く、白鳥の“羽根”にならない。
むしろジューキンに“ぴったり”だったバレエは、人形を演じる「ペトルーシュカ」だった。これには非常に驚かされた。
上体を固定したまま、足がスルスル動くので、パリ・オペラ座バレエ公演では観たこともない、素晴らしい表現が実現できる。
バレエに近づいたことで、バンジャマン・ミルピエやスパイク・ジョーンズたちの白人社会に受け入れられて、有名になったと言えるだろう。
しかし、リル・バックは白人社会に迎合せず、自分の“スタイル”を妥協なく貫いているように見える。
“Fワード”満載の作品かと懸念したが、その点は杞憂だった。
リル・バックの身体には、「メンフィス・グリズリーズ」のロゴマークこそあれ、タトゥーは意外なほど少なかった。
「ダンスをしていなければ、ギャングになってしまう」という地域に生きるということ。
ジューキンによって、フラストレーションを吐き出し、自分たちの“文化背景を表現する”ということの本当の意味合いは、自分のような極東の門外漢には理解できなかったものの、興味深い作品だった。
ダンス版ジークンドー
被写体となるリル・バックの事は全く知らなかったが、とにかく驚いたのはその身体能力。特に強固な足の爪先を軸としたダンスパフォーマンスが、優雅で勇壮で実に圧巻。目ならぬ“爪先”は口ほどに物を言う。
ブルース・リーがあらゆる格闘技のエッセンスを抽出してジークンドーを生んだように、彼もまた、メンフィス発祥のストリート・ダンス“ジューキン”とクラシックバレエを融合させ、独自のダンススタイルを生んだ。そういえばリーもチャチャチャダンスが得意だった。
抗争・殺人事件が多発する町で、生きるために、そして人殺しをしない最良の手段がダンスだった。一言でサクセスストーリーと片付けられないバックボーンがある。
ドキュメンタリー映画の魅力は、たとえ被写体が全く知らない人物であっても、観る者を惹きつけることができる点にある。そういう意味で本作は、これ以上ないドキュメンタリーのお手本といえる。
全6件を表示