「逃げろ、雄鶏。」ミナリ きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
逃げろ、雄鶏。
幼稚園の頃、
すぐ近所に養鶏場と養豚場があって、幼稚園から帰るとそこに入り浸りだった僕。動物がとにかく好きだったのです。
60年も前のことだ。
思い返せばどちらも衛生状態は最悪で、それはそれは鼻がひん曲がるほどの悪臭だったはずなのだが、TVの「野生の王国」のファンでもあった僕は、柵を乗り越えて僕に喰いかかって来ようとする凶暴で小山のように大きな豚の、その絶叫と歯噛みする口腔と犬歯の嫌らしさと、吐く息と血走った目を間近に観察に行く。
そしてブタを堪能したあとには隣の建物に移動し、
今度は聴覚がどうにかなりそうな鶏舎の、耳をつんざくニワトリの騒音と、アンモニアと、高い体温からくる熱気にこの身を任せていた。
毎日やってくるこのチビ助を面白がってか、
「おい坊主、ヒヨコ持ってくか?」とおじさんが訊いてくれる。
メスはやれないがオスならくれると言う。何でオスだけ?
「オスは玉子を産まないからそのままスコップでブタの餌として放り込む」のだそうだ。
ブタの口腔を思い出す。
オンドリに生まれないで良かったと今でも思う。
ヒヨコは貰わずに家に帰り、僕の足もなんとなく遠のいた。
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【ミナリ】
孵卵場の煙突の煙から映画は始まる。
役に立たないオス雛は焼却処分されるんだ。
弱肉強食の新天地アメリカで、心機一転、大きな借金をして移り住み、韓国野菜をその地に植えて、自分たちの天国を夢見る一家の物語。
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喉がカラカラで水脈が欲しいとき、
そして生きることに疲れ果てて、心と体に 滋養強壮のミナリが必要なとき、
(忘れていたけれど) 自分がさすらいの”移民“だとふと感じる時に、
この映画は鑑賞者にそっと寄り添ってくれるんだろう。
おばあちゃんは命のタネを持って来てくれた。というか、おばあちゃんが命のタネそのもの。
何と言うことはない、普通の家族のストーリー。だからこんなにも地味で「オスカー候補」とか驚くけれど、
移民によって建国されたアメリカという国だ。自分のRootsに思いが及びゆくこの映画で、観衆やアカデミー賞審査員の心が揺すぶられたのも当然だろう。
韓国人農夫の男は後に引かない。
自分の決断を翻すことは出来ない。虚勢を張る。特に妻の前では、だ。
オスのヒヨコは役立たずだ。
男は威勢ばかりが強くて、自分のプライドが引っ込まないのだ。
そして妻。異国での生活と、夫の世話と、子育てでギリギリの妻。
意固地な夫に心底困り果てた妻モニカの目が男には辛い。しかし移民の男は後に引けないのだ。
「男の鑑定士が、(自らの分身である)オス雛を選別して焼却炉送りにする」っていう心的ストレス外傷は、女の鑑定士のそれとは違う。
玉子を生まず、結果を出せないオンドリは燃え尽きて焼却処分されるのだと男は知っているから、だから
かつて文無しになった男が自殺をしたこの農園で、この男は井戸が涸れても、借金を積み増ししても、水道水で野菜を育て続けた。
まるでオス雛の助命を求めるかのような足掻きです。
そんな移民夫婦のクソ頑張り物語でした。
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さて、
おばあちゃんのあの失火で、彼は自身の生き方が、目が醒めることができるのだろうか、
森のせせらぎにおりていって、そのみぎわで柔らかな緑色の若葉を愛で、人心地を取り戻して、涼しい水辺で彼は憩うことができるんだろうか。
火と水が対照的に、象徴的に描かれていましたね。
アーカンソーの草原は寂しい。
帰ろうか。帰ろうか。
今は、ふるさとを遥か遠くに離れてしまって、ふるさとではではない新しい土地で冒険をし、進学し、就職し、結婚や子育ても体験し、
夢を見て、夢にやぶれて、希望を探し、しかし途方に暮れ、
でも今を頑張っている女も。男も。
・・そんなあなたへ捧げられた映画だと思う。