スペンサー ダイアナの決意のレビュー・感想・評価
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ダイアナ元妃が英王室を去る決心をするまでの心の動きを「寓話(fable)」の形で描く。クリスティン・スチュワート熱演。
①アン・ブーリンとジェーン・シーモアの関係性と、ダイアナ元妃とカミラ現妃の関係性とは違うけれども、ヘンリー8世[王子が欲しくてメアリー王女(メアリー1世=ブラッディー・メアリーだ)しか産めなかったキャサリン王妃を離縁して─英国教会誕生の契機となった歴史的事件-でもアン・ブーリンも後のエリザベス1世しか産めなかった](イギリス王室の歴史は日本の天皇家の歴史に劣らず面白いですね。フランス王室の歴史も面白いです。)に不貞の汚名を着せられて処刑された遠縁の先祖に当たるアン・ブーリンの幻影をダイアナが見たり、ダイアナがアン・ブーリンになったり、ダイアナの心の声(“逃げなさい。行きなさい。”)をアン・ブーリンに言わせたり等、様々な映像的表現でダイアナの心の動きを描写していく。
③真珠のネックレスの使い方も巧い。最初はダイアナが自分で引きちぎるのだが、真珠の粒はスープの中に落ち、ダイアナはスープごと口に含み噛み砕く。ここではダイアナはまだ王室の呪縛の中にいる。2回目は幻影のアン・ブーリンの放つ言葉“逃げなさい。行きなさい。”と共に引きちぎり真珠の珠は朽ち果てたスペンサー屋敷の階段を転げ落ちていく。ダイアナの心が放たれた瞬間が象徴的に表現されている。
④エリザベス2世が亡くなり、チャールズ皇太子が新国王になり、カミラ妃も英国民に受け入れられ始めているようである。二人の王子もそれぞれの妃がダイアナ元妃に負けないくらいパパラッチに追いかけられたり注目を集めている。Fableには伝説・神話という意味もある。もはやダイアナ元妃の生涯は現代英王室史の一部であり伝説的な人物になったといっても良いだろう。だから誰が悪い良いという話を此処で言っても仕方がない。英王室の人達もことさら底意地の悪い人達という描きかたもしていない。
本作はあくまでダイアナ・スペンサーという女性が自分の新しい人生を選ぶまでの三日間に渡る苦悩・葛藤・悲しみ・不安・絶望その果てに決心に下す過程を繊細に描いた映画だと解釈するのが適切な評価だと思うのだが如何だろうか。
⑤クリスティン・スチュワートは決して似た顔ではないのだが、独特の肩のラインといい歩き方といい見事ななりきりぶり。お馴染みのダイアナ・ファッションも披露して遠目や後ろ姿はそっくりである。
⑥ラスト、実際にはそんなことは出来ないだろうが(寓話ですから)、雉猟場に闖入し二人の息子を引き連れて(チャールズ皇太子もエリザベス女王も母と行くように合図する)猟場を走るダイアナ・スペンサーの姿は爽快であり感動的ですらあった。
⑦尚、イギリス王室のクリスマスの三日間(イヴ・クリスマス・ボクシングディー)の過ごし方は庶民の目からはこんな機会でなければ知る術もなく興味深かった。(私なら一日ももたないだろうけど)
追記:双極性障害を患っている身として書いておこうと思います(今後はこのレビューでは自分のことは極力書かないようにしようと思っているのですけれども、だって皆が読みたいのは映画に関する感想であってその人の身の上話ではないはずだから)。
私も発症時は「心が弱い」からとか「気の持ちよう」とか「逃げている」とか「他に気晴らしがあれば直るとか」散々言われました。
世間の人がよく誤解しているのが(なったことのないひとには“理解して欲しい、想像して欲しい”と思っても無駄なことは重々分かりつつ)、「うつ病」「双極性障害」「適応障害」「摂食障害」等も心の持ちよう・気の持ちようなんぞで直るものではなくちゃんとした病気です。
薬物療法とかも有りますが、一番良いのはストレスの原因から引き離してあげること。なかなか自分から出来ない人がいない中で、自分から実行に移したダイアナ元妃は正しい選択をしたと思います(仕事を休めない・辞められない、子供がいるから、とかは全く理由になりません。逆に本人を追い込む要因になります。)
A. 適応障害は、適応能力の低さが原因ではありません。また、「怠け」や「わがまま」でもありません。
社会環境のストレスと生まれながらの性格や素質とのバランスによって、落ち込んだりいらいらしたりと いったいろいろなストレス反応が出ることがありますが、これらは社会環境やその変化などに適応するための 必要な反応です。
けれども、ストレスが過剰で長く続いたり、ストレスに対して過敏であったりすると、 バランスが崩れてさまざまな症状が現られます。
B. 摂食障害は、ストレスにうまく対処できないときに、体にさまざまな症状が現れる「心身症」の1つです。食べ物を受けつけない「拒食症」や、食べることをやめられない「過食症」は、食行動の異常が注目されがちですが、問題は食べ方ではなく、そのような食べ方でSOSを出している心にあります。
クリステン・スチュワートじゃなかったら見てない作品
大好きな女優の1人、
クリステン・スチュワート。
「スペンサー」が、ダイアナ妃として
生きていかなければならない苦悩を描く。
本作は彼女の演技が凄まじい。
耐える、ただひたすら耐える…そして、
見てる自分たちも耐える。
演技がスクリーンを徐々に飛び出してジワジワと
劇場全体を包み込むような、そんな感じ。
タイトルの出方からも、それを感じる。
車で道に迷い、やっと宮殿に入ると
「SPENCER」のタイトルが出る。
サリー・ホーキンスを見るとホッとする。
映画「シャイニング」を思い出した
本作が事実か創作かは問わない。
なぜだろう?全然違うのに、
本作を見てたら、映画「シャイニング」を思い出した。
見終わった後、思い返してみると、意外と共通点があるんだな。
・全体が主人公の内面描写であること。
・主人公が美しい建物に「取り憑かれ」ていること
・主人公が取り乱し、幻覚を見、正気を失っていくこと
もちろん結末は違う。
でも、ラストで主人公が子供たちと走るシーンを見て、
「王室という監獄」から逃げ出すんだ、
こんな豪華な建物でも、主人公にとっては「呪い」であり「監獄」なんだ、
そして、困難に立ち向かう女性への「応援歌」でもあるんだな。
ちょい難しい作品で、なかなか共感がしづらい部分もあるが、
今でも夫婦別姓とか中絶の可否とか、男女平等、同権の議論がなされる。
それが蔑ろにされながらも、立ち向かった女性を描いた作品でもある。
【”私はアン・ブーリンにはならない!”故、ダイアナ妃が自らの生き方を決めた葛藤と決意のクリスマス3日間を、幻想的且つ厳粛に描いた作品。クリステン・スチュワートの渾身の演技、美しさ炸裂の作品でもある。】
ー クリステン・スチュワートの渾身の演技、美しさ炸裂の作品である。
”トワイライトシリーズ”で一気に脚光を浴びるも、その後ナカナカ日が当たらなかったが、漸く、日が当たった作品である。-
◆感想
・今作は、故、ダイアナ妃と当時皇太子だったチャールズのカミラ夫人との浮気発覚後の1991年当時の冷え切った関係を、エリザベス女王の私邸、サンドリンガム・ハウスで行われた3日間のクリスマスパーティのシーンの中で、描いた作品である。
・ダイアナ妃は、皆が英国ロイヤルファミリーとして、一人一台づつ王室御用達者で到着する中、一人スポーツカーを自ら運転して、女王よりも遅く到着。
ー しかも、途中自らが育ったスペンサー家の土地に立っていた案山子から、ぼろい服を取りに行く・・。あのぼろい服は、ダイアナ妃が自らを奮い立たせる役割を持って、劇中描かれる。-
・到着早々、グレゴリー少佐(ティモシー・スポット:この人を見ると、英国って感じがする。)から、”体重計に乗って下さい”と言われ、渋々従う姿。
ー 帰る時に、クリスマスを楽しんだかどうか、一キロ増量しているか図るためだそうである・・。”何だそれ! ”寒いから暖房を・・、と言っても聞いて貰えない・・。旧弊的なイギリス王室の慣例が描かれる。-
・故、ダイアナ妃の部屋に入ると”アン・ブーリン”の生涯を描いた本が”何故か”置いてある。
ー 大変、象徴的な小物である。
ご存じの通り、”アン・ブーリン”は平民の家系だったが、王妃にまで上り詰める。だが、心移りした夫、ヘンリー8世から様々な罪を着せられ、断頭台の露に消えた王妃である。-
・ダイアナ妃は、終始、英国王室の旧弊的なしきたりや、パパラッチを意識した監視の中、苛苛を募らせていく。
ー 夫から贈られたパールのネックレスを夫が”彼女”にも贈っていた事が分かった時の、ダイアナ妃の怒りを込めたスープの飲み方・・。
そして、幻想の様に現れる”アン・ブーリン”の姿。
そんなダイアナ妃の哀しみと怒りを抱える姿を、クリステン・スチュワートが渾身の演技で魅せる。-
・彼女が心を許すのは、衣装係のマギー(サリー・ホーキンス)と、息子ウィリアムとヘンリーのみである。
ー ウィリアムとヘンリーの寝室に忍び込んで、幼い息子達と話す姿は、母親そのものであり、マギーから”ずっと愛していました・・。貴女の裸を見ながら・・”と”告白”された時の一瞬戸惑った後に笑う姿。
窮屈な王室の中で、この3人だけがダイアナ妃の支えであったのであろう。-
・朽ち果てた実家に夜中に入るシーン(そして、又も現れる”アン・ブーリン”)や、縫い合わされたカーテンを自ら、鋏で裂いていくシーンも印象的である。
ー 彼女は、自ら王室という旧弊的な組織を”抜ける決意”をしたのだろう。
実家で案山子で遊んだ幼少期のシーンを含めて・・。-
<ラストは爽快である。
雉撃ちの場に、林から現れたダイアナ妃は、夫チャールズに”止めさせて・・”。”と何度も頼んでいた雉撃ちを息子2人に止めさせ、王室のクリスマス途中でありながら、スポーツカーに息子2人を乗せ、ロックを大音量で流し、楽しそうに車を走らせるシーン。
そしてクリスマスなので、”キチンとした食事である””ケンタッキー・フライド・チキン”で実家のスペンサー伯爵家の名”スペンサー”と名乗り、川沿いの椅子で息子二人と、”ケンタッキー・フライド・チキン”を食べる姿。
彼女は、自ら苦悩しながらもこのクリスマスの三日間で、王室よりも母親として生きる道を選んだのだろうなあ、と思いながら映画館を後にした。>
■クリステン・スチュワートは昔からある理由で好きなのであるが(石を投げられるので、理由は書かない)、若い頃は演技が酷いとか、批評家からは散々であった。
それが、フライヤーを見ると、アカデミー賞、主演女優賞ノミネート!!だそうである・・。
”待てば海路の日和あり”だね、クリステン・スチュワートさん。
今作は、見事な演技でありました。
大女優発見
結局、マギーは“あれ”を言ったんでしょうか。その答えの前の告白がその答えでしょうか。
クリンステンは明らかにダイアナの記録映像で、あの憂い顔をマスターしたんでしょうね。「プリンセス・ダイアナ」の彼女そのものでしたから。「プリンセス・ダイアナ」を観てこの作品を観れば、クリンステン・スチュワート、鳥肌が立ちます。私としての英王室3部作、「エリザベス」「プリンセス・ダイアナ」「スペンサー」、立て続けに観ました、この時期に。こんなタイムリーは、あるんでしょうか。
終始暗く重々しい映画
国際線乗った時の機内コンテンツにあり、日本公開前ですが観ることができました。
英国では昨年の11月に公開されています。
とにかく暗い映画です。天気も曇りや雨の描写が多くロンドンの天気そのままです。荒涼とした風景ばかりが出てきます。
ダイアナさんがそれだけ辛かったし、追い詰められていたのだろうというのは描写から分かるのですが、こちらが気持ち悪くなってしまうシーンが何シーンもありました。
ダイアナさんの表には出てこない裏の部分を知ることができる映画なので貴重だし、彼女を深く知りたい人にとってはいい映画だと思います。
それ以外の人にとっては後味の悪い映画になるかもしれません。
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