スペンサー ダイアナの決意のレビュー・感想・評価
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クリステン・スチュワートさん
どうしても、日本の皇室を考えてしまう。
ダイアナ妃の視線で描かれているから、エリザベス女王や夫のチャールズ皇太子が悪者になってしまう。冷静に考えれば、彼らだってたまたま王室に生まれただけで、ある意味で伝統の被害者である。
ウィンザー公が王位を投げ捨てなければ、女王になる運命ではなかった。美人の嫁さんをもらっても、浮気したいのが人間だ。仲間由紀恵を妻にした俳優だって浮気した。
伝統の長さから考えれば、イギリス王室は日本の皇室に及ばない。ダイアナ妃は貴族出身だけど、美智子上皇后や雅子皇后は一般階級だ。まぁ、上流だけど。雅子皇后は覚悟して入内したけれど、メンタル患者になってしまった。この映画のダイアナ妃もメンタル患者寸前だ。
伝統の重さが心を蝕むなら、そこをもっと描かねばならない。そこが私には物足らない。
主演の女優さんは、ダイアナ妃の雰囲気をただよわせて好演だ。
それにしても、邦画界はなぜ皇室をモデルニした映画を製作しないのか。右翼の反発が怖いのはわかる。けれど昭和天皇が亡くなってもう30年以上になる。そろそろ、昭和天皇をモデルに、映画を製作して欲しい。
チャールズ新国王の感想が聴きたい
1991年のクリスマス頃には、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の夫婦関係は冷え切り、離婚の噂が飛び交っていた。しかし、サンドリンガム・ハウスに集まった王族たちは、ダイアナ以外は平穏を装い、何も問題ない様に過ごしていた。2人の息子たちと過ごす時間以外はダイアナに自由な時間はなく、着る服も全て決められ、食事の時間、礼拝時も常に監視され、チャールズの不倫相手がダイアナと同じ真珠のネックレスをしているのを見て、ダイアナの精神は追い詰められていた。ダイアナの故郷サンドリンガムの実家は入れなくなっていてそれも精神的に追い詰められる原因だった。そこで、その後の人生を変える重大な決断をした、との事。
クリステン・スチュワートがダイアナに似てたなぁ、という感想。
もし、チャールズ現国王がカミラ夫人と不倫してなかったらダイアナは壊れて無かったのかも。
ダイアナとの結婚前に、カミラと結婚してれば良かったのかも、とも思った。
事実に基づく寓話、ってどういう事なんだろう?
どこが寓話で何が事実かよくわからなかった。
ダイアナが精神を壊して異常行動をとっていた、だけにしかみえなかった。
これをチャールズ国王が鑑賞してどういう感想を持つのか知りたくなった。
貨幣にならずも世界の人たちの記憶には刻まれたダイアナ
世界中から耳目も集める英国ロイヤルファミリーの一員の中でも、その美貌で燦然とした栄光を浴びていたプリンセスオブウェールズ、ダイアナ。非業の死を遂げたことで人々の記憶は確かに刻まれた。
そんな彼女の苦悩をクリステン・スチュワートが見事に美しく演じている。美術や衣装が本当に素晴らしく見惚れてました。かつては日が落ちることがない大英帝国の伝統を背負うことは常人にとっては想像も絶するプレッシャーがあるだろう。加えてチャールズの無神経の仕打ちに、壊されていく自分を支える日々。寓話とあるので、彼女のとる最後の行動は史実ではないのだろうが、スペンサーと答えることができたことで歩き出す決意が素晴らしいと感じました。
思っていたのと全く違う作品だったので、評価しにくい。
都合により急に見ることになったこの作品。予告編を見たこともなく、下調べは全くしていませんでした。結果として思っていたのとは異なっていました(自分のせいですが)。
・まず、話はある年のクリスマスを挟んだ3日間の物語です。ダイアナ妃の半生の物語かなと勝手に予想しましたが彼女の悲劇的な最後には触れられていません。
・次に、作品は堅苦しい王室生活に馴染めず夫の不倫によって精神的に不安定になっているダイアナ妃を描いています。が、映画の中で題名にある「決意」が具体的に何かについてはっきりとは描かれていません。
・衣装とか食事とか映画の背景にあるものが豪華です(最近の邦画はどれもショボいです)。
・ダイアナ妃を演じた女優さん(クリステン・シュツワート)が難しい役を上手に演じていましたね。
・あと衣装係のオバちゃん誰だったかなあと気になりながら見ていたのですが、シェイプオブウォーターの方でした。でもLGBTの描写は要らないのでは、と思ったりします。
思っていたのと全く違う作品だったので、評価しにくいです。
映画内の字幕が不親切で混乱を招くところが…(補足入れてます)。
今年305本目(合計580本目/今月(2022年10月度)19本目)。
最初に「実話をもとにした寓話です」などとでますが、あることないこと入れられませんので、実際のところ、何かの(実際の)できごとをもとに、ある程度脚色して作られたのだろう、とは思えます。
全般的に暗い展開(俗にいう「うつ展開」)が多いものの、結局のところそれは、身分がゆえに自由が保証されず、社交が優先されたり、その宮殿から出ることがなかなか許されない、あるいは、そのために限られた人との交流「しか」ない、という論点(日本でもイギリス以外の外国でも、同じような状況は起こりえます)が全面にあります。結局のところ、そうした「身分の高い人のそれがゆえに、警備などの関係によって本人の移動が制限されるような状況であるなか、本人の移動の自由(日本では、憲法22条の1)など、日本でいえば基本的人権(に相当する、各国の類似するもの)をいかに保証するか、という意味において、若干「憲法的な議論」があるのかな…という見方です。
なお、イギリス英語は結構独特で聞き取りが難しいと言われます。この映画でも主人公(ダイアナ妃)の英語はわかりやすいですが、中には結構早口な方や「いわゆる宮殿でしか使わないだろう格式高すぎる語」が出たりと結構聞き取りには苦労はします。とはいえ、イギリス英語を堪能できる映画ってあまり多くはなく、その観点ではイギリス英語好き、興味があるという方にも(この映画自体が「実話をもとにした寓話ものです」とあるように、あることないことは書いていないため)おすすめです。
採点に関しては下記を考慮しています。序盤から出てくる上にかなりわかりにくいです。
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(減点0.5/日本の英文法教育に配慮しない字幕)
「時制(tense)はならったことがある?過去(past)、現在(present)、未来(future)の3つだけど、ここ(宮殿)では過去と現在しかない」と子供に説いているシーンです。
この部分はこれ自体でも結構わかりにくいのですが、英語ではさらに複雑な問題をかかえます。
英語は、動詞の活用というのはbe動詞の不規則活用以外、基本的に「三人称の-sをつける」が現在形のルールで、過去形は「-edをつけるか、不規則活用動詞がある」ことは習います。しかし「未来形」というものは習ったことはないと思います。そのようなものは英語に存在しないからです(動詞の活用で未来形を表現しない)。
つまり、will + 動詞の原形 や、 be going to 動詞の原形 といった形で未来を表現しますが、ここで着目するのは will や be など(I am going to などとあれば、am は現在時制)は「現在時制」の動詞にすぎません(willの過去形は would ですが、will の「未来形」というものはありません)。
しかし、「過去形はあるのに未来形はない」というのは日本の英語教育(特に中学)では当事者が混乱するので、will + 動詞の原形 などを指して「未来形」と呼んでいることが普通で、動詞の活用で時制が決まる以上、その意味でも日本では「未来時制」を認めることが多いです(日本では中高の指導要領に拘束される学校教育はこの立場に立ちます)。
ただ、英文法的に正確にいえば「未来時制を認めるか」は争いのある分野で(スペイン語、フランス語などは明確に「直説法未来形」で動詞自体の活用が存在します)、「学校教育における配慮」という論点、「そもそも、学校教育の配慮をはなれた、英語自体の文法論」という点では現在でも(本国、アメリカ・イギリスでも)争いがあります。
さらにわかりにくいのは「文法的な時制と意味的な時制が一致しないケース」が存在する点で、これも知っている方が多いでしょう。中学校で「丁寧な頼み事をするとき」に Could you ~? という表現を習った方もいると思いますが、これは「意味的には現在時制、文法的には過去時制(couldの現在形はcan)」というケースです。つまり「時制」には「意味的なものと文法的なものがある」わけです。
このような論点があるので、「未来時制」というものを学校では「便宜上」習いますが、それは形式的なものにすぎず、ちゃんと知識を持っていると理解にハマリが生じます。また、何であろうとそもそも、この映画で突然英文法の話をして、「時制」という概念が突然出てくるのもマニアックです。ちょっとここは配慮が欲しかったところです。
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こわれゆくダイアナ
ダイアナの苦悩
ダイアナと一緒に息苦しさを味わう
ダイアナ妃が王室を離れる少し前、一族が揃うクリスマス3日間を描いた寓話。
最初に寓話と出てくるようにこれは王室、ダイアナ妃だけの話じゃなくて普遍的な社会の縮図の話に見えた。
序盤、屋敷に訪れる人々の体重を量るという伝統の儀式が出てきて、これは元々楽しんだ証拠に体重が増えていることを確認する伝統儀式だそう。過食症を患うダイアナ妃にとっては無理な課題なのはもちろん、そもそもこの儀式聞こえは良いけど女性からしたらなんてデリカシーのない儀式なんだと(笑)
伝統というものは昔の今より男性中心だった社会の頃に決めたしきたり。そもそも女性にとって有益なものは少ない。それを辛いと感じても、我慢し、受け入れ、継承してきた男たちと、耐えきれず逃げ出した女たちと、男たちと同じように受け入れた女たち、そんな人達によって伝統は作られていくんだなと。
これって、皇后雅子さまや愛子さまが何度も体調を崩されてることを考えると日本にも関係する話では?と思った。
そして、何やら厳粛な雰囲気を醸し出しまるで装甲車のような車から王室に運ばれるものが実は食べ物だったという表現も、食べるのが半ば苦痛にも見えるダイアナ妃にとっては食事=攻撃みたいなもので、武器のような食糧ケースにも納得。
これは個人的な感覚なのだが、女性の方がストレスなど精神面に異常をきたすと「食」に現れやすいなと思っていて(生理前は爆食したくなり、ストレスを感じると爆食したくなり、緊張しすぎると何も食べれなくなる)、「食べる」行為は時にとても怖いものになる。
途中チャールズ王子にせっかく作ってくれたんだから戻すなと言われてるけど、そう言われれば言われるほど何も食べれなくなるんよ💢残すのもったいないし、申し訳ないってわかってるから余計、強迫観念で緊張しちゃうのよ。
ダイアナ妃の着る王室ファッション、かなりカラフルだけど、そんな服よりも自傷行為をしている時の背景(トイレのタイル)やアイテム(スープ)の方が色鮮やかなのが悲しい。そしてガリガリに痩せて服も若干ブカブカしてて可哀想。
葛藤と閉塞感とそこに立ち向かう勇気
クリステン・スチュワートは美しく大音量の音楽が良い
チャールズと別居する前年のクリスマス3日間のダイアナを描いた「寓話」だそうで彼女はもうすでに精神的にぶっ壊れていて鬱で過食症で自傷癖がありどうしようもなくわがまま困ったちゃんで同情の余地が無く英王室VSダイアナという構図で見れば明らかに王室サイドに立った映画としか思えないのである。私は彼女と同世代でもちろんシンパシーを抱いておりチャールズがどんなにひどいやつであるかを重々承知しているのだが今というか後世にわたってこの映画だけを観た人が抱く印象はどうしてくれるの?王室に嫁いだことを自覚していないわがまま女の物語でチャールズとその母ちゃんが気の毒にさえ思えてしまう。歴史は常に作られ続けるものでありダイアナの置かれた状況を誰もが同情的に捉えているとの甘え共通認識の上に依って立ってこの映画を作ったとしたのであれば大間違いである。彼女がこの状況に追い込まれるに至った経緯を5分でいいから描いて見せなければ失格。中流階級が良かったケンタッキーを食べたいと言われてもねえ?ふざけんなよ。
皆が憧れる、憧れられるとたまったもんじゃない世界
ダイアナ妃、その短い生涯の中のある転換点の週末
限りなく狭い閉じられた社会の中で案外と性には奔放な夫も含めた貴族の皆さんと、美しさからの自己顕示欲と勉強できない劣等感を拗らせた将来の王妃
基本的人権みたいなテーマを掘り下げだすとこういう、一般人ではないとされるようなたとえば基本名字を持たないみなさんこそが、一番ギリギリなところなんかも
諦めた人は、諦めない人が許せない
自分はあくまで、国民が望む自分であるべきであって、自分が望む自分であるべきではない、っていう設定の破壊力
パパラッチに変なとこ撮られないように侍従が見守るっていうの、監視されてる意味では、当事者にとって実はどっちも同じ
すべてのストレスが溜まりきったなかでダイアナ妃がふっきれる、自分の姓は親から継いだスペンサー、黙って伝統の中に埋もれて、自我を殺してしまうくらいなら、もういっそ
地獄のクリスマス
2022年劇場鑑賞234本目。
事実を基にした寓話とありますが、1991年英国王室が伝統で過ごすクリスマス前後の3日間を描いた作品。ダイアナ元妃の半生を描く作品だと思っていたら濃密な三日間だったので見応えありました。
亡くなれば当然のように国葬されるエリザベス女王が身近にいるプレッシャー、それでも夫との間に愛があれば耐えられるのでしょうがそれすらないので彼女の心情は察してあまりあります。
最後はワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド的なラストだと思って観ていたのですが実際もこうだったのかな?途中のやりとりなんかは想像上のやり取りなのでしょうが。期待以上に楽しめました。主演のクリステン・スチュワートが素晴らしい演技でした。
ティモシー・スポール出てくるとちょっと嬉しくなりましたけどそうですか、クレジット二番手ですか(笑)
辛い…
英国ではクリスマスの翌日は、ボクシング・デー(Boxing Day)だそうです。
すでに詰んでるダイアナが、本当に病んで弾けてしまった3日間のお話。伝統的にクリスマスを過ごすという舞台設定は本当なのかもしれないけど、8割以上の内容はフィクションなのだと思う(個人の印象)。
何を期待して見るかによって満足度が違いそう。まずは、あの一家のアキレス腱を知っている前提での映画。なのでハッピーエンドは期待していないはずなんだけど、最後まさかの展開。おとぎ話ですね!
冒頭で、事実としての悲劇を基にした寓話であると字幕が出ていた。にしても、王室一家の次世代の彼らはどんな気持ちで見た(見てない?)のだろう、と誰もが慮ると思う。
ダイアナの心象風景が極まった場面で流れる不穏なフリージャズの音色が印象的だった。
英国🇬🇧皇室、上流の壮麗さ。ダイアナの苦悩の繊細な描写は良い。だが「寓話」だから・・
最初に「寓話」とキャプションに出る。「ノンフィクション」とは言わないところがミソ。
エリザベス女王死去、チャールズ国王 に時期を得て
中規模な器とはいえ、8割の入り
簡単に言うと
よく言えば「型にはめられる、息苦しさからの【苦悩】」
だが
率直に言うと「隣の芝生はよく見える、わがまま、身の程知らず」
夫の不貞への哀しみ。お母さんにとって子供が一番の宝 はわかるよ。
1週間先行のドキュメンタリー映画は観ていない。
だって当時のふれこみは「保育園だか勤務の庶民的なプリンセス」
だったけど、ウィキペディアの知識だが
そこそこの名門で旧家、ただ勉強は大の苦手で、特に特技もないから
料理学校とかダンススクールを風来坊的に・・
という意味での「普通の人」
確かにロイヤルファミリーに入れられれば
貧乏人、庶民、大衆食堂、マクドナルドが「勝手気まま」に見えるのはわかる。
実家も金持ちだろから
ただ、子宝に恵まれたんだから、もう少し大人になるべし
「何も無い、金もない庶民」より「監視や縛り、しきたりは厳しい、生活に何不十分もない皇族」
の方が良いよなぁ、もっとも【一番イイのは離婚して慰謝料莫大な金額得て、恋愛遍歴 気まぐれに
慈善事業でアピール】が一番良い。計算高さは正解。
英国🇬🇧の壮麗な屋敷、使用人、調度品、衣装、英国🇬🇧のプチ自然の対比で
映像自体は素晴らしい、美しい
全編、ダイアナの苦悩で陰鬱だが、描写の美しさで中和されている。
クリステン・スチュワートが苦悩し決断するダイアナを好演。
ただ声が若干ダミ声気味なのが玉に瑕。
ダイアナの心境描写が全て ではあるが 私的には ストーリーより
英国🇬🇧、古き良き伝統の🇬🇧皇室 の描写が良かった。
根本は史実だが「寓話というより推測」映画。
摂食障害、食っては吐く
食べ物に感謝が足りないぞ❗️
という最近お腹のサイズが半端ではなく洒落にならないジジイの「感想文」でした。
スペンサーは旧姓
実際の悲劇に基づく寓話、と冒頭に出ますが、事実に基づきながらもフィクション。
ナオミ・ワッツより似てるけど、言動などは、クリステン・スチュワートの意見も入ってそうです。
ウッドベースを使ったフィルムノワールな音楽や、不可思議なオカルト的な演出で、引き込まれました。
ダイアナ妃の事を知ってる方は、よく分かるでしょうが、
あまり知らない方は意味が分からない箇所が出てくるので、
今やってるドキュメンタリーを観てからの方が、ベストだと思います。
ドキュメンタリーの方も面白いです。
クリステンは、ダイアナ妃の細かい所作や英語アクセントを徹底的に研究して、撮影に挑んだそうですが、
たしかに、再現度が高いです。
面白かった♪
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