スペンサー ダイアナの決意のレビュー・感想・評価
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ダイアナが英国内はもとより、世界中で人気を集めたことが、ダイアナにとっても王室にとっても不幸だったのかもしれない。
たった3日間の話だとは、観るまで知らなかった。
冒頭で「寓話」だとテロップで示される。
“A FABLE FROM A TRUE TRAGEDY”…真実の悲劇に基づいた寓話…だと。
ダイアナ妃とチャールズ皇太子の関係は既に冷えきっていて、ダイアナの精神状態は限界に差し掛かっていた。
クリステン・スチュワートは、時に目や鼻を赤くして、壊れそうな、あるいは既に壊れたダイアナを迫真の演技で表現していた。
観ていて心臓が痛むほどに、ギリギリの状態が伝わってくる。
ただ、チャールズ皇太子(ジャック・ファーシング)、女王(ステラ・ゴネット)、グレゴリー少佐(ティモシー・スポール)は、冷徹に見えるような演出がなされてはいるが、大人になれ、王族らしく振る舞えと、ダイアナを諭すそれは決して横暴なレベルには見えない。むしろ、ダイアナの行動が奇行に見える。だが、適応できない人にとっては、当たり前の要求も拷問と同じなのだから難しい。
実際、ダイアナは最初から王室には馴染めず、むしろ馴染もうとしなかったと言われるほどで、チャールズ皇太子はそれに辟易としていたようだ。
ビリヤード台を挟んでチャールズとダイアナが対峙する場面で、チャールズ側のその様子も汲み取れる。
決してダイアナ擁護に徹した映画ではないと、感じた。
たが、王室という我々には知ることができない閉じた世界が、ある程度奔放に育ったらしいダイアナにとってどれ程棲みにくい場所だったのかは想像もできない。
クリスマスを祝うためにサンドリンガムに集まった王族の人達が無機質に冷ややかで、ダイアナから見たその世界の違和感を示している。
映画の序盤、軍の車列が進む田舎道でローアングルのカメラが鳥の死骸を手前に見せる。
それが、王族の嗜みであるキジ射ちのために飼育されているキジだと後に分かるのだが、それが何の隠喩かを考えることがこの映画が示す悲劇を探ることになる。
馴染みの衣装係(サリー・ホーキンズ)と引き離された後にダイアナが目にする幻影、誰かが意図的に置いたアン王妃の伝記本に支配されていくダイアナが、朽ちた生家パークハウスで襲われる妄想、破綻していくダイアナの心証風景が幻想的に描かれる。
二人の王子と密かにゲームに興じたとき、戻ってきた衣装係と海岸で戯れたとき、ダイアナは健康で可愛い女性に戻っていた。
今や立派な大人となって紆余曲折を経験した二人の王子たちは、この映画を観たら何をどう感じるのだろか、はたまた観るのだろうか、と気になってしまった。
日本の皇后様も、皇太子に嫁いだ直後に体調を崩された。彼女を今も支え続けている皇太子→天皇陛下のケアと当時のチャールズ皇太子を比較して良いとは思わないが、頭をよぎることは避けられない。
クリスマスの3日間のダイアナ妃の心の葛藤
オープニング、草原の向こうに見える夕日。
よくよく見るとそこに通る何台もの車。
そして、ダイアナがひとりで車を運転するシーン。
木々の延々とつづく草原。
一本道のようだが、迷ったとフィッシュ&チップスの店に飛び込む彼女。ざわめくお客さんたち。
ピアノの落ち着いた曲が流れていて、この時ばかりは彼女は自由だった。
しかし、エリザベス女王の私邸サンドリンガム・ハウスに近づくに連れ、音楽も不穏になっていく。
軍用車みたいなのが数台邸の前に止まり、兵士っぽい人たちが10人ほど降りてきて、大きなトランクカーゴのようなものを運び入れる。
そして、その兵士たちとすれ違いにシェフが10人ほど邸に入っていく。そのトランクカーゴのようなものには食材が入っていた。
なーんだと思ったが、このシーンで不穏さがいっきに増した。
ダイアナは途中、生家のカカシを見つけて、そこまで走り、昔自分が着せたという父のジャケットを剥ぎ取る。
亡き父にすがるかのように。
女王より遅く着いては行けない、と分かっていても、心が拒否する。夫の不倫、贈られたネックレスは彼女に贈ったものと同じもの。
自分の安らげる居場所は2人の息子とマギーのみ。
3日間で朝食、礼拝、夕食など着る服も決められて、パパラッチやら家のものやらにずっと見張られているようで息が詰まる。
そして、部屋にあった、ヘンリー8世の妻だったアン、ブーリンの本に思いを馳せる。彼女は最初の王妃キャサリンの従者だったが、見初められて王妃となる。しかし不義の罪で斬首されてしまった。
先月に舞台「ヘンリー8世」を見たばかりだったので、とても身近に感じられた。
過食症を患っていた彼女は、ディナーで周りの視線のストレスからネックレスを引きちぎり、そこにこぼれた真珠をスープとともに呑み込む。もちろんこれは妄想の中だが、そこまで精神が病んでいたということなのだろう。
そんな母を気遣う息子たちもいじらしいです。
パパラッチからの盗撮を避けるために、開けられないように縫われたカーテンを切るシーンも大胆。自由に外も見れないなんて鬱にもなりますよね、、
夜、禁止されていた生家に忍び、そこにアンの面影を見る。そして思い浮かぶ過去の自分。好きな服を着て、好きなように踊る、バレリーナを夢見たが身長が高くて諦めたというエピソードも込めているのだろうか。
1番の理解者であるマギーに告白され戸惑いながらも、海ではしゃぐシーンも印象的。(パパラッチはいいのか?とも思いつつ、、)
狩猟のためだけに育てられたというキジがかわいそうだといい、息子が嫌いな狩猟をさせられていることをなんとかやめさせようとしたり、とても心優しい一面もあった。最後は狩猟場に出ていき、息子を返してもらうと、荷物をまとめて車を飛ばして、音楽をガンガン流しながら、最後はケンタッキーでチキンを食べるという、王妃ではなく、全てから解放されて自由になり、母として生きる決意をした生き方はかっこいいなあと思った。
そして何より、クリステン・スチュワートの細かな表情がとても良かった。そして美しかった。
彼女の人生の苦悩を上手く切り取っている。
着る服も自由に選べない着せ替え人形のような存在にされ、圧倒的な歴史と伝統に潰されそうになりながらも、自らの尊厳をかけて抵抗した人の壊れそうな、でも水々しい息吹を感じるドラマだった。最初は小さな抵抗や拒否だったのが、時代遅れの行事にノーを突きつけるさまは痛々しくも爽快である。チャールズを演じる俳優の人選はどんな映画でも手こずると思うが、この映画は押し出しが弱過ぎだろうと思った。ただ、ああいうプレゼントは王室だろうが平民だろうが同情されないし、ダイアナが苦しんでいるのに、自分には甘い彼に誰も同情できない。その彼がついに王になったのも感慨深い。それにしても、建物も小道具も本物を使えるわけでもなかろうに、よく似せてそれらしく見せる王室もの映画にいつも感心する。
クリステン・スチュワートの熱演と音楽が良い
ダイアナさんの苦悩
ダイアナさんを演じたクリステン・スティアートさんがすごくきれいでした。常にカメラを向けられる日常に神経質になってしまう気持ちも理解できます。自由でいたいけど伝統やしきたりもあり、息苦しさもあったでしょうね。豪華な暮らし、ステキな宮殿も温かみってあまり感じなかったのかもなー?なんて感じました。それは夫婦関係が関係してるんでしょうね。同じネックレスもらっても嬉しくはない。男性からすれば同じくらい好きだから?かもしれないが
相手が喜ぶプレゼントのセレクトが大事で、どこからか同じネックレスがブッキングしたら?どうなる?考えなかったかな?( -д-)
ダイアナさんの気持ちを考えると屈辱しかない。ご実家に行かれた時はちょっとオカルトチックでちょっと眠くなってしまった。もう少し具体的エピソードや演出、少し明るめのあったらよかったな。
我がママ
先輩にオススメされたので少し遠出して鑑賞。
ダイアナ妃の事をあまり詳しく知らなかったというのもあるのですが、傲慢な人が苦手というのもあり、全体的にダイアナ妃のワガママさが目立つ作品だなと思いました。
かなり病んでいたという情報はどこかでチラッと聞いたことがあるんですが、その病み様が他人に迷惑を及ばして尚且つ自己中なのもキツかったです。真珠をちぎってそれをバリバリ食って嘔吐したり、すぐに人に当たったり、勝手に食べ物を貪り食ったりと、前半だけでもかなりの不快指数が溜まったんですが、やはり食事を雑に扱った点でもうダメでした。自分が映画を評価する際のファクターとして食事を大切にしているかがあるので、ここでズンと評価を落としました。
全体的に鬱々としたダイアナ妃の様子を見せられるので、たまに出る賑やかしな要素もうまく機能しておらず、中盤以降も面倒な感じが抜けておらず顔を顰めて見ざるを得ませんでした。
終盤の屋敷から抜け出して息子たちとポルシェで駆け抜けてドライブスルーへ向かうシーンはとても爽やかでここは抜きん出て好きです。
キレイに賛否が分かれている今作ですが、自分は否寄りでした。残念。
鑑賞日 10/28
鑑賞時間 19:05〜21:10
座席 E-12
この内容を映画化する必要は有ったのか
本作品、ダイアナ関連の映画が幾つかあるが、それを見てから本作品に臨んだ方がよさそうだ。
本作品、1991年のクリスマスに起きた3日間の事を描いている訳で、ダイアナさんがもうその頃には正常では要らない人になってきている事から、本作品だけ見ていれば、ダイアナさんは我侭だとか、ダイアナさんは可笑しいと思われるけど、もう壊れる寸前のダイアナさんの決意に至る3日間のお話だと言う事を前提に見ないといけない・・・
私自身は、過去に何本か見ているので、冷静で本作品を見れたけど、この作品だけで、ダイアナさんを変に評価してはいけない・・
一応、取材を通して作られているので、実話に近いお話なんだろうけど、しかし、お話は淡々と進むだけなので、山も無ければ、谷もないので、単にひたすら3日間をだらだら描いているので、ちょっと映画として面白味にも欠けるかな・・・
この部分だけを詳しく描く必要が有ったのかな・・・・
しかし、皇室ってやっぱり我々一般人には分からない苦痛もあるんだろうな・・・
日本でも天皇陛下の奥さんである雅子さんが幾分、体調を壊す報道があるが、あれだけキャリアのある人だっただけに、やっぱり雅子さんにもダイアナに近い感情があるのかもね、しかし、天皇陛下のサポートがある意味しっかりしているからこそ、雅子さんもしっかり公務をこなせるんだろうな・・・
ま、キャンディーズじゃないけど、ダイアナさんも、「普通の女の子に戻りたい」だったんだろうね。
警告 伝記映画ではなくノイローゼ映画
哀しきプリンセス
世界中の人々を魅了した『世紀の結婚』
あれから何年か後…エリザベス女王が主になる王室のクリスマス3日間のストーリー
規則や歴史に従う取決めや従事者の監視…
子供達と過ごせる幸せに満ちたクリスマスとは程遠く何もかも満たされないダイアナの苦悩と苛立ちは見ていられない程切なかった…
冷たく軽薄な夫は別として
彼女の従事達の監視や忠告は反発するダイアナの目線で見てしまえば不憫にも伝わるが
軍隊の様な準備から華麗なる料理を手順通り作り上げていく料理人達をはじめ
王室に仕える身であり完璧な業務をこなす
完奉仕者である彼らはプロなのだと
彼らに対して責めたり人として冷たくないか?などと私達一般人には否定出来る事では無いのだ…
だからこそ知りたくなかった事実として
心の置き場に困惑さえしてしまいました
パンキーでクールなイメージのスチュワートがダイアナ姫を演じると耳にした時は
正直ピンと来なかったが、無邪気で自由な少女のままの様な、未完成な美しきプリンセスはハマり役だった⭐️
そんな息が詰まる様な中、ダイアナが唯一、心を許せる衣装係のマギーの存在そのものの様に
演じるサリー・ホーキンスの深味ある演技に私も心ほぐされた
…メーガンが早々に逃げ出したのも分かる気がしますわ💦
普遍的な苦しみを描いている
ダイアナ妃がイギリス王室ですごす三日間のクリスマスを描いている。
イギリス王室というとスキャンダルだらけ、という程度の興味しかもっていなかったが、この映画を観てかなり見方が変わったように思う。
冒頭で「この映画は事実に基づいた寓話である」みたいなキャプションが出てくるが、まさにそんな内容だな、と思う。エピソードの1つ1つはおそらく実際にあった事件が基になっているのだろうけど、事実を描こうとしているわけではなく、かなりだいたんにダイアナ妃の心境をふくらませて物語にしていると思った。
ダイアナ妃は生前も多くの問題行動が話題になっていたけど、王室側の視点から見る場合と、ダイアナから見る視点で全く印象が変わってしまう。
王室側からすると、「なんで普通にできないんだ」「頼むからお前のわがままで問題を起こさないでくれ」「自分の立場を自覚しろよ」ということだけど、この映画では、なぜそのような一見まともな要求に答えることが難しいのか、ということがダイアナ視点で示される。
ダイアナは多くの問題行動を起こしたが、単にわがままで破天荒だった、というわけではないかもしれない。むしろ、王室の伝統や世間体と、自分の信念や正義にうまく折り合いをつけて妥協して生きるというような不誠実な態度をとることがどうしてもできないような、不器用な生真面目さをもっていて、そのために精神を病むほどに悩んでしまったのではないか。
王太子妃になってからは、それまでの自分の過去(生まれ育ったスペンサー家)、個性、思想といったあらゆるアイデンティティを不要なものとされ、ただ王太子妃という立場としてのふるまいを求められる日々。「自分らしく生きる」「正しいと思ったことを正しいと主張する」「役割としてではなく、一個の人格として認められる」ことを剥奪されることがどんなに苦痛であるか、身につまされる。
チャールズ王太子の発言がもっとも一般的な解決法だろう。「二人の人間が必要だ」という。「やらなければいけないことはやらなければならない」のだから、それをおとなしく受け入れて役割は全うし、本当にやりたいことは目につかないように隠れてやれば良いだろう、と。
余興や伝統のためだけに、殺すための鳥を飼育して、最終的に撃ち殺す、ということにダイアナは耐えられなかったが、実はチャールズも「狩りは嫌いだ(しかしやらなければならないからやっている)」、と告白している。
ダイアナのような特殊な立場でないとしても、誰しも「自分が社会的に求められている役割り」と「本当の自分(本音)」のジレンマには苦しんでいるのではないだろうか。男らしい、女らしい、父親らしい、母親らしい、社会人らしい、大人らしい、子供らしい、お兄さんらしい、お姉さんらしい、公務員らしい、警察官らしい、先生らしい、生徒らしい、そういった「役割」としての人格・思想・行動を身につけることが正義であるという抑圧は大変なものだ。
しかもそうした抑圧を加えている側は、それを絶対的な正義と信じていることが少なくない。心の底には、「自分もその抑圧と義務に耐えているのだから、あなたも耐えるべきだ」という考えもあると思う。多くの人は、「役割」と「本音」をうまく使い分けて器用に生きているが、そうできなかったり、できても自分自身をだまして生き続けることに耐えられない人もいるのではないか。
ただ、この映画はダイアナの苦しみだけを描いているだけではなく、救いも描いている。それは、マギーからの「あなたは皆から愛されている」というメッセージ。これは単に国民から愛されている、という意味ではないと思う。
ダイアナにとって王室にいることは耐えがたいことだったかもしれないが、むしろ王室の人間たちはダイアナを愛していた、ということ。これは重要なことだと思う。ダイアナにとってだけではなく、「役割」と「本音」のジレンマに悩んでいるすべての人にとっても。抑圧を加えている人々ですら、苦しめようと思って苦しめているわけではない、ということに気づくこと。
ダイアナが辛過ぎてキツかった
ダイアナ妃の「悲劇のヒロイン」部分しか描写していない
先に「プリンセス・ダイアナ」を鑑賞しているので言っておきますが…ドキュメンタリーと違って今作を観たからといってダイアナ妃の半生は少しも分かりません(そもそも冒頭に真実を元にした寓話という注釈がある)ダイアナ妃中心で他の王族の描写はほとんどないし、そもそも離婚し王室離脱の決意をする前の3日間しか描いてないのでこんなのでダイアナ妃の全てが分かるわけがないし、彼女の王室での苦悩や拒食症などの「苦しみ」部分しか描いてないので彼女を「悲劇のヒロイン」として表面上をなぞっただけの映画にしか見えなかった。「プリンセス・ダイアナ」を観た時に感じた感想「ダイアナ妃のスキャンダラスな部分にしか目をむけてこなかったから悲劇は起きたのでは…もっと慈善事業とか素晴らしい活動にも目をむけていたら…」というのがそのまま当てはまる。ダイアナ妃のスキャンダラスな部分しか描写してない作品。ダイアナ妃の苦悩だけを知りたい人なんてそんなにいないと思う。どこか「シャイニング」を彷彿とさせる映像やクリステン・スチュワートの演技がよかっただけに、もっとストーリーに厚みがほしかった
ダイアナのことはほとんど知りません。
ダイアナのことはほとんど知らない平成生まれが観た感想です。ダイアナのことで知ってるのは車の事故で亡くなられたことぐらいです。まず、自由がない、自分で選べない私可哀想、籠の中の鳥のようだわー。という風に悲観的に描かれているけれど国の女王になるんだからそれぐらい覚悟してたのでは?厳しいしきたりもあって当たり前なのでは?女王になる前に知らなかったの?と思いました。断れない婚約だったのなら仕方ないですが。感動したのは、固いルールがある中でも自由を求めて、自分で行動したダイアナをみた時です。中でもカモを殺さないように前に出て行く所を見た時が一番感動しました。変革できないけど、自分なりに行動するところ。そこが一番感動したので星3つです!
悲劇的です。
もっとダイアナの半生を追うようなストーリーかと思っていたので予想とは違ったが、これはこれでいい描き方だったと思う。
子供二人があんなに大きいということは、その年齢以上の結婚生活を過ごしてきたということ。
クリスマスの3日間でもあれだけ心が潰れるわけだから、どれだけ長く苦しかったのか。
私たちはその後のダイアナの人生を知っていて映画を観るので、映画自体が描いている以上のことを感じ取れる。
料理長も護衛長官⁈も悪い人じゃないんだけど。
そしてこの映画は一方的にダイアナに肩入れしすぎておらず、チャールズの全てを諦めてるような目…、長男の自分の運命(さだめ)を受け入れている態度をも含ませている。
….、そうなのだ。彼らだって辛いんだけどね。
本当にオープンカーを自分で運転して行ったのかな、本当に子供二人と自らの運転で帰ったのかな。
…そんなわけないか!せめて映画の中でくらいやりたいことをさせてあげたっていい。
今、ウィリアム皇太子は妃、3人の子と幸せそうだから、ちょっと救われるな。
臨界点
フィクションであろうと、事実に近しい内容であったとしても問題作に思われる。
冒頭のダイアナからして周知のイメージからズレてる。とてもとても美しい。また、よく似ているように見える。メークは良い仕事してた。
第一声に「ファ○ク」との単語があったように聞こえた。あのダイアナ妃が?作品が提示する素のダイアナに面喰らう。
序盤から暴発寸前のダイアナが描かれる。
調度品から衣類、食事、環境と全てが一流で、常に王室に気を配る従者がいて、本人の体調や好みまで気を遣ってくれる。
ただ一つ、自由だけがない。
全て用意され、準備され、常にベストを提供される。
なのだが、ラーメン食べたいって時にステーキ出されても食指は動かない。
…言えば作ってくれんじゃないの?とか、平民の俺なんかは思う。
終始、窮屈な生活。
そのストレスからの異常な発言と行動。こりゃ誰でもおかしくなるわ…等と思ったらいけないのだと思う。
ダイアナ妃の最期をなんとなく知ってる。
報道されてる内容で、事実とは異なるのかもしれないけれど。その最期に導くように物語は進む。
あたかも、それが事実であったかのような人物像と環境が提示され、車等の符号も散りばめられている。
そして、王室側の人間はカキワリのようだ。定められた事を粛々と消化していってるかのように。夫がダイアナに言う事も理不尽過ぎる事はない。ダイアナだけが異質と描かれている。
ゴシップの延長のような感触だ。
ダイアナが壊れ始めていた事の裏付けを示し正当化してはいけないのだと思う。
役者陣は皆さま素晴らしかった。
皇太子だけ「?」だったけど、女王様とかロングの後姿で歩く所作だけで女王様だと分かった。とても入念な役作りだったのだと思う。
正直、クリスチャン・スチュアートに惹かれて観に行ったのだけど、彼女は破天荒なダイアナにはピッタリだった。
終始、重たい雲に覆われたような作品だった。
「自由」ってのは、自分が認識している以上に尊いものだと思えた。
寓話、ねぇ…。
【寓話】比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。
クリステン・スチュワートに⭐︎4
全111件中、21~40件目を表示












