「クローズアップで体感するダイアナの生々しい苦悩」スペンサー ダイアナの決意 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
クローズアップで体感するダイアナの生々しい苦悩
周知の事実については今更説明はしないということなのか、本作では背景の注釈は一切なしに、1991年のクリスマスイブからの3日間のみを、ダイアナの精神面にかなりクローズアップする形で描いている。そうすることで、シンデレラ物語と悲劇を背負った手の届かない世界のプリンセスではなく、感情の浮き沈みや弱さを持ったひとりの人間としての、彼女の生身の姿が見えてくる。
本作で描かれた3日間の前後で、現実には以下のような状況があった。
84年に次男ヘンリーが誕生した時点で、ダイアナいわく二人の関係は終わっていたとのこと。85年頃からチャールズはケンジントン宮殿に不在がちになり、87年にはそれが常態化していた。この頃チャールズはカミラ夫人との交際を再開している。ダイアナは息子の養育と慈善事業に力を入れるようになっていた一方、89年頃からジェームズ・ヒューイットと不倫関係になっている。翌92年にはチャールズに批判的な暴露本「ダイアナ妃の真実」が公表され、同年末には二人の正式な別居が発表された。その後96年に離婚が決定している。
彼女がひとりで車を運転し、道に迷う冒頭の場面が印象的だ。従者がいないのはちょっと不自然な気もするが、この時期は既にチャールズはケンジントン宮殿に帰ることはなくなり、ダイアナが事実上宮殿の主人のようになっていたので、ああいう外出もあり得たのかもしれない。この時期の彼女の心理状態を、言葉を費やさず象徴的に表している。
ここで提示された彼女の不安と苛立ちが次第に増してゆく描写が、物語の大半を占めている。抑制された表現にはなっているが、自傷行為や過食症の場面もある。そして彼女はスペンサー家の遠戚であるアン・ブーリンの幻を繰り返し見る。
アン・ブーリンは略奪婚でヘンリー8世の王妃になったが、男児を産めず王の寵愛が離れ、婚姻後3年で姦通の罪を着せられ斬首された人物だ。チャールズ側に根深い不貞行為という非があるのに、王室の中では自分だけが疎外感を味わわされる理不尽さや息苦しさを無意識にアン・ブーリンに重ねたのだろうか。
ラストの展開だけは、ダイアナの魂を救おうとするかのような解放感がある。あの後の史実を知らなければまるで母子が狭くて息苦しい世界から解放されるハッピーエンドの物語のようだ。直前に「プリンセス・ダイアナ」を見たが、このドキュメンタリーに出てくるパパラッチの方が比較にならないほどえげつないので、誰にも追われず海岸やケンタッキーに行くようなことはおそらく実際には難しく、まさに寓話なのかもしれない。
現実には二人の息子が王室から解放されることは当然ないし(弟が結婚を機にアメリカへ渡ったことはまた別の話)、ダイアナの末路は決して明るいものとは言えない。それを思うとラストシーンの明るさと解放感が何だか儚く、物悲しい余韻を伴って見えた。
余談:「君を想い、バスに乗る」以来ティモシー・スポールが好きで注目していたが、大河ドラマを見ている影響か梶原善に見えて仕方なかった。