お隣さんはヒトラー?のレビュー・感想・評価
全18件を表示
あのクッキー食べてみたい
コメディかと思っていたら全く違う。
(クスッとさせるとこもあったけれど)
戦禍を被ったポルスキー一家について
直接的な描写はないものの
戦後15年経過しても尚癒えぬ傷
孤独な老人ポルスキーは黒薔薇を育てる事が
亡き家族を供養しているかのようにも見える。
憎んでも憎みきれない「彼」
その「彼」の秘密を知ったとき
最後にもう二度と会えないであろう「友」に
黒薔薇を贈った想いに胸が熱くなる。
隣人は本物のヒトラーか?
1960年、南米コロンビアで、ホロコーストで家族全員を殺され1人生き延びたユダヤ系ポーランド人の男ポルスキーは、町はずれの一軒家で黒いバラの手入れをしながら穏やかな日々を過ごしていた。そんな彼の家の隣に、15年前に56歳で死んだはずのヒトラーにそっくりのドイツ人・ヘルツォークが引っ越してきた。ユダヤ人団体に隣人がヒトラーだと通報したが、ヒトラーは死んだと相手にしてもらえず、彼は自分で証拠を集めることにした。ヒトラーに関する大量の本を購入し、特徴を照合していくうちに、いつしか互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり肖像画を描いてもらったりと交流を深めていった。そんなある日、ポルスキーはヘルツォークの家を訪ねた人たちが、総統、と呼ぶ所を目撃し、本物のヒトラーだと確信したポルスキーは・・・さてどうなる、という話。
本物か?まさか?なんて思いながら鑑賞し、引き込まれた。ストーリーはなかなか興味深かった。
しかし、いくら証拠集めのためとはいえ、隣の家に忍び込んだり、金庫を壊そうとしたり、犬を殺したり、とちょっとやりすぎの様に思った。ホロコーストで家族を失ったとしても、ちょっと、それは・・・.って思った。
ヒトラーの影武者だった、というオチは良かったと思う。
新たな切り口のナチス映画
主人公ポルスキーの偏屈ぶりが強調されているように
感じましたが、ナチスに家族全員を虐殺されている
ことに加えて、ヒトラーを直接見たことがある経験から
お隣さんがヒトラーではないかという仮説を立てること
には、実に納得感がありました。
最初は偏屈じいさんの思い違いだろうと思いましたし、
ヒトラーとの違いも複数出てくることで、
仮説が揺らいでいくことを見せつつも、
ラスト近くでヒトラーの影武者だったということが
お隣さん本人の口から打ち明けられます。
このオチも素晴らしいなと思いましたね。
そこに至るまでの友情の紡ぎ方や
ポルスキーのお隣さんを守ろうとする姿勢が
実に心にグッときて、感動しました。
シリアスになりすぎず、時折クスッて感じのちょっとした
笑いを入れてくるあたり、巧妙だと思いますし、
ゆえにラストが感動的なのだろうと思います。
かなり小さな世界でつくられた作品ですが、
うまい!と思わず唸ってしまい、満足しました。
ナナメ上の
琴線に触れる作品。ポーランド・イスラエル合作ってのも珍しい、タマ2個を確認して号泣するなんて・・。男の交流が泣ける、酒を酌み交わし不始末の世話をして、女の話をする、欧米でもそうなんだな。
初代ヴォルフィーは可哀想過ぎ、二代目は飼ってもらって良かったね。黒バラってあんな真っ黒なの?
ヒトラーものは大好きなので
鑑賞したが、どう見てもウド・キアーがヒトラーに似ていなくて、それが気になって気になってしょうがなかった。
帰ってきたヒトラーのオリバー・マスッチは身長が180センチ以上あって素顔はかなりイケメンでヒトラーとは似ても似つかないけど、役作りでヒトラーに瓜二つだったからウド・キアーがメイクをしなかった理由が分からなかったです。
お一人様拗らせた老人二人の友情物語としては完璧で、自分も人ごとじゃないなと思いました。あと、犬好きな人にはショックな場面があるのでご注意ください。
幸せの思い出の、黒い薔薇
1960年、まだ戦争の傷跡は生々しい。
冒頭の普通に微笑ましいユダヤ人家族写真撮影シーンから一転
コロンビアの田舎に一人住まいの偏屈な老人の、腕には数字が羅列された入れ墨
これだけで彼があの写真の家族の中で、ひとりだけホロコーストを生き延びたんだろうとわかる。ここに来るまで何があったか一切語られない。
隣に越してきたいかにもな訳アリな上から目線の嫌なじいさんが、過去に見た本人の「目」でヒトラーだと確信してから、隣人のストーカーと化し、証拠を掴むためのあれやこれやの大作戦のポルスキーの熱量がすごい。しょぼくれていたのに、急に生き生きしだすのが笑える。
文献を読み漁り一言一句を読み込み、行動を独自に分析、特徴を細かくアタマに刻みつけ独学で描く絵の分析鑑定、もはや専門家の域。物証を入手するために本人在宅の家に忍び込む(犯罪です)大胆な行動もあり。
チェスを通じて交流するうち、ヘルツォークとヒトラーの相違点を見つけてほっとするようになるミスター・ポルスキーだが、決定的なものを目撃して当初の疑惑が確信に変わる。
他人の空似だった(割といい奴)、いや、ヒトラーに間違いない、という、両極端を揺れ動くポルスキーの心の振り幅がよく分かる。
ポルスキーの意図がヘルツォークにバレて二人は対決、ヘルツォークを追い詰め、パンツを下ろさせ数を確認までして、結果はシロ。ヘルツォーク=ヒトラーでなかったことにポルスキーは感情のやり場がなくなり、ヘルツォークの膝にしがみついて号泣する。二人のこころが通い合った瞬間と思う。
ヘルツォークもまた、ナチスの被害者で。
真実が分かって、ふたりはお互いの孤独を補う良い友達になれたはず。
ポルスキーがヘルツォークを守るために一肌脱ぎ、永遠の別れになるのが切ない。
デビッド・ヘイマンが、表情といい動作といい、何とも味がある。
ウド・キアは、「スワン・ソング」同様、プライド高く嫌な奴っぽいのにいじらしいような可愛いところがある訳アリのじいさんが絶妙でした。
「碁番切り」もそうだったが、囲碁、将棋、チェス、もしかするとカードも、立場や人種、あらゆるものを超えて相対する相手と心つながる、人間性すら見抜ける、言葉不要の強力コミュニケーション・ツールだと思いました。
戦争は、戦いでの直接の命のやり取りだけでなく、人々に様々な影響を残す。
もたらした悲劇は、波紋のように広く、遥か遠くまで及ぶのだと改めて思った。
思い込みもほどほどにね
タイトルが面白そうだなあと思って上映ラスト日に鑑賞したのだが、思いの外お客さんが入っているのでビックリしたΣ(´∀`;)
ホロコーストを生き延び、ひっそりと南米コロンビアへ単独移住したポルスキー。愛妻が遺した黒い薔薇を柵の付近に埋め大切に育てながら、寂しい日々を過ごしていた。
そんな中、突如ブエノスアイレスの名士が隣に引っ越したいという理由から、代理人で弁護士のカルテンブルンナー夫人が訪れ、管理人の連絡先を知りたいからといっても、ドイツ人だという理由から頑なに教えようとしなかった。
そこは弁護士だから謄本を取り寄せる等してわかったのだろう。ドイツ人の隣人ヘルツォークがやってきたのだ。
やってきてすぐ裁判が起こる。ヘルツォークの愛犬が勝手に入り込みトラブルに発展した経緯から柵を修繕することになるがその際にヘルツォーク側の敷地の一分が足りないことからカルテンブルンナー夫人が気付き裁判を起こし、結果ポルスキーが土地の一部を失うだけでなく妻が愛した黒い薔薇さえも手放すことになり、益々ヘルツォークを恨むようになっていく中で気付き始めた。
サングラスをとったヘルツォークの顔が、ヒトラーに似ているではないか、と。
答えはソックリさんでした、だったがポルスキーが一線を越えてでもヒトラーたる証拠を示し国際裁判で裁いて貰いたかったのだろうが、ポルスキーのヘルツォークがヒトラーでは?という推理は勘違いで終わった。
調べてみたら、当時はアルゼンチンで偽名を使いひっそり生活していたアドルフ・アイヒマンが捕縛されイスラエルへ移送されたことが話題にあったようにヒトラーは地下室で自害したとは公にはされているものの肝心のご遺体が出てこない。
実はヒトラーの遺骨は既に埋葬されていて様々な情報が飛び交う中において、確固たる情報が入ったのが1970年代になってからのことだそうだ。
当時の世界情勢など、皮肉にもシュールにかつコミカルに描かれているのがとても良かった。
ブラックコメディ
幸せそうな家族の風景から一転、シーンはコロンビアの片田舎。
人の良さそうな郵便&新聞配達人が配達に訪れた塀に囲まれた古びた家。
やたら気難しそうな老人が住む家の隣に越してきたのも同じように気難しい、癇癪持ちの老人。
主役はポーランド人の設定だが、そもそもイギリス人。
イギリス人が話すポーランド訛りの英語。
ホロコーストで家族を失ったシーンは一切出てこないが、腕の番号だけで深い傷跡(しかもまだ生々しい)を残していることが観て取れる。
お隣さんがヒトラーではないかと疑い、カメラを購入し隠し撮りしたり、本を買い込んでしらべたり。
熱意は底無し。
とはいえ、あの目の色だけで本人だと確信するのも秘密警察に確信させるのもちょっと無理がありそうな。
古びた家に見えたが、お隣さんの家中は結構綺麗でびっくり。
外観だけならどっちも同じなんだが。
生前の奥さんがやっていたように、毎朝食べる卵の殻を潰して黒いバラの根元に水と共に与えるシーンが印象的。
(果たして栄養的にありなのか?)
なんとか本人だと暴くためあれやこれや手を打つ主人公。
コミカルだが、やはり内容はブラック。
南米の片田舎で1人っきりでブラックローズを生涯愛情かけて育てていく姿は物悲しい。
ナチスものとしては異色な心に沁みるコメディ
ナチスものは好物なので遅まきながら拝見してきました。
予告通りの展開で想像している流れで物語は進むのですが、「イスラエルとポーランドの合作ならば、ヒトラーを肯定的に扱うはずはないのに、この終わり方だとヒトラーと友情を築くエンドになってしまうぞ……」と思いながら、なるほど、と思わせる物語の締め方。
発想は面白く、展開も悪くないのですが、個々のシーンが淡々としているというか、あまり丁寧に作りこまれてない印象で「それだけでヒトラーと気づくか?」とか「いや、そこまでのことやらんだろ」みたいな細かい突っ込みを入れるところも多かったです。
心に沁みる作品にもなっているのは事実ではありますが、制作陣にはもう少し頑張ってほしかった、というのが本音です。
まずはヒットラー?の顔が怖かった。「どう捉えていいのか」と訝しみながら鑑賞。
新しいタイプのリメンバー・ナチ映画。初めのほのぼのとしたユダヤ人家族集合写真シーンで、その後この家族に襲いかかる惨劇は十分に伝わる。舞台は一転戦後15年ほど経った南米コロンビア。最後の最後で「なるほど〜、そういうことか〜」と思わせる。影武者って、古い鄙びたポツンと2軒屋、獰猛?なシェパード(たち)とその行く末、媒体としてのチェス、外観は同じでありながら家屋の内装の格差、、、いろんな背景が丁寧に描かれていた。
黒い薔薇を通した物語、というモチーフもアクセントになっていた。そういえば昔よく道端の植木鉢にも卵の殻刺さってたの見かけたけど、最近はどうなんだろう。ちょっとした習慣に半世紀以上の月日を感じさせてくれた。
黒い薔薇は自然には存在しない。ヒットラー?が描いた肖像画の背景の薔薇も赤く描かれていた。例えようのない苦しみの中を生き抜いたユダヤ人のおじいちゃんに見える世界の時間は止まったままだったのかなあ。どこかで記憶も修正されて、、、とか考えてしまった。
コメディ作品(しかも下ネタ満載)。それでも高く評価したい!
第二次大戦終結から15年、コロンビア郊外で独り暮らしを続けるポルスキーの隣に、いわくありげな老人が越してくる。
転居早々、越境してきた隣家の飼い犬に大事な薔薇を荒らされたうえ、「落とし物」までされてフン慨したポルスキーは、「証拠物件」をその日の新聞に包んで抗議に出向く。そこで初めて目にする隣人ヘルツォーク(ニュー・ジャーマン・シネマの巨匠に配慮したのか、劇場版の字幕は異なる表記に)の沈んだ青い目と他者を拒絶する不信に満ちた眼差しに、忌まわしい人物の記憶と過去のつらい経験が蘇る。
ウンの悪いことに、ウ〇チを包んだ新聞はナチスの大物アイヒマンが南米で捕縛された記事を大々的に報じていたため、ポルスキーの疑惑は確信へと変わっていく。
かくして、ウ〇チまみれの当日の新聞は、ポルスキーの手元に保管されるウン命となる。
本作品は、ホロコースト生存者やナチハンターなど、重くなりがちな題材を扱いながら、のっけから観る側の多くに、この映画をコメディとして観るよう、作り手が求めていることを再認識させる。
第二次世界大戦の最大の犠牲者は?と問われれば、何と答えるべきだろうか。
民族という観点なら、推定600万人もの命が犠牲になったユダヤ人と答えても議論の余地はないだろう。
では、国家としての最大の犠牲者は?
少なくとも大西洋側に限っては、やはり全人口の1/5に相当する600万の人命が奪われ、都市を徹底的に破壊されたポーランドでは?─そう考えたくなるが、世界中にはナチスドイツのホロコーストに協力した加害者としてポーランドを非難する声は少なくない。積極的に加担した者も存在しただろうが、多くは「関心領域」(2023 ポーランドほか)でヘス夫人に「あんたも灰にしてやるから」とすごまれるメイドのように否応なく従わされるケースがほとんどだった。
ヒトラーがポーランドに侵攻した一番の理由は、ユダヤ人が同国に集中していたからだと言われている(ポーランドの犠牲者の半数に当たる300万人がユダヤ系だった)。ポーランドが他の欧州諸国に比べユダヤ人に寛容だった結果だが、両者の関係はヒトラーのせいで修復困難なまでに引き裂かれたまま、今に至っている。
加害者呼ばわりされる過失がポーランド側にまったくなかった訳ではない。
戦後、運良くホロコーストを生き延びたユダヤ人が戻ってみると、家や土地がポーランド人に占有されており、衝突に至ったケースは非常に多く、流血や殺人事件にまで発展したものも少なくない。「イーダ」(2013 ポーランド)や「家(うち)に帰ろう」(2017 スペイン、アルゼンチン)は、この際の出来事を作品の題材にしている。
ユダヤの人たちがこの件を快く思うはずもなく、彼らの憎悪が世界に拡散された結果、古くからあるポーランド人差別が今なおはびこる一因になっている。
そして、その傾向が顕著なのがハリウッドを中心とする映画業界なのである。
ポーランド人(またはポーランド系)と登場人物の出自をさらしたうえで、悪人や間抜けなキャラクターに仕立てる映画はかつていくつもあったし(「ゴーストバスターズ2」(1989 米)のヤノシュはその典型)、近年露骨な作品は減ってきたが、オスカー(外国語映画賞)を獲得した「サウルの息子」(2015 ハンガリー)は寓意的ではあるものの、ポーランドへの憎悪剥き出しに描かれている。
「サウルの息子」ほどではないが、同じ賞を獲得したヒット作「戦場のピアニスト」(2002 仏・独・英・波)もポーランドを好意的には描いていない。
主人公であるポーランド在住のユダヤ人ピアニストは、ドイツの侵攻後、ナチスの魔の手をからくも逃げ延び、終戦後、何事もなかったかのように優雅にピアノを弾く場面で映画は幕を閉じる。
ドイツが撤退したあとのポーランドは、平穏を取り戻した訳ではない。ナチスの黒い鉤十字の支配から、ソ連の赤い共産支配へと、地獄の色が変わったに過ぎない。
同作の続編ということではないが、巨匠アンジェイ・ワイダ監督の遺作「残像」(2016 ポーランド)とは時間的な連続性があり、同作品では自由が抑圧された政権下での表現者の悲劇が綴られている。
ワイダ監督が名作をいくら世に放ってもオスカーに手が届かなかったのは、彼がポーランド人だからで、その背景には、アカデミー会員の多数を占めるユダヤ人の意向がはたらいていたという話は、都市伝説よりも信憑性を帯びた噂として長く信じられてきた(ワイダ監督は2000年に個人として栄誉賞を受賞)。
実際、「コルチャック先生」(1990)を発表した際には、ユダヤ系のジャーナリストから「事実をフィクションにすり替えようとしている」という趣旨の非難を浴びている(作品のラストシーンが問題視されたが、はっきり言ってイチャモンである)。
映画「お隣さんはヒトラー?」は、ナチスによってもたらされた不幸な記憶を呼び起こす内容でありながら、ポーランドとイスラエルの合作によって成し遂げられている。
このことは、「意外」とか「画期的」などという単純な言葉では言い尽くせないほどの重要な意味を持っている。「歴史的快挙」という言葉で語っても、決して大袈裟とはならないだろう。
前述のように、「戦場のピアニスト」や「サウルの息子」がオスカーを受賞して以来、ナチス関連の題材を扱うことは、言葉は悪いが、賞獲りレースのツール化してしまっているきらいがある。
この作品も同様のテーマを用いながらも、気負ったところがまるで見受けられない。それどころか、放尿シーンやウ〇チにキ〇タマなどと下ネタ満載で(ヒトラーってほんとに片キンだったの?!)、アカデミックに仕上げようとする気概すら感じられない。
劇中のイスラエルの機関は当初、ヒトラーの生存説を相手にせず、呑気というより牧歌的ですらあった。だが、ターゲットがナチスの関係者だと知るや俄然、行動が迅速になる。詳しくは語られないが、ヘルツォークは既にリストアップされて逐われる身だったのだろう。冒頭の彼の眼差しの険しさは、それで説明が付く。
彼自身の口から語られる、ヒトラーのボディダブルとしての人生は悲惨の極みである。
体格維持のために食事もまともに与えられず、恋人を失い、アイデンティティーさえ奪われる。ヘルツォークもまた、ナチスの被害者である筈なのに、ナチハンターはそんなこと斟酌してくれない。彼の逃避行はいつまで続くのか。ヘルツォークの悲劇性は、ナチスドイツに蹂躙されながら加害者として非難され続けるポーランドのメタファーにしか見えないが、イスラエル(ユダヤ)の人たちが抱く歴史観とは相容れないものだろう。
監督のレオン・プルドフスキーはロシア出身のイスラエル人。こんな映画を作れば本国から批判されることは承知の筈。
ただでさえコメディ仕立てにしたことで、「JOJOラビット」(2019 米)と同じく不謹慎と批判されることは目に見えている(しかも下ネタ満載)。
それでも自分はこの作品を高く評価し、喝采を贈りたい。
ポーランド・イスラエル両国合作のこの作品が、未来への新しい方向を示していると信じているから。
「いつも通り」と言い残して行方を晦ますヘルツォークは、愛犬ウルフィを殺したポルスキーに二匹目の犬を託して去って行く。
二人の間でどんなやり取りがあったかは一切描かれないが、おそらく意図的に語らなかったのだと思う。
作り手は、今度は観る側それぞれに、このラストシーンの解釈を問うているのだ。
同じジャーマンシェパード種なのに、攻撃性剥き出しで主人にしか懐かなったウルフィと違い、二匹目の犬は極めてフレンドリー。決めつけや偏見からは正しい答えは出ないのだと思う。
黒い薔薇。
1960年南米コロンビア、町外れの家に住む先住者ポルスキーと隣に越してきたヘルツォークの話。
隣人トラブルから揉み合いになり、かけてたサングラスを落としたヘルツォーク、そのヘルツォークの目を見た瞬間に、見覚えのある目…、その越してきた隣人を15年前に亡くなってるはずのヒトラーではないかと疑い始めるポルスキーだった…。
ホロコーストで亡くなってる家族、そこへ隣に越して来た人間がヒトラー!?それは気になるだろうし、気になると思う…、でも気にしすぎじゃない?(笑)
ヘルツォークは堂々と生活してて、ポルスキーはコソコソ監視と盗撮、確かに夜でもサングラスかけて素顔を出さない隣人がいたら確かに気にはなるかもだけど。
互いに警戒してる2人だったけど「チェス」を機に話すようになり、疑いは残こしつつも距離の縮まる関係性は観てて良かった。
本作鑑賞前はヒトラーとかナチスとかって私的には苦手ワードで観ても楽しめない作品かな何て思ったけど話はシンプルだしコミカルだし、ポルスキーのやってる事は犯罪だしキモかったけど、そのキモさも効いてて面白かった。
星はいつも三つです。
プロローグは1930年代の東欧、幸せそうな一家の声。ユダヤ人のようだとわかる。
一家はそろって写真を撮るが、ひとりだけセルフタイマーのタイミングがずれて写らなかった男がいる。
映画で写真を撮る場面は、この先の不幸を暗示する。
映画の文法を使ったすぐれた導入部。
続いて1960年南米、というクレジットが出る。ひとり暮らしの老人はプロローグでひとりだけ写真に写らなかった男だ。
1930年代の東欧に家族と一緒に暮らしていたユダヤ人の男が1960年には南米でひとり暮らしをしている。男の身の上に何があったか、知識として知っ
ている。
そのため、ユーモラスなトーンで進んでいく映画なのに、この映画を「楽しんで見ていいのか」という思いにずっとつきまとわれていました。映画との距離感がつかめなかったです。
映画の半ば、隣人がヒトラーなのではないかという疑いを抱き続けている男が隣人の愛犬を死なせてしまった
場面で、ようやく私も呪縛が解けて映画を楽しめました。
さて、隣人の正体は?
決して下品で目をそむけさせられるような描き方ではないのですが、この作品には放尿、排便、嘔吐、犬の大便といった「生き物の最も醜いもの」が繰り返し登場します。
ホロコーストを下敷きにしていながらユーモラスな作品だけに、汚穢を頻出させることで蛮行、醜さを忘れさせまいという意図ではないかと思いました。こんなに面白い映画になるのだから、ナチスやヒトラーも悪いばかりではなかったんじゃない、などと思っては大変。現に映画には、ヒトラーを強く信奉する連中も登場しています。
Vendetta
年一ペースで劇場にお呼ばれするヒトラーが隣人なんじゃ?と疑ってかかるコメディで良い切り口だなーと思い鑑賞。
隣人としての仲を深めていく様子はとても微笑ましく、チェスを好むという共通点でヒトラーかどうかを探る様子だったり、酒に溺れてベロンベロンになった状態を介抱したり、その内自分の身の上話をし始めたりと、警戒しながらも距離を詰めていってて面白かったです。
ヒトラーの筆跡を取りたいからチェスをしようと持ちかけたら、「チェスが終わった後に書いてやる」と言われ、「チェスやる前に書いてくれ」と言ったら、「分かった、チェスをやった後に書いてやる」と押して押されてのシュールなコントを見せられているようで楽しいシーンでした。
その後のチェスが終わった後に書くのかと思いきや、タイプライターでの打ち込みだったりと思い通りにいかない展開もとても良かったです。
良い隣人になってきたな〜と思っていたところに茶々が入るのもお決まりで、飲みにきた人たちが思いっきり総統万歳!なんて言っちゃうもんだから疑惑が確信へと変わってしまうスリリングな展開もやってきました。
ヒトラーのタマタマが1つという情報頼りにズボンを脱がせて確認して、タマタマが2つあることに泣き崩れる様子は当人たちにとっては極限状態の出来事なんだと思うんですが、いかんせん下半身モロ出しのおじさんと近くで泣いてるおじさんという絵面を見せられてるもんですからつい笑ってしまいました。
本当のヒトラーだったとか、全くの別人だったとかのオチなのかなと思ったら影武者だったというオチはちょっと予想してなかったので、一本取られたわ〜と思いつつ、そこからの展開もヒトラーの影武者になるために腹の肉を切られながらも生活していたというゾッとする過去が挟まれ、それと同じラインで戦争で家族を亡くしたマレクの悲しい過去もやってきて、2人が同じ時代に味わった苦痛を共有する事でまた違う距離の詰まり方になっていたのが少し面白かったです。
短い期間だったとはいえ育んだ友情がサラッと別れに繋がってしまう切ない展開には心がキューっとなりました。
ヘルツォークにとっては良く起こりうる事だと思うので、少しだけ寂しそうでしたが慣れていましたが、距離が近づいていたもの同士、言葉には出さないだけで寂しさはビシビシ伝わってきました。
鑑賞日 7/26
鑑賞時間 15:40〜17:30
座席 D-3
【“怪優ウド・キア、ヒトラーを演じる?の巻。”今作は、現代でも巷間で密やかに囁かれているアドルフ・ヒトラー生存説を基に、想像豊かに展開されるストーリーが面白可笑しく、且つ少し切ない逸品なのである。】
ー ご存じのように、アドルフ・ヒトラーは、1945年4月に終末が近づいた事を悟り、愛人エヴァ・ブラウンと自室で拳銃自殺したとされている。
だが、ヒトラー自身の遺書により遺体は焼却はされ、その遺体を西側が確認していない事から、今でもヒトラーの生存説、特に、南米への逃亡説が囁かれているのである。-
■1960年、南米コロンビア。
ホロコーストで家族を失ったポーランド人のポルスキー(デビッド・ヘイマン)は、町外れの一軒家で、家族が愛した黒い薔薇を庭に植え暮らしている。
彼の腕には、収容所に入っていた事を示す数字の刺青が入っている。
そんな彼の臨家に、ドイツ人ヘルツォーク(ウド・キア)が引っ越してくる。
夜でもサングラスをかけ、髭もじゃの怪しい風体のヘルツォーク。ある日、ポルスキーは彼の灰色がかった青い目を見てしまい、愕然とする。そして、ヘルツォークをヒトラーと確信した彼は、日夜彼を観察し、ヒトラーである証拠を集め始めるのである。
◆感想
・ポルスキーが、ヘルツォークの愛犬が自分の庭にした糞を、フン然として持って行くシーンが可笑しい。彼はその糞を、アルゼンチンに逃亡していたアイヒマンが捕まった事を伝える新聞にくるんで持って行くのである。
ー アイヒマン逮捕については「アイヒマンを追え!」に詳しく描かれているが、彼はナチス残党と共に1960年当時、ブエノスアイレスにいた所を、イスラエルの秘密警察モサドにより摘発され、処刑されている。-
・今作が面白いのは、そのような事実に基づきヒトラー生存を信じた男ポルスキーが、図書館でヒトラーの性格や人となりを調べて行く姿である。
1.ヒトラーは左利き。
2.ヒトラーは癇癪持ち。
3.ヒトラーは絵が好きだったが、美術学校には入れなかった。
4.ヒトラーが好んで描いた絵は、朽ち果てる寸前の家。
5.ヒトラーは、酒は飲まないし、煙草も吸わない。
6.ヒトラーは〇〇が一つしかない・・。クスクス。
・・・1.2.以外は知らなかったなあ。
それにしても、ポルスキーが、ヘルツォークの○○をしげしげと見るシーンは、可笑しかったなあ。
そして、彼はヘルツォークは実はヒトラーではないのではないか?と思って行くのである。
■だが、ポルスキーは徐々にヘルツォークとチェスをし、その際にガブガブと酒を呑む彼に、興味を持って行くのである。
この時のヘルツォークを演じる怪優であり、名優でもあるウド・キアが魅力的なのである。
ポルスキーがヒトラーと言う怪物だと思いこんでいたヘルツォークが、犬を愛する人間味ある姿。
■クスクス可笑しくも沁みるのは、実はヘルツォークがヒトラーの多数居たという替え玉の一人だったという事が分かるシーンからである。
替え玉の多くは亡くなり、ヘルツォークも体重を落とすために身体の一部を削ぎ取られたり・・。
その過去がヘルツォークの哀しみを讃えた灰色がかった青い目であり、替え玉であるが故に親しい友人も居なかった彼が、ポルスキーとチェスを指す喜びの顔であったのである。
<そして、ヘルツォークはヒトラーの替え玉という事で、秘密警察に感づかれ、ポルスキーの隣から去って行くのである。
その際にポルスキーがヘルツォークに渡した、彼の家族が愛した黒い薔薇を花束にして渡すシーンはナカナカである。
今作は、序盤はややミステリー要素を絡めながらも、ユーモアと哀愁を絶妙に塗した逸品なのである。>
彼の置かれた立場は理解できるが、もう一段深い因果がないと、主人公の行動は理解しづらい
2024.7.27 字幕 MOVIX京都
2022年のイスラエル&ポーランド合作の映画(96分、G)
ヒトラーそっくりの隣人の正体を暴こうとするホロコーストの生き残り老人を描いたスリラー映画
監督はレオン・プルドフスキー
脚本はレオン・プルドフスキー&ドミトリー・マリンスキー
原題は『My Neighbor Adolf』で「私の隣人はアドルフ」という意味
物語は、1930年代の東欧にて幸せに暮らすポーランド系のポリスキー一家を描き、その後は1960年の南米へと舞台を移していく
ホロコーストにて自分以外の家族を失ったマレク・ポリスキー(デビッド・ヘイマン、若年期:Jan Szugajew)は、妻リリー(Maria Juzwin)が愛した黒バラを育てるのを唯一の楽しみにしていた
ある日、彼の元にヘルマン・ヘルツォーク(ウド・キア)の代理人と称するカンテンブルナー夫人(オリビア・シルハビ)が訪れ、隣家のことを尋ねに来た
マレクは関わりを持ちたくなく不愛想に接するものの、それが却って裏目に出てしまう
隣家との間にある柵の位置がおかしいと主張され、黒バラが育っていた場所は隣家の敷地だと言われてしまう
物語は、得体の知れない隣人と過ごすことになったマレクが敵意をむき出しにして接するものの、ある日の出来事を境に恐怖に慄くことになってしまう
それは、いつもサングラスをしている隣人の素顔が「かつてチェス大会で目撃したヒトラーそっくりだった」のである
マレクはイスラエル大使館に出向き、そこにいた諜報員(キネレト・ヘレド)に訴える
だが、ヒトラーはすでに自殺していると言われ、マレクは躍起になって、隣人がヒトラーであることを示そうと考えるのである
映画は、視点の変わったヒトラー映画で、南米に逃亡した説を基に作られている
後半にはあっと驚くとまではいかない真実が暴露されるのだが、それに対してマレクが感情移入をするのは少し違うなあと思ってしまった
隣人が置かれた立場と、家族に降りかかった悲劇はイコールなどではないので、彼があの行動に出てしまうのは微妙な感じに思えた
いずれにせよ、面白い試みで、緊張感のある内容なので楽しめるのだが、もう一段キツいオチを用意しても良かった
復讐をすれば心が晴れるとは思えないが、いまだに庇護にあって逃亡生活を送っているあたりが感情移入しづらい部分かも知れない
隣人が完全に関係が切れて、逆にネオナチなどに狙われているのなら話は変わると思うが、そこまで踏み込まなかったのは微妙かなあと思った
引っ越して来た隣人アドルフとの交流が始まった。
ホロコーストを生き延びたポルスキーは越してきた隣人に会った瞬間に気付いた。あの目は、かつてチェス大会で1度だけ見たアドルフの目そのものではないか。自分はあの邪悪な目を決して忘れない(ホントは映画では、たしか ”邪悪” なんて言ってなかったと思う ^^ )。
隣人のヘルツォークは、本で調べたヒトラーの特徴とすべて一致する。ポルスキーは隣人がアドルフに違いないと確信し、証拠を見つけようとする。しかし、確証を得られぬままに、チェスや酒での交流が続いていく。
ある日ポルスキーはヘルツォークに肖像画をかいてもらう。赤いバラを背景に優しそうに微笑むポルスキーが描かれている。
僕はこの場面で、この絵を見たポルスキーが「自分をこんな風に優しそうに描いてくれるヘルツォークは、もしかしたらヒトラーでないかも」なんて少し思ったんじゃないかと思った。「でも空のタッチとかヒトラーだしなあ」などとポルスキーも揺れる。
で、その直後の出来事でポルスキーと僕に衝撃が走る。
なんとポルスキーの仕事仲間 (?) が、帰り際に「総統万歳(ハイル ヒットラー)」と言って片手を前に捧げたのだ。
アッチョンプリケ、本物のヒトラーやんけ ( ̄□ ̄;)!!
この場面、結局ヘルツォークが偽物だったことから、仕事仲間のただのオフザケであったのが後から分かるのだが、僕はこの映画を、最後にはやっぱしニセのヒトラーでしたという話だと思って見てたので、実はホントにヒトラーだったというオチになるのかと思って驚いた。うまいミスリードにやられた。
ヘルツォークが本物である事実を目撃したと思ったポルスキーは大使館へ駆け込むが、責任者は全く信じてくれず、最後には口論になり出禁をくらってしまう。万事休す。
ところがヘルツォークはヒトラーでなく、ヒトラーの替え玉を強要されていたことが分かる。ドイツ人だけどヒトラーの犠牲者でもあった。
「隣人アドルフ」説の疑念もなくなり、これからは善き隣人としてお付き合いしていこうかという矢先に思わぬ横ヤリが入る。ポルスキーが持ち込んだ絵を鑑定した大使館が、ヘルツォークを監視するとポルスキーの家に乗り込んできたのだ。
そんなこんなで逃亡する羽目になったヘルツォーク。なんともアイロニカルな結果になっしまって残念である。
別れ際、ポルスキーは、かつて妻が育て今は自分が育ててきた黒バラをヘルツォークに贈る。ヘルツォークは新しい飼い犬とバラが植えてある土地を贈る。
いつか2人が再会し、この話を笑って話せる日が来ればいいのにと思わずにはいられない。そんな切なさを感じる物語だった。
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