お隣さんはヒトラー?のレビュー・感想・評価
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ケシの実クッキーと黒い薔薇
ハートウォーミングコメディ…と思いきや。観終えてみると、ことのほか、ほろ苦い。しみじみと思い返したくなる、味わい深い物語だった。
和やかなポーランドでの家族写真撮影から時は流れ、舞台は60年代、陽気なラテン音楽が流れるコロンビアへ。主人公・ポルスキーは一人、郊外でひっそりと暮らしている。彼の支えは、かつての我が家に咲いていた、黒い薔薇だけ。そんな静かな生活が、謎の隣人・ヘルツォークの登場で、突如かき乱されてしまう。
彼はにっくきアイツに違いない!と確信するポルスキーの言動は、はたから見ると、隣人よりもよっぽど奇妙だ。ヒトラーの文献を読みあさり、部屋にカメラを据え付け、隣を監視し始める。何とか証拠を集めてユダヤ人支援団体に持ち込んでも軽くあしらわれ、過去にとらわれるなと自助グループへの参加を勧められてしまうのだ。
空回りし、追い詰められたポルスキー。そんな彼に手を差し伸べたのは、皮肉にもヘルツォークだった。いやいやながらチェスの相手をし、言葉をかわすうちに、心ならずも距離を縮めていく。若者のように酔いつぶれたヘルツォークを介抱したり、恋バナに花を咲かせたり。やっぱりアイツだ!いやいや違う、疑うなんて…と、揺れ動くポルスキー。さらには、自分はアイツであってほしいのか、アイツだったらどうなのか、と新たな感情も生まれていく。そんな大混乱の末に明かされた秘密に、ポルスキーも私も、思わず息を飲み、言葉を失った。
中盤で気になったのが、ヘルツォークがお茶とともにふるまう、手作り(!)のケシの実クッキー。一口食べたポルスキーは、こっそり何枚もつかんでがっつく。支援団体ではチョコクッキーを拒んだのに、なぜそこまで? 調べてみると、ポーランドでは、スパイス貿易を担ったユダヤ系民族の影響を受け、料理にさまざまなスパイスを使うらしい。ケシの実を使ったお菓子もポピュラーで、黒ケシのペーストを渦巻状に巻き込んだお菓子「マコヴィエツ」に似たペストリー「モーン・シュニッケン」は、ドイツでおなじみ。ポルスキーにとってもヘルツォークにとっても、黒ケシのお菓子は、懐かしい故郷の味だったに違いない。ヘルツォークが「黒い」薔薇にこだわる理由も、黒ケシと無縁ではないように思え、ラストで薔薇を贈った彼の想いに、心がじわっとした。
戦争は、誰も幸せにしない。でも、そこから生まれる出会いは、時にきらめき、心に残る。殺戮や戦闘など残虐なシーンを一切入れずに、戦争を語った良作だ。
小作ながらも二人の関係性の行方に引き込まれる
本作では戦時中に起こった出来事がいっさい描かれない。すなわち、オープニングではまだ家族みんなが幸せだった戦前の時代が描かれ、それが開けると、そこは終戦から15年後の南米。その間に主人公の身を襲ったことについてはすぐに想像がつくが、あえて描かないことで彼のとてつもない悲しみが伝わってくるし、この「描かない」という点ではお隣さんも同じだ。辿ってきた人生は違えども、語らない過去を持つ点では共通している。かくも因縁の過去(?)を抱えた者どうし、またある意味では疑心暗鬼の募る「お隣さんミステリー」のセオリーを踏襲しつつ、さらに全く立場の異なる隣人どうしがいかにして関係性を構築していくべきかという現代的なテーマすら併せ持つ。これは想像していた以上に見応えと巧さを兼ね備えた作品だ。二人の名優を配し、嫌味なく、くどすぎず、点を描くことで全体を想像させる手法が優れている。ちょっとした展開の捻りも気に入った。
あのクッキー食べてみたい
コメディかと思っていたら全く違う。
(クスッとさせるとこもあったけれど)
戦禍を被ったポルスキー一家について
直接的な描写はないものの
戦後15年経過しても尚癒えぬ傷
孤独な老人ポルスキーは黒薔薇を育てる事が
亡き家族を供養しているかのようにも見える。
憎んでも憎みきれない「彼」
その「彼」の秘密を知ったとき
最後にもう二度と会えないであろう「友」に
黒薔薇を贈った想いに胸が熱くなる。
次世代にどう伝えるか
ヒトラーものとしては面白かったし、心温まったんだけど。
「関心領域」のときも思ったんだけど、ホロコーストでどんなことがあったかは、みんな知ってる前提で話しが進む。
主人公の家族がどこでどうなったかはもちろんわかってるよね?
主人公の腕にナンバーが彫ってあるけど、わかってるよね?
いや、そういう確認もされない。
日本の学校でホロコースト、アウシュヴィッツをしっかり教えるってことはないから、我々は基本的に映画で学んできたような気がする。
でもこの辺の知識がない若者たちがこの作品を見たら何が何だかわからんのじゃないか、という心配をしました。
隣人は本物のヒトラーか?
1960年、南米コロンビアで、ホロコーストで家族全員を殺され1人生き延びたユダヤ系ポーランド人の男ポルスキーは、町はずれの一軒家で黒いバラの手入れをしながら穏やかな日々を過ごしていた。そんな彼の家の隣に、15年前に56歳で死んだはずのヒトラーにそっくりのドイツ人・ヘルツォークが引っ越してきた。ユダヤ人団体に隣人がヒトラーだと通報したが、ヒトラーは死んだと相手にしてもらえず、彼は自分で証拠を集めることにした。ヒトラーに関する大量の本を購入し、特徴を照合していくうちに、いつしか互いの家を行き来するようになり、チェスを指したり肖像画を描いてもらったりと交流を深めていった。そんなある日、ポルスキーはヘルツォークの家を訪ねた人たちが、総統、と呼ぶ所を目撃し、本物のヒトラーだと確信したポルスキーは・・・さてどうなる、という話。
本物か?まさか?なんて思いながら鑑賞し、引き込まれた。ストーリーはなかなか興味深かった。
しかし、いくら証拠集めのためとはいえ、隣の家に忍び込んだり、金庫を壊そうとしたり、犬を殺したり、とちょっとやりすぎの様に思った。ホロコーストで家族を失ったとしても、ちょっと、それは・・・.って思った。
ヒトラーの影武者だった、というオチは良かったと思う。
今でもヒトラーを願う者達
個人的には好きな作風 カリスマ性にとんだあの○○が隣に引っ越してきたことから始まる、おっさんどおしの友情が育まれるプロセスをテンポ良く見せてくれる 警戒心も溶けだしたのに…過ぎ去ったことは戻らない 前向きにとらえましょう🎵てか‼️
現代のお隣さんは?
シリアスなテーマがコメディ的設定に乗って進みます。「ヒトラーが生きてたなんて話になる筈はないよな」「でも、次々と積み上がって行くヒトラーである証拠をどう収めるんだろう?」と観る者を巧みに揺さぶる手並みも巧妙でした。
「でも・・」と、映画は映画として観るべきで現実社会と安易に結びつける事には慎重であるべきなのは承知の上で、本作がイスラエル映画だと思うとどうしても心に引っ掛かりを覚えてしまいます。いつの日か「隣に引っ越して来たのはネタニアフでないか」というパレスチナ映画が出て来るのではと想像してしまうのです。イスラエルでは絶対に公開されないだろうな。
新たな切り口のナチス映画
主人公ポルスキーの偏屈ぶりが強調されているように
感じましたが、ナチスに家族全員を虐殺されている
ことに加えて、ヒトラーを直接見たことがある経験から
お隣さんがヒトラーではないかという仮説を立てること
には、実に納得感がありました。
最初は偏屈じいさんの思い違いだろうと思いましたし、
ヒトラーとの違いも複数出てくることで、
仮説が揺らいでいくことを見せつつも、
ラスト近くでヒトラーの影武者だったということが
お隣さん本人の口から打ち明けられます。
このオチも素晴らしいなと思いましたね。
そこに至るまでの友情の紡ぎ方や
ポルスキーのお隣さんを守ろうとする姿勢が
実に心にグッときて、感動しました。
シリアスになりすぎず、時折クスッて感じのちょっとした
笑いを入れてくるあたり、巧妙だと思いますし、
ゆえにラストが感動的なのだろうと思います。
かなり小さな世界でつくられた作品ですが、
うまい!と思わず唸ってしまい、満足しました。
ナナメ上の
琴線に触れる作品。ポーランド・イスラエル合作ってのも珍しい、タマ2個を確認して号泣するなんて・・。男の交流が泣ける、酒を酌み交わし不始末の世話をして、女の話をする、欧米でもそうなんだな。
初代ヴォルフィーは可哀想過ぎ、二代目は飼ってもらって良かったね。黒バラってあんな真っ黒なの?
ヒトラーものは大好きなので
鑑賞したが、どう見てもウド・キアーがヒトラーに似ていなくて、それが気になって気になってしょうがなかった。
帰ってきたヒトラーのオリバー・マスッチは身長が180センチ以上あって素顔はかなりイケメンでヒトラーとは似ても似つかないけど、役作りでヒトラーに瓜二つだったからウド・キアーがメイクをしなかった理由が分からなかったです。
お一人様拗らせた老人二人の友情物語としては完璧で、自分も人ごとじゃないなと思いました。あと、犬好きな人にはショックな場面があるのでご注意ください。
幸せの思い出の、黒い薔薇
1960年、まだ戦争の傷跡は生々しい。
冒頭の普通に微笑ましいユダヤ人家族写真撮影シーンから一転
コロンビアの田舎に一人住まいの偏屈な老人の、腕には数字が羅列された入れ墨
これだけで彼があの写真の家族の中で、ひとりだけホロコーストを生き延びたんだろうとわかる。ここに来るまで何があったか一切語られない。
隣に越してきたいかにもな訳アリな上から目線の嫌なじいさんが、過去に見た本人の「目」でヒトラーだと確信してから、隣人のストーカーと化し、証拠を掴むためのあれやこれやの大作戦のポルスキーの熱量がすごい。しょぼくれていたのに、急に生き生きしだすのが笑える。
文献を読み漁り一言一句を読み込み、行動を独自に分析、特徴を細かくアタマに刻みつけ独学で描く絵の分析鑑定、もはや専門家の域。物証を入手するために本人在宅の家に忍び込む(犯罪です)大胆な行動もあり。
チェスを通じて交流するうち、ヘルツォークとヒトラーの相違点を見つけてほっとするようになるミスター・ポルスキーだが、決定的なものを目撃して当初の疑惑が確信に変わる。
他人の空似だった(割といい奴)、いや、ヒトラーに間違いない、という、両極端を揺れ動くポルスキーの心の振り幅がよく分かる。
ポルスキーの意図がヘルツォークにバレて二人は対決、ヘルツォークを追い詰め、パンツを下ろさせ数を確認までして、結果はシロ。ヘルツォーク=ヒトラーでなかったことにポルスキーは感情のやり場がなくなり、ヘルツォークの膝にしがみついて号泣する。二人のこころが通い合った瞬間と思う。
ヘルツォークもまた、ナチスの被害者で。
真実が分かって、ふたりはお互いの孤独を補う良い友達になれたはず。
ポルスキーがヘルツォークを守るために一肌脱ぎ、永遠の別れになるのが切ない。
デビッド・ヘイマンが、表情といい動作といい、何とも味がある。
ウド・キアは、「スワン・ソング」同様、プライド高く嫌な奴っぽいのにいじらしいような可愛いところがある訳アリのじいさんが絶妙でした。
「碁番切り」もそうだったが、囲碁、将棋、チェス、もしかするとカードも、立場や人種、あらゆるものを超えて相対する相手と心つながる、人間性すら見抜ける、言葉不要の強力コミュニケーション・ツールだと思いました。
戦争は、戦いでの直接の命のやり取りだけでなく、人々に様々な影響を残す。
もたらした悲劇は、波紋のように広く、遥か遠くまで及ぶのだと改めて思った。
ヒトラーってあれが1つだったの???
その真偽はさておき・・・
地味だが良い映画。隣人がヒトラーか否かの間で揺れる心情表現が巧み。
主人公ポルスキーが隣人をヒトラーと疑いながら証拠集めをするのはコィチックでありながらも、幸せだった頃のポルスキーと家族の情景を冒頭で知っているだけに、家族全員を失ったポルスキーの悲しみがところどころで突き刺さる。
新聞のチェス問題を解くことと、妻の愛していた黒いバラを育てることだけが生きがいだっやポルスキーが、隣人をヒトラーだと疑い証拠を集めて追い詰めようとする様は、奇妙だがどこか生き生きしている。たとえ目的が復讐であれ、殺された家族のために一矢報いたいという気持ちは人を動かすのだ。
終盤の展開も予想外で畳み方も良かった。
南米で暮らす主人公が「なぜパレスチナへ行かない?今は国があるだろう」と隣人に聞かれて返した言葉が一番印象に残っている。
「国なんかいらない、何もいらない」
家族は戻ってこないのだから。
思い込みもほどほどにね
タイトルが面白そうだなあと思って上映ラスト日に鑑賞したのだが、思いの外お客さんが入っているのでビックリしたΣ(´∀`;)
ホロコーストを生き延び、ひっそりと南米コロンビアへ単独移住したポルスキー。愛妻が遺した黒い薔薇を柵の付近に埋め大切に育てながら、寂しい日々を過ごしていた。
そんな中、突如ブエノスアイレスの名士が隣に引っ越したいという理由から、代理人で弁護士のカルテンブルンナー夫人が訪れ、管理人の連絡先を知りたいからといっても、ドイツ人だという理由から頑なに教えようとしなかった。
そこは弁護士だから謄本を取り寄せる等してわかったのだろう。ドイツ人の隣人ヘルツォークがやってきたのだ。
やってきてすぐ裁判が起こる。ヘルツォークの愛犬が勝手に入り込みトラブルに発展した経緯から柵を修繕することになるがその際にヘルツォーク側の敷地の一分が足りないことからカルテンブルンナー夫人が気付き裁判を起こし、結果ポルスキーが土地の一部を失うだけでなく妻が愛した黒い薔薇さえも手放すことになり、益々ヘルツォークを恨むようになっていく中で気付き始めた。
サングラスをとったヘルツォークの顔が、ヒトラーに似ているではないか、と。
答えはソックリさんでした、だったがポルスキーが一線を越えてでもヒトラーたる証拠を示し国際裁判で裁いて貰いたかったのだろうが、ポルスキーのヘルツォークがヒトラーでは?という推理は勘違いで終わった。
調べてみたら、当時はアルゼンチンで偽名を使いひっそり生活していたアドルフ・アイヒマンが捕縛されイスラエルへ移送されたことが話題にあったようにヒトラーは地下室で自害したとは公にはされているものの肝心のご遺体が出てこない。
実はヒトラーの遺骨は既に埋葬されていて様々な情報が飛び交う中において、確固たる情報が入ったのが1970年代になってからのことだそうだ。
当時の世界情勢など、皮肉にもシュールにかつコミカルに描かれているのがとても良かった。
美しい!
振り返ってみると、最初はなんか画面も暗いしおじいちゃんばかりだし
不安がすこーしあった。でもなんやかんや引き込まれるストーリー展開。
色々あるんだけど、話も広がり過ぎず、飽きさせもせずでキレイにまとまっていた。
エンディングが流れるときには美しい時間だったとさえ感じた。
そうそう。1個納得しかねる要素、犬があったが
最後の最後で消化できた。
みてよかった。
まあまあ!
初めは爺様2人をドアップで見ないといけない苦痛に耐え、ストーカーで不法侵入や犬殺しまでする爺様に、あと一胸糞で席を立ちそうになった。
一応全体的にコメディなのと、絵に感動する場面でなんとか持ち堪えた感あり。
あんなポツンと二軒家だったら、隣家が気になるのは無理もない。何故そこに越してきた!と終始ツッコミしてた。
とことん独裁者…
中盤までただの思い込み激しい隣人の迷惑ジジィの話で終わると思いきや…中盤すぎてから隣人の友情話になり更に終盤にかけてヒトラー話がこじれるという興味深い展開に。独裁者なんてろくなものではないと。
友情を描いた物語として楽しんだ
ヒトラーが実は生きていたという設定は他の創作物でも見たことがある。ナチスが月の裏側で地球侵略を狙っていたなんて映画もあったし。そんなことを想像させるくらいに創作物のネタになるってことだろう。本作は、隣に越してきた人物がヒトラーではないかと疑う話。ヒトラーが南米で生きていたなんて都市伝説を下にしたものだ。
隣人がヒトラーであることを証明する証拠集めをするマレクは明らかにやりすぎだし、集めたものも実際どれだけの証拠になるのかも疑わしい。ただ、ミステリーやサスペンスではないからこれでいい。ナチスに絡んだ話だからもちろん人の生き死に絡んだシリアスなシーンが出てくる。それは避けられない。でも、全体的にちょっぴりコメディテイストだし、笑えるところも多い。深刻な物語にしないように意図したものだろう。
だから鑑賞後の印象も普通のナチス映画のシリアスなものではなく、男同士の友情が描かれた物語としての温かみや爽快感の方が強い。いや、でも切なさも含まれてしまうか。バラの色もマルクにとっては黒だったというあたり考えさせられるから。結局、ナチスの愚行がいかに多くの人の人生にいかに多大な影響を与えてしまったのかを想起してしまった。これも見事なナチス映画だった。
不潔な描写がちょっと苦手でした
お隣に引っ越してきた人がヒトラーと思ったっていうのはある意味間違っておらずグレー。
というか全く関係ない人というありきたりのオチでしょと思ってただけに、逆にそっちか!という感じで良かった。
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