プラットフォームのレビュー・感想・評価
全150件中、141~150件目を表示
スペイン版・蜘蛛の糸 スーパーハードver.
約90分の間、これ以上無いほど〝人間の醜悪極まりない部分〟を見せ続けられた…が、不思議と胸糞悪いという感情は起こらなかった。
世界観やグロテスクな演出は「ソウシリーズ」に似てなくもないが、こんなストーリーどうやったら描けるのだろうか?
エロ系以外でボカシが入る作品には、滅多に逢えるものでは無い…笑
芥川龍之介「蜘蛛の糸」を連想しながら、「どうやって終わらせるのだろう」と気を揉んだが、〝策士策に溺れた〟テネットとは全く別の意味で「ネタバレ困難。考えるな、感じろ」的作品だった。
観賞後の「何かとんでもないものを観せられた」という、不思議な達成感を堪能できるかも 笑
究極の人間性テスト
富裕層が富を独占している現状を意識して作られた作品であることは間違いない。「穴」と呼ばれる矯正施設は、少なくとも100階以上あるタワーで、各階に2人づつ配置され、最上階から食べ物が支給されるが、制限時間内はいくら食べてもいい。
当然の結果として、上の階層で食い散らされて下層階では残飯すら残っていない。究極の人間性テストとしては面白い設定だが、せっかくのシチュエーションが生かされていない。作り手の思想性が強く出すぎてしまって、映画の状況と同じく、「食い散らかされたまま」エンディングを迎えてしまう。
認定証とは何か、垂直矯正施設である「穴」を運営している組織とは何かなど、伏線や謎は、そのまんまで置いてけぼりにされたままだし、結局、何を持ち込んでもいいんかいっと突っ込みたくなる。
平等を実現するためには、暴力(殺人)をしてもよいという暴力革命思想を肯定するために制作されたのかな。
エンタメ映画ではないので要注意(グロ過ぎ)
チラシを見たりしたら何気に面白そうな雰囲気。毎月自分のいる階層が入れ代わり上層階は食事にありつけるが下の階層になるにつれ食べ物は減っていく。
いやあ、いろんな賞もとっているようで、エンタメ調の脱出物かなにかと思っていたが大間違い。
食べ方は汚いし、人肉も食べたり、糞をひっかけたり、人を滅多刺しするなど哲学的超グロテスク映画。
気分悪い。
見たことを激しく後悔したわ。
社会批評という点において、この映画は想像以上によくできている。正直いって驚いた。
食人ホラー。
ナイフでザクザク、人肉クチャクチャ。
殺しっぷりが素晴らしいですね。
スカッとする。
作中に登場するあの施設。現実社会のメタファーとして非常に良くできているので少し言及。
食糧は、エレベーターに乗せられて上から降りてくる。
エレベーターは各階において数分間止まる。
止まっている間に食糧を食べることができる。
上にいる人が食べ過ぎるので、下にいる人が食べる分は残っていない。
ここまではよくあるメタファー。すなわち、社会の中では、富裕層から順番に利益率の高いリソース(不動産とか株の売買券とか)が割り当てられる仕組みとなっており、公平にリソースの分配が行なえないために、貧困がなくならない。
この程度のメタファーであれば、他の映画においても割とよくあるパターンだと思われる。
社会批評という点において、この映画は、他と比べて何枚も上手だ。
この映画に登場するあの施設の構造。
この構造が絶妙。より具体的には、
(A) 「吹き抜け」となっており、吹き抜けを通して各階の様子を知ることができる。
という、この構造。
「民主主義がうまく回らない理由」を見事に説明していた。
貧富の格差を比喩するだけの映画はゴマンと存在する。
しかしながら、「民主主義がうまく回らない理由」を説明する、しかもホラー映画など、はじめてかもしれない。
民主主義はどんな時でもうまく回る良いシステムなのか?決してそうではない。
民主主義をうまく回すために必要不可欠な条件として、次のようなものがある(ルソーが言ってるらしい)。
- 民主主義社会の全ての構成員が、自分の行動の結果(例えば投票行動)が、全ての他人に対してどのような影響を与えているか?が気にかかる。
民主主義社会の構成員の人数が増えれば増えるほど、上の条件を満たせなくなる。
これについては少し想像してもらえばわかるだろう。
例えば、人口100人の村があるとしよう。あなたがこの村の構成員であったとする。このような状況下において、自分の行動の結果が、アカの他人に対してどのような影響を与えているか?を気にする必要が出てくる。人口100人ぐらいの村であれば、全ての構成員は顔見知りだ。全てが顔見知りの状況下において、自分だけが抜け駆けして、利益を得るために他人を蹴落とす行動は抑制される。
例えば、人口1億人の国があるとしよう。あなたがこの国の構成員であったとする。このような状況下において、自分の行動の結果が、アカの他人に対してどのような影響を与えているか?を気にする必要は微塵もない。人口1億人ぐらいの国であれば、ほとんどの構成員は顔見知りではなくなる。自分だけが抜け駆けして、利益を得たとしても、他人から後ろ指を刺されることはない。もちろん、自分と近い関係にいる人間には、自分が抜け駆けしたことがバレてしまう。そうなったとしても、全く違う人間との人間関係を新しく作れば問題はない。代わりの人間は1億人もいるのだ。自分の悪事がバレたら次の人間関係に移れば良い、となってしまう。
このように、民主主義がうまく回るためには、構成員の人数に上限があるのである。これがルソーが言っていたことだ。
この映画に登場する施設は200層以上ある。
上から降りてくる食べ物を、民主主義的に上手く分配するためには、200層は明らかに多過ぎるのだ。1〜10層にいる恵まれた人間からは、200層付近にいる悲惨な人間の顔が見えない。だから、上層にいる恵まれた人間は、下層にいる悲惨な人々のことを気にせずに、自分だけの私腹を肥やすことに邁進できてしまう。
映画の結末、この映画の主人公たちが取った解決策は民主主義的ではなく、どちらかといえば社会主義的なものであった。武力によって無理矢理リソースを管理し、それを分配する。どちらかというと、戦中の日本の配給制のようなものに近い。
民主主義的に解決する方法はないのか?
ない(と、私は思っている)。なぜないとわかるのか?
それは、人間の個人個人の問題ではなく、これはシステムの欠陥だからだ。
すなわち、200層だから悪い。200層もあるから民主主義的な解決方法が上手く回らない。
もし、この施設が200層ではなく20層だったらどうであろう?
20層の施設が10個ある。
これであれば、民主主義的な解決策が可能となる。
20層であれば、上層から下層、全ての部屋にいる人間と顔見知りとなれる。
そして、もし自分が上層にいた時に私腹を肥やすような行動をした場合、自分が下層に回った時に仕返しをされてしまう。
20層であれば、誰が悪いことをしたのか?が一目瞭然になってしまうからだ。
この映画は、「民主主義がうまく回らない理由は、人間の心の問題ではなく、システムの問題であるのではないか?」という示唆を、観客に与えてくれる。
この点について、まじで凄い映画だと思った。
序盤は見ていて気持ち悪くなるのは明らかだ
ジャンル的にはホラーサスペンスになるのかな。この閉じ込められた場所が縦型のシステムってのは目新しくて興味深く序盤はだいぶ惹きつけられたのだが、後半になるに連れて粗さが気になって興味が薄れていってしまった。
というのもこの施設が何のために作られて何を目的としているのかわからない。
主人公は脱喫煙を目指してここに入所したそうだが、冒頭の同部屋の相方は殺人犯である。
主人公が喫煙者である事で何か社会的に迷惑や悪事を働いた背景は見えない。どう見ても不釣り合いな関係性である。
次の同部屋になった女性はこの施設で元々は働いていたスタッフの1人。入所の強い理由やら彼女の背景見えない。3人目の黒人も同じ事が言える。
同部屋とは関係なしにたびたび現れたアジア人女性の存在もイマイチ存在価値が分からない。
主人公が予想していた250層くらいという最下層も現実は更に下には100層近くあったりアジア人は子どもを探していると言うのは嘘だなんて展開が繰り広げられたと思ったら最後はその子供らしき少女が最下層にいる。
それも最下層なのに元気な様子。
序盤はあの狭い空間で限界を超えた際は同部屋の相方に危害を加えてでも生き延びようとしたり、限界を超えた先に現れる人間の醜さなんかも見え隠れして惹きつけられたのだが後半そういう展開を詳細に描かれる事はなかった。
最初の同部屋のおっさんなんか一年あそこで生き延びてるわけだから限界の先の人間の姿とか色々何か知ってそうな感じしたんだけどね。あっさり中盤で消えてしまった。
あの一日一回の食事を富と揶揄したり、下層に行けば行くほど人は争いそして上を数えるよりも下を数える方が無限に感じる様な描写は社会風刺なのかなというメッセージ性は伝わったけど…それだから結局なんなんだって感じで僕の中では微妙な感じで終わってしまった。
まぁただ序盤の殺し合いが行われるんじゃないかといった緊張感やグロテスクなシーンは楽しめた。
人肉食ったり、糞をふっかけたり見ていて気持ち悪くなるシーンは多々あるのでその辺りが苦手な人は要注意。
また序盤の穴の下を見るシーンは高所恐怖症の僕にとっては気持ち悪くなった。
予想通りの「CUBE」系ですね。
設定の甘さはあれど、極限化の人の本性を描くスリラーに格差の社会風刺を混ぜた作品です。
可もなく不可もなく普通に楽しめました。
なので、粗と言うか(見逃した?)疑問に思ったところを。
先ず、主人公は、自ら施設に入っているのですが、何故?
途中で思っていた所と違うみたいな事言ってましたが、そもそも何故志願したのかが不明。(禁煙の為?)
食べ物を取り置きしておくと部屋の温度が急激に変化し、蒸し焼きか凍り漬け。部屋の真ん中に吹抜けの穴があるのにその階の人間だけどうやって殺す?しかもどうやって確認してる?監視カメラもなく。
一日1回食事の台座が上から下へ、いくらでも脱出出来そうな感じなのですが、実際、作品の中でも移動するシーンありますし。
要するに密室スリラーとするには、脱出出来ない絶望感と観客にそう感じさせる演出がないとね。若しくは徹底的に理不尽さを出さないと。(台座の設定が甘い)
何か目的ありそうな施設なのに、(監獄的言い回しもありましたが志願者も入れるならそうではないでしょう。)CUBE的な密室感・理不尽感もを出そうとして上手く言ってない。
他にもあるのですが、ちょっと中途半端というか設定の甘さが身受けられましたが、
十分楽しめました。
カニバリズムやエログロ描写は👍
シチュエーションは最高なんだけど…
この状況を思い切りミステリーホラー仕立てにしたらもっと楽しめた気がする。助け合いの精神的な社会通念の問題を絡めたからちょっと半端になってしまったような。この実験企てた管理者もはっきりせずもやもや終了、残念。
究極のオルトルイズムと関わりを持たないエゴの塊
In each location, the inhabitants are given access to food, but the
utensils are too unwieldy to serve oneself with. In hell, the people
cannot cooperate, and consequently starve. In heaven, the diners
feed one another across the table and are sated.
(Allegory of the long spoonsより)
カニバリズム、自殺、餓死、レイプ、溢れかえる血、飛び出す内臓、臭い発つような糞尿のゴーリーてんこ盛りのカミュ風な不条理なアジプロであり、登場キャラや見ている側が完全に理解できない広大で無関心な無機質で決して平等感のないピットと呼ばれる "垂直型自己管理センター" のセルに立ち往生しているゴレンが、答えが見い出せないまま、ほとんど怪奇小説家、ラブクラフトの宇宙観から由来する恐怖や絶望に似たような最終的にその2つの最高レベルの驚異、またグラフィック暴力、圧倒的なボディミュージックのフィルムスコア、そしてディストピアの世界構築への過程で生じる無慈悲な緊張感のハイコンセプト・スリラーの心髄であるゴア表現満載における完全無欠型B級映画として本作品はシンボルとなっている...
映画『プラットフォーム』って?
最後のオチだけを見れば笑えてしまう1932年の映画『FREAKS』を代表するミッドナイトムービーと呼ばれる芸術的で前衛的な映画と巧みな表現技術を用いた社会問題の論評との危険な融合であり、過度に明白な上に、紛れもなく効果的であり、スリラーやホーラーのジャンルを超えた衝撃とギミックの進化系残虐ゴアの幅広いメッセージ性を同等にマッシュアップし我々に提供している。
Eat or be eaten?
-You made me.
No. I was helpless and you showed no mercy. You didn't treat me
with the same respect I would have shown you. Obviously.
-Still using that word when you're dead. It smell of gas. And
you're an illusion. Perhaps.
What does it matter? We're the same now. Both murderers. The
difference is that I'm more civilized.
-Go.
No. I'll never go. I belong to you now. I am in your body. But you
belong to me too, my snail.
ブライアン・ マリナーは、カニバリズム(人食)は、4つのパターンに分けることができると述べている。その中の一つ... 第一次世界大戦直後のドイツで起こった経済的なカ二バリズム... 個人からすると人肉を食べたドイツ人はその肉が人肉であるとは知らされずに食べていたのでネガティブなカ二バリズムと捉えているけど、しかし...
個人的に全く正反対なポジティブなカ二バリズムが存在する... 人食の種族として必ず登場するラクビーの日本代表の出身地であるふるさと... 以前は稚拙さから正直な話し勘違いをしていた。部族間の戦いに勇ましく戦った者への畏敬の念の表れとして死肉をほお張る行為そのものがアニミズム的な未知な力を宿すためと考えていた。でもそれはバカ過ぎる... 荷物になる食糧を軽量化するためと捕らえた生きている捕虜ですら食べちゃっているので栄養補助食品としての捕食を意味している方が理にかなっている。
だからなのか? 隣の国ではタスマニア人を記録上、人類初となる趣味的ホリデイ・マンハンティングでせん滅したのに数が多いのもそうだけど、"食われちゃ、たまらない!"ってか⁉
スティーブン・キングなんて足元にも及ばない希代の殺人研究家でオカルト研究家にして1950年代のイギリスを代表する小説家集団 "Angry young men" の一人で『饗 cannibal カニバル』の著者でもあるコリン・ウィルソンがその著書の中でパリで起こった人肉愛好家と対談をしていたのを思い出す。
この小説とは別に彼のことを描いた小説が後に芥川賞受賞って... 実際の話し、彼は精神鑑定の後、無罪となり、現在もあなたの隣で生きている。
spontaneous solidarity
この映画には救いがないのか...
ミハルという女性が愛する人を捜す為に、新しい階に行く為に人を殺め、上の階に行ったり、プラットフォームに乗って誰もが望まない階下の地獄に行こうとする。その様子が彼女が残飯の上に腰かけ、上を見上げるながら地下に降下する様子は、抽象画や哀しみのオブジェの様にもなり感傷的にもなってしまう。
主人公のゴレンが唯一ピットに持ち込めるものを自国スペインの代表的な本を何故選んだのか?
メタフィクションの小説と位置付けられ、主人公が現実と物語の区別がつかなくなってしまう絶望的な探求者であり、また狂った騎士の物語が、狂気な部分といたって理性的で思慮深い人であるところは、この映画の主人公ゴレンの行動と共時性を感じる。その事が映画『プラットフォーム』全体のモチーフの一つとなっている。
一番最初のセルメイトのトリマガシが死んでから「お前からは離れない。お前の体の一部になっている。」と自分を食らった元セルメイトのゴレンに忠告のような事や、もの知りなあたりは、さしずめ小説に出てくる "太鼓腹" 男のイメージに合致する。
She is the message.
食べ物に対する汚物観は糞尿をまき散らして死ぬまでモノを食らい続ける無限ループ的な映画『La Grande Bouffe(1973)』でもあり、注目を浴びたシュルレアリスムとアナキズムの実験映画『アンダルシアの犬』をシュルレアリスムの旗手であるサルバドール・ダリと共同制作したルイス・ブニュエル... 彼が、アナーキー過ぎる"オイタ"からスペイン国籍をはく奪された、その後1962年の映画『El ángel exterminador』では特権階級の人々が、この映画のように誰かれなく野蛮化する、まさにアナーキーさそのものの映画をこの映画『プラットフォーム』からふと思い出してしまう。
Don't call me snail again.
-Don't use my word again.
"Escargots á la Bourguignonne : エスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョン" ... ゴレンのお気に入りの食べ物であり、セルメイトのトリマガシが時々彼に使うニックネーム... マイマイちゃん。嘘です、作中Snailと彼、ゴレンは言われている。
カタツムリと主題の関連性は適応性の1つであり、それは実際にはピットの内部のダイナミクス全体が囚人に要求するより一歩進んだ "順応" という概念に発展させる。カタツムリは、そのぬるぬるした柔軟な体に依存して、殻の形から悪劣な環境が課す危険性に自然に順応できるところにある。
The people above won't listen to me. -Why not?
"I can't sh*t upwards."
プラットフォームはダーウィンが影響を受けた概念:survival of fittest適者生存を要求する。飢えた状況に適応し、耐えられるように変身するのは、ピットを効果的に生き残ることができる人々であること。たとえば、ゴレンは最初のパートナーを刺して生存権を勝ち取り、次に別のレベルで運を試すのに十分な長さで生きるために人間の肉を与えられたことで、その環境に自ら自然に順応していく。
"Ration? You a communist?"
一見、反資本主義や社会主義のカガミとなっているピットの世界や主人公のゴレンを含め、資本主義のためのカニバリズムと言えるのか...
COVID-19が世界に課した厳しい状況と、検疫が一部の人々が爆発して暴徒化した為に、本作品のテーマとコロナの関連性がピークに達したタイムリーな政治色をうかがわせるアレゴリーとなっているが...
ビジュアル的には見ているだけでゾッとするほどはっきりとゴア表現を余すことなく映像化しているのに、その反面、シナリオの部分では曖昧さがあり、資本主義の弊害を描いているようで、実は"過剰"が社会にどのように害を及ぼす可能性があるかを明らかにすることを前提にして、それを ”隠されたメッセージ” として視聴者に受けとめさせるのが、心の中にスッキリしないものが残り、またラストシーンでは、その一番の納得のできないものとなっている。 そんな映画です。
全150件中、141~150件目を表示