「社会風刺の仮面を被った視覚の拷問」プラットフォーム ヨシフさんさんの映画レビュー(感想・評価)
社会風刺の仮面を被った視覚の拷問
本作は、格差社会を垂直構造で視覚化し、人間性の限界を暴こうとする意欲作として登場した。上層から下層へと食事が降りていく監獄のような舞台設定は、飢えと暴力、そして連帯か利己かという選択を通して、社会構造の非情さを訴えかける――そんな触れ込みだった。
しかし実際には、本作はその重厚そうなテーマを支えるだけの構造的・思想的な深度を一切持ち合わせていない。とりわけ顕著なのは、人間の極限状態を描く手段として選ばれた「共食い」の扱いの杜撰さである。飢餓により人は道徳を失い、ついには仲間を食らう。映画はこの展開を当然の帰結として描くが、それはあまりに短絡的で、想像力を欠いた人間観の表れに他ならない。
本来、共食いという行為は人間社会における最も強固な禁忌のひとつである。それは単なる生理的嫌悪ではない。人は同種の存在を殺し、食らうことを本能的に抑制するよう進化してきた。仲間を守り、協力し、社会を築いてきた歴史の積み重ねが、その根底にある。さらに、ユダヤ・キリスト教をはじめとする世界宗教の多くは、人肉食を明確に禁じており、それは命の尊厳と人間の聖性に深く関わっている。また、法や道徳の体系においても、他者の身体を侵すことは最大級の罪とされ、共食いはまさに人間性の完全な崩壊を意味する。
それにもかかわらず、この映画における共食いは、そうした倫理的・宗教的・文化的な重層性を一切踏まえず、単なる“生き延びるための手段”として雑に消費されている。登場人物たちは、飢餓を経て精神を病むでも、理性と本能の狭間で苦悩するでもなく、ごくあっさりと殺し、食べる。そこにあるべき「堕落の過程」はすっ飛ばされ、まるで共食いが“合理的選択肢”かのように提示される。この軽率な描写こそが、本作の最大の欠点である。
加えて、映像表現は徹底して暴力的だ。腐乱した死体、えぐられた内臓、糞尿と血にまみれた床。これらは本来、人間の尊厳や倫理感に訴えるための手段であるべきだが、本作ではあたかも観客を不快にさせることそのものが目的であるかのように濫用される。視覚的なショックを連打しながら、その先にあるべき倫理的問いや人間存在への洞察には踏み込まない。この態度は、思想的挑発ではなく、単なる演出上の怠慢である。
総じて、『プラットフォーム』は「深いテーマを扱っているように見える」ことに満足し、本当に掘り下げるべき問いを放棄した作品である。格差、暴力、共食いといったキーワードを並べておきながら、それらの意味や歴史性、精神的重みには一切関心を払っていない。その結果として立ち現れるのは、社会批評でも寓話でもない、グロテスクなイメージの寄せ集めに過ぎない。
この作品がもしも風刺だとすれば、それは現実への批評ではなく、「社会派映画」というジャンルそのものへのパロディに近い。深淵を覗くふりをして、泥水の表面を撫で回しただけの空虚な寓話――それが本作である。