「究極のオルトルイズムと関わりを持たないエゴの塊」プラットフォーム Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
究極のオルトルイズムと関わりを持たないエゴの塊
In each location, the inhabitants are given access to food, but the
utensils are too unwieldy to serve oneself with. In hell, the people
cannot cooperate, and consequently starve. In heaven, the diners
feed one another across the table and are sated.
(Allegory of the long spoonsより)
カニバリズム、自殺、餓死、レイプ、溢れかえる血、飛び出す内臓、臭い発つような糞尿のゴーリーてんこ盛りのカミュ風な不条理なアジプロであり、登場キャラや見ている側が完全に理解できない広大で無関心な無機質で決して平等感のないピットと呼ばれる "垂直型自己管理センター" のセルに立ち往生しているゴレンが、答えが見い出せないまま、ほとんど怪奇小説家、ラブクラフトの宇宙観から由来する恐怖や絶望に似たような最終的にその2つの最高レベルの驚異、またグラフィック暴力、圧倒的なボディミュージックのフィルムスコア、そしてディストピアの世界構築への過程で生じる無慈悲な緊張感のハイコンセプト・スリラーの心髄であるゴア表現満載における完全無欠型B級映画として本作品はシンボルとなっている...
映画『プラットフォーム』って?
最後のオチだけを見れば笑えてしまう1932年の映画『FREAKS』を代表するミッドナイトムービーと呼ばれる芸術的で前衛的な映画と巧みな表現技術を用いた社会問題の論評との危険な融合であり、過度に明白な上に、紛れもなく効果的であり、スリラーやホーラーのジャンルを超えた衝撃とギミックの進化系残虐ゴアの幅広いメッセージ性を同等にマッシュアップし我々に提供している。
Eat or be eaten?
-You made me.
No. I was helpless and you showed no mercy. You didn't treat me
with the same respect I would have shown you. Obviously.
-Still using that word when you're dead. It smell of gas. And
you're an illusion. Perhaps.
What does it matter? We're the same now. Both murderers. The
difference is that I'm more civilized.
-Go.
No. I'll never go. I belong to you now. I am in your body. But you
belong to me too, my snail.
ブライアン・ マリナーは、カニバリズム(人食)は、4つのパターンに分けることができると述べている。その中の一つ... 第一次世界大戦直後のドイツで起こった経済的なカ二バリズム... 個人からすると人肉を食べたドイツ人はその肉が人肉であるとは知らされずに食べていたのでネガティブなカ二バリズムと捉えているけど、しかし...
個人的に全く正反対なポジティブなカ二バリズムが存在する... 人食の種族として必ず登場するラクビーの日本代表の出身地であるふるさと... 以前は稚拙さから正直な話し勘違いをしていた。部族間の戦いに勇ましく戦った者への畏敬の念の表れとして死肉をほお張る行為そのものがアニミズム的な未知な力を宿すためと考えていた。でもそれはバカ過ぎる... 荷物になる食糧を軽量化するためと捕らえた生きている捕虜ですら食べちゃっているので栄養補助食品としての捕食を意味している方が理にかなっている。
だからなのか? 隣の国ではタスマニア人を記録上、人類初となる趣味的ホリデイ・マンハンティングでせん滅したのに数が多いのもそうだけど、"食われちゃ、たまらない!"ってか⁉
スティーブン・キングなんて足元にも及ばない希代の殺人研究家でオカルト研究家にして1950年代のイギリスを代表する小説家集団 "Angry young men" の一人で『饗 cannibal カニバル』の著者でもあるコリン・ウィルソンがその著書の中でパリで起こった人肉愛好家と対談をしていたのを思い出す。
この小説とは別に彼のことを描いた小説が後に芥川賞受賞って... 実際の話し、彼は精神鑑定の後、無罪となり、現在もあなたの隣で生きている。
spontaneous solidarity
この映画には救いがないのか...
ミハルという女性が愛する人を捜す為に、新しい階に行く為に人を殺め、上の階に行ったり、プラットフォームに乗って誰もが望まない階下の地獄に行こうとする。その様子が彼女が残飯の上に腰かけ、上を見上げるながら地下に降下する様子は、抽象画や哀しみのオブジェの様にもなり感傷的にもなってしまう。
主人公のゴレンが唯一ピットに持ち込めるものを自国スペインの代表的な本を何故選んだのか?
メタフィクションの小説と位置付けられ、主人公が現実と物語の区別がつかなくなってしまう絶望的な探求者であり、また狂った騎士の物語が、狂気な部分といたって理性的で思慮深い人であるところは、この映画の主人公ゴレンの行動と共時性を感じる。その事が映画『プラットフォーム』全体のモチーフの一つとなっている。
一番最初のセルメイトのトリマガシが死んでから「お前からは離れない。お前の体の一部になっている。」と自分を食らった元セルメイトのゴレンに忠告のような事や、もの知りなあたりは、さしずめ小説に出てくる "太鼓腹" 男のイメージに合致する。
She is the message.
食べ物に対する汚物観は糞尿をまき散らして死ぬまでモノを食らい続ける無限ループ的な映画『La Grande Bouffe(1973)』でもあり、注目を浴びたシュルレアリスムとアナキズムの実験映画『アンダルシアの犬』をシュルレアリスムの旗手であるサルバドール・ダリと共同制作したルイス・ブニュエル... 彼が、アナーキー過ぎる"オイタ"からスペイン国籍をはく奪された、その後1962年の映画『El ángel exterminador』では特権階級の人々が、この映画のように誰かれなく野蛮化する、まさにアナーキーさそのものの映画をこの映画『プラットフォーム』からふと思い出してしまう。
Don't call me snail again.
-Don't use my word again.
"Escargots á la Bourguignonne : エスカルゴ・ア・ラ・ブルギニョン" ... ゴレンのお気に入りの食べ物であり、セルメイトのトリマガシが時々彼に使うニックネーム... マイマイちゃん。嘘です、作中Snailと彼、ゴレンは言われている。
カタツムリと主題の関連性は適応性の1つであり、それは実際にはピットの内部のダイナミクス全体が囚人に要求するより一歩進んだ "順応" という概念に発展させる。カタツムリは、そのぬるぬるした柔軟な体に依存して、殻の形から悪劣な環境が課す危険性に自然に順応できるところにある。
The people above won't listen to me. -Why not?
"I can't sh*t upwards."
プラットフォームはダーウィンが影響を受けた概念:survival of fittest適者生存を要求する。飢えた状況に適応し、耐えられるように変身するのは、ピットを効果的に生き残ることができる人々であること。たとえば、ゴレンは最初のパートナーを刺して生存権を勝ち取り、次に別のレベルで運を試すのに十分な長さで生きるために人間の肉を与えられたことで、その環境に自ら自然に順応していく。
"Ration? You a communist?"
一見、反資本主義や社会主義のカガミとなっているピットの世界や主人公のゴレンを含め、資本主義のためのカニバリズムと言えるのか...
COVID-19が世界に課した厳しい状況と、検疫が一部の人々が爆発して暴徒化した為に、本作品のテーマとコロナの関連性がピークに達したタイムリーな政治色をうかがわせるアレゴリーとなっているが...
ビジュアル的には見ているだけでゾッとするほどはっきりとゴア表現を余すことなく映像化しているのに、その反面、シナリオの部分では曖昧さがあり、資本主義の弊害を描いているようで、実は"過剰"が社会にどのように害を及ぼす可能性があるかを明らかにすることを前提にして、それを ”隠されたメッセージ” として視聴者に受けとめさせるのが、心の中にスッキリしないものが残り、またラストシーンでは、その一番の納得のできないものとなっている。 そんな映画です。