地球で最も安全な場所を探してのレビュー・感想・評価
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内容期待したが、単純に世界で廃棄場を探し回るだけの映画だった💦
原発核廃棄物の処分土地探しの映画。
地球にもっとも優しく無いゴミの話となります。
ヨーロッパには詳しく無いけど、スイスなんかはアルプス山脈ふもと等では、電気自動車バス必須など謳い文句にしているから、「環境に優しい国なのか。」と思いきや、原子力発電所を昔から持っていて、核廃棄場で頭抱えているなど、日本では表沙汰にならない海外の過去歴史など鑑賞出来て勉強にはなる。
全体としては学者達の全世界核廃棄物処理土地探しの話が続き、しっちゃかめっちゃかである。
特に原発の持たない国オーストラリアが、核廃棄物の処理土地には打って付けと言う事で標的にする学者達の姿は滑稽。
そりゃ非難されるよ💧何故他国の核廃棄物を持たなあかんねん💦と。
日本で言えば青森、六ヶ所村が出ますが、反対派の姿が出てすぐ終わり。
本当に廃棄物は廃棄物のままなのだろうか?
これしか方法は無いのだろうか?
地球の穴探しに特化した映画でした。
淡白で残念💦
地球は人間の面倒を見ない
トイレを探す話
本作はほぼ中立で原発推進派でもなく排除派でもない。
ただ安全な核廃棄場所が有るのか無いのかを追い求める。
10万年も地殻移動も水の侵入もなにも起きない場所って存在するのだろうか?
10万年後の地球を想像し現在の問題を解決しようとする姿はいたって真面目だが、どこか虚しい。
地球上に人類が存在する限り見つからない気もする。
人類が居なくなれば何処に核廃棄物が有ろうが気にする者は居ないだろうから。
原発は便利だけれど、無い方がいいんだろうな。
ネイティブアメリカンの神話が興味深かった
3つの河は人間の面倒を見ると創造主に約束した話。
わがままで貪欲で手が付けられない人間。
私が河なら創造主に送り返したいと思います。
中国が無理やりにでも廃棄施設設置をするようだけれど、一番最初に後悔するのは中国だろうし、とばっちりは食らいたいないな。
トイレになりたいのならなればいい、トイレに人が住めるかどうかはわからないけれど。
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劇中セリフより
「500m掘るから大丈夫だよ・・・」
掘るのは肥溜めかそれとも墓穴か、いずれにせよどこまでも深く掘るべきだろう。
知るべき事実がたっくさん!
本作、日本全国ロードショーすべきですよ、いや、しなければなりません。
原子力発電所が多く存在し、原発で大きな事故を経験している国であれば、なおさら知っておかねばならない事実が描かれています。
本作のタッチはドキュメンタリーとしては好感が持てます。なぜなら、原発の良し悪しを論ずるのではなく、ただただ現実を映し出し、観るものに考えさせる機会を与える作品となっているからです。この現実をあなたはどう思いますか?という風に。
「トイレが無い家」
なるほど!わかりやすい!
僕はこの言葉だけで、今の状況が異常であると認識できました。
人間が生活する場所として、生きていく中で発生する排泄物を処理できる場所があるから人は住めます。生活の中で出るゴミを処理する場所があるから、我々は生活を
続けられるのです。この当たり前の事に関して、世界の各国で取材し描いています。
この作品の製作者並びに監督は<大上段に構える原発反対論者>ではないのだろうと思います。
それは冒頭の入り方にあらわれているかな?と。反対でも賛成でもなく、我々人間の生活圏、生活環境の不整合を明らかにしているだけなんですよね。
本作で描かれる主要な科学者は、科学者として正しいですよね。彼には主張とそれに沿った依頼があり、あくなき探究心でそれを具現化しようとしています。狂信的ではなく科学者、研究者としての良心を持っている方です。ですから、ちょっと安心しました。
某考古学者のようなニセ発掘はしない人なんでしょうね。
ですが、ぼくは本作でその方々は何のためかなやっているんだろ?と思うわけです。確実な回答が得られる確率がすごーーーく低いと思われることに何故邁進するんだろう?と。彼らの頭脳と知識とこれからの時間、彼らの働きに投下する資金を使えば原発に頼らないエネルギー開発できるんじゃないの?と思いました。
本作観て、僕はモヤモヤしてた原発に対する意見を持つ事が出来たと思います。非常に良かったです。
本作、エンドロールが終わっても席を立たない方がよいです。重要なメッセージが出ます。
傑作でした。
核のごみとの永遠の戦い
とてもよくできた映画である。廃棄物貯蔵問題専門家としても高名なチャールズ・マッコンビーの取り組みを追ったドキュメンタリー映画。10万年先にも安全な核のごみの処分地はどこにあるのか世界中を探索する。人が絶対入らない、地形が変化しない、水が入り込まない。そして、地域住民の合意。
戦後に原発が作られ、人類の歴史の長い歴史の中ではほんの少しの時間しか経っていない。その間に生み出された自然界にない多量の「核のごみ」。ほぼ永遠に閉じ込めることなんてできるのだろうか。
処分地を他国に求めるのか自国のみで確保できるのか。原発をこのまま続けることのツケの解決の糸口はまだ見えない。
おーい でてこーい
やっぱり放射性廃棄物の捨て場所などないのだ。
この映画は明快な確信をくれた。
最終処分候補地として、黎明期に世界の原発を牽引した英国・セラフィールド、スイスでの処分候補地はフェルゼナウやベンケン。
原発に否定的で保有しないにも関わらず地質学的な面から候補にされたオーストラリアのオフィサー盆地(世界有数の平坦かつ広大なエリア)
他にもドイツ・ゴアレーベン、青森・六ヶ所村、中国・ゴビ砂漠、スウェーデン・エストハンマル、米国・ワシントン州ハンフォードサイトやネバダ州ユッカマウンテンが登場し、
「最終処分候補地として選ばれた理由」「反対派の意見や運動」「推進派の見解」「候補地検討の経緯」が語られる。
とりわけ、ハンフォードサイトの話には深い感慨を覚えた。あの「マンハッタン計画」の舞台だ。ここで製造された原爆が広島・長崎に投下されたのだ。
冷戦時代はソ連との対抗で一層拡張され、コロンビア川に沿って12基の原子炉、8基のプルトニウム濃縮処理施設、900棟のビルが集中する「世界で最も汚染された場所」となっている。
近くにはネイティブ・アメリカンのヤカマ族居留地がある。コロンビア川の魚を主食として、アメリカの大地がヨーロッパ人に植民地化される遥か以前からこの土地に暮らしてきた。
ヤカマ族は世界中のどの自治体よりも長く放射能汚染と闘ってきた。ハンフォードサイトは世界初の高濃度放射性物質処分地となるところだったが、地質上の欠陥を訴えるヤカマ族環境保護活動家の反対により実現しなかった。
もし実現していたら今頃はコロンビア川に大量の放射性物質が流出し、太平洋に注がれていたであろう。
その危険性は今も去ってはいない。連邦政府はハンフォードサイトの浄化に毎年20億ドルを費やしているが、30年で完了するはずだった浄化計画は半分も進んでいない。捨て場所がないのだから当然だ。
レストランを開店する時、衛生面と従業員数に配慮されたトイレが設置されていなければ保健所の許可は降りない。
こんな当たり前の理屈を無視して、トイレ(処分施設)のない原発を稼働させているのは狂気の沙汰ではないのか?
全人類を容易に滅亡させられるだけの廃棄物がすでに発生しているというのに?
本作は、原発反対派のみならず「推進派の学者が処分地を求めて探し歩き、未だ辿り着けず」という事実を推進派に語らせている点で、ありきたりの反原発啓蒙映画とは一線を画す価値を生み出している。(しかも50年もの旅路だ!半世紀かけても見つからないのだ。これ以上、どこにあるというのか・・・。)
世界中に現存する約400基の原発のうち、50基以上は日本にある。
如何に多くの核廃棄物が日本という地震大国に集中しているか考えてみた事のある日本人は一体何割なのだろう?
星新一の有名小説のように「人類にとって安全な捨て場所」などないのだ。
「あった!」と勇み足で捨ててしまえば必ず未来に禍根を残す。
ただし、あくまで「人類にとって」だ。別にセシウムによって人類が滅亡しようとも地球にとっては痛くも痒くもないだろう。46億年の地球史において滅亡する種が一つ増えるだけの事だ。
「地球を守る」などと傲慢な事を考えず、人類が地球の仲間として生存を許可して貰うにはどうあるべきなのか。
一人一人が他人事ではなく、自分事として考え続けねば、保健所の許可ならぬ「生存許可」を地球に取り消されてしまうかもしれない・・・。
トイレの無い家
原発から出る核廃棄物の処分場についてのドキュメンタリー作品。
原発で使用済になった放射性廃棄物は安全な場所に保管する必要がある。その「安全な保管施設」が十分に整備されないまま、原発の稼働により核廃棄物は増え続けている。
「トイレを作らず家を建てるようなもの」と原発建設を例えていたが、その通りだと思う。
アメリカ、イギリス、中国、日本、スウェーデン、スイスなど各国をロケし問題提起している。
すぐにでも原発を停止する事から始めるべきと思わせる作品だった。
未来に負の遺産を遺す原子力発電
驚いた。原子力発電の高レベル放射性廃棄物の捨て場所を探しているのは日本だけだと思っていたが、実は世界各国が探しているのだ。そして更に驚くのは、多くの国が探しているのに、捨てる場所が一箇所も見つかっていないということである。
捨てる場所の条件としては、地震がない、地下水がない、地盤が粘土質で安定しているなどがある。国際原子力機関 IAEA が決めた基準だ。地球上にはこれらの条件をすべて満たす場所が殆どない。その上、確認のためには何十年もかかる数多くのボーリング調査が必要だ。唯一条件を満たすと思われたオーストラリアの南は、オーストラリアの強い反発で断念。最終廃棄場所が決まらない状態で、世界31ヶ国443基の原発が運転され、日々刻々と放射性廃棄物が生み出されている。
もうひとつ驚いたのは、世界各地に日本と同じような原子力ムラがあるということだ。原子力ムラというのは、原子力発電をリスクが多いと知りつつも推進してきた政治家、電力会社、通産省及び経済産業省の役人、それを後押しする御用学者の集まりのことで、いずれの立場の人々も原発で利益を得ている。同じ図式が各原発運転国に存在していて、原子力ムラの人たちはあくまでも原発を継続しようとしている。
ドイツではメルケル政権が福島第一原発事故を受けて脱原発に踏み切り、すべての原発を2022年までに閉鎖することを決めたが、既に生み出されている核廃棄物の処理には依然として頭を悩ませている。未曾有の大事故を発生させた当の日本はどうかというと、原子力ムラの力が強く、現在6基が運転している。つまり高レベル放射性廃棄物を生み出し続けている。
原子力発電は、登場したときから原子爆弾と同じような危険性があることは分かっていた。しかし人類はこれを制御できると考えた。鉄腕アトムなどというキャラクターも生まれている。チェルノブイリや福島第一原発の事故以降の世界の人々の発電についての考え方は、反原発や脱原発に向かおうとする動きと、依然として原発を継続しようとする動きに二分された。継続しようとする人々は、増え続ける核のゴミの捨て場所について、未来に負の遺産を遺そうとしている訳だ。
日本の原発の初期に原発を4基も誘致した敦賀市の市長だった高木孝一が言った言葉をご存知だろうか。原発を誘致すれば国からの交付金と電力会社からの協力金がたんまり貰えることを踏まえて、次のように言ったのである。
「50年後、100年後に生まれる子どもがみんな片輪になるかわからないが、今の段階ではやったほうがよいと思う」
現在の原発推進派の人々も、この無責任を受け継いでいる。
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