「鑑賞にあたってはティッシュとハンカチが必須です」ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
鑑賞にあたってはティッシュとハンカチが必須です
節子さん、ヒロシマの被爆者サーロー節子さんがドキュメンタリーの中心だ。被爆二世である竹内道さんがプロデュースし、ナレーションも担当。戦後から一貫して被爆体験を語り核兵器廃絶を訴え続けてきた節子さんに対して、竹内さんの母親が死ぬまで沈黙し続けたことを対比させる。節子さんの勇気は壮絶だが、竹内さんの母親が必ずしも勇気のない人ではなかったことが、作品の中で次第に明らかになる。
節子さんは50年以上連れ添った夫のことをsoul mate(魂の友)と呼ぶ。英語でも日本語でも、とてもいい言葉だと思う。夫婦でもパートナーでもなく、ましてや同居人でもなく、魂の友と呼べる存在があったことは節子さんにとって僥倖である。そこまでわかり合える人間が近くにいる人は少ないだろう。
以前、野球の落合博満選手がテレビで、世界中が敵になっても妻ひとりが応援してくれればそれでいいという意味合いの発言をしていた。印象に残った言葉だったのでいまだに憶えている。落合選手にとって奥さんは魂の友なのだろう。三冠王を三度も獲得した背景が少し理解できた気がしたものだ。
節子さんは自分が差別主義者だったことを臆せずに告白する。ソーシャルワーカーの仕事を通じて貧しい人々と接することで、それに気づいたとのことだ。小さな頃からの封建主義教育で植え付けられた差別意識を克服するの大変な努力が必要で、多くの人はその努力を放棄して、差別を正当化してしまう。元五輪準備委員会会長の森喜朗がその典型だ。
そして森喜朗と同じような差別意識は誰もが持っている。もちろん当方も持っている。差別は不寛容だから、何らかの不寛容な感情を抱いたと自覚したときに、これは差別ではないかと自省することにした。一生自省し続けることになるだろうと覚悟している。
節子さんは普段から英語で話す。67年も英語で暮らしているから、20年にも満たない日本語での生活に比べれば、圧倒的に英語のほうがしっくりくるのだろう。地方から東京に出てきて東京暮らしのほうが長くなると方言を話せなくなってしまう場合があるのと同じである。
被爆したときは日本語を話していた訳だが、被爆体験は英語でも十分に表現できるのだと感心した。英語にない単語は日本語をそのまま使えばいい。tofu や sushi が英語になっていたり、麻婆豆腐が日本語になっているのと同じで、節子さんの hibakusha やワンガリさんが使った mottainai もそのうち英英辞典に載るのだろう。
節子さんが応援した核兵器禁止条約が2017年7月7日に国連総会で採択されたことは非常に意義のあることで、節子さんによれば、これまで倫理的道義的によくないとされてきた核兵器が、これからは違法となる訳だ。国連総会の採択に激しく反対し、欠席するように各国を脅したのは、その年の1月まで駐日米大使を勤めていたキャロライン・ケネディである。
同条約は今年(2021年)の1月22日に発効したが、日本はアメリカのポチだから、この有意義な条約をいまだに批准していない。今月(2021年4月)にアメリカまでのこのこ出かけていった稀代の無能首相がまっさきに挨拶したのがキャロライン・ケネディである。バイデンに脅されて中国の悪口まで言わされていたが、日中関係が経済的に巨大であることを多分知らないのだろう。関係悪化は即日本経済にダメージを与える。万が一アメリカと中国が衝突したら、真っ先に犠牲になるのは沖縄に決まっている。
そんなアホのガースーはもう帰国したが、海外から入国したすべての人が2週間のカンヅメが強制されている。しかしその指令を出した当の本人は帰国して平気であちこちほっつき歩いている。もしかしたらコロナウイルスを撒き散らしているかもしれない。1年くらい隔離してほしい。
節子さんの純粋で勇気のある行動や発言や演説には心から感動して、鑑賞中は涙も鼻水も流してしまった(鑑賞にあたってはティッシュとハンカチが必須です)。すべての核保有国とその衛星国(日本をはじめとするポチの国)が核兵器禁止条約を批准する日は当分来ないだろう。当方のようなペシミストは近い将来、地球温暖化が解決する前に人類は核戦争で死滅するだろうと悲観しているが、もし本作品を世界中の人が観たら、核兵器が人間に何をするかという節子さんの訴えが伝わるだろう。もしかすると核戦争を防げるかもしれない。僅かな光が見えた気がした。