竜とそばかすの姫のレビュー・感想・評価
全1493件中、1161~1180件目を表示
☆4はオマケ!監督は責任を感じてほしい
アイマックスで観賞。
多くの方の意見と同じく、歌と映像は良く、シナリオは苦しいにつきます。
無理やりポジティブな感想をひねり出す事は出来ますが…その意味も解らないので。
監督はテレビ番組で「1人で作った方が良いものが出来る」とおっしゃっていましたが、そんな事は無かったという結果を受け止め、次回作に挑んでほしいです。
この映像クオリティ+濃厚緻密なシナリオ(課題点)の次回作に期待を込めて☆4としました。
映画は娯楽だと思う。 それに対して、低評価もあって良いと思う。ただ...
映画は娯楽だと思う。
それに対して、低評価もあって良いと思う。ただそれが排他的であったり、重箱の隅をつつく意見では無価値だと思う。そしてそれが全ての意見だと勘違いしない方がいい。そう気づかされた作品だった。(実際私はレビューを見て、見に行くのを躊躇した)
作り手は人間で、作ったものから生活の糧を得ている。その中でも創造性を持ち、それを実行する。世間から評価されないリスクを背負っている。しかも約2時間という枠で表現しなければならない。
自分で何かを創造しながらリスクを背負いながら仕事をしている人は、排他的であったり重箱の隅をつつくことをせず、制作者に敬意を払うと思う。
私は予告で美女と野獣みたいだと感じ、既視感を感じた。しかし映画を観た後、調べてみれば、ディズニーの美女と野獣の原作はフランスの民話であって、ディズニーのものではなかった。
しかも美女と野獣のシーンもこの作品では一部でしかない。
危うく貴重な体験逃すところだった。
主人公の声優はミュージシャンであって、声優ではない。私には声優としても違和感がなかった。
その歌唱力だけで涙が出そうだった。映像、ストーリー展開、楽曲、多くの人が聞きたいと感じる映画館の空気、全てが合わさって、初めて感動した。
これらの体験をしたとき、この映画は映画館で観るのがベストだと感じた。
色々な意見は一人ひとりの意見であって絶対ではない。どうしても私は低評価に目が行きがちだった。
映画は娯楽だと思い、身構えることなく、Uの、竜と〜の世界を体験することをお勧めする。
もったいない・・でもベルに会いたい!
色々残念
初日に観に行くくらいは今作に期待してました。
しかし、伏線とかその回収とかも無いような話運びだし
軽々しく虐待を扱ったりトラウマを扱ったり
克服の仕方もなんか中途半端で、とても幸せな人が無理して作った感じがあった
サマーウォーズで当たったから電脳世界にしたのだとしたら
とても安直です。
サマーウォーズはなぜ当たったのか
『よく無いのはお腹を空かせていることと1人でいること』
栄おばあちゃんの言葉が今も生きているのはなぜなのか
もう一度よく考えてほしいです。
映像美と歌はとても良かったです
でもそれだけならミュージックビデオで良いんですよ
中村佳穂の歌を楽しむ映画
題材は良い
起承転結の「起」は良かったと思う。高度に発達したネット社会で、現実とどう向き合うか。また、自己のアイデンティティをどのように形成するか、という問いは、映画という媒体でなくても色々な場面で語られている王道かつ深みのあるテーマであるし、エンタメの中で語る価値も十分ある。
「U」という仮想空間についても、「結局なにをする場所なのか分からない」という声があるが、武術館(?)のようなものがあったり、主人公がライブをしたりと、多目的なプラットフォームとしての場所だと考えられる。一つの目的に絞るのではなく、あくまで「場」を提供し、そこでどのように遊ぶかは自由という空間作りは、SNS、YouTubeなどにも見られる特徴であるし、現代的なネット世界を的確に描いている、という評価も可能だ。
この映画に良くなかった点は、他のレビューが沢山語っているが、やはりテーマが散らばってしまっている。
過去のトラウマを乗り越え、竜を救い、家族とも同級生とも仲良くし、Uでもスターであり続ける、と主人公が抱えるタスクはかなり多い。これらをきっちりまとめ切れる脚本家もいるとは思う。しかし、この映画はただ「浅く広く」になってしまい、どのテーマについても深掘りが足りず、結末に対する納得感が得られない。ハッピーエンドではあるが、それが主人公が「本心から」望んでいるのか、という裏付けが見つけにくい。主人公のアイデンティティをテーマにしてしまうと、「そもそも本当にそれを望んでいるのか?」という部分を裏付けない限り、なんとなく宙ぶらりんな印象を抱いてしまう。本作は、作品前半で提示された課題をただ解決していくので、とても表面的な内容になってしまっている。
※本作の結末が悪い、と言っているわけではなく、良い結末ではあるが、どうして「良い」と言えるのかのロジックが甘い、という意味。
ここからは、個人的に掘り下げて欲しかった点を2つあげてみる。
1点目は、無数の人々からの批判や賞賛のコメント。何をやっても、アンチは湧いてくるし、賞賛してくれる人もいる。本作では、すずの母親が亡くなった時は母親に対する辛辣なコメントが殺到していたり、ベルが「U」で歌い始めた時もアンチが湧いていた描写がある。本作のキーマンである竜に対しても同様だ。相手の顔が見えないネット社会では、無責任な批判が無数に飛び交う(称賛も然り)。そうした中で、いかに堂々と自己を表現していくかは、語り直しても古臭くならない王道なテーマだと思う。竜への表面的な理解から来る心ない言動に対し、どう立ち向かうのか、どんな主張をしていくのか、この点を掘り下げつつ竜を救うことができれば、ベル自身のトラウマの解決にも通じるし、作品としてのメッセージも明確になったんじゃないだろうか。
また、ここで活躍して欲しいのはすずの親友(?)であるヒロちゃんである。ヒロちゃんは毒舌だが、根底にはすずへの愛がある。ネット上の書き込みと同じに思える辛辣な意見でも、言葉への責任の持ち方や、相手や物事に対する理解度が違う。この対比を明確にし、問題の本質は「相手に対するリスペクト」と「言葉に対する責任」であることを伝えられれば、より良い映画になったんじゃないかと思う。
次に、ネット社会と現実社会でのアイデンティティの持ち方である。本作は、あくまで人のアイデンティティは現実社会に根本がある、という姿勢を貫いている。「U」でのキャラクターの背景には現実世界での生き方がある。あくまで現実世界での生き方をベースに、ネット空間での姿や立ち居振る舞いが決定されていく。
また、竜を「アンベイル」しようとし、竜の「本当の姿」を現実社会の中に探すなど、作中の人物のほとんどが、現実世界での姿こそ本当の姿、という前提のもとで生きている。
(ただし、「アンベイル」が「U」内の極刑として描かれているように、ユーザの多くは現実社会とネット社会のアイデンティティを切り離したい、という強い願望を持っているらしい。)
この映画のクライマックスでベルはすずとして歌い、現実の自分=本当の自分を曝け出す。ここで、アイデンティティの統一が実現する。これ自体は、すずの勇気ある決断であり、批判したいとは思っていない(この点も、なぜこの決断が良いと言えるかの裏付けが甘いとは思うが)。
ただ、これは誰にでも当てはまる普遍的な生き方ではない。
現実世界とネット世界で、アイデンティティは切り離されていたっていい。その可能性を、もう少し示唆してほしかった。(当然、ベル以外の50億のユーザは、アイデンティティを切り離して生きているとも推測できるが)
現在の複雑化したネット社会では、むしろ「アイデンティティを使い分ける」生き方のほうが生きやすい。また、それは決して相手に対して本当の自分を見せない不誠実な態度ではない。そもそも、「本当の自分」という唯一無二の根源的アイデンティティの存在が現代は揺らいでいる。「本当の自分」という観念自体が、ある意味時代遅れとさえ考えられるのだ。
(この点、2016年のセンター試験国語評論文がかなり詳しく語っている)
こうした意味で、本作の描くアイデンティティは、時代に対し逆行している感があった。上記のアイデンティティ像が主人公の決断であってほしかったとまでは言わないが、そうした生き方を肯定しつつ、主人公の決断を描写できれば、作品として深みが増したように思う。
他のレビューが言うように、美女と野獣的描写が必要だったかはやっぱり分からないし、竜の背景が割と普通なのも不満はある。悪役を「親からの虐待・暴力が原因」というありきたりな因果論の中に押し込むのは、キャラクター像があまりに薄っぺらい。
全体として、テーマは良かったのに、深掘りや答えが浅かった。けど結末自体が悪い訳ではないので、素晴らしい音楽と映像も相俟って「いい作品感」は演出できていると思う。
それはそれで大事なことなので、2.5ではなく3にしました。
ちなみに私は「おおかみこども」が大好きです。
未来のLIVEはこうなると期待!
BelleのLIVEシーンは圧巻!マクロスFのシェリル・ノームのLIVEを彷彿させる演出、歌声も最高でしたよ。インターネットの高速化が進み、リモートありきの時代、ましてコロナの影響でLIVEに行っても声を出せないなら、むしろLIVEはVRで参加し、同時視聴者でのコールアンドレスポンスは対面LIVEより盛り上がるでしょ!時代よ早く映画に追いつけ!細田守監督の映像美が進化、ほんとに綺麗。ストーリーは先が読めず最後までドキドキさせられた。面白かった!泣いた!ほんとに映画館で見てよかったです!監督ありがとうございしました!富山ご出身なのに何故舞台を高知にしたんですか?香川のフェスの後、高知に旅行行きます!(笑)
映像とルリちゃんだけでもスクリーンで観る価値あり
メッセージ性を変えたサマーウォーズ
好きな細田作品は「サマーおおかみの未来」です。
音楽は確かにいい。歌唱力も素晴らしい。
でも歌で物語を引っ張るんなら、ベルの歌唱シーンはCGにせずにアニメでいくべきだったのでは?
凄く、残念。全体的に画は綺麗になってるけど、それはあくまで技術が向上しただけで、演出的な手腕は変わらず。
ストーリーに、関してはサマーに遠く及ばず。
ヒロちゃんが自分のお母さんについて話してて、はっとなったりするシーンや、川上さんの駅のフリーズカットとか堪らなく繊細でイイシーンはあるけど、やっぱりUの世界の演出はサマーウォーズと差を感じられない。
むしろ、ちょっと、ダサい。
バラ色の服着て唄って、バラがばらまかれるっていつの時代の演歌歌手よ?
そもそもなんでOzにせんかったん?Ozの改良で良かったんじゃないの?
Bluetoothイヤホン型のダイブモジュールて、弟子の伊藤さんのSAOですら、もちょっとリアルな設定だったわ。
前半のテンポの良さは流石。でも竜が出てきて、そもそも竜に何者なのかと問いかける流れが不自然。
やっぱ☆2つにしよう。
ラストの鈴の歌唱後も、なんでベルに戻っちゃうの?鈴で良かったじゃん。
最も納得がいったであろう展開としては、ラスト歌唱しながら忍とヒロちゃんが竜に呼びかける。歌う鈴に感動して竜が心を開こうとするも、虐待がスタート。
歌を中断し、皆で作戦会議。カミシンが割り出した場所からその地域の人に連絡をとり、皆でUの住人も含めて竜の現実住処を一斉捜索。皆でお父さんをとっつかまえて、鈴がテレビ電話越しに助けに来たよ、の流れ。
再度ベルとしてライブをし、竜のアバターではなくなった竜と、みんなでライブパフォーマンス。
現実の世界でも同時に体育館のステージでライブパフォーマンス。
大団円。
くらいじゃないと。
歌物やるなら、マクロス、超えてよ。
止まらない細田ワールド!
欲張って色々な要素をあまりに詰め込み過ぎた
事前情報を特に仕入れずフラットな気持ちで鑑賞。結論としては、最後まで見て何度席を立ちたいと思ったかわからないレベルでつまらないと感じた。
そもそもこれまでの細田守の作品はある程度描きたいテーマが明確だったが、今作はとにかく「詰め込み過ぎ」に尽きる。プレバトの俳句査定でよく夏井いつき先生がおっしゃっておられる事が頭に浮かんだ。とにかく内容を詰め込もうとするのは凡人の特徴だと。もちろん映画は俳句ではないのだが同じ事は言えると思う。
思春期の少女の抑圧と解放、父子の冷え切った関係とその改善、母の心を理解する事で自らも母となる資格を得るという成長、幼馴染の男女の恋愛模様とそれを取り巻く学校でのヒエラルキー、虐待される子供とそれを助けてくれない社会と周囲の環境、ネットでの誹謗中傷や実名と匿名に関する問題提起、映画や音楽や小説で飽きるほど扱われてきたこれらのテーマや社会問題をたった2時間の作品に節操なく詰め込んだ結果、本当に表現したいはずのものがハイライトされずに全てが中途半端に描かれてしまっている。あれもこれもと欲張らずに本当に描きたいものをきちんと絞って欲しかった。「聲の形」や「この世界の片隅に」のように明確なテーマが定まっている作品と比べてとにかく薄っぺらい。こんなに表面的なリアリティしか描けないなら分不相応にスケールアップするのではなく、最初から最後まで一貫してすずの成長と竜との関係性にのみフォーカスを当てた方が圧倒的にまとまりが良かったように思う。
美女と野獣のオマージュについても単なる話題性獲得以上にこの作品で行う必然性が全く見いだせなかった。傷ついた竜の心に寄り添うベルの姿だったり、とってつけたようなダンスシーンなどは全く隠すことのない美女と野獣の再現であるが、あれはあくまで美女と野獣が徐々に互いに惹かれ合う描写が重なってるから成立するのであって、ネットで出会った赤の他人同士が唐突にそのような関係になることには違和感しかない。そもそも美女と野獣は優しいベルの心に触れて野獣が人間の心を取り戻していく過程を描いた物語なのに、野獣(竜・恵)ではなく美女(ベル・すず)の成長の話に置き換えてしまった時点で本来の構図が崩壊している(恵も最後はすずを信用するようになるがそれはあくまですずの成長の結果であって過程ではない)。であるならば、なぜわざわざ美女と野獣をオマージュする必要があったのかと疑問に思う。ガストンをモチーフにしているであろう「ネット警察」もまるでSEKAINOOWARIの歌詞に出てくるような正義と悪の二元論で生きているテンプレの悪役で、「ここまでわかりやすく表現しないとどうせ伝わらないでしょ」と馬鹿にされているような感覚に憤りさえ覚える。
そもそもの問題点として、この作品ではいつも「結果」だけが先に描かれてそこに至る「動機」や「過程」がきちんと描かれていないから、論理的な思考で能動的に作品を鑑賞する人と、感覚的な思考で与えられた結果をありのままに受け取る人の間にこれほどまでに評価の乖離が生まれるのだろう。もちろん「結果」から「過程」を推測する事はできるし、それも創作物の楽しみ方の一つではあると思う。例えば、すず=ベルである事を合唱隊の面々が知っている理由は、合唱隊=Voices=Uの運営だからだとか(それ自体おかしい話だが)、すずの最初のフォロワーになったクリオネのAsの持主は恵の弟であるというのは直接語られてはいないものの作品中の描写から十分に推測できる範囲だし、意図的な省略による構成の美しさとして機能していると感じた。
一方で、ベルの方が竜にあれほどまでに執着して、そのリアルを暴こうとするネットリテラシーの欠片もない行為に至った動機や、ネットで超が付くほどの有名人のベルが素顔を晒すという行為に対して「匿名で誹謗中傷するだけの存在」として一貫して描かれていたSNSの住民達が、単なるプロモーション戦略であると「悪意のある解釈をする」のではなく涙を流して感動した論理、そして虐待されている兄弟がいるとわかったすずが、その家を配信映像から探り当てて住所に単身で乗り込むという行動原理は、おそらく監督の無自覚に崩壊しているロジックであり、この作品にはこの要素が本当に多い。これらの「結果」の「過程」も解釈次第では筋道を立てる事自体は可能だろうが、ウミガメのスープのような突飛な発想力を発揮しないと辻褄が合わないのであれば、それはもはや「省略の美」でもなんでもなくただの脚本の不備である。
どうも細田監督は(1)描きたいキャラクターがあって、(2)描きたいシーンや表現があって、(3)作品の格を上げようとして社会問題を設定に盛り込んで、最後に(4)全てのつじつまを合わせる脚本を書く、という方法でこの作品を作ったんじゃないかと感じた。(1)(2)が強すぎて(3)があまりに雑だし、(4)に至っては致命的に下手で、それはおそらく設計図(設定やあらすじと置き換えてもよい)を空想で描くのは得意でも、現実に即した要素に関して徹底的に下調べして理論的考証を行ったり、全ての要素を繋ぎ合わせて理路整然とした文章に変換するという作業が著しく苦手ということなのだろう。この程度の知識や実力なら設定だけ作ってプロの作家に代筆してもらった方が絶対に良いし、社会問題を扱って変にリアリティを出そうとせずに、夢と希望に溢れたご都合主義の冒険物語を描いた方が結果的に万人に訴求できる作品になっただろう。
ところで、私は演出についても好意的ではない。ネットの身バレを『オリジンのアンベイル』なんて表現したり、「悪意のあるネットの声」をわざわざナレーションするあたりは、シンプルにダサいし、空間を埋め尽くすほどのアバターがただ存在しているだけの仮想世界に魅力は一切感じない。
この作品のように全く褒めるところが無いくらいに酷評しか浮かんでこない映画は本当に久しぶりで、自分でも驚いている。この作品の映像や音楽に心を打たれたという人を否定するつもりは毛頭ないが、単に私はロジックが稚拙な創作物に価値を見出せないので、この作品が絶望的に合わなかったというだけである。
ラストが茶番
仮想現実の描写は見事としか言いようがないほど綺麗で、引き込まれるものでした。
内容も、主人公の母親が子供を助けるために氾濫した川に飛び込んで亡くなるなど理解し難い場面もありましたが、途中までは楽しめました。
問題なのは最後の場面です。あれだけ壮大な演出で主人公が成し遂げたのは、SNSで知り合った少年2人の居場所を知ることのみ。サマーウォーズと比較するとどうしてもクライマックスとして弱い印象を受けてしまいます。
さらに、ようやくDVを受けている少年の場所を特定するも、警察が動かないため、主人公1人が夜行バスに乗って少年の元まで駆けつけるという茶番。
少年の居場所を一刻も早く特定しないと危ないからこそ、主人公は現実の姿を晒してまで奮闘したというのに、主人公が少年の家にたどり着くのは翌日で、危険だと分かっているのに主人公に一人で向かわせる周りの人間たち。
途中まではそこまで悪くない映画でしたが、ラストで萎えました。
絵と歌が良いだけ、ストーリーの出来はイマイチ
サマーウォーズに似た設定でしたが、感動するところはなかったです。
竜に対して「彼は誰?」と言って探し出しますが、伏線が分かりやすくて単純で、結末が想像できるのが残念でした。
あと美女と野獣のようなシーン、わざと思い出させるような描写にしたのでしょうか?謎です。
いくつか、なぜ?が解消されずモヤッとしました。なぜ恵たちの父親は鈴と対峙して腰を抜かしたのか。恐らく父親はジャスティンなんでしょうけど、鈴がbelleと気付いたような描写もなく意味不明です。
あと恵の声が年齢設定に相応しくないです。佐藤健で客を釣ってるだけでしょうか。
きっと小説という形であれば面白かったのかもしれません。
実はテーマが刺さっちゃいます
豪快に予想していたルートから脱輪した
なぜベルが竜に惹かれたのか分からない、というレビューもあったので心配していたのですが、そこはなんとか自分なりに納得することができました。
突然ライブ中に現れた竜は大勢の人に追われていて、なにか抱えきれない感情があってそれを暴力で発散しているように見えます。
鈴は竜の姿に何となく自分を重ねたのではないでしょうか?(マイクを突きつけられて叫んでしまう→走って逃げる→歌詞(?)を書き殴り結局破いてしまう……など)
お城の中に女性の絵が飾ってあるのも竜の母親に何か不幸があった事を連想させます。
最初は自分に似てて気になってたけど、「傷ついてるから助けてあげなきゃ!」→あれ、これって水難事故の時の母親の気持ちでは……? みたいな感じかな、と思いました。
そんな個人的な解釈も手伝ってか、Uの中で鈴が歌う所は映像的にも凄く綺麗で、印象的でした。もしかして、ベルが出てきて人気が無くなっちゃった歌い手的な女の子って、昔鈴の母親が助けた女の子だったりして……それでエセ正義マッチョは竜の父親なのでは……なんて妄想したりもしたのですが、その後から怒涛の違和感ラッシュ。
鈴「兄弟のところに行く」
は分かりますが、なにを一人で行かせてるんだ大人達……
まず駅でお姉様方は一緒に電車に乗るか鈴の父親に連絡しなきゃだめだし、
鈴の父親は電車に間に合わなくても、せめて兄弟のいる町の駅か、兄弟発見には間に合うように駆けつけて欲しかった……
それが無理でも最悪、暴言親父が鈴の肩を掴んだ時に後ろからそっと暴言親父をたしなめて止めさせるくらいのことはしてくれると思っていたので、鈴が顔を傷つけられた時と、地元に帰ってきて駅で父親が「メシは?」みたいな事聞いた時すごく腹立たしかったです
一番がっかり、というか悲しかったのは鈴が抱きしめた後、竜が泣きもせずに「戦う」と言ったことです。
これ以上14歳の子供に何させようとしてんの???
Uを理想の仮想現実として描こうとするなら、対になる鈴たちの世界はもっとリアリティを持って作って欲しかった。
鈴は兄弟を助けたいと思った事で母へのわだかまりを解消できたし、歌えるようになったし、幼馴染ともいい感じだし。多分竜兄弟の方も気持ちの面では救われた部分があると思います。吹部の子とカヌー男子のカップルも可愛いです。
でも私はこの映画がハッピーエンドだとは思えませんでした。
「可哀想な目に遭った子(鈴や竜)がなんとなく救われたような感じになって良かったね」というコンテンツがUの技術や歌で飾り立てられて、それを一般大衆や、高みの見物決め込んでた保護者面の大人達、同級生達が消費して満足している映画でした。
美女と野獣の滑稽さ
美女と野獣
オマージュ?
じじいは早起きなので、朝4時には休日でも目が覚める。
だから、昼食を摂るとよく眠くなってしまう。
前半は冗長でウトウトしてしまった。
展開が遅い上に声優(俳優)陣が棒読み。
また、最も重要なヒロインの歌がそれほどではない、心に染みない。
台詞もひときわ棒読み。
これは外れだね!とおもった。
だが、ラストに向けて徐々に盛り上がり、
ヒロインが実態を明かしてからの歌、
それまでのBellとしてとは全く違う歌声、心に深く染み入った。
歌い分けたのか(だとしたらすごすぎる)、音響効果なのかは不明だが、
一気に盛り上がった。
孤独なヒロインとそれを取り巻く数少ない人々の思いが一気に押し寄せた。
特に、ヒロイン、母、そして寡黙な父の思いに涙が流れた。
とりわけ、自身と比較して父の立ち位置には心が痛んだ。
妻を失った大きなダメージに加え、打ち解けない娘にどれだけ辛い思いをしたことだろう。
合唱団のおばさまたちも魅力的だった。
細田監督の描く女性たちはいつも凜としてかっこいい。
こんなおばさまたちのようなじじいになりたいもの。
前半ウトウトしていても、後半だけで十二分に盛り返せる映画。
若いって本当に可能性に満ちあふれている。
タイトルなし(ネタバレ)
歌はとても良かったし、好みの曲調。大画面で観たUの世界の映像は美しく迫力があった。田舎の風景も綺麗だった。
だったが、なぜか学校の学生たちの作画が荒くなる。Uの映像が綺麗なだけなぜ?
その荒さに比例するのか、人間関係が薄い。2クールアニメの劇場版かと思うくらい、人間関係の構築の説明がすっ飛ばされるので腑に落ちないまま話が進んでいく。クラスLINEで炎上する件必要でしたか?ボート部の子とか合唱のおばちゃん達とか親友とか、なんなん?どうしたいん?端折られすぎてて疑問ばかりが残る。最たる疑問は、竜が現れた時になぜ何をしたいのかとではなく、あの人は誰?という感情になったのか。なんでそこからあんなに惹かれたのか。
思うに現実世界でもUの中でも主人公以外のキャラクター、物事は全て記号でしかないのかもしれない。見せたい図を詰め込んで、それを表す為の記号を置いていっただけだから、厚みが感じられないのではないだろうか。
その割に片足のない飼い犬とか変にインパクトのある記号だけ置きっぱなしだし。考察と察するは別物だと思う。ちゃんと考えると、竜の少年達の問題は何一つ解決してないのだが、そこは目を瞑って一件落着で終わらせたいのを察しなければいけないのって、本当どうなんでしょう。
やりたかったのは、美女と野獣とサマーウォーズとマクロスFのシェリルなのかしら?
サマーウォーズやぼくらのウォーゲームの時代はまだネットのコミュニケーションに夢を見られたけど、もうあんなにネット上が一丸となる事はないって分かってしまっているから、素敵な理想の世界を見せてもらったなと思った。
おおかみこどもやバケモノの子みたいな変な気持ち悪さはない。可もあり不可もあるといった作品。
作品の纏まり
仮想現実での出来事を通じて、現実の主人公が成長していく物語。
仮想現実の描写や、音響が素晴らしく、映画館で観てよかったと思える作品。
ただ、ミュージカル的な主人公の歌声の美しさに重きを置きたいのか、仮想現実の描写に重きを置きたいのか、恋愛に重きを置きたいのか、主人公と両親の関係に重きを置きたいのか、人の優しさに重きを置きたいのか、のバランスがチグハグな印象を受けた。
ただ、本作品のテーマの芯が分からずとも、その美しいグラフィックと音響を体感すると、そのチグハグさなどどうでもよくて、むしろハッキリさせないことで余韻を持たせているのではないか、と考えさせられる作品であった。
何にせよ、観るなら映画館で観て欲しい作品。
全1493件中、1161~1180件目を表示