「描かれるネット世界への違和感」竜とそばかすの姫 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
描かれるネット世界への違和感
アナと雪の女王も7年の昔となった2021年7月に出た、夏の青春映画風に打ち出す日本風アナと雪の女王。
企画書には「アナと雪の女王のヒット性を、“日本らしく”上回る」とでもあったのではないだろうか。
同年には3ヶ月後の10月に『アイの歌声を聞かせて』があり、翌年には5月『バブル』8月『ワンピース・フィルムレッド』と続き、アニメ映画と言えば歌わなければ許されないとでもいう風潮の先陣を切った作品。
一段落が見えた今、「アニメ映画は、歌わなければいけなかったのか」を考えるためにもう一度見直しての感想となる。
本作は、他作よりは「歌の力」の唐突感が少ない。もっとも、なぜ鈴が「母親が死んだこと」で「人前で歌えなくなったのか」の繋がりが「なんか鈴以外にはわからない複雑な心理で」以外説明がつかないので、ベストでもベターでもなくマシという具合だが。
バブルのウタが「言葉のない歌」にこだわることや、アイの世界の「なぜかみんながソロで歌い出す」よりはこじつけ感が少なく馴染んでいる。フィルムレッドのウタはウタウタの実を食べたから、という少年漫画パワーなので別枠。
本作は「何か歌とバインドされた企画アニメ」としての押し付け感が薄くて嬉しい。映像も、さすがというほどに美しい。2Dと3Dの使い分けもコンセプトが明確で、鑑賞する脳に素早くノーストレスで馴染む。映像に関しては、相当厳しい合格ラインかつ踏ん張り続けられるスタッフでないとこの品質は出ないだろう。映像を目で見る分には、とても楽しませてもらった。
だが、私個人として全体の評価は厳しい。
他の鑑賞者にも感じた人は多くいると思うが「作者はネット世界を描くのに自信満々だが、実は全然知らないのでは?」が、鑑賞中に終始疑義として持ち上がるからだ。2021年の「普通にネットを使う人」ならば、本作を貫くネット覆面&身バレのテーマについて「そこ、普通はこだわらんやろ」が多すぎる。監督はTikTokもない、ツイッターもない、YouTubeもニコニコ動画もない、2ちゃんねるはあってもやる夫スレはない時代、恐らく2003年ごろのネット感のまま現代を生きていて、それを信じて「2021年の若者たちの今」を描いてしまった。作品を出すたびに「細田作品、なんかモニョる」とネットで批評にあうことを繰り返し、それを「ネットの常態は悪意」として捉えた偏りも感じる。
結果、「これがネットと現実のリアルだ」と自信満々に語られる本作を見進めるほどに、「いや、そうじゃなくね?」「なんか、ちがう」「この作品世界の人たち、みんな俺たちの知らないネット観に生きてる」「最新のハード(MMOや配信など)は出てくるけど、ソフト(キャラクターたちのメンタル)がみんな変」→「全キャラクターに、感情移入できない」という失敗に繋がっていると感じた。
以下、気になった点を細かく。
・ネット世界ユウ
「現実ではやり直せない。だがネットではやり直せる」と最初に大前提が繰り返されるのだが、すぐに続く「生態データを読み込んで、それを反映した力・外見のアバターを登録する」で「え?」となる。それでは現実と同じで、やり直せない。ネット匿名の言いたい放題やりたい放題をテーマにするなら、この設定がすでに没入感を大きく下げている。ツイッターや大型掲示板と照らして考えてみても、すでにあまりにも違う。
実際、本作で描かれる事件性のほとんどは「アバターを変えれば解決する」という、現実のMMOでは十年以上前から当然すぎる機能の未実装に起因している。それが絶対にできない前提で話が動き続けるのだが、他人攻撃おばさんなどはおばさんと赤ん坊でアバターを2つ持っていたりして、ますますよくわからない。
さらに「管理者によるアカウントBAN」という、2021年には誰だってルールとして知って則っているものが無い。代わりに「アバターを解除する身バレビームを与えられた特権階級による、身バレビーム懲罰」というぶっ飛んだ設定でなぜか運営されており、これをネット世界をリアルに描いた…と言われると、もうわからない。
加えて、私や他の人、特に若者が感じるのは「人気者なら、身バレしてもよくね?」なのだ。TikTokは完全に「自分を出す」文化だし、本作公開の2週間前にはホロライブの当代最強だった人気者が引退ライブをして、以後生身で活躍し続けている。ネット空間での実績は現実の実績として誰もが認めており、ネットで一角の人物となって収益化(現実的な稼ぎ)を狙う世の中である。「ヒーロー・ヒロインとしての身バレは、むしろ願望」であり、成功した鈴(ベル)やヒロの「身バレしたらすべてがおしまい」が、監督の中だけの理論となっている。もし容姿が絶望的すぎてすべてがおしまいと言う文脈だったのなら、それはそれでオジサン世代のルッキズムで厳しい。「ルッキズム起因で投げ銭が止む」とかいうのなら100歩譲ってありにしても、ベルは収益化すらしていないので、何もおしまいにならないのだ。
というわけで、3個も4個も大前提に「そういう心理・行動にはならないのでは?」があってしまい、2時間ずっと「これでネット知ってると言われても…」となってしまう。
未だにネットでクレジットカード払いをするのは怖い、絶対ダメ! と思っているような高い年齢層でないと、ネットはこういうものだ見られないのではないか。
・鈴(ベル)
2021年現代の、等身大の女子高生……として生み出されたのかもしれないが、それを強調されるほどに「いや、真逆な気が」となる。もし十代の女子高生が「これは、あなたですよ」と言われても「ふざけんなし」と爽やかに笑い飛ばしてくれる気がする。
端的に言うと、ベルが数百万フォロワーを獲得したときの反応は、「どうしよう、困った」ではなくて「やったあ、最高」の方が正しいのである。親の月収年収をすでに超えて、もう一生飯食えるのがわかるから。2021年の高校生というのは「英雄ヒカキンも一昔前の人」ぐらいで、YouTuberの収益化構造は当然に知っている。なんでTikTokには投げ銭がないんだよとぶちくさ言ってる世代なのだ。でもまあ人気者になったら、YouTube移行はもちろんnote等でいくらでもお金に換えられる……そんなことまで学級で常識として知っている。
なので、「(何も悪いことをしていない)ベルであることをばれないように頑張る」よりも、「功名心からついつい匂わせ発言をしてバレてしまい、後に反感を買ってしまう」ぐらいの方がリアリティがある。
さらに「素顔だと歌えない」もよくわからない。前述の通り、恐らく歌えなくなった原因としてある母親の事故死が、素顔・歌というキーワードと繋がっていないからだ。
なぜライブに乱入しただけの竜にそこまで執着するか、さらにその現実での正体を明かそうと頑張るかも不明で、「脚本都合」としか言えないのが辛い。作者が想像した「等身大の女子高生」をやっているだけであり、生きたキャラクターとして現実的な言動をさせてもらえていない。
・竜
虐待児兄弟の片割れ。ネット上のバトルゲームで高勝率を維持していたら、それを理由に迷惑アカウント扱いされ、全世界から身バレの刑がふわさしいとされた少年。この時点で2つ明確なツッコミどころがあり、全然ネットを知らなそう、というかネットにすごい偏見を持っていそう、という印象。チートを使っていなければ、単純にレジェンドであり英雄である。反則でもないえげつない勝ち方は仕様であり、もし反則じみていることやゲームルールの穴を突くような勝ち方が過ぎるなら、それに対応するのはプレイヤーではなくて運営側の責任であり、穴が放置されているのなら運営側が糾弾されるだけだ。
それに目をつぶっても、全世界公開で家をライブ配信しており、父からの虐待シーンも映ったのに、それを見た鈴を「人のプライバシーに勝手に入るなよ」と糾弾するのが意味不明。だったら、なぜ垂れ流し配信を…? 何がしたいの? 児童相談所はずっと動いてくれなかったと作者の考えた社会悪的な呪詛を並べるが、この虐待映像が許されるほど日本社会は強固盤石ではないと2021年のSNSユーザーは感じてしまう。
また、ベルは自分だと言った鈴を「本人だと信じられない」と言って通話を切るが、声からわかるなり、歌ってみろよと言うなり、スマホのアカウント見せろなり、なんか無いか。鈴も、今「二人しか知らないはずの歌」で竜の特定に至ったのだから、それを歌えずとも話せば済む、でなくともスマホのアカウントを見せれば済むのに、なぜかしないで(側にいるヒロちゃんも思いつかないで)「顔を明らかにして大勢の前で歌うしか、鈴=ベルであると証明できない」の大決断に行くのが不自然すぎて、脚本都合だと鼻白んでしまう。
・ヒロちゃん
終盤、急激にIQが下がって別人化してしまう子。
なぜか「鈴が思いつかない解決策を提案する」のポジをしのぶくんに取られてしまう。
前述の鈴と竜のノーフォローに加えて、「現実の姿がバレたら、積み上げてきたベルが全部終わりだ。鈴も、うじうじしたみそっかすの日々に戻るしかない」(ほぼ原文ママ)とベル=鈴の顔出し歌唱に謎理論で反対することで、賢かったのかそうでなかったのかよくわからないキャラになってしまう。最終局面ではなぜか鈴をDV親父の元に一人で行かせており、脚本都合を抜きに解釈しようとするほどモニョってしまう。
・しのぶくん、ルカちゃん、カミシン
青春映画風味で予算を引っ張り出すための友人キャラたち。これをどう有効活用するかが腕の見せ所なのだが、残念ながらそれ以上の意味は与えられなかった。
・竜の父
終盤いきなり、見たくないものを見せてくる悪役。
ただ、悪役ならまだしもただの雑キャラになってしまっているのがいけない。DV父というのは現実にいるものだが「もっと上手くやる」からDV父親で何年も居続けていられるのである。ネットに善の面をして露出するほどのサイコなら、東京都大田区の住宅地の公道(朝方。おそらく通勤時間?)で、いきなりやって来た女子高生の顔を引き裂いて顔面流血させ、大声叫びながら追加のグーパンを入れようとはしない。普通に新聞一面を賑わすレベルの、白昼の重大事件である。そこまでの狂戦士かと思えば、鈴の無言のひと睨みで恐慌を起こし、退散して解決(解決???)。現実的な問題をファンタジーの理屈で解決してしまったのは、悪手という他ない。
・母、大人たち
娘に必死に止められても他人の子を助けるために飛び出して死んだり、その遺児である鈴を今回も一人で飛び出させたり、脇を支える大人の思考回路ができていない。温かい大人キャラの役回りを与えられているのに、現実離れした軽薄さになってしまっている。
・田舎
「退屈で未来のない日々を送る底辺な私が、ネットでヒーローになって一発逆転しちゃった」のパーツとして田舎描写なのだろうが、自然豊かで施設も人口もあり「悲惨」のパーツどころか「豊か」のパーツに見えてしまうのが逆効果。自然もなく廃工場が並ぶ田舎とか、若干スラム化してる都心の方がよかったと思う。「悲惨」の解像度が、日本中のユーザーからして温い。
・喋り方
アニメっぽくない喋り方は、必ずしも現実っぽい喋り方とはならない。本作は全員がアニメっぽくない喋り方をするが、全然リアル高校生っぽい喋り方でもなく、変。
・用語
スズ、アズ、ユウ、リュウ。
鈴、As、U、竜なら見間違えないが、映画は表音表意文字を読むものではないので、似た音の頻出用語はそれだけで没入感を削ぐ。この指摘が出てしまうと、脚本次元では素人級となってしまう。
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映像満点、脚本が徹底的に落第点という作品は珍しい。
プロジェクトとしてはこの脚本を作り続けていたわけで、関係者の7割方が「この脚本、大丈夫かなぁ」と思っていただろうが、誰も突っ込めなかったのならDV親父以上に怖い。
細田監督は、歯に衣着せぬ物言いをする脚本の専門家を雇うなり、テーマとする事物に対してしっかり取材するなり、制作スタイルを改めた方がいいと思う。