「欲張って色々な要素をあまりに詰め込み過ぎた」竜とそばかすの姫 Mythcさんの映画レビュー(感想・評価)
欲張って色々な要素をあまりに詰め込み過ぎた
事前情報を特に仕入れずフラットな気持ちで鑑賞。結論としては、最後まで見て何度席を立ちたいと思ったかわからないレベルでつまらないと感じた。
そもそもこれまでの細田守の作品はある程度描きたいテーマが明確だったが、今作はとにかく「詰め込み過ぎ」に尽きる。プレバトの俳句査定でよく夏井いつき先生がおっしゃっておられる事が頭に浮かんだ。とにかく内容を詰め込もうとするのは凡人の特徴だと。もちろん映画は俳句ではないのだが同じ事は言えると思う。
思春期の少女の抑圧と解放、父子の冷え切った関係とその改善、母の心を理解する事で自らも母となる資格を得るという成長、幼馴染の男女の恋愛模様とそれを取り巻く学校でのヒエラルキー、虐待される子供とそれを助けてくれない社会と周囲の環境、ネットでの誹謗中傷や実名と匿名に関する問題提起、映画や音楽や小説で飽きるほど扱われてきたこれらのテーマや社会問題をたった2時間の作品に節操なく詰め込んだ結果、本当に表現したいはずのものがハイライトされずに全てが中途半端に描かれてしまっている。あれもこれもと欲張らずに本当に描きたいものをきちんと絞って欲しかった。「聲の形」や「この世界の片隅に」のように明確なテーマが定まっている作品と比べてとにかく薄っぺらい。こんなに表面的なリアリティしか描けないなら分不相応にスケールアップするのではなく、最初から最後まで一貫してすずの成長と竜との関係性にのみフォーカスを当てた方が圧倒的にまとまりが良かったように思う。
美女と野獣のオマージュについても単なる話題性獲得以上にこの作品で行う必然性が全く見いだせなかった。傷ついた竜の心に寄り添うベルの姿だったり、とってつけたようなダンスシーンなどは全く隠すことのない美女と野獣の再現であるが、あれはあくまで美女と野獣が徐々に互いに惹かれ合う描写が重なってるから成立するのであって、ネットで出会った赤の他人同士が唐突にそのような関係になることには違和感しかない。そもそも美女と野獣は優しいベルの心に触れて野獣が人間の心を取り戻していく過程を描いた物語なのに、野獣(竜・恵)ではなく美女(ベル・すず)の成長の話に置き換えてしまった時点で本来の構図が崩壊している(恵も最後はすずを信用するようになるがそれはあくまですずの成長の結果であって過程ではない)。であるならば、なぜわざわざ美女と野獣をオマージュする必要があったのかと疑問に思う。ガストンをモチーフにしているであろう「ネット警察」もまるでSEKAINOOWARIの歌詞に出てくるような正義と悪の二元論で生きているテンプレの悪役で、「ここまでわかりやすく表現しないとどうせ伝わらないでしょ」と馬鹿にされているような感覚に憤りさえ覚える。
そもそもの問題点として、この作品ではいつも「結果」だけが先に描かれてそこに至る「動機」や「過程」がきちんと描かれていないから、論理的な思考で能動的に作品を鑑賞する人と、感覚的な思考で与えられた結果をありのままに受け取る人の間にこれほどまでに評価の乖離が生まれるのだろう。もちろん「結果」から「過程」を推測する事はできるし、それも創作物の楽しみ方の一つではあると思う。例えば、すず=ベルである事を合唱隊の面々が知っている理由は、合唱隊=Voices=Uの運営だからだとか(それ自体おかしい話だが)、すずの最初のフォロワーになったクリオネのAsの持主は恵の弟であるというのは直接語られてはいないものの作品中の描写から十分に推測できる範囲だし、意図的な省略による構成の美しさとして機能していると感じた。
一方で、ベルの方が竜にあれほどまでに執着して、そのリアルを暴こうとするネットリテラシーの欠片もない行為に至った動機や、ネットで超が付くほどの有名人のベルが素顔を晒すという行為に対して「匿名で誹謗中傷するだけの存在」として一貫して描かれていたSNSの住民達が、単なるプロモーション戦略であると「悪意のある解釈をする」のではなく涙を流して感動した論理、そして虐待されている兄弟がいるとわかったすずが、その家を配信映像から探り当てて住所に単身で乗り込むという行動原理は、おそらく監督の無自覚に崩壊しているロジックであり、この作品にはこの要素が本当に多い。これらの「結果」の「過程」も解釈次第では筋道を立てる事自体は可能だろうが、ウミガメのスープのような突飛な発想力を発揮しないと辻褄が合わないのであれば、それはもはや「省略の美」でもなんでもなくただの脚本の不備である。
どうも細田監督は(1)描きたいキャラクターがあって、(2)描きたいシーンや表現があって、(3)作品の格を上げようとして社会問題を設定に盛り込んで、最後に(4)全てのつじつまを合わせる脚本を書く、という方法でこの作品を作ったんじゃないかと感じた。(1)(2)が強すぎて(3)があまりに雑だし、(4)に至っては致命的に下手で、それはおそらく設計図(設定やあらすじと置き換えてもよい)を空想で描くのは得意でも、現実に即した要素に関して徹底的に下調べして理論的考証を行ったり、全ての要素を繋ぎ合わせて理路整然とした文章に変換するという作業が著しく苦手ということなのだろう。この程度の知識や実力なら設定だけ作ってプロの作家に代筆してもらった方が絶対に良いし、社会問題を扱って変にリアリティを出そうとせずに、夢と希望に溢れたご都合主義の冒険物語を描いた方が結果的に万人に訴求できる作品になっただろう。
ところで、私は演出についても好意的ではない。ネットの身バレを『オリジンのアンベイル』なんて表現したり、「悪意のあるネットの声」をわざわざナレーションするあたりは、シンプルにダサいし、空間を埋め尽くすほどのアバターがただ存在しているだけの仮想世界に魅力は一切感じない。
この作品のように全く褒めるところが無いくらいに酷評しか浮かんでこない映画は本当に久しぶりで、自分でも驚いている。この作品の映像や音楽に心を打たれたという人を否定するつもりは毛頭ないが、単に私はロジックが稚拙な創作物に価値を見出せないので、この作品が絶望的に合わなかったというだけである。