「美女と野獣の謎」竜とそばかすの姫 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
美女と野獣の謎
映像と音楽・歌は素晴らしい。
Uの世界の緻密な世界は映画館で観るのにふさわしい。
有無をいわさず感動させる映像の力がある。
しかし、ストーリー、世界観、設定に疑問が多く、どう観たらいいのかわからない映画だった。
Uの世界はSNSの世界を象徴的にあらわしたものだと思うが、これがどういう世界なのかがまずよく分からない。設定が示されていないからだ。
他人を攻撃したり、なんらかのダメージを受けることがあるようだが、それが具体的に何なのかがわからないから、もやもやする。
たとえば、実際に肉体的なダメージを受ける、ということなら、そういう設定か、と思うだけだが、そうだという描写はない。
じゃあこの世界におけるダメージは何なのか? Uの世界で攻撃されて苦しんでいるのは何に苦しんでいるのか?
ストーリーの疑問も多い。主人公はなぜ竜にひかれ、どんな風に絆を深めていって、最終的に「何としても彼を助けなければならない」と思いいたるまでになったのか? まるでわからない。
いちおうそれらしいプロセスはあるにはあるが、きわめて説得力がない。
主人公とクラスメートとシニアのおばさま5人組の人間関係も謎だらけだ。キャラの感情の動きや行動に、ストーリー状の必然性がなかったり、設定がブレてたり…。
竜にしても、虐待されているという自覚があり、外出する自由があったり、Uの世界に入れたり、部屋の様子をライブでうつせることができるなら、なぜ助けを求めないのか? なぜ助かるための行動をしないのか?
一番の謎は、この映画のさまざまなシーンはあきらかにディズニー版の「美女と野獣」を意識したものだが、そのねらいが何なのか?ということだ。
ここからは、この映画がやりたかったと思われることを勝手に想像してみる。
主人公は子供の頃、自分よりも見知らぬ子供の命を優先して死んでしまった母親に強いトラウマを持っていた。
それは、母親に対する愛憎は、「母親の気持ちを理解したい」という思いと一体になったものだった。
映画のクライマックスで、「竜を助けたい!」と思った瞬間、母親の気持ちを完全に理解し、同時に自分のトラウマも克服する。
これがこの映画で本当にやりたかったことだとすると、脚本的にはすごく難しい。Uの世界で主人公が竜に対して向ける感情は恋心とするのが自然だが、それは見知らぬ虐待された少年に対する感情とは全然ちがう。
Uの世界における攻撃やダメージは、もしかしたらもともとの構想では、アンベールする(身バレさせる)ことだったのでは?
それなら、竜がみんなから嫌われたり、犯罪者として扱われることに納得がいく。また、実は自分を身バレさせて、虐待を明るみにしたい、という裏の意図があった、とすればますます納得がいく。
最後に、何のために「美女と野獣」のモチーフを使ったのか、という謎。
思うに、SNSの世界は、リア充アピールをして理想的な自分を演出する世界だったりする。現実と全然違うこともある。でもSNSが偽りの自分ということではなく、両方が自分である。
監督はこの映画で、SNSの世界と現実の世界の両方を生きる現代人の人間模様を描きたかったんではないか。
「美女と野獣」とは、表面的な美しさと、真の心の美しさをテーマにした話だ。「竜とそばかすの姫」においてもそれがテーマになる。
そして、「美女と野獣」ではクライマックスで野獣が真の正体である王子の姿を取り戻すのだが、「竜とそばかすの姫」では、美女が真の正体であるふつうの女子高生の姿をとりもどす。そういう裏表のストーリー構造をねらったんではないか。
毎回社会的な問題提起をする細田監督だが、この映画が成功しているかどうかはべつにして、SNSと虐待を結びつけたテーマにしたのは、さすが、と思った。
キーワードは「共感」で、これがSNSを良いものにも悪いものにもするんだろう、と思う。