「パトリとナショナリズム 島田叡と牛島満の差異とは何だったのか」生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事 マユキさんの映画レビュー(感想・評価)
パトリとナショナリズム 島田叡と牛島満の差異とは何だったのか
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軍民一体となって戦い、運命を共にし玉砕することを「強要」された沖縄戦において、戦中最後の知事、島田叡は、沖縄の人々に生き抜くことを説き続けた。
島田は組織や国家といった「大きなもの」を信じなかった。内務省に入省するも、その反骨的な姿勢により本省務めから外され、地方勤務を重ねることになるが、その先々で、中央からの無理難題に赴任先の地方を守る態度を示した。言わば、「パトリ」に生きたひとだった。
社会学者の宮台真司は、パトリについて「人と土地が入れ替え不能な関係を構成する際の、人と土地の複合体だ」と説明している。島田は最後に知事を務めた沖縄で、客死を覚悟した死地をパトリの発露先とした。島田と対照的な人物として挙げられているのは、陸軍中将の牛島満だ。牛島の孫は、作中、沖縄県民に多大な犠牲を出した祖父に関して考え続けた結果、牛島の天皇崇敬は堅固で、来る本土決戦の時間稼ぎに沖縄を利用した、と語っていた。牛島は「大きなもの」に殉じる人だった。島田もそうした心境は理解できたかもしれないが、美化せず抗った。
島田は、自分の躯をさらすことだけはしたくない、と生前語っていたそうだ。それは彼なりの美学かもしれないが、「大きなもの」に殉じた英霊扱いを拒絶する身振りにも見える。彼の自決については、短銃、服毒、入水、といくつかの説があるようだが、いずれにしろ、島田叡は沖縄の地のマブイとなったのだ。
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