「生きるための教示的な意味合いもあった一本」1秒先の彼女 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
生きるための教示的な意味合いもあった一本
<映画のことば>
「他の人は動かないのに、なぜ動ける?」
「毎日100元ずつ銀行に貯金して、100日続けたら、いくらになるかな。」
「一万元ですね。」
「違うな。利息がある。君にも利息があるんだ。毎日、他の人よりも数秒だけ時間が長い。それが20年も続けば、一日分の利息がついて、24時間のあいだ世界が止まる。」
「一日少ない人は。」
「多い人がいれば、当然、少ない人もいる。」
「ウソみたいだ。」
「この世界のことを、全部理解しているのかい?」
シャオチーのお父さんは、どんな理由で自殺を企図し、豆花(ドウホワ)を買いに行くという口実で、シャオチーの前から姿を消してしまったのかは、本作の明確に描くところではなかったようですけれど。
しかし、期せずして一日分の時間が与えられたことで、彼は心に秘めていた決心とは別の選択をして、結果、愛娘のシャオチーとも再会を果たすことができた。
そのことの含意として、例えば「地球最後の日に、宇宙船に乗り遅れる」とでも言わん気な「30分以内に届かなければ割引します」とか「深夜の注文でも翌日に配達します」とか、今の時代のテンポはどうしても性に合わないという向きにも、神様は一日分という時間を、必ずどこかで調整してくれるから、「世間の風潮に迎合して生き急ぐ必要は、少しもない」という教示的な意味合いも、作中のどこかには含まれていたのだと受け止めれば、本作はそれは、それで、出来の良い一本だったのではないかとも思います。
先に観たリメイク版では、名前を書くのに必要な時間がモチーフになっていましたけれども。
反面、本作では、ストレートに「ゆっくり」というライフスタイルのあり方そのものがモチーフになっていたようで、製作陣の意図(?)の訴求としては、本作の方が、よりストレートだったと思います。評論子的には。
結局は叶うことのなかった悲恋の物語でもあり、切ないことは切ないのですけれども。
反面、佳作と評して、まったく問題のない一本だったとも思います。
(追記)
原題は「消失的情人節」(消えたバレンタインデー)。
そして、シャオチーがすっかり忘れていた彼のこと「消失的情人」(消えた、かつて想いを寄せた人?)ということで、原題には(少し違いはあるけれども)二様の意味合いが重ねられていたようです。
邦題に置き換えられてしまうことで、その質感がすっかり消えてしまっていたことは、少しく残念にも思います。
「消失的質感」?
(追記)
確かに素敵でした。
バスが海の道を走るシーンは。
多くのレビュアーが指摘していたとおりに。
評論子も、あげて同感です。
(追記)
台湾では、バス停で待っていても、ちゃんと手を挙げて乗車の意思を示さないと、バスは止まってくれないのでしょうか。
日本のバスはバス停以外の乗降はできないと相場は決まっているのですけれども。
それでも、地方へ行くと「自由乗降区間」というのが認めらていて、そこでは、バスに乗りたい人が手を挙げて合図すると、バス停以外でもバスが止まって乗せてくれます(降りるときも、運転士さんに言って、適宜の場所で)。
最初は、面食らいました。評論子も。
バス停の名前が「◯◯邸前」になっているというのも、初体験でした。
(追記)
なるほど。バスの運転士さんには、こんなで役得もあったのですか。
以前に、こんな小話を聞いたことがありました。
「男が女に想いを寄せた。それで男は女に毎日まいにち手紙を書いた。それで、ついに彼女は結婚を決めた。郵便配達の男性と。」
やっぱり、彼女をゲットする最大の秘訣は、頻繁に会うことなのかも知れません。
そういうことでは「恋愛指南的映画」でもあったのかも知れません。本作は。
<映画のことば>
「彼氏に食べられに行くの?」
「夜市で食事です。」
「バレンタインは?」
「ライブに行きます。」
「最高ね。チケットは何枚ある?」
「彼氏が2枚ゲットを。」
「男って、使える。」
「シャオチーさんも、早く探せば?」
「早く食べられてしまって。
スパイスを加えて、激しく動くと美味になるよ。」
(追記)
「本作はウサギとカメの寓話」と喝破した、レビュアーのNOBUさんの的確なレビューには、まったく共感しました。
末尾ながら、ハンドルネームを記して、お礼に代えたいと思います。
りかさん、いつもコメントありがとうございました。
ラストの近くで、道路を渡りきったグオタイが引き返したタイミングで水産会社のパネルバンが急ブレーキで止まったので、グオタイはその事故で帰らぬ人になったのかと思っていました。
私の思い違いだったら、悲恋の物語ではないですね。