夏時間のレビュー・感想・評価
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癒されたい時に~
…夏休み
父が事業に失敗し
小さい弟と三人で父の田舎へ
行くことになった
古いけど大きな家で庭も広い
階段上ると南側に広い踊り場が
あって足踏みのミシンが置いてある
昔風の家だけど壁がなくて
風通しの良さそうな家
…落ち着ける場所
おじいちゃんは無口だけど
常に微笑んでいるような感じ
幼い弟がやんちゃしても怒らない
そこへ父の妹が帰ってきた
五人で暮らすことになる
家の内に
ゆったりとした時間が流れる
何かが起こる訳じゃない
会話だけだけど
ほのぼのとした雰囲気が
家中に立ち込めている
…そんな中
弟が母と会うと言う
そしてお土産まで貰ってきた
大喧嘩になり
おじいちゃんが仲裁に入って
事が収まった
このときの姉の怒り方は
普通ではなかった。本当は姉も
母に会いたかったのだろう
甘えたかったのかもしれない
おじいちゃんのお葬式の時も
母がきても声を掛けることもなく
一言も話することもなかった
話したいのに話せない
何とも言えない感情が…
そして
おじいちゃんがいない
三人での食事
思わず姉が泣き出すシーンが
…印象的です
我慢していた感情が
爆発し噴き出した
おじいちゃんが亡くなって
…母も居ない空間
一気に寂しさが込み上げてきて
泣きがとまらない
多感に感じる年頃・・
階段の途中に扉がある
なかなか趣のある家
おじいちゃんが居なくなって
売りに出されてしまうのか
どこか懐かしさを感じる作品。
是枝監督の
海街ダイアリーに似てる様な
小津安二郎監督と言うよりも森田芳光監督でしょ
2021年3月26日(金)にユーロスペースで見た。
レビューはどうやら二回目のようだ。途中の顔の事を辛辣な表現として捉えられたようだ。身に覚えがあって、反省するが、何を反省して良いのやら?まぁ、良いか。
『ハチドリ』と比較されるが、『ハチドリ』は消されていない。ハチドリは漢江に掛かる橋の落下事故が途中挿入されていて、たまたまソウルへ行った時にソウルタワーから橋の落下した情景を見た。勿論、瞬間では無い。落ちたあとの情景である。しかし、なんか切ない情景だったと記憶している。
この老人は韓国の団塊の世代で1947年生まれで苦労しているのだと思う。日本の団塊の世代とはちょっと違うのだろうと感じた。そこは評価したい。
我が家は、親爺に黙って家を売っ払って、親爺を老人ホームへ入れた。散骨してから事後報告した。怒ってないと思う。
夏の葬式って暑いんだよね。記憶の限りでは我が家族もみんな夏。でも、悲しく無かったなぁ。だって当たり前で、次は自分だと思った。祖母だけ冬かなあ?祖父の時は葬式に出ないで、京都旅行した。京都北山の祖父峠で冥福を祈った、
最後だけ小津安二郎監督だね♥
小津安二郎贔屓
実家っていいなぁ。実家があるから、皆集まってくる。そう思って観ていたが、観終わると、おじいさんがいたから実家なのだと再認する。皆、意識はしていないが、おじいさんがいたから集まってきたのだ。主人を失った実家は、もう実家ではなくなった。その寂しさは、おじいさんが死んだ悲しみを、倍増させる。最後のオクジュの大号泣には、そんな思いが感じられた。
作品全体の様子が、どこか小津安二郎の作風を感じさせる。随所に現れるローアングルが、深みを醸しだす。この作品では、テーブル・椅子の食事風景がなく、全てちゃぶ台という所も、そう思わせる所以だろう。ラストの、一人号泣するオクジュのシーンで終わる余韻も小津風だった。何でも贔屓目に見てしまう。
懐かしくて、優しくて、切ない
夏のおじいちゃんの家、太陽の下の夏野菜、きょうだいの間の愛情や葛藤。
おじいちゃんとの思い出もないし、弟もいないのに、自分が経験したことのように懐かしく感じるのはなぜだろう。
母親と会って帰ってきたドンジュに対し、厳しく当たるオクジュ、2人に静かに対応するおじいちゃん。涙があふれました。そのあとの、きょうだい二人ですするラーメンのシーン、良かったなあ。
スジナシのようだが実は緻密なストーリー
廊下の突き当たりに少女が立っている。
手前のドアが開き、父親が顔を見せる。
父親は娘に声をかけ、出かけるよう促す。
少女は部屋の明かりを消し、画面が暗くなる。
冒頭、なぜ、このシーンを長々と見せるのか?
それは時間の経過とともに明らかになる。
冒頭のシーンが描いていたのは、彼女たち一家の、いままでの暮らしとの別れだ。ここには、本作が描く父親の実家での暮らしとの線引きを明確にする意味があったのだ。
季節は夏。父と弟と主人公である17歳の少女オグジュの3人家族は、父の実家で暮らすことになる。
父の実家には、年老いた祖父(父の実父)が1人暮らしていた。やがて、そこに父の妹も加わる。家にも“家族”にも慣れない、ぎこちない暮らしが始まる。
本作は、この父の実家を舞台にした家族のドラマ。ゆえに、この映画では、家全体を捉えるショットが頻繁に登場する。
やがて明らかになってくる背景。
父親は離婚したということ。
父親は定職には就いておらず、とりあえずニセモノのスニーカーを道端で売っている。だが、それだけでは暮らしていけないことは、彼が、何かの資格試験を受けようとしていることからも分かる。
そして叔母は夫との離婚を望み、家を出てきていた。
だから、その家に集まっている人たちは、皆どこか、傷を負っている。祖父は夏の暑さにやられ、息子たちに助けられながら病院に通っている。
祖父は無口だ。彼を筆頭に、誰もわざわざ声高に語ることはないが、お互いが少しずつ優しさを分かち合っている。祖父の誕生日のシーンは感動的である。
邦題の通り、これはひと夏の物語。
子どもたちは夏休みだが、ここには海も山も遊園地も登場しない。
映画の中の時間は、淡々と、大きな起伏もなく流れているように見える。
だが、生きながらの別れ(離婚)と死別の匂いが少しずつ差し込まれる。
叔母の夫婦間のトラブル。母親と会うことを巡るオグジュと弟の喧嘩。
そして、祖父にはひたひたと老いによる身体の衰えが忍び寄る。
そしてラスト、ついにこの2つが交差する。
祖父が亡くなり、その葬式にオグジュたち姉弟の母親が現れるのだ。
祖父の死も、母との再会も唐突だ。
この2つが重なり、堰を切ったように溢れるオグジュの涙で本作はクライマックスを迎える。
ああ、こういう映画だったのか!
本作は、淡々と、家族との日常を描いているようでいて、このラストに向けて一つひとつシーンを積み上げてきたのである。巧緻な脚本に唸る。
頻繁に描かれる食べる、寝る、そうした日常の所作の繰り返しの中に、突然、差し挟まれる別れ。
だが、おそらく日常とは「こういうもの」だろう。僕たちの生活を揺さぶるような別れは、いつも突然やってくるし、そして、そんな大事件があっても、僕たちは食べて、寝る。
そう、本作は、いろいろ起こる事件も、ことさら大袈裟に捉えるでもなく、日常の中の出来事として描く。ゆえに、その眼差しには地に足が着いた“確かさ”があるし、暖かく、優しい。
ラストの食事のシーンで激しく泣き出すオグジュ、そして泣き疲れて彼女は寝てしまう。
親は離婚し、父親は無職、祖父は亡くなり、恋人ともうまくいかないし、おまけに一重まぶたも気に入らない。オグジュを巡る状況は、冷静に考えると、なかなか過酷だ。
でも、眠る彼女を捉えるカメラは優しい。彼女に対して「大丈夫だよ」と声をかけているかのような優しい目線に救われる。
この優しさにひたれるのなら、素敵な映画と思えるはずである。
10代の少女の視点
高評価ですが、個人的には何度も睡魔が襲ってきたので、もう少しスピード感と時間が短くても欲しかったかなぁ。(昼食後の14時台ってのが一番の理由?)
だけどこの穏やかな時間が『夏時間』でありこれが本作の良さでもあるかも。
主人公であるオクジュは大人の階段を上る思春期真っ只中。そんな中での父の事業の失敗、両親の離婚、彼氏との恋愛の悩み、容姿についての悩み、祖父の死…。色々ありすぎた夏休み、最後の声上げての涙には、おじいちゃんの死を区切りに今までのものが爆発して溢れ出たものでしょう。
弟の無邪気さ可愛さには癒される。
役者たちも自然体で、韓国に住む普通の人はたちを映し出した演出が秀逸だった。
個人的に映像はクリアすぎて好きではない。NHKの朝ドラみたいだった(笑)
ひと夏を共有してるよう
思春期の少女の日常がテーマとなるとどうしても『はちどり』と比較してしまいますが、『はちどり』よりも淡々と日常を描いています。淡々と描く分、日常を丁寧に描いていて非常にリアルです。
無口なおじいちゃんの家でなんとなくきまずかったり、お調子者の弟がじつは空気を読んで気を使ってたりして、なんかわかるなーと思いながら見ました。
また、ラストの主人公の泣きがリアルで素晴らしかったです。
お葬式では泣けなくて、ご飯食べてる時にふと悲しみが込み上げてくるというのもわかり、そのシーンでは主人公と一緒に泣いてしまいました。
映画全体のリアルな感じを支えているのが、俳優たちの演技はもちろん、おじいちゃんの家の存在感だと思います。この家は実際に人が住んでる家を借りて撮影したそうで、この家が映画に説得力を与えていると思いました。ちなみに階段の途中に扉があるのは韓国ではメジャーな造りなのでしょうか?リアルな家なだけに興味深いです。
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