バッド・ヘアーのレビュー・感想・評価
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魔女の髪の毛…?
天然パーマなどと言う言葉は最近聞かれないが、髪の毛の悩みは、いつの時代もある。
主人公アナのツラい過去は後頭部のハゲと髪の毛の質…。
髪質とか個人的な差を感じる人はそんなに多いのか分からないが、当事者の“想い”の強さは想像に固くない。自分には分からないが絶対めちゃくちゃ気にしてるんだろうな…。
ただ髪の毛だけで自分を変えられる人もいると思う。
職場の再編で仕事も失いかけたアナも新しい上司の「髪型を変えろ」と言う意見に従い植毛するのだが、あの店はなんだろう…とても気持ち悪い(笑)
高飛車で感じの悪い受付、植毛した怪しげなスタッフ、痛々しい植毛シーン、髪の毛って気持ち悪いのが伝わってくる。
で、水付けたらアカンって…グレムリンと反対なん?(笑)
しかしながら、恐いと言うよりは気持ち悪いのが先にたつ。
血液を吸って伸びる髪の毛が性犯罪者の大家タネンを皮切りに次々と犠牲者を増やしていくのは良いとして、そこから先の展開がヒドイ(笑)
あの髪の毛、宿主が必要だろうに髪の毛切ろうとしたら殺すし、ヘアサロンでのシーンはホントにダメだ。被害者がコケて頭打って出血~死亡みたいなシーンが急激に安っぽくて驚いた。
絡んでくるだけじゃなく毛穴に入り込むとか、ビジュアルも見易さとか優先した方が良かったのではないかと残念に思う。
追いかけてくるシーンとか髪の毛のシルエットだけとか、何か古い気がする(まさか、これが新しいのか?)
取り憑かれてる連中も何か滑稽で、襲われた同僚も急にノリの良いセリフが飛び出して、安っぽさに拍車をかけた。
雑感としては作品として伝わるメッセージを一切感じない。
端々に社会での女性の立場が向上しない中での苦悩が見えたりするが、受け手は想像するしかないし、白人の圧力や大家の一方的なセクハラ、住民が「レイプ魔」と唾を吐き捨てるシーンあり、アナ自身も過去に何かあったように見える。髪型も選べない社会等のセリフを出すなら、髪の毛ではなくもっと社会的なテーマも織り込めれば深みも出ただろうが、実質はどうしようもないB級。
ムリに勧める必要はない作品と思う。
コケ頭の少女についての考察ももっとして欲しかったが安易に終わらせており、木から生えてる髪の毛たちが人を操り、髪の毛を拡げていると言う説明も恐さを感じない。
だって、あの木の周りは屋根もない感じで水に濡れないで済む環境とは言い難い。
雨のシーンで傘もささないのでひょっとして水に濡れてない?とか思ってしまった。
長~い友達
1989年、ロック音楽配信番組の司会を目指す女性が、上司のアドバイでヴァージースという美容室でウィーヴと呼ばれる植毛を行い巻き起こる話。
務める局の改編で進退がかかる中、企画を提案し制作補佐に任命されると共に、業界に残りたいならサラサラヘアーにしろと条件を突きつけられて…。
指の切り傷に反応し、大家の血に反応し、ってケチャップでもOK?w
ダンス・マカブヘアー+ラブ・デラックスみたいな感じですかね?
一気に行くのかと思ったらそこから暫くストーリー展開は大人しくなって行きちょっとだけダレ気味。
美容室での描写はなんだか唐突に安っぽくてw
終盤になり、なかなか面白くなったけど、主人公も持っているのだから逃げずにバトルして欲しかったかな。
おなごの髪型で心も変わる? この発言はところ変わればレッドカードかも?
The CROWN Act: Working to eradicate race-based
hair discrimination イギリス・ロンドンに本拠を置く世界有数の一般消費財メーカーのホームページに載っていたメッセージより ...
"クラウン(CROWN)法"––Creating a Respectful and Open World for Natural Hair(自然な頭髪を尊重し、開かれた世界をつくる)の頭文字をとったもので以前は共和党支持者が多かったけれども現在はリベラルな土地柄のカリフォルニア州だけがこの法律を制定している。
何故こんなことを載せるかって... ?
この映画を監督したのが、人種問題を織り込んだ風刺・コメディドラマ『Dear White People』を製作して有名になったジャスティン・シミエン監督の初長編映画という事。
古典映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街(1956)』やSci-Fi・ホラー映画『ステップフォードの妻たち(1975)』の影響を受け、また監督がK-ホラー好きなところから、かなりインスパイアしている韓国恐怖映画『鬘 かつら(2005)』なんてモノも挙げられる。
マイクロアグレッション(microaggression)... 自覚なき差別。異なる文化、人種、身体的能力を持つ人々や政治的文化的に疎外された集団に対して、悪意がなく意図的か否かに関わらず相手を傷つけてしまう可能性を持ち、何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと。この映画を見ていて、主人公のアンナの髪の毛がもたらす恐怖よりもどちらかというと人間という生き物の底知れないマイクロアグレッションの恐怖の方が永遠に続くように感じてしまう。その点、日本ではあまりにもタイムリーな話題なのかもしれない?
マイクロアグレッションが引き起こすとされる前出の世界有数の一般消費財メーカーの質問が以下に示されている...
Did you know …
●A Black woman is 80% more likely to change her natural hair to
meet social norms or expectations at work
●Black women are 1.5 times more likely to be sent home or know
of a Black woman sent home from the workplace because of her
hair
リベラルな大学キャンパスをドラマ『Dear White People』のプリズムの変化と同じようにスマートで風刺の効いたレンズを通して黒人のアイデンティティを見直してから6年後、キャラやプロットの大部分がテレビ形式にきちんと整えられ、映画『バッド・ヘア』も同様に社会に対する鋭い批判の目を向けている。映画製作者としてシミエン監督は、アフリカ系アメリカ人女性が美しさの狭い認識に従うことを承諾すると同時に時には自己嫌悪の代償を払わなければならない社会の常識とされるイタイ部分を掘り下げている。
同じ黒人監督のジョーダン・ピールの映画『ゲット・アウト(2017)』でも見られるジャンプスケアな恐怖を描いているようで、シミエン監督にとっては、自由奔放で不条理なコメディとの部分では一致しているのかもしれない。
魔術による髪に関する奴隷の民間伝承と、より多くの女性、特に黒人女性は、リラクサーによって髪を処理することは痛みを伴う可能性があることを知っているはずなのに... それなのにおんな心のサガなのか?
リラクサーを残す➡ 髪をまっすぐにする過酷な化学処理 ➡ 髪が抜け落ちるまで頭皮を燃やす➡測りしれない時間の経過が髪の中で悪夢という拷問そのものとなってしまう。
監督自ら曲を作り、ケリー・ローランドによるポップスターを含む思い出に残るキャラクターとPVシーンなど、フィルムスコアとしても楽しめる場面もあり、また監督は16mmフィルムで映画全体を撮影しているこだわりをも見せているが...
この映画は、恐怖映画と捉えるなら、髪の毛が悪さをするにしては、その髪自体の動きが悪すぎるし、しかも同じようなシーンの稚拙な連続パターンのようにも見えてしまう。それでは、コメディ・ホラーと呼ばれている本作品なんだけども...
コメディの要素はと考えると皮肉としかとれないし、楽しめないプロットとなっている。あまりにも中途半端な映画と言える... メッセージ性が強いわりにはのお話。
シミエン監督はインタビューに答えていた。
「映画『バッド・ヘアー』は黒人女性への非常に奇妙なラブレターであり、彼女たちが粘り強く、忍耐という比べることのできない力の表れです。それは私の風刺的なホラー・ラブレターと言えるものです。」
最初、監督は何故、1989年にこだわったのか? マリリン・モンロゥの言葉...
"I believe that everything happens for a reason. " ... 本当はこの言葉には続きがあるのだけれども... 「全てのことは、理由があって物事は起こる」
1989年は "映画はお札の輪転機" になり映画業界が大きく変わった年であり、従来のニュースとは異なり、扇情的な言葉で人々をあおるだけのニュースと娯楽の境界をぼやけさせたタブロイド番組が台頭し、それとは別にアメリカの文化と常識が変わり、"cozy" とかアットホームという言葉が消え去り、また冷戦を終結させた激動の年だからなのか?
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