「"Divine Intimacy" をイロニーに表現すれば...」ダーリン Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
"Divine Intimacy" をイロニーに表現すれば...
Every man hath a sword upon his thigh, because of fear in the
night. God hath no mercy upon the evil.
None.
The Devil will get inside of you, if you let him.
第一作『Offspring (2009):襲撃者の夜』は、"ガラクタ映画" とか "暴力的ポルノ作品"であると揶揄され、称されている。それは食人族を描いたエロティックなスプラッター・ゴア映画で元警官にせん滅された食人族の中のリーダー的存在の女性がただ一人生き残り、第二作目の映画『The Woman(2011):ザ・ウーマン』に上手く引き継がれていく。ただ言いたいのは、第一作の評価は妥当と言えて、とにかく子供をケチョンケチョンに扱っている。
第二作目の『The Woman』では、ストリー性が第一作とは異なり豊かとなっている。
"officer of the court"こと 法の番人と呼ばれる町の名士のクリスの顔の下には、人を支配し、そのサディスティックな本性が、最後の食人族の女性を生け捕りにしたうえ、自分の家族が住む家の納屋の地下室に監禁し、飼いならそうとする... この映画の異常性は、彼だけでなく幼いダーリン以外はその事をクリスの家族全員が認知し、受動している精神的なコアな部分を描いている。DVオヤジのクリスを演じていたショーン・ブリジャーズは、いかにも温厚そうな顔つきをしていて、彼の見た目のギャップ感が映画のストリー性をよりドラマティックに押し上げていた。
そして、第三作となる本作品『Darlin'(2019)」:ダーリン』...
全三作は、原作者が同じジャック・ケッチャム... 彼は、「興味は本、漫画、映画、ロック」であると公言し、「自然は、人間であろうとなかろうと、すべて紛争と紛争の解決に関するものだと私には思えます。それは生と死の基本的なものであり、良い話は、どんな媒体で話されても、常にそれを反映しています。私は非常に早い段階で本を読み、映画やテレビに早くから触れていたので、紛争についてはかなり身近になりました。」とイギリスの雑誌 SciFiNow のインタビューに答えている。
彼の一番最初の小説『Off Season(1981)』では怪奇小説家ラドクリフに通じるようにスティーブン・キングが「アメリカで最も怖い男」と言わしめるほど残忍性を取り上げ、また彼の中では"社会問題"を提起しているとも捉えることができる。
それとスティーブン・キングを真似てか第一作目の『襲撃者の夜』では鑑識の一人として背を向けてセリフありでジャック・ケッチャムはちゃっかりとカメオ出演している。
本作品『ダーリン』は前二作とは幾分オモムキが異なる...
まず、おかしな点がある... 彼らが全く言葉をしゃべれないところ。第一作の『襲撃者の夜』では独自の言語を持っていた。カニバルの狭い社会でだけ通じる言葉として...
それは前二作がジャック・ケッチャム原作者本人が映画の脚本をも書いているところにある。しかし本作品は全三作に出演している食人族の生き残りの名もなき女性を演じていたポリアンナ・マッキントッシュが脚本を担当し監督も務めている。その事で、彼女の独自性が表れ、どうしても前作とのつながりが悪くなり、また違和感を感じてしまう。あくまでも前作の『ザ・ウーマン』を見てのことで、この映画はそのエピソードの約10年後を描いている時系列に反してしまいソゴが自然と起こってしまう。
ただそんなことを言っても、この映画は"stands alone"一話完結型と呼ばれる映画なのであまり小さなことが気にならない方なら関係ないのかもしれない。
全三作に共通する点と本作品の独自性とは?
赤ちゃんにとにかくこだわる... 種族保存本能
映画に登場する男性陣が情けない奴と言うかどうしようもない人たち... 飲酒癖の上に浮気性のチンケな奴、DVオヤジ、そして社会問題を描いているだけでなくタブーを犯す男たち。
南の島で実際にあったカニバリズム。ラグビー日本代表メンバー⁉
性的虐待... オーストラリアで起こったヴァチカンの第三位の役職にある高位の枢機卿が少年二人に対する性的虐待事件... つまるところは彼は最高裁で2020年4月に無罪となっている。(BBCニュースより)。
そして、インドで起こった過去には雑誌にも載っていた、とある出来事... イソップの寓話『オオカミがきた』の嘘つき少年の話しではなく、あくまでも実際の出来事としてのお話...
アマラとカマラというオオカミに育てられたと逸話を流布し宗教的広告塔としてこの映画の主人公ダーリンのように売名行為に扱われ、その短い一生を終えている少女二人の悲しい実話。賢明な人ならそんな事ってあるはずもないと言えるけど、それはインドの方の話しなので、その事との共時性をインドと敵対するパキスタンの女性が、インドでは子供の両手を切り落として、道端に放し小銭を稼ぐ輩がいると言っていた... 心の中では、そんなのあり得ないと思っていたけど2008年の映画『スラムドッグ$ミリオネア』を観てからは話が違うようになり、子供に障がいを与えるシーンが彼女の話しに少しは信ぴょう性を持たせることに...
And now, please welcome our Eve, whom I've made my own
personal Christian mission. When I first found her, she looked
like this.
But now...
マッキントッシュ監督の根底にある意図は、一見野蛮なキャラクターを人間化し、客観的に示す、すべての尊厳と個人的な自律性を吹き込むという、人道的には良く描けているのかもしれない。
サポートキャスト、モナ役のユージェニー・ボンデュラントのオーバー演技はよそに置いて『ダーリン』は、宗教、ミソジニー、同性愛嫌悪、性的暴行、女性の代弁者またはその欠如に関する先鋭的解説に満ちているように映る。
First Communion
監督は、主な出版社から毛嫌いされたエロティック過ぎて暴力性にあふれるポルノと言われたジャック・ケッチャムが描く世界観よりもややトーンダウンをしていて、しかもフィルムスコアに今頃のポップな女性歌手の曲も使っている。しかし、女子の心理的、性的、精神的な目覚めを探求しているようにも感じられる。
ただどうしてもラスト近くの初聖体という儀式に臨む前の場面でダーリンがとった哀しい行動は個人的には絶対に許せない映画となっている。 そんな映画です。