海辺の金魚のレビュー・感想・評価
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見終わったあと、ものすごく考え込んでしまう映画。観てよかったです。
最小限のセリフで表現されています。
子どもたちの雰囲気が良く、養護施設の様子を初めて知りました。
花のお母さん、初めは冤罪なのかなと思っていたけど、
連れて行かれるときの表情は捕まることがわかっていたようにわたしには感じられました。
本当に実行したの…?
それとも誰かを庇っている?
花のことを思うと冤罪であってほしいと思ってしまう。
晴海はなぜお母さんのところに戻ってしまったのか。
タカ兄は知っているはずなのにどうして許可しちゃうの〜
虐待のループから抜け出すのは難しいと聞くけれど、そういうことなのか…
寛太くんの背景、エピソードがもう少しほしかったな。
でもこの映画ではそこが良いのかもしれない。
晴海の木と花の木も何の木だったのか知りたかったな〜
花は金魚を海に放すことで「いい子でいたら」の呪縛から解放された、
金魚と過去の自分を重ね合わせたのかな。
途中から、もしかして晴海が死んじゃうのかな〜なんて頭をチラホラしましたが、最終的に笑顔でよかった!
鑑賞後モヤっとするけれど、不思議と嫌な感じのモヤっではないです。
予想外におもしろかった。
観てよかったです♪
金魚は淡水魚
トークイベントに惹かれて鑑賞。
何を想うかは観客に委ねるというスタイルは好きなので、その点はよかった。今後も追いかける監督になりそう。
地元の人とトラブルを抱えている母親が、夏祭りの露店でかき氷に殺虫剤を混ぜて出してしまう。(おそらく)
和歌山の事件を彷彿させるが、加害者家族の苦悩が主題ではない。母親が殺人犯というトラウマを抱えた18歳の花と母親から虐待を受けている8歳の晴海の2人が施設で生活を共にすることによって、心の澱を少しずつ取り払っていくストーリー。
金魚を海に逃がす意味はなんだろう。金魚鉢(養護施設)から海(社会)に解き放たれると、水が合わずにやがて死んでしまう。という意味なのか、昔、夏祭りで死なせてしまった金魚(被害者)の魂を解放(供養)するという意味なのか、どちらの考えもしっくりこない。だって金魚は淡水魚ですから。
わたしたちは 生きていけるから。
大好きな小川紗良さんの長編初監督作品と言う事で、期待の大きさもあると同時に、大きな不安もありまして。大きくは2つの観点から。
まずは。最近の若手の作り手さんにありがちな、「狭すぎる世界観で共感ゼロ主役の自慰行為を眺めるだけ」ってのはヤダよと。もうね。最近、見飽きましたし、ウンザリなんですよね。
次に。巨匠是枝のネガティブな暗黒面だけを引き継いでしまいました、的な「ヘタレのススメ」作品になってたら、どないしよ、って言う深刻な問題。具体的に名前を挙げるのは自粛しますが、ちょっとね。巨匠の弟子、若い人が撮る映画じゃ無いよね、って言うヤツが多い気がして。イヤ、最後は「希望のある未来」を示唆したいんだろうなぁ、とは思うんですが、さすがに人格描写がネガに、下手に深すぎて、ポジティブへの展開が受け入れ難いヤツ、ありましたよねぇ。しかも一人二人じゃなくって....
などなどの懸念していた事。全て杞憂に終わる。
良かったよー、マジでw
何にしても、是枝的ではあります。撮影が山崎裕さんってのもありますが、登場人物的にも。学校関係で唯一言葉を交わす男子の存在は、「誰も知らない」の女子高生の存在に被るとか。そもそも「子供たち」大挙出演に加え、主役はボッチ系。
尺は76分で短尺です。ポンポさん加点対象でスッキリしてます。けど、まだ切っても良いトコ、あると思う。
学校で、ピアノに惹かれて音楽教室をのぞき込む花。振り返った女子生徒が「瀬戸口さん?」と声を掛けるまでの場面。演奏されている曲が彼女にとって意味を持つものであること、と、学校での彼女の立ち位置を描写しているのだと思いますが、これ、要るんかねぇ。くどくないですか?学校での立ち位置なんて、登下校の情景で伝えられるし、曲への個人的な思いは、すでに描写済みじゃなかったっけ?
ホームの庭に苗木を植える場面。新しい子が来ると、苗木を植樹するルール。花は「自分の木はどれか?」と尋ねます。彼女はホームに来て以来、その木の事など(そもそも、なんで"木"になってると思うん?)気にも留めたことなど無く、おそらく金魚の方に夢中でした、的な描写。もっとシンプルなもんで代替えできないでしょうか。
とかとかとか。いろんな事を感じてしまう箇所はありました。けど。76分の短尺は良かったですw
で、根本的なトコロで。「海辺の金魚」の意図するところは何なのか、って言う話。
母親と引き離されて生活する花は、おそらく、母親の無実を信じている訳じゃなく。訪れた弁護士の姿を見て強張る表情や、ホームの父親役の態度からも、母親の事はすでに終わったこと。母親の事は忘れて、自分自身の人生を生きようとしているのが、今の花。
これが基本設定としてですよ。
忘れようのない、母親との日々や思い出に捉われて過ごした10年。それを象徴する金魚は、彼女自身の姿でもあり。「海辺の金魚」とは、まさに海辺の町で過ごす、金魚鉢の中に捉われた彼女自身の人格そのものを表している、的な解釈。
同時に。
それぞれに事情を抱えて、家族とは離れて暮らす子供たちは、外の世界では生きられない。シェルターで暮らす、花を含んだ子供たちの事を表している。
はるみは10年前の花。10年前の花が18歳の花に言うんです。
「お母さんと会いたいの?」
はるみと一晩を明かしたことで、母親との面会が流れてしまった花。金魚鉢の金魚を、自部自身の10年間の混沌とした思いを海に放し、涙を流し、声にならない声を上げる。
花を呼ぶ声に振り替えると、そこには駆け寄ってくるはるみの姿があり。抱き合う二人。
だいじょうぶだよ。生きていける。私は生きていける。私たちは生きていけるから。
みたいな。そんな解釈ですかねぇ。
このラスト、是枝まんびき的にすると、花が誰かの声を聴いた気がして振り向こうとして、Shut Down!
なんか。それも。なんやなぁw
この締め方で良かったよ。
良かった。
デビュー長編としては出木杉ってくらいに。
でもでもでも。
次作は路線変えて欲しいです。そもそも、これ、是枝的すぎるでしょうw
海と金魚
地方の施設で親との関係に問題のある花と晴海、歳の違う2人の魂が共鳴する、、、という話。
2人の関係や会話は自然で良い感じだったが初監督、脚本故の気になる点も多かった。
以下祖父のお小言。
カメラ手持ちの揺れが何箇所か酷かった、狙いなのかもしれないけど寝室と海に向かうシーン、今どきジンバル安いの有るからケチらず使おう。
監督のインタビューで「海に金魚放すと死ぬ」ことはわかっててやったと書いてあった。そうせざるえなかった主人公を描いた模様。
東京だと条例違反。
生命を軽んじる行為、虐待と同じ。
「人はいくら殺しても良いが動物はダメ」なハリウッドだと愛護団体から袋叩き。エンドロールに必ず「出演した動物は死んでません」というクレジットが入る。
それだけで個人的には0点だけど頑張ったスタッフ、役者のために2点にしました。
初めの悶絶シーンとラストは連動してるらしいんだが、どうも繋がりが悪い。逃した金魚がすぐに海で腹出して死んで、自分の愚かさを嘆いてるなら親子の関係メタファーでなんとなく話的に分かるんだが、あっさり「ただいま」は一気に話を安っぽくしてしまった。
エンディングを2種類用意して「大人の事情でハッピーエンドを選んだら齟齬が産まれた」感がしてしまった。
以上、次回が有れば頑張って頂きたい。
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