「ファンタジーの殺人鬼、リアルの不条理(考察)」キャラクター 能面さんの映画レビュー(感想・評価)
ファンタジーの殺人鬼、リアルの不条理(考察)
この『キャラクター』という映画は、ファンタジーvsリアルの物語だったと考察しました。
ラストの作業場での死闘。
誰もが思ったと思います。
『え!?警察何してんの!??』
私も思いました。
ですが上映終了後に物語を反芻していて、思い出したセリフがあります。
辺見を高架下で追い詰めた時の清田のセリフ。
『現実はそう上手く行ってくれないんだよな』
(うろ覚えですが間違ってはいないかと!)
この物語の中で、警察側はあまりにもリアルです。
・捜査の仕方
・上層部の一声で決まる捜査方針
・翻弄される現場。
漫画の通りに殺人が起こっているからと言って、全勢力をそちらには避けない。
“辺見という殺人鬼が現在進行形で逃亡中だから。”
警察が無能なのではない。そうせざるを得ないのがリアル(現実)なのです。
一方で、両角サイドはあまりにもファンタジーです。
・殺人鬼らしすぎる生い立ち
・殺人鬼らしすぎる部屋の惨状
・殺人鬼らしすぎる立ち振る舞い
現実にあんなに分かりやすい殺人鬼はいないんじゃないか、というほど露骨にファンタジーなのです。
殺人に関しても、失敗はなく全て完璧にこなします。
4人もの人間を毎回相手にするのであれば、絶対誰か1人は殺し損ねるやろ。しかも4回連続とか…
運を味方につける悪役という観点においても、両角という人物はあまりにもファンタジー(空想)です。
その間にいるのが、今作の主人公でありであり、われわれ観客の”視点”となる人物・山城圭吾です。
私たち観客は、リアルとファンタジーの二つを行き来する山城視点から物語を観ることにより、物語に翻弄されたままクライマックスへ向かうこととなります。
この『天使と悪魔構造』が、非常に上手く物語を進めていて、とても楽しめました!!!
山城がラスト、リアルに救われるのか、ファンタジーに呑まれるのか。
結果は、映画の通りです。
===============
方々で絶賛されていますが、Fukaseさんの殺人鬼の演技が最高でした。
エンドロールで、Fukaseさんのアクション指導?という項目があったので、「あの薄気味悪い動きを作っている人が別にいる」と考えると、
キャラクターという題名がより深まっていく感じもします。
演者の皆さんも素晴らしかったですが、
それ以外の全ての要素が組み合わさって、最高に昇華された作品だと思いました。
コミカライズとノベライズで、途中経過も結末も違うみたいなので、
めちゃくちゃ気になります。
===============
ここからは完全に私の妄想ですが、
最後の両角のセリフ『僕は誰ですか?』
このセリフはが今作の戦犯は誰なのかという事を明確にしていたかと思います。
私が思うに、山城の『34』がなければ、両角は2度目の殺人を起こしていなかったと思います。
最初の一家殺人の時、両角が憧れていたのは山城ではなく辺見でした。
辺見は16歳の時の1度しか殺人はしていないようでしたし、
以降両角が殺人を犯した動機は、快楽でも復讐でもなく、使命感です。
山城の『34』がなければ、両角が再び殺人鬼として目覚めることはなかった。
そして、両角が『34』に出会う前、どんな人間だったのか物語では描かれていません。
もしかしたら、作中では殺人鬼ダガーを模していただけで、全く違う人間だったかもしれません。
戸籍もなく、本当の自分ではない人間(両角)として生きていた空っぽの少年。
彼は『34』の殺人鬼ダガーに出会ったことで、今までの自分も分からなくなるほどに、キャラクター付けられていきます。
そのキャラクターを作ったのは誰か。
山城です。
物語の中で、山城は被害者として庇われて来ましたが、
あの夜、殺人鬼の正体を隠匿し、
殺人鬼ダガーというキャラクターを作り上げ、
そして両角にそのキャラクターを付与してしまった。
「僕は誰ですか?」
この言葉は間違いなく、生みの親に向けられた問いかけだったと思います。