サウンド・オブ・メタル 聞こえるということのレビュー・感想・評価
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苦悩の先に答えなんてなくていい。
突然重度の軟調になったメタルバンド(正確にはデュオ)のドラマーが、否が応でも生き方を変えることを迫られる。その道程はもちろんたやすいものではない。主人公に麻薬中毒の既往歴があり、恋人(バンドのギターボーカルでもある)には自傷癖があり、ふたりが小宇宙のような安全地帯を築いて、支えあって生きていることも、生き方を容易に変えさせてくれない要因になっている。
ただ、この映画は主人公たちの七転八倒をスリルたっぷりに描くわけではなく、起きてしまったことと向き合うまでの時間を、丁寧に、繊細に見つめようとする。オリヴィア・クック演じる恋人は、中盤は出番がないのだが、彼女にもまた、自分と向き合うための試練の時があったことを、われわれ観客は窺い知ることができる。
結末めいたものはある。しかし、彼らが何か求めていたものを得られたのかどうかは明示されない。確かにふたりの人生は大きく変わったが、答えが示されるわけでもない。いや、実際のところ、答えなんて見つからないものであるという真理を信じているからこそ、あの瞬間で潔く映画を終えられたのだと思う。彼にとってはとても大きな瞬間だが、その後も人生は続いていくのである。
自尊心をブッ壊す凄まじい葛藤と静寂に心打
第93回アカデミ-賞のノミネ-ト枠で上がっていたので
作品名は知っていた程度。
或るときラジオ番組で この作品の紹介をやっていて
興味が湧いたので 先日やっと
鑑賞に至ったので、ここに記したいと思う。
感想から言うと、久しぶりに心を強く打たれた。
この手のセカンドライフへ誘う思いをさせる作品は
何十年ぶりかだと思う。素晴らしい作品だった。
mc:
ルーベン・ストーン役(主役、難聴者):リズ・アーメッドさん
ルー役(主役の彼女):オリヴィア・クックさん
ジョー役(自助グループ所長):ポール・レイシーさん
身体障害者の作品や役で、盲人演出と言えば
白杖や、盲導犬や、役者の演技でそれらしく見せているため
映画演出しやすかった。話せるし、聞こえるし。
映画にとってこの役柄の相性は良い。
一方、聴覚障害者の演出は実は難しいのだ。
見た目が 健常者と一見変わらぬため
演出が非常にしずらい。伝わるようにするには
サウンドエフェクトを酷使するしかないのである。
勿論役者の演技もそれなりで無いと伝わらない。
映画を甘く見ていた私は、最初寝っ転がって見ていた。
主人公ル-ベンの やんちゃな香りがする風格の男が
ドラムをバンバン叩いている・・・そこから始まった。
そう、彼はバンドのドラマ-なのだ。
最初は全く普通に改造バス生活で暮らしていたが、
或るとき ん? ん? 音の聞こえ方が お・か・し・い。
極度にコモッた様に聞こえてきて、焦る 本人。
実は 私も中耳炎になった事が有るので
この心境は凄くわかる。
やがて、医者に診てもらうと 80%の聴覚を失っている事実を
知る。このシーンを目の当たりにして ハッとした。
すかさず姿勢を正して 映画を真剣に見入る様になった。
彼は、急遽 聴覚障害者ばかりで生活する自助グル-プに入れられる。
ココでの生活が彼を唯一救うと思っていたからだ。
しかし、そんな簡単な問題では無かった。
健常で育った期間が長い彼にとって
ココでの生活、これからの運命は到底受け入れられない・・・
彼の孤独な毎日が続く。
何とか現状を打開して、元の彼女との生活に 元の仕事に
戻ろうとするが、まずはココの生活に慣れて
コミュニケ-ションを図らないとダメだった。
ろうあ者のコミニケ-ションが 物凄く静かに会話されて
盛り上がっているのが 不思議な世界観だった。
この感覚に慣れるかが、ルーベンの生きる道であった。
今までヤンチャなミュ-ジシャン ドラマ-が
ココでの生活に溶け込めるとは思えない。
しかし、少しづつ 子供たちと親しくなり
会話がみんなと出来る様になった姿に
観ているこちらも安堵していく。
そう、いつの間にか 私は彼を心から応援していたのだ。
これがこの映画の力点だと思いますね。
ジョ―に 部屋に籠って ノートに文章を書け!
言われて しぶしぶ書いていくルーベン。
この教えの意味する所が 最後に繋がる。
約束事でグル-プ施設の外界とは遮断されているのだが、
隠れる様にして PCをこっそりいじりネットで
彼女の現状を知る。
歌手として活動を続けるも、彼が居ない彼女のバンド活動は
へこんでいた。
彼女の新曲プレビュ-動画を再生するも
彼には全く聞こえない。 涙するよねココね。
この現状を打開すべく、彼は折角 施設に慣れてきたが、
全私物をお金に換えて 聴覚を取り戻すべく
手術に挑み 人生の賭けに出る。
やっとの思いで、本当にやっとの思いで
補聴器を両耳の神経に当てて 音を大きく聞き取れる
様には成ったが・・・何かが変だった。
そう、音質、質感の相違である。
健常者時の頃と同じように聞こえると、
戻れると思っていたが
それは 大きな間違いだった。
この 愕然とする 深い喪失感は
本当に同情した。
もう、ミュ-ジシャンに戻れないのか?
それはジョ-の言った通りのことだった。
インプラント(手術・補聴器)を試しても
ダメだったと 彼が言っていたのを思い出す。
しかし日常は話せるようになったのは良かった。
相変わらず 音質はメタルっぽいから嫌だけど。
久しぶりに彼女 ル-に会いに行って
もう一度 俺とバンドツア-をと 言い出すが、
二人に その未来は待ってはいなかった。
それを悟るルーベン。
二人で涙しながら抱き合う姿は
とてもジーンと来たよ!
本当に良いシーンでした。
そして 翌朝 早くに、彼女の元を去るルーベン。
行く宛は 多分施設へ戻るのだろうか。
そう思った。
金属音質な補聴器を 両耳からそっと外す・・・
そこに広がる 静寂な世界。
心地よい風が吹き、木漏れ日が彼の顔を照らしている。
そう、彼に セカンドライフが訪れた瞬間だった。
そこから 彼は 少しずつ次の人生を
歩んでいく事だろう、きっとそう成る。
私の心は 彼を応援し続けていた。
いつか、心のドラムを思いきり叩く
彼がいる事を 願いたい。
タイトルを見返した
最初、ASMRみたいに音がクリアに聞こえる。
中盤
彼の不安や音が聞こえない感じを体験できるようにしてる。
見ていて思ったことは
聞こえるということは、どういうことか。
手術後のルーベンの聞こえ方を一緒に体験して、その後聞こえるシーンになったとき、聞こえるということがこういうことかと思った。
手術後の音は不快でうるさく、クリアに聞こえない。元には戻らない。
タイトルのメタルはインプラントのことかな。金属がつくるうるさい音。
聴こえなくなったら!
ある日聴こえなくなる!
うそだろ!
ミュージシャンだけに
治す方法は?
主人公は俺に必要なのは、ガンだ!
支援センターにいき
徐々に安らぎは取り戻すが
やはり
手術する。
その代償は?
静寂の中に安らぎは見つかるのか?
これからの生き方
ヘビメタ?が原因なのかわからない(結局原因もわからなかった)が、聴力を失っていく若者の苦悩。
アメリカはこういう感じなのか、あそこが特殊なのかは判断がつかないが、支援グループがあるのは心強いだろうね。
ああいうコミュニティがアメリカ全土にあるのかな?
日本ではちょっと考えられないかも。
ルーベンが手話を覚え馴染んでいくのがよかった。
とはいえ、やはり元に戻りたい気持ちが強く、全財産をつぎ込んで手術を受け、案の定うまくいかったなんて。
元の鞘には納まらなくても、この先なんとか生きていけそうな光が見えたのがよかった。
“Deaf”という単語を知ったのは、<87分署>でだった。
飛び道具的な演出ではあるが、この内容ならコレが必然なので。POVが段々手詰まり感を覚えてきていただけに、こういう主観的な音響表現に力を入れた作品がもっと出てきてほしい。くぐもってたり歪んでたり無音になったりするの、だいすき!
呼吸音すらはばかられるような静寂は、昨今中々体感できない。同じ回を鑑賞していたお客さんがみな、わかってらっしゃる方々ばかりだったので、音響効果を余すところなく体験できた。
クリーン(clean)というのだね、ふむふむ。あのコミュニティ/学校の人はポール・レイシー以外は…?
補聴器でも、調整したり慣れるのが結構大変と聞くが、ラストシーンでちょっとだけ、「ああっ、それもいいかも。ちょっと羨ましいかも」とつい思ってしまった。
メタルバンドのドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は激しい演奏の...
メタルバンドのドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は激しい演奏のせいかどうか、突発性難聴に襲われてしまう。
原因は不明。
器具を埋め込む手術をすればいくらか聞こえるようになるかもしれないが・・・と言葉を濁す医者。
しかし、手術費用は高額。
恋人で一緒にバンドを組む恋人ルー(オリヴィア・クック)は、伝手を頼って、難聴者のコミュニティに連れていくが、コミュニティの主催者ジョー(ポール・レイシー)は、聾や難聴をハンディとして捉えず、その状態を受け容れての生活をルーベンに勧める。
ルーと離れてコミュニティで暮らすルーベンであったが、現実を受け容れることはなかなか難しかったが、コミュニティでの居場所・立場が出来たことで、少しずつ現実を受け容れられるようになっていく。
しかし、手術をすれば・・・という思いは立ちがたく・・・
といった物語で、タイトルの「サウンド・オブ・メタル」には3つの意味が掛けられているように思えました。
ひとつめは、主人公が演奏するバンドのメタルサウンド。
ふたつめは、難聴に襲われ、聞こえづらくなってきたときの、ノイズ音。
みっつめは、手術後に器具を通して聞こえる金属的な歪んだ音。
それらみっつの音質を見事にサウンド化しており、アカデミー賞音響賞受賞もなるほどと肯けます。
映画的には、ある種の宗教色を感じました。
ひとつは、ジョーが主催する難聴者のコミュニティの描き方で、教会が支援しているということが告げられますが、ジョー自身が牧師のようにみえるよう演出しています。
牧師のような様相ではないのですが、デニムシャツの下に着ている白いアンダーシャツが襟元から覗いており、それが牧師のホワイトカラーのようにも見えます。
また、難聴はハンディキャップではない、と言いつつも、健聴者を排除していることから、逆に排他的であり、他の宗派を受け容れないキリスト教の頑なさとも重なってきます。
もうひとつは、最終盤。
手術しても元のように聞こえず失望したルーベンに教会の鐘の音が鳴り響くのですが、その歪んだ音に耐え切れなくなった彼は、手術で取り付けた器具を外し、静寂を選び取ります。
キリスト教会の鐘は、イスラム教徒のルーベン(明確にそうだとは描かれていませんが)を救ってくれないように読み取れます。
ルーベンを救うのは、静寂を選んだ自分自身・・・
そう考えると、かなり遣る瀬無くなるラストですね。
病気になって失うもの、そして•••
コロナ後の公開ラッシュで、配信で観られるものは観てしまえの勢いでアマプラで観ました。
良かった。特に聾者(になりつつある人)の聞こえ方などがリアルに再現されていた(自分が突発性難聴になった時と凄く似た感じだった)。
病気になる喪失感、その後、病気になって初めて得られるものがエンディングで体験できた。
劇場で、もう一回観るかもです。
究極の愛の物語
恋人同士ながら、同じバンドで活動し、2人でトレーラーに寝泊まりしながら全米をツアーする男女の話。
ルーベンは徐々に難聴に陥り、やがて会話がまったく聴き取れなくなる。
ツアーを続けたいという主人公・ルーベンと、今すぐ中止して治療に専念してほしい恋人・ルー。
ルーベンはミュージシャンとして最も大事な聴覚を失うというどん底を味わう。
なるほど、中盤くらいまでは、このルーベンの喪失と再生の話かと思っていた。
入所した聴覚障がい者の施設でも、徐々に彼は居場所を見つけていく。
ここまではまあ予想できた話だ。
しかし、終盤に至る彼の行動はルーに対する究極の愛だったのだろう。
家庭に恵まれなかったルーベンに居場所を与えてくれたルー。
そうか、彼が本当に取り戻したかったのは聴覚ではなく、聴覚を取り戻し、ルーとまた音楽をして、彼が居場所を取り戻すこと。なるほど、深い。
しかし、彼はパリを訪れた際のルーの雰囲気や生活に、そして自分の聴覚が思ったものとは違うという自覚に、彼女を取り戻すことなく、自ら身を引く。
最後のシーンはまさに彼の身上を象徴するような名シーンだった。
この映画はたった一つの愛の形を見せたものだと思う。彼はルーを通して何を観たか、何を得たか。そして、聴覚を失って彼のルーに対する愛は大きくなったのだろう。
しかし、やはり愛は脆い。彼の最後に見せた行動もルーへの究極の愛だった。
予告編の雰囲気から、自分がこういった感想を持つとは思わなかった。
しかし、これもまたこの映画の深さかと思う。
あと、内容とは別に今作の音作り。
劇場では他の作品よりやや大きい音量に設定されていたような気がする。
あの音の設定はきっと劇場レベルの音響じゃないとできないものだろう。
まさに疑似体験と言えるだろう。
あの不快な音は、自宅レベルで体験することはできない。より、主人公の不快な音を体験するのは劇場に限る。
何が聞こえるのか、が大切
見終わってわかった、ポスターの写真は術後のものだった。とにかく聞こえるようにさえなれば、愛する彼女とまた幸せな日々を取り戻せるはず・・・全てを手放して手術を受けた結果、もう元には戻れないことを悟る。不快な歪みを帯びた響きと共に。
音を失ったらそれまでの人生全てを諦める覚悟をしなければ、平安に生きられないと言っているようで、あまりに悲しく惨いと思ってしまった。せめて、愛する人の側で安らげたら良かったのに。静寂を受け入れる事だけが新たな生き方、というのではなく、現実と向き合いながらもポジティブにもがく、というのもありであって欲しい、と私は思う。
希望と絶望、これからどうやって生きていくのか、静寂のなかでなにかを見つめる姿に胸が痛む。
解釈の仕方
あるミュージシャンが聴力を失い、ろう者として生きることを迫られるのだが、その失望から外科手術によって聴力を回復しようと試みる。しかしもともと聞こえていた音とは異質なものしか聴こえなくなっていた。彼はこれからどう生きていくのか。
彼は音楽活動のパートナーである女性から、「ろう者」に言葉以外の手段でコミュニケーションをとったり、現実を受け止め互いにいたわり合うことを学ぶプログラムを受けることを勧められる。様々な葛藤を経て、施設の仲間との生活に馴染んではいくのだが、音楽への思いを断ち切ることができなかった。
聴力を失っていく過程をどう描くのかという点がこの映画の見どころである。特に主人公の音の聴こえ方を音響的にどう表すか。当事者の聴こえ方を正確に表現することは無理なことだから、イメージの世界になるのだが、映画的に言えば「不安」を音で表現するということではないだろうか。そういう観点では、うまく作られていると思う。単に音が小さくなっていくのではなく、不規則な金属的な雑音が混じりこんでくる。不安であり、不快である。
この映画をどう受け止めればいいのだろうか。素直に捉えればミュージシャンにとって音を失うということがどれほど重大なことかを伝えている。そこから延長すると、人間は自分にとって大事なものを失うリスクを抱えて生きており、それは突然現実化する。また、それは自責によるものとは限らず、他責によったり、単なる偶然であったり、運命的なものであったりする。そういうことの表現とも解釈できる。さらに考えを広げると、人間は皆、生きる過程で大なり小なり心身のハンデを抱えており、環境に脅かされているのであり、そういうものとして見た場合、人種やその他の区別を乗り越えて共感し、理解し合えることができるのだというメッセージとしても受け取れるのである。アメリカは分断社会であり、それは益々深刻化している。アメリカの映画人はその危機感を背負っている。私としてはそこまで拡大して解釈したい。
繊細な音の表現
主人公のルーベンは恋人のルーと共にバンドを組みトレーラーハウスでアメリカ各地を移動しながらライブに明け暮れる日々を送っている。
しかし、ある日突発性難聴を患い、ほとんど耳が聞こえなくなってしまう。自暴自棄に陥るルーベンをルーは世間から隔絶された、聴覚障がい者の支援コミュニティーに入ることを提案。これまでとは全く違う環境で、ルーベンは自らの人生を前に向けるため、ある決断をする…。
まさに音に導かれる120分間だ。
冒頭のメタル演奏のシーンから観客はルーベンが感じ取っている音の世界に一気に包み込まれる。
爆音の中、ルーとの息の合ったセッションからは逃れることができず、片時も目が離せない。
しかし、それは突然やってくる。
突如耳鳴りがしたかと思えば、そこからはジェットコースターを降るかのように音を失っていく。
今作はその『音』に深く重点を当てている。繊細な音の表現が難聴の疑似体験かの如く観客を魅了していく。
シネマート新宿さんのブーストサウンドの重低音が身体の奥の奥まで響いたかと思えば、細かな自然の音は優しく耳を撫でる。まさに極上の音像体験だ。
ろう者の支援コミュニティでのやり取りも骨太だ。彼らは『耳が聞こえない』というハンディキャップをひとつの経験として捉えている。つまり、ハンディキャップではないのだ。『耳が聞こえない?だからなんだ?』と言わんばかりの強いメッセージ性には胸が熱くなる。
また、手話のできないルーベンと被せて、敢えて手話に字幕を入れない演出はとても粋だ。
耳が聞こえなくなり、自暴自棄になった主人公が前を向き、少しずつ再生していく様子を描く本作。突如として自分の身に降りかかった現実を受け止めることの難しさや困難さは、"明日は我が身"という言葉がある通り、映画を観ている私たちも120分間疑似体験することができる。喪ったものを数えるのではなく、いま自分にできることを見つめ、まさしく五体満足の私たちが、今日、明日やれることを考えると、日々はより輝いていくのではないでしょうか。
二人がとてもステキ Rock Steady❗
ドラムがカウントとって始めれば、ライブなんとかなるんじゃないのかと、難聴になっても諦め切れないドラマーのルーベン。ボーカル&ギターで、彼女のルーとの会話もままならないし、やけっぱちになるが、ルーは薄い眉毛の見た目と違ってものすごく冷静で賢かった。そして、施設のJoe が素晴らしかった。ベトナム戦争で難聴になったといっていた。携帯、トレーラーの鍵も取り上げる。ルーとのコミュニケーションも断たれる訳だが、ルーのSNSをPCから隠れて時々チェックし、すこしづつ落ち着いてゆくルーベン。ルーはルーベンのために永遠の別れも覚悟したかもしれない。あの施設で手話を学び、コミュニケーションできるようになり、聴力障害の子供たちからの信頼も得て、見違えるほど生き生きとしてゆくルーベン。ジョーも施設でジョーのプログラム(聴力障害を持つ薬物依存者の支援)の手伝いや教会の学校で子供たちの世話をする正職員としてすごさないかと持ちかける。しかし、聴力を取り戻し、音楽活動を再開するために、2万ドル以上する手術(人工内耳)にこだわり、トレーラーハウスの中の機材やドラムセットを売り、とうとうトレーラーハウスも手放し、ジョーに黙って手術を受ける。
ジョー役のおじさんが渋くてカッコよかった。
ドラムセットを手放す前夜のソロ演奏が森の中に響く。シンバルはジルジャン。ドラムはたぶんパールだろう。スティックはパールが出しているヒッコリーの量販品だった。私もパールのバーチシェルのBXシリーズを譲ってしまう前は辛かった。お茶の水で30年以上前に新品で買ったもので、色はこの映画同様、パールホワイトで、シンバルを増やして60万円以上は当時使った。
補聴器の音は一定せず、周囲の環境によって違ってくる。ハウリングやディストーション、突然の爆音などかなりきつい。ルーベンのあてははずれだった、と思う。
彼は聴力のみならず、バンドやドラムセットも器材もトレーラーハウスも失ったが、ルーとジョーや子供たち、子供たちの先生役の笑顔が眩しいローレン・リドロフ(エターナルズでの出演が控えている)からかけがえのない大切なものを貰った。その自信に裏打ちされた最後のシーンでの表情がそれを雄弁に語っていた。
テーマも斬新で、見せ方、聞かせ方が素晴らしかった。なにより、ルーとルーベンの関係がよかった。ルーのお父さんの弾く曲は変わってた。フランス人の役者さんで、シャンソン風。ルーはもうロックは足を洗ったよう。シックだった。
そういえば、15年ぐらい前、骨伝導機能携帯が発売されたが、今も売ってるのかな?
恋愛映画でもある
お偉いさんがマンチェスターCのファンなんじゃ???
主人公の名前が気になりつつ、主人公はサラーに似てる。
日本版だけなのかもしれないが、生活音の説明的な字幕の入れ方に興醒めした。
2人が施設前で離れ離れになるシーンだって、もっと詩的と言うかアカデミックに表現したら、世界観にのめり込めたと思う。
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人生の途上で障害を負うことのしんどさ
辿り着いた先人の教え
生まれ変わる覚悟が清々しい静寂と共に訪れる
彼女の家を出た後の街並がそれまでとガラッと景色が変わるのは果たして、、
ドラマティックな受容プロセス
認知症や障害、もしくは余命宣告を受けた人(そして時にはその家族も)がたどる心理的なプロセスは、概ね否認→混乱→努力→受容となるようだ(プロセスの区分はいろいろある)。私も母が認知症になったとき、同じような思いをした。自分が障害を持つことになったら受容までにかなり時間がかかるんじゃないかと想像してしまう。ましてやバンドのドラマーとして活動していた人が聴覚を失うなんて、そのショックは想像以上だろう。
聴覚障害者を支援する施設で生活するようになったルーベンが、徐々に皆を受け入れ交流していく過程、特に静寂の部屋でノートに向き合うルーベンの変化がとてもよかった。実際にこんなセラピーもあるのかもしれない。
でも映画だからここで終わるわけがない。ルーベンが手に入れたかったのは元の自分と元の生活。やはりそれを取り戻そうとしてしまうのだろうか。ガン患者とその家族が怪しい民間療法にすがる姿とダブってしまい切ない気持ちになった。そしてインプラント手術で手に入れた機械仕掛けの音たち。聞こえたのは美しかった世界の物音ではなく、歪んだエフェクトのかかったノイズでしかなかった。最後、イヤホンをはずしたルーベンの表情はまさに「受容」。元の静寂の世界に戻る彼の姿はとても穏やかで美しかった。
生は静寂の中に
昨年Amazon Prime Videoで配信された本作。来月から劇場公開に。
その前にU-NEXTでも配信され見れた事は嬉しいが、やはり劇場で観たかった気もする。注文付けるならば、音響設備のいい劇場で。
(と言っても、私の住んでいる近くでは上映しないだろうけど)
音。
この音の体感、臨場感!
序盤、激しいヘビメタ・ライブは耳に大音量を叩き込む。
突然の聴覚障害。キーンという音が続き、身の回りの音や相手の声もゴソゴソ程度にしかほとんど聞こえない。実際の聴覚障害者もあんな感じだと思うと…。
ネタバレだが、インプラント手術を受ける。また聞こえるようになるが、まるで無線のような雑音入り交じりのこれまでとは違う音。
合間合間の身の回りに溢れた自然音、生活音。
そして、静寂。
それらを巧みに“聞き分け”。
オスカー録音賞は当然。
劇場の大音響で聞きたかったが、ヘッドホンしてじっくり視聴したので、それはそれで良かったかも。
話はお察しの通り、
恋人ルーとバンドを組み、トレーラーハウスでアメリカ各地を周りながら、ライブに明け暮れるドラマーのルーベン。
時々耳が聞こえ難い事に気付き、医者に診て貰うと、聴覚を失ってしまう事が…。
ほぼ治る見込みはナシ。
インプラント手術を受ければまた聴こえるようになるが、金が掛かる。
耳が聞こえないなんて、一ミュージシャンにとって死活問題。
突然道を阻まれ、奈落の底に落とされたような…。
元々感情が激しいルーベン。荒れに荒れる。
ルーベンも痛ましいが、ルーもまたそう。
彼を支え、助けてあげたいけど、私の力じゃどうする事も出来ない。
そこで知人に相談し、聴覚障害者のコミュニティを知る。
他に手段も手立ても無い。
ここで暮らすには、外界とのやり取りは一切絶つ事。
つまり、ルーとは離れ離れになり、メールなど連絡すら取れない。き、厳しい…。
この一旦の別れの時のルーの台詞が印象的。
「自分を傷付けているという事は、私も傷付けているという事よ」
ルーベンとルーは似た所がある。
ルーベンは元薬物依存者、ルーは家族との関係に問題あり。
それぞれ背負ったものを、愛し、一緒にいる事で、支え、克服してきた。
彼女と再会する為に…。
ルーベンはコミュニティでの生活を始めるのだが…。
ここはあくまでコミュニティであって、病院ではない。
故に、また耳が聞こえるようになる治療や手術など行わない。
では、何を行うか?
耳の聞こえない困っている人たちへの支援。心の救済。
聴覚障害者としての生き方を受け入れる。
それが分からないのが、ルーベン。
俺は手術を受けたいんだ。また耳が聞こえるようになりたいんだ。そしてルーに会いたいんだ。
聴覚障害者の生き方やコミュニティの生活ルール云々なんて、どーだっていいんだ!
手話も分からない。
全く馴染めない。
また別のイライラが募る。
しかし、それでも徐々に、少しずつ…。
聴覚障害の子供たちとの触れ合い。あんなに何もかも受け入れを拒否してた男の心を開く子供たちの存在って凄い。
運営者ジョーの見守り、厳しさ、導き…。
手話も覚え、気付けばこのコミュニティ皆の人気者に。
元来人に好かれるタイプなのだ。
入所した時は思ってもみなかった、穏やかな日々…。
リズ・アーメッド、大熱演!
これまでのイメージを覆すワイルドな見た目に変貌。
ラッパーでもあり、半年間ドラムを猛特訓。手話もマスター。
でもそれ以上に、
絶望、焦り、怒り、苛立ち、悲しみ…。
音を閉ざされた独りの男の姿を体現。
そして、忘れ難いあのラストシーン…。
まさに、入魂。現時点でキャリア最高。
恋人ルー役のオリヴィア・クックも単なる支え役に留まらない複雑な役所。
特筆者は、運営者ジョー役のポール・レイシー。本作で知った初めましての方だが、名演! これぞTHE助演!
ルーベンを受け入れ、諭し、導く。存在感も抜群で、非常に美味しい役所。
手話にも長け、聴覚障害の両親の元に生まれたからだとか。
彼の存在がリアリティーを与えていた。
コミュニティでの生活や触れ合いはドキュメンタリーのよう。
過激なヘビメタ・シーンから始まり、主人公の感情に合わせ暗く重く、ドキュメンタリータッチも交え、辿り着いたラスト。
ダリウス・マーダーが初監督とは思えない手腕。
きっかけは、時々こっそり忍び込んでパソコンで見ていたルーのソロ活動。
ジョーからはいつしか頼りにされ、ここに残ってコミュニティの運営を手伝って欲しいとまで言われる。
おそらくルーベンは、そんな事を言われたのは初めてなのだろう。
悩む。選択。
彼が選んだのは…
やはり最初からの考えを変える事を出来なかった。
確かにここで、聴覚障害者としての生き方を学び、救われた。
でも、俺には俺の人生がある。会いたい人がいる。
ただ時間だけが過ぎていく、ここにいつまでも留まっているのは、俺の人生じゃない。
自分の人生が好転するか、間違いだったか。
例えそれが愚かであっても。
ルーベンの起こした行動は、愚かか、否か。
ジョーに黙って手術を受ける事を決意。手続きを済ませ、金はドラムなど身の回りのものやトレーラーハウスなどを売って。
苦渋の決断だが、ルーと再スタートする為なら…。
そして受けた手術。
また聞こえるようになったが…、期待と違った。
もうかつてのような音=世界ではない。
一度失ってしまったものは取り戻せない、残酷な現実。
再びコミュニティに戻るが…
コミュニティは耳の聞こえない困っている人たちへ助けの手を伸ばす。
手術で聞こえるようになったから…ではない。自己チューの者へ助けの手は伸ばさない。
ルーベンはルーの実家へ。
ここら辺で展開は予想出来た。
ルーはソロで成功。
確執あった父とは和解。
その日は賑やかなパーティー。
ルーベンにとってはただのうるさい雑音。居られやしない。
待ち望んだ再会、以前のような2人での暮らし。
そうか…。
これもそうだったのか…。
世界は音に包まれている。
音は素晴らしく、美しい。
しかし時としてその音が、苦しい時もある。
聞こえるという事は、生きる事だ。
耳を引き裂くような雑音、騒音。
人それぞれ捉え方はあるだろうが、また聞こえるようになったとは言え、こんな世界で生きていくのは苦だ。
彼は再び聴覚障害者としての生き方を受け入れる。そして辿り着く。
静寂の中の、生。
疑似体験
月並みですが聴こえることの有難さ、健常であることの有難さをしみじみ感じさせてくれる疑似体験型社会派ドラマ。
うるさい!というのはメタルロックでは褒め言葉だそうですが耳をつんざくような爆音から始まりラストの無音の終焉までこれほど耳を澄まし目を凝らしてしまった映画は珍しい。
ミュージシャンの主人公が聴力を失うというのも酷な話、かのベートベンもピアノの鍵盤に歯形が残っていたという逸話がある。
主人公と少年が滑り台を叩いて振動を体で感じて微笑むシーンは秀逸でした。象の足の裏には感音組織があり遠くの仲間と低周波音でコミュニケーションしているとテレビで聞いたことがある。
個人的には無音と静寂は別物、静寂は心で聴くのであって風にそよぐ木の葉の擦れる音、小川のせせらぎ、星の瞬きなども広い意味では静寂だと感じています。
映画のラストシーンの無音の街の光景とは真逆な印象ですが、昔、ウォークマンを付けて街へ出た時、見慣れた光景がまるで映画の一シーンのように変貌した体験は強烈に覚えています。聴覚が担っているのは実用的なコミュニケーション能力だけではないのです。
ただ映画の中でも語られるがろうあ者だから皆が不幸せと決めつけるのは短絡的なのでしょう。
メンタル的には観ていて楽しい部類の映画ではないので強いてのお勧めはできません。
2回目は是非イヤホンで!!
日本語のサブタイトルは「聞こえるということ」となっていますが、どちらかというと主人公のルーベンが「聞こえないということ」を受け入れその生き方を選んでいく過程を描いた作品だと感じました。
サウンド・オブ・メタルというタイトルには、「ヘヴィメタルの音」と「補聴器を通した金属音」という2つの意味があるんですね。
【ラストについて】
暗くなりがちなテーマなので「ルーと再開したら新しい恋人がいた」というバッドエンドだけはやめてくれ!と恐れながら観ていましたが、そんなチープな発想は軽く払拭してくれる、余韻の残る良い終わり方でした。
考えさせられるラストですがルーベンは2つの選択をしました。
1つ目の選択は、別の生き方を見つけたルーに対して、自分と一緒ではまた腕を搔きむしるような破滅的な生活に戻ってしまうことを予感し「別れを告げたこと」です。ルーはルーベンのことを想って「また放浪生活をしてもいい」という態度を取りかけていました。それだけにルーベンにとっては勇気のいることでした。
2つ目の選択は、インプラントを外して「音のない生き方を選んだこと」です。そこで映画は終わるので、そのあとルーベンがどういった生き方をするのかはわかりません。おそらくはインプラントに頼らない自然な生き方をすることになるのでしょう。もしかしたらコミュニティに戻ったのかもしれません。そうなってあの学校の先生と付き合ったりしたら最高ですね。
この2つの選択には、「自分よりも他人の利益を考える」、「つらい現実を受け入れて前向きに生きていく」という大事なメッセージがあると思いました。メタルバンドのドラマーで薬物依存症というルーベンが、コミュニティでの生活を通じてこの選択をできるようになる。この成長が良かったです。
【イヤホンでの視聴をおすすめします】
今回、TVに繋いだスピーカーの調子が悪かったので、偶然イヤホンで本作を視聴することになりました。途中まではどちらでもよかったのですが、インプラント経由の音を聴いた瞬間まるでルーベンが聴いている音を自分でも聴いているように感じるほど臨場感が段違いに変わりました。入ってくる音の全てが金属的で「今後この音でしか聞こえないのか・・・」というルーベンの絶望感が痛いほど伝わってきました。ルー宅のパーティのシーンでは周りの音を上手く聞き分けられないルーベンが感じた疎外感がよくわかり、つらい気持ちになりました。
ということで本作へより没入したい方にはイヤホンでの再視聴をおすすめします。
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