サウンド・オブ・メタル 聞こえるということのレビュー・感想・評価
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知らない世界に触れていろいろ考えさせられました
聴覚障害者(突発性難聴の初期やインプラントをつけた後など)が感じる音とはこういうものだったのか、という驚きと衝撃。もちろん個人差があって人によって全く違うのでしょうけど。でもそのくぐもった音やキーンとするハウリングの音と普段私達に聞こえている音を何度も切り替えて対比させる音響演出の素晴らしさ。
ある日突然難聴になれば誰だって大きく動揺するし自暴自棄にもなるかもしれない。それがドラマー(ミュージシャン)ならば…。
リズ・アーメッドもオリヴィア・クックもこれまでとはまるで別人の演技でとても良かったです。
ラストシーンはとても清々しく印象的。だけど住むところも楽器等も彼女も失った彼はこれからどうやって生きていくんだろう、と野暮なことを心配してしまいました。
金属の音
聴覚を失うことの意味を知った
不思議な感覚
【ヘビーメタルバンドのドラマーが、聴力を失い、難聴者施設に入りながらも夢を求めて、”決断”する姿。だが、世の中は歪んだ音に溢れていて・・。ラスト、彼の無音の世界を愛おしむ清々しい表情が素晴しい。】
<Caution ! 内容に触れています。>
◆感想
・突然、耳が聞こえなくなったら、眼が見えなくなったら、私はどうするだろうかと、観賞しながら思った。絶望故に、自暴自棄になる可能性は高い・・。
・今作のヘビーメタルバンドのドラマー、ルーベンはある日、聴覚がおかしくなっている事に気付きながら、恋人ルー(オリビア・クック)と組むバンドツアーを続ける。
けれども、それも限界にきて、ルーの勧めで医者へ。診療結果で、聴力の75%が失われている事が分かる。手術には4-8万ドルが掛かる事も・・。
- ルーベンの苛立ち、ルーの哀しみと心配を綯交ぜにした表情。ルーベンは逡巡もあったが、ルーと一時的に別れ、聴覚障碍者のジョーが運営する難聴者コミュニティに入る。
そこで、彼は手話を覚え、子供たちと交流し、コミュニティには欠かせない存在になって行く。
楽しそうに子供たちと手話で会話する姿。
だが、ある子どもと、滑り台で手でドラミングをして遊ぶ中、彼の心は揺らぐ。
ルーベンを演じたリズ・アーメッドの表情の変化。
苛立ちから、絶望、そして僅かの希望、恋人ルーへの想い。ー
・又、今作では独特な音響効果と、字幕が印象的である。資料によるとバリアフリー字幕とある。成程。
・そして、ルーベンは耳の手術をする決断をする。が、それは彼が馴染んだ難聴者コミュニティとの別れも意味するのである。
- ルーベンが手術した後、ジョーに申し出た”少しで良いから、ここにおいてくれ”と言う言葉を哀し気に断るジョー。-
・ルーベンはフランスに戻ったルーの実家を訪れる。そこで出会ったルーの父、リチャード(フランスの名優、マチュー・アマルリック!! 個人的に嬉しい。)との会話。
”昔は君が嫌いだった・・。だが、今は違う。”
そして、一緒にツアーをしていた時とは別人の様なルーの姿。
ー ベッドで抱き合いながら、二人で流した涙。
そして、ルーベンはルーはもう自分とは違う人生を歩み始めたのだ・・、と思い、翌朝一人静に、ルーの家を後にする。
彼が、人間的に成長した事が良く分かるシーンである。
<街中に出たルーベンに聞こえて来るディストーションが掛かった街中の車の音、鐘の音、子供たちの声。
その音に耐え切れず、手術後に取付けた骨導インプラント器具を自ら外すと、そこには無音の美しき世界が広がっていた。
その際のルーベンの晴れやかな顔は忘れ難い。
どん底に叩き落とされた男が、数々の経験をし、人間としても成長を遂げ、辿り着いた境地。
彼の未来は、きっと明るく、開けている筈だ。>
<2022年11月21日 刈谷日劇にて鑑賞>
失うことの怖さ
雑音のない世界
生き方を考える
失い、向き合った日々
これは開放か破滅か
ポスターを見る限り、タイトルの「メタル」はきっと「ヘビーメタル」なのだろうな
と思い鑑賞するも、違っていた。
テーマは「依存からの解放」だと思える本作。
本当に欲しいものが手に入らないから、代替品にしがみついてしまう依存。
そんな依存のうちに迷走する主人公は、ドラッグに始まり、ほかにも生活の至る所に依存の対象が顔をのぞかせている。
その一つが音楽だったとして、
音楽を追えば追うほど「真に欲しい物」こそ手に入らない様が、
むしろすれ違いと勘違いで失われてゆく喪失感が強烈だった。
だからして最後、しがみついてきたもの全てを手放したとき訪れる安堵と平穏は救いのようにも感じられるが、
同時に、しがみついてきたものばかりで出来上がっているような主人公にとってそれは「無」を感じさせてならず、
エンドロールが流れている間、これで主人公は本当にこで救われたのか、
救われるのか、
果たしてその逆まで行き着いてしまっただけか、とても考えさせられた。
ろうの世界を体験できる音響演出が、時々自分はちゃんと聞こえているのか、
不安にさせるリアルさ。
ゆえに音楽で煽る演出はまるでないものの、
そんなことなど忘れさせるほどの濃い作品と鑑賞する。
とにかく進むしかない
その選択が最適解だったのかは、その時はわからない。
中途で聴覚障がいを受け入れざるをえない過程をリアルに描いている
障がいを負って、その障がいを負担に思い、拒み、悩み、逃れようとするのが普通。しかし多くの場合は、病気と違って治らないから障がいとされているのであり、よしんば治す手立てがあったとしても元の状態にはまず戻らない。よって心の持ち方からはじめて、心身共に健やかな生活を送るには、障がいを受け入れる必要がある。障がいがあっても、自分で自分を幸せだと思える生活はできるのだと。「障がいは不便ではあるけれど不幸ではない」
しかし、簡単なことではない。映画はそこを描いている。できなくなること、失うものは覚悟しなければならない。それまでの積み重ねたものを一切破棄するこを強いられたりもする。そんなことをしてまで、その先の人生に意味はあるだろうか、と思い悩む。しかし、それしか道のないことをやがていやおうなしに悟る。
障がいには先天のものと中途のものがある。この軌道修正は中途の場合に強いられる。また聴覚障がいの場合、障がい者の人数が多いため、聴こえない社会、聴こえない文化というものができあがっていて、健常者の世界と隣り合わせに存在している。手話はその地の国語に依存しているが、言語が違えば文化は多少異なってくる。つまり、新たな人生のはじまりであり、生まれ変わることを強いられる。映画はそれを描ききっている。
トレーラーに住んで各地でドラムを叩く暮らしが、個人的にはそれほど魅力を感じなかったので、主人公ルーベンの悩みについていけなかった面はあるけど、本人にとっての大問題は、しょせん本人にしかわからないもの、という「孤立して闘わねばならない辛さ」はよく伝わってきた。
乗りこえたら楽になるのだろうけど、障がい以前の幸せが、大きければ大きいほど足をひっぱりそうである。戻りたかった暮らしがもう戻れそうにない感じに壊れていった点が、ルーベンには救いであったかもしれない。ときに絶望は、つぎの希望を導きもする。ルーベンは強引に障がいを打ち消そうともがいたが、前を向くことだけは外さなかった。だから最後の最後、絶望の向こう側に足を踏み入れることができた。よい終わり方だっと思う。
さすがアカデミー賞の音響賞・編集賞受賞作品。
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