サウンド・オブ・メタル 聞こえるということのレビュー・感想・評価
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失い、向き合った日々
煩悶した過去から、再びの喪失感。抗い、優しさに触れ、生き方を問うた。鋼鉄のサウンドが生き甲斐の男は、不快なノイズは新生のハンデではなく、弱さの、その脱却の鍵とした。エンディングで見せた眼差しに、後の彼の生き方を思う。再びドラムセットに向き合うはずだ。
これは開放か破滅か
ポスターを見る限り、タイトルの「メタル」はきっと「ヘビーメタル」なのだろうな
と思い鑑賞するも、違っていた。
テーマは「依存からの解放」だと思える本作。
本当に欲しいものが手に入らないから、代替品にしがみついてしまう依存。
そんな依存のうちに迷走する主人公は、ドラッグに始まり、ほかにも生活の至る所に依存の対象が顔をのぞかせている。
その一つが音楽だったとして、
音楽を追えば追うほど「真に欲しい物」こそ手に入らない様が、
むしろすれ違いと勘違いで失われてゆく喪失感が強烈だった。
だからして最後、しがみついてきたもの全てを手放したとき訪れる安堵と平穏は救いのようにも感じられるが、
同時に、しがみついてきたものばかりで出来上がっているような主人公にとってそれは「無」を感じさせてならず、
エンドロールが流れている間、これで主人公は本当にこで救われたのか、
救われるのか、
果たしてその逆まで行き着いてしまっただけか、とても考えさせられた。
ろうの世界を体験できる音響演出が、時々自分はちゃんと聞こえているのか、
不安にさせるリアルさ。
ゆえに音楽で煽る演出はまるでないものの、
そんなことなど忘れさせるほどの濃い作品と鑑賞する。
とにかく進むしかない
見終えて劇場から出てきて、パートナーは「諦めちゃったのかな」とつぶやき、私は「いるべき場所がわかったんじゃないかな」と互いに感想を交換しました。
見る人によってエンディングをどう捉えるか様々で良いと思います。
置かれた境遇を悲観するでもなく、それはそれでの道も見えているような、心に残る作品でした。
ただ、無音の時が長い分、他の人の携帯のバイブ音やバッグを開け閉めするガサガサ音などが妙に耳障りで、集中をそがれる場面もありました。
生きていれば目にする・耳にするものばかりが幸せとは限らないんだよな〜と思わされました。
急に仏門に入れと言われても困る
聴力を突然失ってしまったバンドマンの話。
心理が繊細に描写されている良作。
良い点
・演技
・雑音感がリアル
・タイトル
悪い点
・日中に急に聞こえなくなるのか?
・絵はダメ
・お金が曖昧
その選択が最適解だったのかは、その時はわからない。
当たり前にできていたことが、突如できなくなる。
当たり前に備わっていたはずの身体感覚がなくなる。
冷静に考えたら、誰にでもあり得る話なのに
普通は、そんなことが起こるとは考えずに生きている。
ただ現実に、当たり前だった日常が壊れた時
冷静な判断ができる人間はいないだろう
そして、時間をかけて最善だと、最適だと考えて出した答えが
自分を良い方向に導いてくれる保証はどこにもない。
その、自分の判断に裏切られた時
人は立ち直れるのだろうか。
その答えは作品中では明かされないけど
そこがまた良い。
生き続ける限り、その選択も
自分の置かれた状況も、時間がかかっても
受け入れていかなくてはならないのかもしれない。
中途で聴覚障がいを受け入れざるをえない過程をリアルに描いている
障がいを負って、その障がいを負担に思い、拒み、悩み、逃れようとするのが普通。しかし多くの場合は、病気と違って治らないから障がいとされているのであり、よしんば治す手立てがあったとしても元の状態にはまず戻らない。よって心の持ち方からはじめて、心身共に健やかな生活を送るには、障がいを受け入れる必要がある。障がいがあっても、自分で自分を幸せだと思える生活はできるのだと。「障がいは不便ではあるけれど不幸ではない」
しかし、簡単なことではない。映画はそこを描いている。できなくなること、失うものは覚悟しなければならない。それまでの積み重ねたものを一切破棄するこを強いられたりもする。そんなことをしてまで、その先の人生に意味はあるだろうか、と思い悩む。しかし、それしか道のないことをやがていやおうなしに悟る。
障がいには先天のものと中途のものがある。この軌道修正は中途の場合に強いられる。また聴覚障がいの場合、障がい者の人数が多いため、聴こえない社会、聴こえない文化というものができあがっていて、健常者の世界と隣り合わせに存在している。手話はその地の国語に依存しているが、言語が違えば文化は多少異なってくる。つまり、新たな人生のはじまりであり、生まれ変わることを強いられる。映画はそれを描ききっている。
トレーラーに住んで各地でドラムを叩く暮らしが、個人的にはそれほど魅力を感じなかったので、主人公ルーベンの悩みについていけなかった面はあるけど、本人にとっての大問題は、しょせん本人にしかわからないもの、という「孤立して闘わねばならない辛さ」はよく伝わってきた。
乗りこえたら楽になるのだろうけど、障がい以前の幸せが、大きければ大きいほど足をひっぱりそうである。戻りたかった暮らしがもう戻れそうにない感じに壊れていった点が、ルーベンには救いであったかもしれない。ときに絶望は、つぎの希望を導きもする。ルーベンは強引に障がいを打ち消そうともがいたが、前を向くことだけは外さなかった。だから最後の最後、絶望の向こう側に足を踏み入れることができた。よい終わり方だっと思う。
さすがアカデミー賞の音響賞・編集賞受賞作品。
音楽業界の会社に勤める身としては遠い世界でもない話。音が聞こえる世界、聞こえづらい世界、聞こえない世界、聞こえ方が違う世界の体験が新鮮だった。何かの答えや明確な希望を示すような作品ではないが、リズ・アーメッドの眼に引き込まれた。
何が聞こえるのか、が大切
見終わってわかった、ポスターの写真は術後のものだった。とにかく聞こえるようにさえなれば、愛する彼女とまた幸せな日々を取り戻せるはず・・・全てを手放して手術を受けた結果、もう元には戻れないことを悟る。不快な歪みを帯びた響きと共に。
音を失ったらそれまでの人生全てを諦める覚悟をしなければ、平安に生きられないと言っているようで、あまりに悲しく惨いと思ってしまった。せめて、愛する人の側で安らげたら良かったのに。静寂を受け入れる事だけが新たな生き方、というのではなく、現実と向き合いながらもポジティブにもがく、というのもありであって欲しい、と私は思う。
希望と絶望、これからどうやって生きていくのか、静寂のなかでなにかを見つめる姿に胸が痛む。
解釈の仕方
あるミュージシャンが聴力を失い、ろう者として生きることを迫られるのだが、その失望から外科手術によって聴力を回復しようと試みる。しかしもともと聞こえていた音とは異質なものしか聴こえなくなっていた。彼はこれからどう生きていくのか。
彼は音楽活動のパートナーである女性から、「ろう者」に言葉以外の手段でコミュニケーションをとったり、現実を受け止め互いにいたわり合うことを学ぶプログラムを受けることを勧められる。様々な葛藤を経て、施設の仲間との生活に馴染んではいくのだが、音楽への思いを断ち切ることができなかった。
聴力を失っていく過程をどう描くのかという点がこの映画の見どころである。特に主人公の音の聴こえ方を音響的にどう表すか。当事者の聴こえ方を正確に表現することは無理なことだから、イメージの世界になるのだが、映画的に言えば「不安」を音で表現するということではないだろうか。そういう観点では、うまく作られていると思う。単に音が小さくなっていくのではなく、不規則な金属的な雑音が混じりこんでくる。不安であり、不快である。
この映画をどう受け止めればいいのだろうか。素直に捉えればミュージシャンにとって音を失うということがどれほど重大なことかを伝えている。そこから延長すると、人間は自分にとって大事なものを失うリスクを抱えて生きており、それは突然現実化する。また、それは自責によるものとは限らず、他責によったり、単なる偶然であったり、運命的なものであったりする。そういうことの表現とも解釈できる。さらに考えを広げると、人間は皆、生きる過程で大なり小なり心身のハンデを抱えており、環境に脅かされているのであり、そういうものとして見た場合、人種やその他の区別を乗り越えて共感し、理解し合えることができるのだというメッセージとしても受け取れるのである。アメリカは分断社会であり、それは益々深刻化している。アメリカの映画人はその危機感を背負っている。私としてはそこまで拡大して解釈したい。
障害受容というテーマ
聴覚障がいは、後天性であることが多いと聞いたことがあります。
聞こえていた人が、聞こえない世界に入る。いったい、どのような世界なんでしょう?
聞こえ方も、千差万別ではないかと思います。
突然、聞こえなくなる、聞こえにくくなる、不安でしかないでしょう。
そんな心の機微が、描かれていると思いました。
「治る」ではないと理解が進んでいる人と、「治すことに期待」する初期段階の人。そこにも格差があるように感じました。
繊細な音の表現
主人公のルーベンは恋人のルーと共にバンドを組みトレーラーハウスでアメリカ各地を移動しながらライブに明け暮れる日々を送っている。
しかし、ある日突発性難聴を患い、ほとんど耳が聞こえなくなってしまう。自暴自棄に陥るルーベンをルーは世間から隔絶された、聴覚障がい者の支援コミュニティーに入ることを提案。これまでとは全く違う環境で、ルーベンは自らの人生を前に向けるため、ある決断をする…。
まさに音に導かれる120分間だ。
冒頭のメタル演奏のシーンから観客はルーベンが感じ取っている音の世界に一気に包み込まれる。
爆音の中、ルーとの息の合ったセッションからは逃れることができず、片時も目が離せない。
しかし、それは突然やってくる。
突如耳鳴りがしたかと思えば、そこからはジェットコースターを降るかのように音を失っていく。
今作はその『音』に深く重点を当てている。繊細な音の表現が難聴の疑似体験かの如く観客を魅了していく。
シネマート新宿さんのブーストサウンドの重低音が身体の奥の奥まで響いたかと思えば、細かな自然の音は優しく耳を撫でる。まさに極上の音像体験だ。
ろう者の支援コミュニティでのやり取りも骨太だ。彼らは『耳が聞こえない』というハンディキャップをひとつの経験として捉えている。つまり、ハンディキャップではないのだ。『耳が聞こえない?だからなんだ?』と言わんばかりの強いメッセージ性には胸が熱くなる。
また、手話のできないルーベンと被せて、敢えて手話に字幕を入れない演出はとても粋だ。
耳が聞こえなくなり、自暴自棄になった主人公が前を向き、少しずつ再生していく様子を描く本作。突如として自分の身に降りかかった現実を受け止めることの難しさや困難さは、"明日は我が身"という言葉がある通り、映画を観ている私たちも120分間疑似体験することができる。喪ったものを数えるのではなく、いま自分にできることを見つめ、まさしく五体満足の私たちが、今日、明日やれることを考えると、日々はより輝いていくのではないでしょうか。
音映画
昔はロック系のライブに行くと、必ず難聴になり1日〜2日耳がキーンとなっていたことを思いだした
今は歌手が耳にイヤモニをしているのでだいぶ状況は変わっているのだろう
難聴の世界を音響とドキュメンタリー調の映像で見せているので、主人公に同化しやすい
難聴を克服する映画ではなく、音がない世界をいかに生きていくのかという人生ドラマとなっている
スマホがあれば確かに便利だが、なくても生きてはいけるのだ
未だ完治は難しい。。。
人の五感って凄く繊細で1度ダメージを負うと100%元に戻すのって難しいんじゃないかな。。受け入れながらいかに共生していくか、事によってはなかなか簡単では無いだろうけど。。
1つ感覚を削がれてより気付が大きくなって癖に気付いてしまったシーンは良かった。
日本語字幕の内容、タイミング、配置、書体に、関心!
メタル音・・
ミュージシャンとしての音
街に氾濫する音
対する
自然が生み出す、様々な音
ろうあ者の子供に伝えた"すべり台"の音
表現、コミュニケーションの手段としての音
音の無いもの同士にとっての音
深く複雑なテーマでした。
画期的な主人公の表現
聴覚を失った苦悩、葛藤、気持ちの乱れなどが
痛々しく、切なく、たまらなく心が苦しかったです。
「サウンド・オブ・メタル」の意味が
メタルサウンドを演奏していた主人公の意味と
インプラント手術をした後の金属的な音の聴こえ方の意味、
ふたつを表現していたんですね。 これがまた切ない。
リズ・アーメッドはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされましたが、
残念ながら「ファーザー」のアンソニー・ホプキンスが受賞しました。
奇しくもこの主人公ふたりは、今までの映画ではなかった
認知症患者からの視点、そして聴覚障がい者の聴こえ方を表現するという
画期的な主人公ふたりだったんですね。
ラストシーンが凄く印象的でした。
【映画のタイトル】
この作品は、観終わった後に、タイトルの意味を再考することになる。
ルーの助力のかいあって、薬物依存から脱したルーベンが、今度は、聴覚障害に陥り、ルーの助言や、施設のスタッフなどの協力もあってだが、絶望から立ち直っていく姿に胸が熱くなる。
演出も、観る側に、聴覚障害者の感覚を知らしめるようにしていて胸が苦しくなる。
前に、人間の耳は非常に微妙な調整を知らず知らずのうちに行っているという、人体の不思議をテーマにしたテレビ番組を観たことがあった。
騒音の程度にもよるが、聞きたいものを優先して聞くことが出来るような調整を行っているという話を含んでいた。
ただ、これは、聴覚という耳に関するところではなくて、聴覚をつかさどる脳の機能がそうさせているということだったように思う。
仕事に集中して、周りの音が気にならなくなるのも、そのうちの一つかもしれない。
(以下ネタバレ)
この作品は、ルーベンが立ち直る姿に心が打たれるが、個人的に衝撃だったのが、ルーベンがインプラント装着後に聞こえる音の感じた、金属音の集合体のようだったことだ。
この映画のタイトルは、実は、このことだったのではないかと考えた。
技術が進歩し、改善されると、こうしたことは解消されるのか、インプラント装着後に医師が、数週間で慣れると言っていたと思うが、時間が解決することができるのか、多少なりとも、ずっと金属音的な感覚は残るのか分からないけれども、聴覚障害の人は、こうしたことでも悩みを抱えるのだと認識させられた。
この作品は、敢えて、こうあるべきだとか、これだという答えを示してはいない。
その代わり、当事者が、様々な葛藤の末、いかなるチョイスをしようと、聴力が普通である僕達にも理解し、考え、そうした選択を、なんであれ、受け入れて欲しいというメッセージなのではないかと思った。
技術が進歩すれば、人が陥りがちな、簡単に、誰もが、それを利用すれば良いじゃないか。そして、健常者のように生活すれば良いじゃないか。それが、社会の負担を減らすということだ…みたいな近視眼的考え方に一石も投じていると思うのだ。
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