「解釈の仕方」サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ ハルヒマンさんの映画レビュー(感想・評価)
解釈の仕方
あるミュージシャンが聴力を失い、ろう者として生きることを迫られるのだが、その失望から外科手術によって聴力を回復しようと試みる。しかしもともと聞こえていた音とは異質なものしか聴こえなくなっていた。彼はこれからどう生きていくのか。
彼は音楽活動のパートナーである女性から、「ろう者」に言葉以外の手段でコミュニケーションをとったり、現実を受け止め互いにいたわり合うことを学ぶプログラムを受けることを勧められる。様々な葛藤を経て、施設の仲間との生活に馴染んではいくのだが、音楽への思いを断ち切ることができなかった。
聴力を失っていく過程をどう描くのかという点がこの映画の見どころである。特に主人公の音の聴こえ方を音響的にどう表すか。当事者の聴こえ方を正確に表現することは無理なことだから、イメージの世界になるのだが、映画的に言えば「不安」を音で表現するということではないだろうか。そういう観点では、うまく作られていると思う。単に音が小さくなっていくのではなく、不規則な金属的な雑音が混じりこんでくる。不安であり、不快である。
この映画をどう受け止めればいいのだろうか。素直に捉えればミュージシャンにとって音を失うということがどれほど重大なことかを伝えている。そこから延長すると、人間は自分にとって大事なものを失うリスクを抱えて生きており、それは突然現実化する。また、それは自責によるものとは限らず、他責によったり、単なる偶然であったり、運命的なものであったりする。そういうことの表現とも解釈できる。さらに考えを広げると、人間は皆、生きる過程で大なり小なり心身のハンデを抱えており、環境に脅かされているのであり、そういうものとして見た場合、人種やその他の区別を乗り越えて共感し、理解し合えることができるのだというメッセージとしても受け取れるのである。アメリカは分断社会であり、それは益々深刻化している。アメリカの映画人はその危機感を背負っている。私としてはそこまで拡大して解釈したい。