オールド・ジョイのレビュー・感想・評価
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米国オレゴン州ポートランド。 身重の妻と暮らすマーク(ダニエル・ロ...
米国オレゴン州ポートランド。
身重の妻と暮らすマーク(ダニエル・ロンドン)は、ある日、旧友のカート(ウィル・オールダム)から電話を受ける。
「久しぶりに街に戻って来た、ついては、山岳地帯にある温泉に行かないか」と。
カートは、ヒッピーのような放浪の生活を続けていて、定職もない。
マークの妻は、「とめても、どうせ行くんでしょう」と諦めた風。
翌日、マークの車で出かけたふたり。
カーラジオからは、リベラル派を糾弾するような論争めいたものが流れている・・・
といったところからはじまり、一日で行って帰って来る予定だったが、カートの道案内が不十分でキャンプすることになり、まぁ、翌日どうにか鄙びた袈裟懸けみたいな温泉小屋に到着・・・といった具合で、物語は至ってシンプル。
ふたりのとりとめのない話題と自動車での移動、それがあるだけなのだが、横移動/前移動の画面に音楽の効果も加わり、豊穣な気分になってくる。
しかし、温泉小屋で話すカートの「悲しみは、使い古された喜びなんだ」という話は、さびしさがまとわりついており、2000年代中頃の米国の地方都市のやるせなさのようなものが感じられます。
この温泉小屋の後、映画は短いエピローグで終わるのですが、町に戻ったカートが、夜あてどなくふらつく様があることで、やるせなさが一層募りました。
1時間15分ほどの小品なれど、ケリー・ライカートの評価を高めた作品というのも頷ける一作でした。
あまり共感できず…
馴染みの親友カートが街に戻ってきて、マークはキャンプに行かないかって誘われる。妻に打診するけれど、「どうせ行くんでしょ」って辺り、身につまされた。流れゆく風景、空、山、川をじっくり映し出す。ラジオは、政治や社会の情勢を伝えている。カートが以前に行ったことがある目的地は、なかなか見つからず付近で野営する。カートの孤独、以前の二人の友情を懐かしむ気持ちが少し痛かった。もっと伝えたいのだけれど、控え目に終わらせる。マークは、夫としての役割を果たすことにプレッシャーを感じている。翌朝、ドライブインで朝食を取り、目的地への地図を手に入れ一安心。マークは、妻にしょっちゅう電話をかけなければならないシーンが、カートとマークの距離を表していた。そうなんだよね。既婚者と独身者の違いは。
目的地は、木製の鄙びた露天の温泉だった。カートは落ち着かず、一度上がったり、マークをマッサージしたり。孤独を埋めるために、もっと触れていたいのだけれどって表情に見えた。マークは、日頃の疲れを癒すのに浸っているように見えた。ここも距離感。その後は、街に戻って別れる。カートは、物足りない感じで、店の前に立っている男に小銭を渡して、夜の街を物色している。
等身大の男性2人の日常を、そのまま切り取ったような映画。日常って、こんなものだよねっていう印象が強い。カートみたいにナイーブな男性は、アメリカの女性と上手く接することができず、孤独からゲイにっていう人も多いのかもしれない。以前は、友人だったのに。そんなテーマ性を感じたが、共感できなかった。
こいつ、、、
こいつぜったいアレだな、、、ヤバいやつだな。
みたいな男友達と主人公の男2人+犬のキャンプ旅。行って帰ってくるだけ。
だけど誘ってきた友人が
そもそもパートナーが妊娠してるとゆうめちゃくちゃタイミング悪いときに誘ってくる、キャンプ行こうぜ、あ.お前の車で行っていい?、運転しない、道間違える、なんか共感できないイキったこと言ってくる、でもちょっと精神的にまいっている雰囲気もあるし悪いやつではないんだろうな、(そしてちょっと同性愛者的な問題も抱えてるのかも、主人公はその気なしとゆうか気にしてなさそう)前の日に道間違えたくせに辿りつけたらドヤってくる、犬には優しい。
とゆう危うさ満点な友達との男旅。観てるだけでこの旅のなんか胃にきそうな雰囲気にナーバス気持ちになっていく。
でも自然の中走る車や、森の中を歩く2人と1匹の姿は美しい。それなりに人生煮詰まった30代の男達の深くない語らいとゆうか、
そこまで仲良くないけど、まぁ会ったら楽しいかなぐらいの気持ちで行ったら微妙に楽しくなくって気まずい感じが映画に詰まってて非常に気まずい。主人公がまぁまぁ平気そうなのがすごい(こうゆう人いるよね)
でもオールド・ジョイの題名に関わる
今の悲しみは使い古された喜びってゆう言葉は、彼の切実な悲しさを表してて、彼に新しい喜びが訪れることを願ってしまう。でもお前とはもう旅には行きたくない。
ただ彼の抱える不安や不幸は、今のわたしたちにとって
リアルで切実なものな気がして。
”普通“であることになじめなかったり、いい大人になっているのに何も持っていないことの不安感、他人との比較や、このまま老いたらどうなってしまうのか。
考えると胸が苦しくなってくる。見終わったあとも何度も思い出してしまう。素晴らしい映画。
配信で鑑賞
孤独だがひとりではないことの大切さ
ケリーライカート監督の、空が好きだ
音楽はOther Musicに出てきたYo La Tango
ざらっとした街の風景も山もよい。
都会も山も同じ。都会に木を植え山にゴミを持ち込む。
悲しみは使い古した悦び。
政府は繁栄と言わず回復という言葉を使う。
互いに距離感をそれぞれに感じ、お互いに友情というかつてあった古い感情と、自分たちの現実に基づくストレスを感じながら、車で目的の温泉をさがす。
仕事もあり、地域貢献として、妻と生まれてくる子どももいる男マークと、ソレらを何も持たないが束縛されることを嫌う男カートの、たがいにそれぞれフラストレーションがあるなか、秘湯を探して小さな、二日間の旅に出る。
なかなか見つからない目的の温泉
広い山、森の中の、ゴミが投棄されたところにキャンプし夜をあかす。自分の世界観宇宙観物理を直感的に語るカート。危うい毎日をサバイブしているようだが、カートは、マークの車で行こうと言えるし、外に寝るのは慣れてて大丈夫なんだけど君のテントで寝てもいいかな、と言える。マークにリーチアウトすることができる。孤独だがひとりぼっちではない。カートは何も持たない自由があるが何も持たない社会的地位がないことでストレスと大きな不安、物理的な困窮を抱えている。
マークは問題ない人生を送っている、優しい、温厚な男だが夫、父親、コミュニティリーダーをやることに満足感責任感とともにストレスも感じているようだ。
16歳の頃の大昔のようだ、と言う。16歳の頃に戻ることはできない、2人の距離がはなれてしまっている。マークは温泉でカートにマッサージをされ、大きく戸惑いながらも、やがて癒される。ここがターニングポイント、というか、とても微妙で良いシーン。山の中の静寂、水の音、無心の2人の表情。
カートがマークのストレスをわずかに癒し父親になる勇気を与えただろうか、またカートが自分のかすかな存在を魂を込めて確かめるような、ぎりぎり、どきどきするシーンだった。マークはパートナーも居てやがて父親になる、共同体でもポジションがある、社会に居場所があるが孤独だ。
電話をかけ人に会いリーチアウトする。なけなしの小銭を乞われるままに渡す。
彼は自分であり自分は彼である。
人は自分であり他者である。
そんなことを考えた。
仲良しでもない理解しあってもないし親友でもない、みんなひとりぼっち、友情とかなんとかそんなの糞食らえだと思うけどリーチアウトできるということはとても大切。
分離恐怖症。犬のルーシーのことではなくみんなそうだと思う。ルーシーが旅の間ずっとカートに寄り添うのも良い。
冒頭のマークの妻のイライラも、真実をついていて女性は共感すると思う。
とてもよい作品。
とてもよかった
おじさんが二人で山に一泊旅行をして温泉につかって帰ってくるだけ。独身のおじさんは2回大麻でラリって話が止まらなくなる。その話がけっこう面白い。本当に大麻を吸って話しているのを撮っていたのではないだろうか。窮屈な幸福と寂しい自由が対比されている。お風呂につかる前に体を流さないのが気になるのだが、外国の人に日本の習慣を押し付けてもしかたがない。
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