劇場公開日 2021年7月17日

  • 予告編を見る

「オチた天使」ミークス・カットオフ かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0オチた天使

2023年11月4日
Androidアプリから投稿

えっ~ここで終わるのマジで....起承転結を映画シナリオの基本とするならば、ケリー・ライカートの作品は常に“結”がすっぽりと抜けて落ちている。それゆえ、観客は映画の中に放り出されたままふわふわといつまでも漂流しているような錯覚に襲われるのである。

何事もきっちりおさまりがついていないと気がすまない几帳面な観客の皆さんはなんとも言えない不安に苛まれ、私のような万事いい加減な人間は他にたとえようもない癒しを覚えられるのである。幌馬車隊からはぐれた3組の家族が、ミークという男のガイドに案内され、水を求めて荒野をひたすらさ迷う脈絡のないストーリー。

そこのどこが“癒し”かって?途中で現れた英語を全くしゃべれないネイティブが現地言葉(もちろん字幕はつかない)で唄い、立て付けの悪い幌馬車の車輪がキコキコときしみ、荷台に積まれた鍋が時折カランコロンと乾いた音をたてる時、あなたの脳波はβ波→σ波に変調し心地よい眠りへと導かれることだろう。それじゃ寝落ちしてんのと変わらないじゃん?

そう、その心地よさこそがライカート作品最大の魅力なのだが、この人今やフェミニズム監督としても大注目の女流監督さんなのである。フェミニスト女優ミシェル・ウィリアムズが彼女の作品に出演するために直談判したというのは有名な話。ミーク→マチズモvsテローズ夫人(ウィリアムズ)→フェミニズムのメタファーとして観れば、がぜん深みをます作品でもあるのだ。

映画タイトルの“cut off”には、近道や分かれ道という以外に“どん詰まり”という意味もあるらしく、知識を武器にここまで優位性を築いてきた男性と、柔軟な感性を楯に新世界確立を目指す女性との対立で、にっちもさっちもいかなくなっている“どん詰まり”状態のアメリカのアレゴリーにもなっているのである。じゃあ、あの得体のしれないネイティブはというと....

映画冒頭に少年が読み上げる『創世記』がその答えのヒントになっている気がする。聖書によれば、知恵の実を食べ神と同じ善悪の知識を得たことによって、人間は原罪を背負う羽目になったとされている。ならば、白人の皆さんが考えるような善も悪もないあのネイティブは、知恵の実を食べる以前の原始の人間の姿、もしくはそれを超越した〈何か〉が投影されていたのではないだろうか。

荒野の中に生えていた一本の木は、テローズたち一向を水場へと導く道標だったのか。それとも、その実を食べることによって永遠の命を授かることができるという“生命の樹”だったのだろうか。後者の方だとするならばあのネイティブ、神が“生命の樹”を守るためにつかわしたという智天使ケルビムだったのではないだろうか。オチてないようでしっかりオチていた、ライカートらしからぬ1本なのである。

コメントする
かなり悪いオヤジ