浅草キッドのレビュー・感想・評価
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大御所にもやっぱりこういう時代があったんだなぁとしみじみ
鈴木保奈美が男
大泉洋熱演
演技よし、演出よし、構成よし
そもそも感情移入が出来る演技であり、素晴らしい演技であることを前提として、大泉洋さんの演技からは
「深見さんがどのような感情なのか」について、こちら(見ている側)から推し量った、想像通りの演技だけでなく、演技からその感情を滲み出させるような演技
があり、
ところどころ演出として「やってる」ように思わせかねない演出があるものの、全体を包み込む雰囲気や大泉洋さんの人柄などによって、それがレトロ感に落とし込まれており、コミカルでとても見やすい映画になっていた。
メモ
ビートたけしが描く、『浅草キッド』を作っているため、(ここからは推察だが)師匠の部分には監督の「自死ではないのか」という疑問を感じた。
Creepy Nutsの2人の演技が浮いている。「現代」っぽさがあり、逆説的にこの映画に通底する「古き良き」を感じる。
最後の笑い合うシーンは、ビートたけしはもっと偏屈に笑ったほうが好き
笑われるんじゃない、笑わせんだよ
滲みでる「北野武愛」
芸の世界で天下を取った男。その「ひょっとするとひょっとする」才能を育て上げた幻の浅草芸人。最近ではめっきり聞かなくなった芸の世界での師弟関係が熱く描かれる。
タケシを演じる柳楽優弥は、憑依芸とすら思えるほどに北野武。演技なのかモノマネなのか…と、そのギリギリのラインの台詞回しに若干の毛恥ずかしさは感じるが、そのイタコっぷりが逆に深見千三郎という人間の「芸人」としての凄味を彩る。
「笑われるな、笑わせろ」
「芸人だったらいつでもボケろ」
自分の信じる道で、ひたすら真剣に人を笑わせる浅草の師匠の姿は只々格好良く、その背中をしっかりと追う弟子のタップステップが胸を打つ。
そんな師弟の愛はもちろんのこと、やれるかどうかギリギリの関係性を演じた門脇麦も流石。そして何より、自らの「北野武愛」を描き切った劇団ひとり監督に拍手。原作を愛する第三者がしっかりと描き、巨匠本人が本作に立ち入らなかったからこそ「浅草キッド」がエンターテイメントとして成立したのだと思う。
あとは主題歌「浅草キッド」の早期アナログレコード再販と、本作の映画館上映を祈るばかり。
力をもらった
劇団ひとりの愛が優しさに化ける空気、新年1発目から滝のように泣いた、、
ビートたけしの半生ではなく、彼の血となり骨となった師匠から浴びた「生き様」をありありと魅せられた気がした。劇団ひとりの愛と暖かさが涙になって止まらなかった。
もともと劇団ひとりの『青天の霹靂』を観たとき、もう涙が止まらなくて「この人の作品は、なんて人柄で心を突き動かすのか…」と衝撃を受けた。だから、正直周りの評判を聞いて、これ絶対泣くやつ、とは思っていた。だが、その何倍も泣いた…。その理由はやはりビートたけしの凄みも去ることながら、師匠と共に磨かれた「天才の片鱗」が透けることが大きい。栄光と影…変わりゆく時代。最後まで舞台芸人で居続けようとした師匠と、天才・たけしがそう在る為に選んだ、テレビというフィールド。その対比の中に変わらない人の関係性が心を強く打つ。
熱心に研究し、モノマネにならないように意識されたビートたけしは柳楽優弥にしか出せない香り。その一方、舞台一本が故に資料もほぼ残っていなかったという深見千三郎は、大泉洋のユーモアによって色づいている。そして何より門脇麦。ドラマ「火花」然り、彼女がミューズになることにただならぬ安らぎを覚える。バレエ経験からくる堪能なダンスにほれぼれ…。しかも、香る程度の役回りだから何ともニクい。あと、『青天の霹靂』に出ていた風間杜夫が出てきたときは凄く嬉しかった。思わず声が出るほど。笑
舞台からテレビに変わったあの頃のように、テレビがメディアの第一線ではなくなる日も近い。それをNETFLIXのコンテンツでやるのだから、そこはなんとも皮肉の効いた話。だが、こうしていつかテレビも懐かしくなる日が来るような気もする。だからこそ、師匠のように最後まで全うする人もいれば、自分の生き様が表現できる場を生き続けるたけしのような人もいる。そしてそこにはきっと、脈々と受け継がれているものがあるのだと思う。なぜなら、「笑わせる人」芸人の本質は変わらないのだから。
情報7daysニュースキャスターでビートたけしはこの作品を「感動したけど、やっぱドラマだよね」と評していた。「こんなものじゃない、もっと酷いこともあった」と。彼はどんな世界を見てきたのだろうか。改めて凄みを感じると共に、死に物狂いで追えば叶うと信じきってみる事がいかに難しくてカッコいいかに気づいた。いい映画で2022年を初められてホントに良かった。
とんでもないものを観てしまった
笑われるんじゃねぇぞ、笑わせるんだ
客になんぞ媚びることなく崇高に、芸人として生きることを誇りとした深見師匠。
原作も未読でマルチに活躍される今のたけしさんしか知らなかったので、こんなお師匠がいらっしゃったなんて初めて知りました。
影響力のあった、今は亡き方を演じるって本当に重圧なのだろうと思うけど、まだまだ現役で活躍する方を自分が演じるって重圧どころじゃないと思う。
それなのに大泉さんと柳楽さん、もうご本人ですかという演技。天晴れとしか言いようがない。特に現在のたけしさん役を柳楽さんがやっていらっしゃるというのは後から知り、ハァァ!と思わず言ってしまいました。どうりでご本人の名前がクレジットされないわけです。お陰で2時間があっという間に過ぎるくらい没入してしまいました。
配役、脚本、主題歌など全てがプラスに働いたのは劇団ひとりさんの監督としての素質とたけしさん愛あってのことかもしれない。でなければこんなに心動かされてないです。
でも不思議と鑑賞後はずるずる引きずらないさっぱりとした感覚なのはなんでしょう、今も芸に生きるたけしさんを描いてるのに湿っぽくなってどうする、というようなひとりさんの芸人魂を勝手に感じてしまいました。
浅草キッドと主題歌聴きながら原作読んでみようかな。
映画館で公開せよそれが筋だろ?
映画館で予告をやっているくせに映画館では観ることができないなんてそれでも映画だというのか?フィルムで撮影しなくなってサイズもほぼ同じになった今日における映画の定義とは24pであるかどうかだけなの?
評判どおりすごく良く出来ているし浅草の東洋館(フランス座)には少し思い出があり門脇麦と柳楽優弥の別れの場面にはやられたけれどストリップなのに裸を出せないジレンマは決定的にマイナスであまりに優等生過ぎて視聴中に2度も宅配のピンポンに中断されたこともあり映画館の暗闇にこだわっている自分としてはやるせない。同じテーマで「浅草キッド」を主題歌に戴いた「火花」の方が総合点では負けても何カ所かにぐっとくる映画的感動があって10倍好きである。
マーチン・スコセッシが「アイリッシュマン」を撮った時もなんでNETFLIXなの裏切者と警戒したが今度はいよいよとどめを刺しに来ている。映画館をつぶしてはいけないでしょお得意のドラマと映画で棲み分けすれば良いではないか、暗闇に一定時間拘束されるでかいスクリーンが絶対に必要なのである。
エンドロールもお洒落
劇場の良さ
笑いでつながる師弟愛
主題歌桑田さんだったら絶対良い映画説。
ビートたけしさんが駆け出しの頃過ごした浅草フランス座で出会った師匠との絆の話。
前半は夢追い青年タケシの成功物語が始まるように見せてるけど、割と最初から切ない。タップダンスを練習するタケシと既に完璧にかっこいい千晴のダンスが同時に見せられるように、タケシはフランス座に来た時まだまだこれから上がっていくひよっこだけど、フランス座の人達はその時が絶頂あるいは絶頂を超えてしまった人達。
そしてタケシが売れるにつれ視点は師匠に移り、苦しい生活を見せられる。この「平家物語」から続く日本人が大好きな栄枯衰退みたいな話ってよくあるっちゃあるんだけど、これが実話なのが凄い(いや平家物語も歴史だから実話っちゃ実話か)。師匠の最期も劇的で、まさに"面白い死に方"だった。
人の栄枯盛衰だけじゃなくて、舞台からテレビへと移る時代に取り残されていく演舞場の要素も盛り込まれていて、その話をテレビより配信と言われるこの時代Netflixオリジナルで配信してるってのがまた皮肉。そしてツービートがテレビで使えるネタにしろと言われるシーンがあるけれど、テレビで出来ないことをやるのが今はNetflixっていう。
もちろん舞台には舞台の良さがあると思うけど、テレビには出てなかったので師匠こと深見千三郎さんの映像がほとんどないのが残念。後世にその人を伝えられるのがやっぱりテレビとか配信の良いとこ。
あとは冒頭タケシの顔がドアップで写って本当のビートたけしか思うほどリアルな特殊メイクだったけど、やっぱり動いてると結構不自然だったな(笑)『ウィンストン・チャーチル』にはまだ及ばないか。個人的にまだ生きてる人だからここまで寄せなくて良いのではと思うんだけど。私的にめちゃくちゃ似せる必要があるのって既に亡くなってる人のイメージ。
完璧な布陣に劇団ひとりの”たけし”愛
名作の風貌
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