「「笑われる」のではなく、「笑わせる」」浅草キッド Haruさんの映画レビュー(感想・評価)
「笑われる」のではなく、「笑わせる」
新年1発目にふさわしい、人情味あふれるヒューマンドラマだった。
舞台は、昭和40年代の浅草。浅草フランス座のエレベーターボーイをしていた主人公のタケシが、師匠・深見と出会うことから始まる。深見に芸の神髄を叩き込まれながら、笑いに磨きをかけていくタケシ。しかし、テレビの普及とともに、フランス座の経営が悪化。タケシも深見の反対を押し切ってフランス座から去り、テレビの世界で人気を獲得していく。
ステージにしがみつく師匠と、テレビで人気を得るタケシの対比が面白い。人を笑わせるという点では、同じ方向を向いているのに。特に、タケシの葛藤は痛いほどに伝わる。フランス座では、笑いや歌は二の次で、客のメインは踊り子のパフォーマンス。歌手志望の踊り子・千春が歌っている途中で、下品な歓声があったことに、タケシは違和感を持ったと思う。自分がやりたい芸の見せ場は、果たしてここなのか?と。だけど、師匠についていきたいという思いもあった。この一連の葛藤は、とても見応えがあった。
テレビで人気者になるタケシに対して、深見は落ちぶれた様子だった。しまいには、工場の同僚(まさかCreepy Nutsが出るとは!)に笑われる始末である。テレビでの芸に否定的な深見だが、弟子のタケシが漫才をやっている姿は自分の目で見ていた。深見はずっと、タケシのことを可愛がっていたし、気にかけていたのだ。再会した時の会話は、師匠と弟子の関係を表すテンポの良さだった。それだけに、深見の最期があまりにもあっけなくて、寂しいものだった。
柳楽優弥の演技力に拍手。動きから発声まで、めっちゃビートたけしだった。モノマネではなく、もはやコピーに近い。序盤に登場した現代のタケシは、一瞬本人かと見間違うほどだった。また、全体的に心情描写が上手い作品だった。人々の人情や葛藤を丁寧に描かれていたし、なによりも芸人リスペクトが強かった。本業が芸人である劇団ひとりが手掛けたというのもあるかもしれない。人に笑われるのではなく、人を笑わせる。それが、エンターテイメントの真髄といえるだろう。