ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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3時間と長い作品だけど観終わったらその理由が解った感じ。
飽きることも無く長いとも感じなかった。
人間ドラマが満載。
主要キャストの人達の過去のストーリーがかなり濃い目。
原作を読んでから鑑賞した方が良かったかもしれません。
西島秀俊さん。
安定した演技で言うこと無し。
岡田将生さん。
イマイチな感じだったけど車の中での「空巣」のトークが圧巻。
今までの彼のイメージが変わった感じ。
三浦透子さん。
一切笑わないキャラでおとなしめだけど存在感が凄かった。
煙草を吸うシーンがかっこ良いけど車内で吸うシーンが微笑ましい(笑)
彼女が演じるドライバーの「みさき」。
中学生の時から母親の都合で車を運転してたらしいけど自分が小学生の時、北海道にホームスティした先の中学生も平気で車を運転していた事を思い出す(爆)
劇中劇は今一つだったけど、その劇のセリフが映画のストーリーと被っている感じで引き込まれる。
作品のタイトルからロードームービー的な感じがしたけど全然違ってたんだけど車内の会話が多め。
まさかの長距離ドライブからの展開に引き込まれた印象。
ラストのスーパーから車に乗るシーンが素敵でした。
赤いSAABの車が欲しくなりました( ´∀`)
ドライバーとの旅の行方
1 家族を亡くし失意の演劇俳優が、地方での演劇公演をきっかけに、自己再生を図るまでを描いた人間ドラマ。
2 映画は、全編を通じ主人公と周囲の人との関係性が面白い。
先ずは脚本家の妻との関係性。変わった方法で互いの仕事を手助けする良きパ−トナ−。その一方で不貞する妻、主人公は妻の背信を知っても夫婦の破綻を恐れ素知らぬ顔。妻もバレたことがわかっている。そんな奇妙な関係。そして、妻は話があると言ったその日に急逝。主人公には失意と謎が残る。
二年後、主人公は地方公演で、演出を担う。アジア人による演劇。オ−ディションから始める長期間の遠征。そこでは、演劇の主役に抜擢した若者との関係性がスリリング。また、公演を主催する韓国人夫妻の純愛ぶりが清々しい。
3 そして、主人公専属の寡黙な女性運転手との関係が重要となる。二人が言葉を交わし、互いに身の上の一端を知る。彼女の不幸な生い立ちと運転を覚えた悲惨な経緯。彼の妻との生活や亡くした娘のこと。そして、運転手が亡き娘と同じ歳だと判り、両者の心が同調し合う。公演の実施に危機を迎えたとき、二人はある場所を目指す。そこで覆い隠していた秘密や想いをさらけ出し、二人は囚われていたこれまでの呪縛から解き放たれる。
映画は失意の淵から立ち上がり公演で熱演する主人公を写し暗転する。直後、主人公の車に乗る女性運転手の晴れやかな顔のアップで終わる。主人公と彼女が自己再生し、疑似家族としての繋がりを感じた。
4 濱口の演出は終始緩むことがない。多言語と手話による演劇の制作過程を中心に据え、主人公と周囲の人との人間関係を巧みに配置しながら、終局までの起承転結が絶妙であった。また、西島の抑えた演技と声のト−ンが作品に安定感をもたらした。
タフな3時間
カンヌで脚本賞を獲った今作。
村上春樹の短編小説の映画化ということで、少し不安なところもありながらの鑑賞。
というのも、村上春樹作品は私的嗜好に全く合わず、これまで読破出来た作品はゼロ…
まあ別に村上春樹が監督という訳ではないので、全く彼の所為ではないのだけれど、映像化されたとて、やっぱり合わなかったなぁ…
あのテンポで3時間はちと厳しい。
家福の演出手法に合わせるように、彼自身も彼と交流する運転手のみさきも、殆ど感情の起伏を出さないので、観る側は常に登場人物の心情を推し量り続けなければならず、かなり疲れた…苦笑
(スマホで残り時間を確認したいという衝動を抑えるのに苦労したのは内緒 苦笑)
それにしても、日本語、韓国語、英語、手話で会話する舞台劇って観ていて面白いのかな?
心のハードル
大切な人と向き合わないことでやり過ごし、そのうちにその人が病気や事故で亡くなったら、向き合わなかった自分が許せなくなり、後悔と喪失感に溺れて上手く息が出来なくなる。
そんな大人たちの破滅と再生とを描いている作品でした。
キャラに自分の過去~対話せず目を背けて逃げてきた相手(例えば妻や親など)の存在を重ね合わせられるならば、画面に写る美しい景色とともに没入感を得られるだろうとも思います。
見せ方が映画というより、ドキュメンタリーの手法に近い。
感情を明示するセリフが極端に少なく、長回しで「感じ取らせる」技法を多用している。
だから主人公・家福(西島秀俊)が抱える亡き妻・音への後悔、怒り、悲しみを掘り下げるという意味で、尺の長さや、風景描写、他者との関わり、ヒロインみさきや、高槻との会話が必要なのも理解はできます。
ただ、その後悔の記憶に、性行為が関わってくる話なのが心のハードルとなりました。
昨夜食べた食事の内容を話すように、妻や恋人とのセックスで何を喋り、何をしたかを他人にこと細かに語るという行為が、どうにも馴染めない。
(賞賛されたフランスでは、抵抗ないのかもしれないが)
役者兼演出家の夫と、脚本家の妻という組み合わせも、おしゃれすぎて、東京と広島の話なのに、海外での出来事に近い絵空事のようにも感じてしまった。
140分くらいに絞りつつ、みさきの持つ過去の方がリアリティあったので、こちらを軸にした物語で観たかった気もした。
今年一番の邦画になりそう
言葉にならない感動と奇抜さによる驚きが!
村上春樹の短編小説「ドライブ・マイ・カー」を濱口竜介による独特なエッセンスを加えて描いた作品。
2021年のカンヌ国際映画祭で脚本賞と独立賞を総なめにしたことでも話題になった本作。
主人公の喪失や葛藤を乗り越える話という一見王道でありふれた設定のストーリーを「多言語演劇」や小説じみた台詞の羅列等の要素で描ききった傑作でした。
この映画には2つの奇妙で奇抜な要素があります。
1つめは小説じみたストーリーを語る台詞の羅列です。
序盤で霧島れいか演じる主人公の妻が行為の後に原作のドライブ・マイ・カーとは全く関係ないオリジナルの物語を語りだします。
一見本編と関係ないストーリーなので観てる最中は違和感があるものの、後にそれが非常に重要なエッセンスになっていた事が判明するので驚かされます。
2つめは「多言語演劇」です。
チェーホフの「ワーニャ叔父さん」を韓国人や台湾人等と共に多言語で行うという奇抜な劇を主人公は演出しました。
その「何度も行って本読み」を行うことによって言語の違う人同士から言葉にはならない特別な感動が生まれるのだと思います。
それが、言葉が通じ合わない人や言葉がわからない人とでも、やり方を練れば通じあえるものがあると感じざるを得ませんでした。
そして、関係ないように感じる「ワーニャ叔父さん」の物語も劇中の主人公の抱えている問題や心の葛藤に上手くマッチングしていて、実在の演劇とオリジナルのストーリーのブレンドが非常に上手いと感心しました。
その「何度も行う本読み」ですが、監督の濱口竜介は、撮影入る前に棒読みのままひたすら本読みを行って台詞を体に染み込ませて現場で初めて感情を入れるという独特な演技指導術を行うそうです。
それを今回インタビューで初めて知りました。
そのメソッドが本作では直接映画シーンに入れていて、それが「ワーニャ叔父さん」の多言語劇だったり、役者陣の素晴らしい演技に映えていました。
岡田将生のあの車の中の演技ってまさにこれが無ければどんな名俳優でも出来ないことでしょう!
岡田将生の実力だけじゃなくて濱口竜介の凄さを思い知りました。
また、西島秀俊や三浦透子の演技は言うまでもなく、韓国手話で演技する女優を演じたパク・ユリムさんの演技も非常に引き込ました。
僕は時折、映画というのはストーリー、演技、演出、エッセンス、映像、音、それらが組み合わさることで初めて生まれる総合芸術だなと思うことがあります。
この映画を観て久々にそれを思い出させてくれた気がします。
映画の可能性は無限ですね。
そして、上映時間が179分という近年の100館規模以上の日本映画ではかなり異例の長さですが、西島秀俊演じる家福の心の葛藤を取り除くために必要な長さとして確実に必要だったと思います。
3時間という長旅でしたが、非常に有意義な3時間でした!
ストーリーが展開されていくたびにどんどん引き込まれて釘付けになったし、最後は涙もしてしまう作品です。
大傑作!必見です!
愛の奇跡
見応えがある3時間でした。
どうも冒頭からいきなりの似非ロマンポルノ風というか形而上的ポルノというかは、度肝を抜かれましたが見事なまでに主人公の心の空洞を表す展開でした。
濱口監督は脚本担当の映画はたくさん観ているのですが、本人監督作は多分初見です。新鮮味としてはオーディションの場面とか、舞台のけいこ風景等素人の好奇心をくすぐる丁寧な描き方で好感がもてました。
また映画の中の人物達がそれぞれに場面に命を吹き込んでいる躍動も感心しました。一人としておざなりの配役をしていないのは、一目瞭然で特に韓国の手話の女優さんのオーディションと舞台の最後のシーン。凝視している自分がいました(素晴らしい表現力!!)
運転手役の女優さんは、冒頭からなにか暗い背景を持っていることは想像していましたが、ラストこう来るかって演技で多分これから注目の方ですよね。
いずれにしても生きること、大事な人を喪っても残るこころの持って行き場のなさ。経験のある方にはこんな優しも厳しい表現は、これから生きる力になります。
濱口監督ありがとう。
蛇足:ところで吉田大八監督はどこの場面に出てましたか?知ってる方教えて下さい。
長くは感じず
人生を考える
他人事ではないメッセージ
妻を亡くした夫の家福。喪失感に苛まれながらも生きていく。そんな中、演劇祭の専属ドライバーみさきや妻と関係のあった高槻との交流から、自分がどうするべきだったか、目を背けてきたことに気づく…
最初の方は違和感、棒読み感もあった。村上春樹原作作品だからか分からないけど、そんな話し方するのかなあ。
でもまあ、途中で慣れた。
本作で家福が気づくことは決して他人事ではない。辛いことも目を背けて耐えるのではなく、自分と向かい合うべき。3時間弱の長尺だからこそゆっくりと深く染み込んできた。
その後の劇内容と家福の心情がリンクしたかのような瞬間は最高に胸が高まった。
ある目的のために、演劇読み合わせ時の感情を捨てた読み方が、終盤の演劇をより引き立たせていたのも良かった。
今どきめずらしいタバコがアクセント
3時間の地味な作品を長く感じさせない凄さ
正しく傷つけない男たち
単行本で約60ページほどの短編をどうやって3時間の映画に仕上げたのだろう?
そんな疑問を持ちながら映画館へ。
「ドライブ・マイ・カー」という作品は『女のいない男たち』という全部で6編の短編からなる単行本に収められていますが、映画はあと二つの短編「シェエラザード」「木野」からも素材と着想を得ていました。そして、広島での演劇祭という原作には無い設定やこれもまた原作には無いみさきの生まれ育った村へのプチロードムービー的な要素を織り込んで構成されています。
村上春樹さんのファンでなくとも、この短編集を読んだ人にとっては、かなり満足度の高い素晴らしい出来上がりだと、私は思いました。
男女関係における困難に直面した時、多くの場合、男は自分が傷付くことをおそれ、現実逃避を選ぶ。
女性の言動の理解できない部分(浮気も含めて)について、自分が納得出来る合理的な理由を求める。
本当には納得できなくても、相手が金持ちだから仕方がない、みたいに〝自分の負け〟を認められる理由が欲しい場合もあると思います。
本当は大事なことを言ってるつもりなのですが、自分の表現だと安っぽいですね。
なので、一部原作から引用します。
「木野」という短編の中に、映画で使われた部分も含めてこんな文章があります。
『おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ(中略)。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。』
映画も文学も人それぞれが好きなように受け止め、自由に想像力を働かせればいいと思ってますが、その素材というか元ネタとなる映画や小説を共有する人が多ければ多いほど嬉しいのは紛れもない事実です。
映画を観る前であろうが、観た後であろうが、ひとりでも多くの方がこの原作本を読んでいただけることを祈ってます。
※原作に出てくる車は、黄色のサーブ900コンバーティブルです。実際に調達するのが難しかったのか、何かの意図で赤いサンルーフにしたのかは不明です。
う〜ん、これは愛おしい3時間だった
舞台俳優・演出家の家福悠介と脚本家の妻・音の夫婦生活を描く第一章。
幸せかと思いきや少し複雑。
妻の浮気をやり過ごしてきた悠介。
「帰ったら話がある」と言った音がその日に逝った。
音の話を聞けなかった悠介。
早く帰っていたら救えたのではという自責の念。
二年後の広島。新たに舞台を演出することになった悠介と彼の専属ドライバーになったみさきをゆっくりじっくり描く第二章。
赤色のSAAB。
稽古場から宿までの片道1時間。
心地よいみさきのドライビング。
音が吹き込んだ台詞のカセットテープ📼
ワーニャ伯父さん。
そこに悠介とみさき、そして音がいた。
「母を殺した」というみさきの自責の念。母親の被害者だったみさきの意識の中で加害者となる瞬間を思った。
お互いの抱える傷を深く知ることとなる悠介とみさき。二人が背負った十字架は降ろせないけど何グラムか軽くなりそう。
そう、前を向いた清々しいエンディングだった。
今年の日本映画のベストの一本だろう。
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