ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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静かにゆっくりと流れていくのに、退屈せずに引き込まれていく奥深い映画でした🈵
現実世界と劇中劇を交差させながら、登場人物に秘められた内面を探りだしていくヒューマン映画かなと感じました😊
いくつも観るべき視点があるので、なかなか一度の鑑賞では理解できないですが、わからないままにもどんどん引き込まれていくところが見事だなと思いました🙆
自分なりに感じた視点を挙げるとすると
まずは、現実世界と劇中劇の関係ですかね。
劇中劇の「ワーニャ伯父さん」というのが、断片的に出てきて、どういう話なのか良くわからないんですが、何となく現実世界と共通しているところが意味深ですね😅
劇中劇を理解すれば、もっと良くわかるんだろうな…と。
二つ目は、円満な夫婦でありながら、他の男性と関係を持つ妻とそれを知りながら見過ごす夫をどう理解するかですかね😋
ここは、見る人によって見解が分かれるでしょうが、私は知らない振りをして今の関係を続けようとする夫の気持ちは何となく理解できますが…😓
三つ目は、岡田将生演じる高槻ですね😅
彼もどういう人間なのかよくわからないですが、この映画のキーマンではありますよね😋
家福の妻がどういうつもりで高槻と関係を持っていたのか、高槻が家福の妻にどういう感情を抱いていたのか、高槻とは一体何者なのか、など気になりますね😨
四つ目は、三浦透子演じるみさきの過去と家福との関係ですね😅
無愛想だったみさきに対して、ドライブを通じて徐々に変化していく家福の感情、荒れ果てたみさきの生地を見に行ったときの家福の心情、死んだ娘と同い年のみさきをどんな風に感じていたんだろう⁉️
さらに、手話をしていた韓国人俳優(イ・ユナ)もとても魅力的でよかったですし、手話の場面はジワーと心に沁みました😢
いずれにせよ、いろいろ観るべき視点も多く、とても考えさせられる感慨深い映画かなと思います😋
これらの視点を理解するためにも、もう一度観てみたいですね‼️
他人事ではないメッセージ
妻を亡くした夫の家福。喪失感に苛まれながらも生きていく。そんな中、演劇祭の専属ドライバーみさきや妻と関係のあった高槻との交流から、自分がどうするべきだったか、目を背けてきたことに気づく…
最初の方は違和感、棒読み感もあった。村上春樹原作作品だからか分からないけど、そんな話し方するのかなあ。
でもまあ、途中で慣れた。
本作で家福が気づくことは決して他人事ではない。辛いことも目を背けて耐えるのではなく、自分と向かい合うべき。3時間弱の長尺だからこそゆっくりと深く染み込んできた。
その後の劇内容と家福の心情がリンクしたかのような瞬間は最高に胸が高まった。
ある目的のために、演劇読み合わせ時の感情を捨てた読み方が、終盤の演劇をより引き立たせていたのも良かった。
今どきめずらしいタバコがアクセント
チェーホフを知らないと充分味わえないかも。
長い映画で静かに展開するが、長さを感じさせない。
脚本がいいのだろう。
赤いSAABと広島の海、島並がうつくしい。
納得して生きていくことを悟るには、チェーホフが必要?
劇中劇のセリフだけでは、物足りなかった。
1冊読了
原作があるので当たり前だが、他の原作映画以上に観賞後に一冊の小説を読み終えたような感じを覚える不思議な映画。
村上作品を意識してか、意図して文字を追っていくのと同じスピード・テンポでストーリーを進行させる演出と脚本が要因だとしたら、僭越だが相当な技術を持った監督だと思う。
物語は子供の病死からいつの間にか心底本音をぶつけて話し合う事を避けるようになり、妻の死に対し罪の意識と大きな喪失感を持った男が、生きていれば娘と同じ歳で同じように母親の死に後ろめたさを感じ続けて来た若い女性と遭い、お互いが嘘のない誠実さを認め合って行くうちにうっすらとした疑似親子のような関係性が出来上がり、心の内を露わにしていく事でそれぞれが今後の人生を前向きに考え歩んで行けるようになるという話。
主演の西島秀俊は表情の変化があまりない俳優だが本作ではそれが功を奏し、妻との関係を壊したくないが為に一切の詮索をせずに平常を保ったままでいる、ある種臆病な役柄を好演している。
妻役の霧島れいかは亡くなった妻や別れた元妻役を演じさせたら日本一だが、心を病み秘密ありげな雰囲気を上手に醸し出しており「妻は一体何が言いたかったのか」という物語の根幹部分を観ている側の頭の中にしっかりと残した。
運転手役の三浦透子は見た事があるという程度の女優さんだったが、登場時の地味な服装の寡黙な雰囲気から一転、物語終盤に自分の過去を雄弁に語り始め、ラストでは年齢相応の様子にガラリと変え、別人のように生き生きとした表情で前に進んで行くという姿勢を大きな落差を利用し観ている者に対し強く印象付けた。
運転でその人となりがわかると言うが、主人公家福がストレスのない運転をするみさきにプロ意識と人を気遣える誠実な性格を認め、みさきは年代物の車の状態などから家福のぶっきらぼうだが真面目で嘘のない性格を見抜き、お互いが徐々に距離を詰めて行く過程を時間をかけゆっくりと丁寧に描かれているのだが、今の時代にサーブ900という車の持つイメージ(赤じゃないかなとは思うが)と不思議と合っており、アクション映画以外で車が主役レベルの活躍を見せる稀有な作品だと思う。
(願わくばもっとインパネやトランクなど車内の映像が欲しかった。)
観終わった後に長距離ドライブに行きたくなってしまった。車内喫煙OKにして・・・。
村上春樹作品という事もあり観るものを選ぶ映画に入るとは思うが、大きなイベントがあるわけでもないが3時間が長く感じる事はなかったので、迷っている人には薦めたい映画である。
3時間の地味な作品を長く感じさせない凄さ
派手なことはなに一つ起こらない、個々人の内面だけを描いた作品、それがなんと3時間の尺、でもなんと長いと感じない
観る側の日常と同期する淡々としたリズムで物語が進む
そしてそういうゆったりとした日々の流れの中に、時々「なぜ自分はあのとき」って悔恨が混じるのも、観てる側と重なる話だろう
でもいつの日か、そんな自分の心の奥底のわだかまりをぶつけ合える誰かと出逢えたなら、そこから人生は変わるのかもしれない
みなでいろんな困難を分かち合って、手を携えて歩みを重ねないと、あのラストシーンは実現しない、だから彼女は微笑めたんだろう
美しくて強い作品でした
正しく傷つけない男たち
単行本で約60ページほどの短編をどうやって3時間の映画に仕上げたのだろう?
そんな疑問を持ちながら映画館へ。
「ドライブ・マイ・カー」という作品は『女のいない男たち』という全部で6編の短編からなる単行本に収められていますが、映画はあと二つの短編「シェエラザード」「木野」からも素材と着想を得ていました。そして、広島での演劇祭という原作には無い設定やこれもまた原作には無いみさきの生まれ育った村へのプチロードムービー的な要素を織り込んで構成されています。
村上春樹さんのファンでなくとも、この短編集を読んだ人にとっては、かなり満足度の高い素晴らしい出来上がりだと、私は思いました。
男女関係における困難に直面した時、多くの場合、男は自分が傷付くことをおそれ、現実逃避を選ぶ。
女性の言動の理解できない部分(浮気も含めて)について、自分が納得出来る合理的な理由を求める。
本当には納得できなくても、相手が金持ちだから仕方がない、みたいに〝自分の負け〟を認められる理由が欲しい場合もあると思います。
本当は大事なことを言ってるつもりなのですが、自分の表現だと安っぽいですね。
なので、一部原作から引用します。
「木野」という短編の中に、映画で使われた部分も含めてこんな文章があります。
『おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ(中略)。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。』
映画も文学も人それぞれが好きなように受け止め、自由に想像力を働かせればいいと思ってますが、その素材というか元ネタとなる映画や小説を共有する人が多ければ多いほど嬉しいのは紛れもない事実です。
映画を観る前であろうが、観た後であろうが、ひとりでも多くの方がこの原作本を読んでいただけることを祈ってます。
※原作に出てくる車は、黄色のサーブ900コンバーティブルです。実際に調達するのが難しかったのか、何かの意図で赤いサンルーフにしたのかは不明です。
う〜ん、これは愛おしい3時間だった
舞台俳優・演出家の家福悠介と脚本家の妻・音の夫婦生活を描く第一章。
幸せかと思いきや少し複雑。
妻の浮気をやり過ごしてきた悠介。
「帰ったら話がある」と言った音がその日に逝った。
音の話を聞けなかった悠介。
早く帰っていたら救えたのではという自責の念。
二年後の広島。新たに舞台を演出することになった悠介と彼の専属ドライバーになったみさきをゆっくりじっくり描く第二章。
赤色のSAAB。
稽古場から宿までの片道1時間。
心地よいみさきのドライビング。
音が吹き込んだ台詞のカセットテープ📼
ワーニャ伯父さん。
そこに悠介とみさき、そして音がいた。
「母を殺した」というみさきの自責の念。母親の被害者だったみさきの意識の中で加害者となる瞬間を思った。
お互いの抱える傷を深く知ることとなる悠介とみさき。二人が背負った十字架は降ろせないけど何グラムか軽くなりそう。
そう、前を向いた清々しいエンディングだった。
今年の日本映画のベストの一本だろう。
人間の心の弱さが凝縮された179分
この映画を観ると、自分の弱さときちんと向きあえるような気がしてきます。
後部座席での西島さんと岡田さんのやり取り
舞台での西島さんとパクさんのやり取り
雪上での西島さんと三浦さんのやり取り
この3シーンは特に秀逸でした。
3時間は必要な尺でした
村上春樹の本は苦手です。でもこの映画は、3時間飽きることなく、ずっとこの世界観の中にいたかった。予告でもあった、2人で車の中でタバコを吸うシーン、素敵だった…。その前の高槻から聞かされる話からの流れでさらに印象深く感じ入った。劇中劇の読み合わせのシーンも、へぇ舞台はこんな感じで作り上げていくのかと感心したし、音のカセットテープでのセリフの言い回しがただの大根ではなかったことがわかって安心した。笑
最後はちょっとどういうことか色々と想像できるような、はっきりとわからないけど、でも前向きな雰囲気で、心地よく観終わりました。
みさきの笑顔が見れてよかった😊
大切な人を自らのせいで失った = "殺した"人たちへ
音の引き合わせ --- 出会べくして出逢ったふたり。見殺しにした、(比喩的でも)人を殺した = 残された者の生き方。自分と向き合うことで、完璧じゃない大切な人のそんな欠点や嫌な部分もありのまま受け入れられるかも。すべてが嘘偽りなく共存するその人。少なくともそうした努力や歩み寄り、理解に努めること。たくさん傷付いた者たちがそれでも歩みを止めないで生きて生きて生きた先に待っている景色。一種そうした象徴としての舞台・広島のようにも思えた。傷の舐め合いとかじゃなくて、互いの非も時に認めながら肩を寄せ合ってそれでも前を向く。そして静かなカタルシス。
世界の村上春樹 × 濱口竜介監督 = 作家主義というか独特かつ確固たる個性の溶け合いが唯一無二の世界を形作っている。ひたすら画がいいこの物語と登場人物たちに引き込まれている自分がいた。多様性に平和への希求、平坦じゃない道のりをゆっくり滑らかかつ丁寧に描く人生というロードムービー&キャラクター映画。病気の身近にある、そして突然訪れる恐ろしさも実感。このいつまで経っても終わりの見えないコロナ禍において必要以上に気をやまず生き抜く術も垣間見えるかも。
自分を差し出せるテキスト
とても大事にされているのが分かるので --- どんな役でもワーニャ伯父さんでも、やっぱりあの髪型・アシンメトリー前髪は崩さない西島さんの訥々とした、と言うと語弊があるかもしれないけど、あの普段に近い雰囲気がよく合っていた。非喫煙者からの印象だけど、『MOZU』とかの頃と比べるとタバコ(を吸う役)もだいぶと慣れてきた気がする。再ブレイク以降、やっと映画好きに見合った出演作が来たなと。【劇中の台本読みのように淡々とした話し方、台詞回しは何も彼だけじゃなく、濱口監督のスタイル演出方法のよう】。運転の上手い人の車に乗っているような心地いい作品だった。
また、いつからか様々な役柄で二番手、三番手と主演以外の地位に落ち着いた感のある岡田将生も好演。【不祥事に懲りないキモチャラ軽薄イケメン俳優(何も役者に限ったことでなくアイドル、ミュージャン、そしてどんな分野においても益々ルッキズムの台頭する現代において何人も思い浮かぶ有名人の顔!)の末路がリアル】。だけど、上述したような部分で主人公・家福と似た者同士じゃないけど、彼もまたある面を象徴していて【表裏一体・背中合わせ】。鏡に囚われる。深い、どこまでも深く考えてしまい、魅せられる。
OK、今日はここまで。That's it for today.
【”愛する人の全ての行いを受け入れ、自分自身も偽らない。”心理劇、劇中劇、ロードムービーを見事に融和させた作品。生きる辛さ、苦しさ、それでも前を向く大切さを描く。じわりと心に沁みる作品でもある。】
ー 久方振りに、鑑賞後も余韻に浸り、席に座っていた作品である・・。
本作の様な素晴らしき作品に出会うために、私は映画館に足を運ぶのである・・。ー
◆作品の印象
ー 出演役者さん達の抑制しながらも、ここぞという所では観る側の気持ちを掴み取る数多くの演技と、原作を大きく膨らました見事な脚本に支えられた、3時間という長さを全く感じさせない映画であった。ー
・序盤は、家福(西島秀俊)が、妻、音(霧島れいか)の性癖に気付きつつも、見て見ぬふりをしながら、妻を愛する複雑な心情が描かれる。
ー ”オーガズムを感じながら、物語を紡ぐ・・。”
そして、現実から逃げていた家福に起きた哀しき出来事、心に負った傷が、後半の展開に繋がっていくのである。巧い。ー
・家福の愛車”SAAB 900ターボ”の格好良い赤い車体が街中を走る姿を俯瞰で捉えるカメラアングル。
車内で交わされる家福と音との会話と、カセットテープに収められた”ワーニャ叔父さん”の音が吹き込んだ劇中台詞と家福が合わせて口に出す劇台詞の絶妙な、シンクロニシティ。
ー この、現実世界の出来事と、”ワーニャ叔父さん”の劇中台詞の連関は、ラストまで続くのである。見事である。ー
・2年後、舞台が広島に移り、家福が演劇作家として、広島で講演される”ワーニャ叔父さん”のキャスティングを決めるシーンや、その後の家福独特のワークショップのシーンもとても面白い。
ー 家福が”ワーニャ叔父さん”に任命したのは、音と情交を交わしていた高槻(岡田将生)だった。家福の復讐かと思ったが・・。ー
・劇団主催者が家福のために用意した、哀しき過去を持つドライバーみさきを演じる三浦透子が良い。最初は、無表情だが、”家福と同じ哀しき想いを抱えているのでは・・”と徐々に気づいて行く姿を絶妙に演じている。
ー みさきの加速、減速を感じさせない運転技術を身に着けざるを得なかった理由も、沁みる。ー
・”SAAB 900ターボ”に乗りながら、高槻が家福を凝視し、眼に涙を溜めながら言った言葉。
”他人を良く知るには、自分自身を偽りなく開示することではないですか・・”
高槻が下りた後、みさきが言った言葉。
”嘘ばかり聞いて来たから、分かります。あの言葉に嘘はないです・・。”
ー 見事な会話劇、心理劇であるなあ・・。車中のシーンの岡田将生さんの表情は、畢生の演技であった。ー
・”社会人としては不適格”と言われた高槻が起こしてしまった事。
そして、”ワーニャ叔父さん”を中止するかどうかを決めるために、家福がみさきと向かったのは、みさきの哀しき想い出が残る北海道であった。
ー ロードムービー要素が加わり、この物語に更に広がりを持たせている。
そして、漸く着いた雪の中の拉げた家の前で、みさきが言った言葉。
”母には、別人格があり、私を叩いた後にサチと言う5歳の娘になるんです・・。母に残った最後の良心だったかもしれません・・。”
そして、漸く心の痼をみさきに吐露する家福の真の叫び。
家福と音との間に生れ、夭逝した娘は生きていればみさきと同じ23歳であった。
同じ哀しみを抱きつつ生きて来た二人。
この瞬間に、みさきは家福の娘となり、家福は彼女を抱きしめるのである。みさきも又・・。
この作品の白眉のシーンであろう。ー
・ラスト、家福は高槻の代わりに”ワーニャ叔父さん”の舞台に立つ・・。
- そこで、韓国手話でソーニャが、ワーニャ叔父さんを演じる家福に語る言葉。
そして、みさきも赤い車体の”SAAB 900ターボ”を韓国で走らせる。
彼女の表情は穏やかだ・・。-
<生きている間には、辛い事が沢山ある。
それでも、絶望に陥ることなく、辛い事から目を背ける事なく、懸命に前を向いて生きていく大切さを”心理劇””ワーニャ叔父さんの劇中劇””ロードムービー”を絶妙にブレンドして描き出した作品である。>
<2021年8月20日 劇場にて鑑賞>
■今作を鑑賞後、
村上春樹さんの『蛍・納屋を焼く・その他の短編』と『女のいない男たち』収録の「ドライブ・マイ・カー」と「シェエラザード」と「木野」を再読。
濱口竜介監督の脚本構成力を再認識した。
観る人を選ぶ作品
原作が村上春樹ということで内容が完全に文学・芸術寄りの作品です。私みたいなエンタメ映画ばかりを観ている人間にとって内容が難解過ぎてこの作品の良さ、本質、言わんとしていることが正直良く分かりませんでした。でも、そうだからと言って退屈な映画だったかと言われるとそうでも無い不思議な作品でした。
ドライブのシーンで使用される車がSAAB 900 turboというかなり渋い車だったのが良かった。
ラストは主人公が舞台上で拳銃で自殺して終わるのかな?と思っていましたが全然違いました。
超退屈な作品…ではなかった
封切り日初日に鑑賞。座席の半分しか客入れしないのだが、それがほぼ埋まった印象。
導入部、主人公とその妻とのセックスに絡めながら、物語を語っていく手法が退屈でどうなることか、と思いながら見始めた。しかし、その妻が亡くなってからの展開。劇中劇として、演劇人である主人公、それを運ぶ女ドライバー、俳優らとのかかわりが、だんだんとリズムを持ち、生きていくことの意味を見る者に示していく、という非常に高邁な内容であった。
映画をあまり見ない人、娯楽性の高いものしか見ない人にはかなり辛い3時間かもしれない。しかし、生きていくことに何とはない疑問、苦しさを感じているような人がこの映画を見たら、かなり心を動かされると思う。
その意味で、生きていくことに難儀を感じているなら、ちょっと騙されたと思って映画館に足を運んでほしい。
西島秀俊と岡田将生しか知った俳優が出ておらず、結構重々しい展開だが、決して長尺を長いと感じさせないほどよい濃さの物語に引き込まれるはずだ。
カンヌ映画祭で4冠というのも、納得の内容、と言っておく。
風景、光を見ていた
チェーホフ以外の言葉が、なんかうわついていてしっくりこなかった。やはり村上春樹さんは苦手だな。
半分以上チェーホフか…
だから良かったとも言えるのだけれど。
3時間、風景、光、海、雪など、観ていられる映画ではあった。ドライブシーンは良かったけど車酔いしそうだった。
村上映画って感じだろうか?
原作を観てないのだがこの映画観た最初の感想は
なんか村上春樹の小説を読んだような空気感だった
心地よいイメージと思考の海に漂うような感じで
原作への忠実性がどうかはともかく
作品として成功してるんじゃないかと思った
話としてはずっと妻を亡くした事からくる切なさ、やるせなさで引っ張っているが
なんていうかそれ以外にも色々な要素を提示していてそれがいい
失われた娘の話とかドライバーの母親の話とか話が落ち着きそうになると
その都度燃料が足されるような展開で観ていて飽きない
ただ、ちょっと最後の方長く感じたかな
なんとなく展開は読めていたので結論が早く観たくなる感じあった
人間は何かを信じたり、信じ込むことによって時には柔軟に事実を受け入れられなくなる
不義理な人間、上手くいかなかった関係について理由を考えたがるものだが
そこは考えなくていい、そうゆう人だったとして受け入れられないですか?
ってドライバーの娘の問いは鋭かったね
人間はお互いに何もしなくても影響を与えあっている
お互いに理解しようとするが理解なんてできない
でも、何か気持ちが通じる時がある
それは言語に関係なく、人間としての共通項なのだと思う
その事を言語の違う演劇という舞台を通じて描きたかったように感じた
そして同じような傷を背負った主人公とドライバーが
お互いに支え合うことで乗り越え進んで行く
そんな終わり方はありがちながらも、希望を抱く終わり方だった
結果、何かもう一度浸りたくなるようなそんな観心地の映画だった
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが...
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが完璧な運転をし、ドライバーがいることの存在さえ消してしまうと言う想定は過酷でもある。ドライバーの母が殴りながら彼女に覚えさせた技術だからだ。それは、通常なら母に求めたいコミュニケーションを完全に抑制して他者の前で気配を完璧に消すという行為。でも、逆説的にそれを通じて、ドライバーは彼の信頼を勝ち取って行く。
セックスで始まる妻の物語の裏バージョンでは、もう一人の空き巣の左目を刺すということの比喩。
西島は悪くないのだけど、どちらかというと、私は岡田くんの方が良かった。
夫婦の方が親子よりも過酷かもしれない。一定以上、踏み込めない仲。
空き巣物語。彼の印や痕跡を欲望するとともに、自分の痕跡を残していくというストーリー。それは、夫婦の間で妻が求めたものでもあり、夫は拒否したものだった。
手話の表現の豊かさについては、北川さんのドラマでいつも感じていた事だけど、今回も良かった。
車からの撮影シーンが乗ってる感を与えててよかった。
原作を読んでないからわからないけど、村上春樹的中2病の要素は邪魔な感じ。監督は、人格の分裂(村上だと多重人格か)が声とか物語や演劇の形式で出てくるところに、映画監督として惹かれたのかな。小説よりはこの点で、芝居や映画の方がいい。車という設定、村上だとフェティッシュに収斂しやすいけど、赤い車の存在感が映像の中にある。
濱口監督に感服
濱口メソッドと言われる演出法。
感情を入れず本読みする。キネマ旬報で読んでいたので知ってはいたが、映画でこの演出法が流れる。役者は日本人、韓国人、台湾人、手話で語る人、言語が様々。なかなかこういった演劇が実際存在するかは知らないがとても引き込まれた。霧島れいかさん演ずる音の語りの後半が岡田くん演ずる高槻によって核心をつく。
このシーンの岡田くんが素晴らしい。
運転手のみさきの母とのエピソード、みさきの生い立ち、一緒にみさきの家があった北海道まで車走らせ、西島秀俊演ずる家福の妻に対する思いを吐き出すシーン。
また観たいと思わせてくれる映画です。
木曜日の食卓からの西島秀俊ファンだが、濱口監督にお礼を申し上げたいです。
素晴らしい映画、脚本です。ありがとうございます。
黒沢清監督のコメントが非常に嬉しく、少し泣きました。
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