「難はあってもいいが、邦画らしさというアイデンティティは大切にして欲しい」ドライブ・マイ・カー みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
難はあってもいいが、邦画らしさというアイデンティティは大切にして欲しい
世界を席巻した作品、原作の村上春樹小説、との相性は悪いので覚悟して鑑賞した。曖昧で分かり難いシーンが少なからずある、捉え難い、感情移入し難い作品ではあるが、喪失と再生という普遍的テーマは明確であり、メインキャストである西島秀俊と三浦透子の抑制の効いた演技と二人の会話劇のクオリティーが非常に高い作品である。
本作の主人公は、舞台俳優兼演出家の家福俊介(西島秀俊)。彼は妻の音(霧島れいか)がある秘密を残して突然死し、妻への喪失感を抱えながら生きていた。2年後、彼は、演劇祭の演出を依頼され愛車で広島に向かう。そこで、彼は寡黙で影のある愛車の専属ドライバーとして雇われた渡利みさき(三浦透子)と出会い、彼女と時間を共有し会話を重ねる中で、今まで避けてきたあることに気付いていく・・・。
主人公は妻の秘密を知っても妻への優しさを変えない。妻を問い詰めない。何故なのか。みさき、演劇祭の舞台劇のキャスト・高槻(岡田将生)との会話を通して、主人公の優しさの奥にある本心が喪失感という呪縛から解放され明らかになる。そして、主人公は喪失感から抜け出し再生するためには何が必要かに気付く。みさきも喪失感を抱えて生きていたが、主人公との会話のなかで再生への切っ掛けを見出していく。この部分は、会話劇中心であり、邦画らしい繊細さ、緻密さを感じる。
本作は、広島の演劇祭での手話を含めた多言語舞台劇で、多様化する世界を作品に反映しようとしている。試みは面白いが、多国籍映画のようで邦画らしさが希薄になっている感は否めない。世界的評価云々の前に、邦画らしさというアイデンティティを大切にして欲しい。韓国映画らしいパラサイトが好例だろう。
ラストシーン。みさきの清々しい表情が印象的であり、希望という言葉が相応しい幕切れだった。
本作は、生易しい作品ではないが、喪失と再生という人間にとって避けては生きられない普遍的テーマに真摯に向き合った作品である。