「孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を重層構造で描いた傑作。説明省いたラストもお洒落。」ドライブ・マイ・カー Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を重層構造で描いた傑作。説明省いたラストもお洒落。
1回目は自分が何を見たのか判然としなかったのだが、原作も読んでの2回目は予想外の出来事として、感動して涙が止まらなかった。孤独な人間の魂とその救い、そして物語を奏でる意義を、劇中劇も絡めた重層構造で描いた創造性に富む傑作映画と感じた。
滝口竜介監督による2021年8月より公開の映画。原作は村上春樹(短編小説集「女のいない男たち」よりドライブ・マイ・カー、シェエラザード、木野)。脚本は滝口監督と大江崇允(恋のツキ等)、製作は山本晃久(寝ても覚めても等)。撮影は四宮秀俊(さよならくちびる等)、音楽は石橋英子(夏美のホタル等)、編集は山崎梓。配給はビターズ・エンド。
出演が、西島秀俊、三浦透子(静かな雨等)、霧島れいか(ノルウェーの森等)、岡田将生(さんかく窓の外側は夜等)、パク・ユリム(韓国、手話で話す)、ジン・デヨン(韓国、通訳役)、ソニア・ユアン(台湾女優)、ペリー・ディゾン、アン・フィテ(韓国女優)、安倍聡子、等。
主人公の西島秀俊が映画内で演ずる戯曲として、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」とアントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が登場する。特に、原作にも有る後者は西島の俳優としてのトレーニングの一環としてその台詞が、彼のその時の心理状態と呼応するものがセレクトされるかたちで、車の中で語られる。そして、映画の中で集められた俳優たちが演ずる戯曲でも有り、更に戯曲中の主人公ワーニャと姪ソーニャの関係性は、触れ合っていく中で孤独への救いが産まれて来る西島と三浦に反映される。
チェーホフ戯曲に無知な自分には、字幕を追うことも有り、その重層的構造や1つ1つの台詞に意味が有ることの理解が、1回目鑑賞では難しかった。ただ、主人公の妻役霧島れいかの官能的な美しさを見事に描いた映像や、赤いサーブ900ターボが斜めに走る何処か異国的な上方からの動きの有る映像の見事さには心惹かれた。そして、孤独だった西島と三浦透子が初めて深く会話した後、煙草の2つの灯りが車のサンルーフから出され、寄り添う様に夜の道を走る映像の美しさ。雪の北海道での無音の効果的使用も含め、石橋さんによる音楽も素晴らしいと思った。とは言え、ラストシーンに登場の犬が、ジン・デヨン夫婦が飼っていたイヌと異なることの判別までは、難しかった。
2回目、屋外での「ワーニャ伯父さん」練習でのソーニャ役・パク・ユリムと彼女の継母エレーナ役・ソニア・ユアンとの絡みの演技に感動して涙が流れた。映画の中で、俳優2人の間に何かが産まれたとの説明があったが、孤独で不幸を訴えるユアンを抱きしめるユリムに確かに大きな愛の存在を感じさせられた。俳優2人、特にパク・ユリムの表現力・演技力とそれを引き出した監督の力量を感じさせられた。同時に、俳優の相互作用で生じる物語の力を実感させられた。映画の力を見せつけられて、凄いと思わされた。
また、霧島れいこの語る物語を主人公以上に引き出した岡田将生、西島と正反対にも見える彼の霧島への純真さと自分への正直さ、同居する社会性の無さ、そして孤独感とそこから救いを求める気持ちが見事に表現されていて、拍手。そして、原作を改変した彼女の語る物語に、禁じていた浮気に突き動かされる衝動、夫への罪の意識、告白しようとする意識をはめ込んだ脚本の見事さに、感心させられた。
そしてやはり何と言っても、三浦透子の故郷北海道の雪の中、自分の心と初めて正面から向き合えた西島秀俊の素直な妻への思いの吐露、それを聴き西島を抱きしめる透子の姿。彼女も母親への憎しみとそれを超える愛情を吐露していた。原作を超えて、孤独だった2人が共鳴して前に進もうとする姿に魂を揺さぶられ、涙無しには見られなかった。
ラスト、韓国と思われる異国で、三浦透子は1人暮らしでないことを示唆する大きな買い物を抱えて赤いサーブに乗り込む。車内には彼女が飼ってるらしいMIX犬種(JOY)が乗っている。彼女のほおの傷は薄くなっていて、手術を受けたらしい。そして、初めて見せる穏やかな幸せそうな笑顔。劇中劇ラストのワーニャとソーニャの様に、否それを超え、主人公の2人は明るい、素晴らしい生活を、新天地で一緒に過ごしているものと理解した。説明を省いた、お洒落で素敵な、正に映画的なラストと感じた。
いまNHKFMで毎晩ドライブ・マイ・カーの朗読を放送しています。
21:10過ぎあたりから。
夜勤の運転をしながら、家福音のあのカセットテープを聴くように物語の朗読を楽しんでいます。
皆さま、コメント有難うございます。
映画館で2度目見てとても感動したので、再度原作「女のいない男たち」を読み直してみました。しかしながら相変わらず、映画でエピソード的に使われた「シェエラザード」や「木野」が、小説全体として何を描いているかさっぱり分からずじまい。映画と村上春樹の原作の違いに、戸惑っております。
ラストの想像と犬。なるほど〜。
私はあの犬は夫妻の飼っていた愛犬だと思い込んで、韓国への舞台出演に運転手として、付いて行ったのかと思っていました。
別の犬だったとは!
でもまあラストの三浦透子のハッピーそうな微笑み顔はとてもよかったですね◎
傷は残っていたんだ。納得しました。
ある意味では、純文学的な映像ってことですかね。そういった意味では、パゾリーニやフランスヌーベルバーグ見たくなく、おっしゃるとおりのおしゃれな映画だと再評価しています。原作と映画は別ですからね。脚本が長いのも残念ながら既成の俳優を使っているからだと僕は思います。ここに出ていた俳優を僕は殆ど知りませんが、主演の男性(タバコをよく吸う役者)は良くCMね出ていて、僕でもイメージが焼き付いていて、台詞がないと、それを払拭出来ないと僕は思いました。俳優をCMに分別なく出演させる日本の芸能界の体質が悪いと思いますが。
アカデミー賞取らなかったので、本当はパーフェクトに近い映画だと今は思っています。情報ありがとうございました。もう一度見て見ようと思います。