「舞台の俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)。 彼が創り出す舞台作品は...」ドライブ・マイ・カー りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
舞台の俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)。 彼が創り出す舞台作品は...
舞台の俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)。
彼が創り出す舞台作品は、著名な戯曲をもとにしているが、世界各国の言語が入り混じる独特のもの。
私生活では20年以上連れ添った妻の音(霧島れいか)と穏やかながらも満ち足りた日々を送っていた。
しかし、ふたりの間に障壁がなかったわけではない。
十数年前に幼い娘を病気で亡くし、落ち込んでいた妻は悠介に隠れて、複数の男と関係を持っていた。
さらに、現在、テレビドラマの脚本家をしている音は、悠介との行為のあと無意識に物語を語りだすという奇妙な性癖があり、それがテレビドラマのもとになっているのだった。
そんなある日、出かける直前の悠介に音は思いつめた様子で「今晩話がしたい」と言い、その夜、遅く帰宅した悠介はくも膜下出血で倒れている音を発見、音はそのまま帰らぬ人となってしまう。
それから2年・・・
といったところからはじまる物語で、ここまでがかなり長いプロローグ。
この後、広島の国際演劇祭でライフワークともいうべき『ワーニャ伯父さん』の演出を任された悠介は愛用の赤い自動車で広島へ向かい、演劇祭の実行委員会から専属ドライバーとして寡黙な女性みさき(三浦透子)が提供されることとなる。
悠介は愛車の中で『ワーニャ伯父さん』の台詞を復唱することを常とし、ワーニャの台詞以外は音が読み上げるテープがその相棒であり、それは音が死んでからもなお続けられている・・・
このどことなく奇妙な物語がどこへ行きつくのか? 個人的には「怪談」だと感じました。
2年前に死んだ妻に囚われてしまった男の物語。
憑りつかれている、といってもいいかもしれません。
悠介に憑りついて離れないのは、「今晩話がしたい」といった音の話。
いつもならば、寝物語として聞いた音の話は、翌日、悠介が改めて語ってみせるのだが、音が死ぬ直前、最後に語った「ヤツメウナギの物語」は、不倫現場を見て見ぬふりをした悠介には語りなおすことが出来なかった。
「今晩話がしたい」と言った音の「話」とは、不倫をしている、という告白話ではなく、悠介が語りなおさなかった「ヤツメウナギの物語」であり、それは映画後半、音の不倫相手のひとりであった若い男優・高槻(岡田将生)の口から語られることになる。
そして、その「ヤツメウナギの物語」には続きがあり、幾重にも重なった死の物語が語られる・・・
このシーン、高槻の口を借りて音がよみがえったようであり、心底ゾッとさせられました。
映画は、音の存在を、彼女の声・言葉というモチーフを使い表現し、悠介の心に呪を掛けています。
その呪を解くのが、みさきとのロングドライブで、北海道のみさきの生家跡にたどり着いたのち、みさきの口から語られる母の死にまつわる物語であり、それをさらにダメ押しするのが最後の『ワーニャ伯父さん』の舞台です。
舞台のエンディングは、娘ソーニャがワーニャに語るセリフで終わるのですが、今回の舞台では、ソーニャを演じる女優は口が利けず、ワーニャに手話で語り掛けるという演出が採られています。
すなわち、ワーニャ演じる悠介に憑りついていた亡妻・音の声は聞こえなくなり、悠介もワーニャ同様に心の平安を得るというダブルミーニング手法。
驚くべき映画の構成、これはすごい。
カンヌ国際映画祭で脚本賞に輝いたのも納得です。
前作『寝ても覚めても』で死神のような恋愛に憑りつかれた女性を描いた濱口監督、今回は、自分自身の疑念と亡き妻の妄念に憑りつかれた男を描くとは!
いやぁ、もう一度、鑑賞したいですね。