私は確信するのレビュー・感想・評価
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かつて似た事件が思い出され。
日本でいえばさしずめ三浦和義氏の一連の疑惑事件だろう。マスコミリンチにさらされ、劇場型の<容疑者>の存在感に、ポピュリズムに溢れた無責任な、マスコミ判決が乱発される、あの事件だ。日本人一億総ざんげしなければならない個人の尊厳を踏みにじった人権侵害。いかに彼がグレーだとはいえ、それはあくまで推定無罪として静かに法の判断を待つことが必要だった。日本人はその反省があるのだろうか。昨今の、有名人の発言の切り取りでの<マスコミの暴力>と、その暴力を頭から信じてしまい、正義の味方として被疑者を非難する情報受容者のインテリジェンスに欠けた発言。目に余る。
実話だけに最初からネタバレなのに、台詞だけでものすごく見せる。
もうちょっと含蓄ありそうな邦題はつけらんなかったもんかな、「私は確信する」。
簡単にいえば「フランス版ロス疑惑(三浦和義事件)」みたいな、妻が行方不明、夫はヒッチコックのファン(マニア?)らしい。夫婦仲はすでに破綻、妻には堂々と愛人がいる。
これはやったな、って世間はみんな思う。証拠は何もないけど、報道は過熱する。メディアスクラムってやつ。旦那さん追い詰められる。そこで主人公の女性が立ち上がって、彼の無実を証明しゆとして、「ヤリ手の有名弁護士」に依頼する。
この女性主人公は架空の人物だけど。他はみんな実在の人物 、ってもの凄いけど。
この映画はフランス人はみんな知ってる実在の事件をもとにしてるってことで、最初からネタバレ映画なんで、結末どうなるんだ、ってワクワクして観てると肩透かしを食うかも、
これがフィクションのドラマなら、ラストで「真犯人」が判明するんだろうけど。この映画は「事実に基づいている」ので、そうはいかない。だいたいこの「疑惑の夫」は鬱病だといって映画の中でもほとんど喋らない。だから、依然として、この夫がやっぱり殺人犯なのかも、という可能性も、否定はしていないんだ。
ただ、「そうじゃないんだ。証拠がなければ無罪なんだ(つまり推定無罪)」ってことを、この弁護士は皆に(主人公にも、裁判官や陪審員にも、社会にも)分からせなきゃならんわけで、そこは一筋縄ではいかんわけです。
実はこの「妻失踪事件」は、いまだに解決してない。遺体は発見されてないし、「夫じゃなければ、じゃあ誰だ」ていうのも明らかになってない。なのに映画にしちゃう、けっこう凄いとこするな。
ずーっと主人公の証拠集めと、裁判所のシーンばかりが続く。おきまりの「再現映像みたいなシーン」は一切出てこない。ストイックだ! でもそこがリアルともいえる。
弁護士と主人公はしばしば対立する。それは「真犯人を挙げてギャフンと言わせてやる」という主人公と、「依頼人(夫)を無罪にすることだけが目的だ」という弁護士の、アマとプロの違い、ともいえる。だから、協力しながら、時には激しく対立する。そのへんが面白い。
仮説で裁いちゃうの?
裁判は仮説のオンパレード、どなたかのコメントに心証で判決されたりするらしい(えっ、マヂで?)SNSの世界と変わらないような…怖い。
論理的に積み上げるような仕事で、ノラのようなガチャガチャしたタイプとは一緒に仕事したく無いなぁと思いました。最後にノラの人物像はフィクションですとありましたが、なぜそんな説明が必要なのかと。いい年した大人が息子をほったらかしにして裁判にのめり込む、そんな女性(母親)が実際にいたら文句がつきそうだから?と疑ってしまいました。
一番の衝撃はエンドタイトル
もっと二転三転するサスペンスタッチの裁判劇かと思ったがそんな展開ではなかったかな。どこから手に入れたかよく分からないが250時間に及ぶ通話記録をひたすら聞いてチェックし矛盾点を追及していく努力と根性の話しでしたね。
ラストの判決もサラッとされるし。
【以下、思いっきりネタバレ注意】
実話ベースの本作だが一番の衝撃はエンドタイルが出た時の主人公ノラは架空の人物、というテロップ。 なんかガッカリしたわ。
何かに基づいて
人は確信に至るとおもうのだが、その何かが予断と偏見に満ちたものであったり、何かを意図した噂だったり、確信は事実ではない事も多い。マスコミ報道も確信の元かもしれない。
犯罪?失踪? わからない事になんとか辻褄がつく説明が、犯罪だとしたら… この説明が確信になっていく。
フランス風ちゃぶ台返し
何故こんな裁判が成立したのか?
被害者がいないのに二審も行われている不思議😤
故に証拠があり様もないのに何を審議しているのか😜
グングン真相に迫っていく様で推測でしかなく、人権が損なわれて行く。
フランスでもこんな事があったかい?
それが怖い😱
2009年、フランス国内メディアが大々的に取り上げていたヴィギエ事...
2009年、フランス国内メディアが大々的に取り上げていたヴィギエ事件の第一審が、確たる証拠がないことから被告である夫・ジャック無罪の判決が出た。
事件は、2000年2月に妻のスザンヌが、3人の幼い子どもを残して忽然と姿を消したものだが、破綻した夫婦生活や失踪の届出状況から、夫による殺人事件と噂されていたものだった。
しかしながら、検察は控訴。
マスコミは、再び夫へ疑惑の目を向けるが・・・
というところからはじまる物語で、成長した被告の娘と懇意のシングルマザー・ノラ(マリーナ・フォイス)はジャックの無実を確信、ベテラン弁護士デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)に弁護を懇願し、自らも助手となって裁判に挑んでいく、というもの。
ノラに課せられた役割は、250時間にも及ぶ通話記録の分析。
その多くは、スザンヌの愛人デュランデ(フィリップ・ウシャン)のもの。
デュランデは、スザンヌの友人たちにジャックに対する疑惑を語っている・・・
映画は、とにかくスリリング。
ノラが聴く通話から、観客であるわたしたちは、ジャックよりもデュランデが怪しいのではないか、との心象を抱くようになってくる(原題「UNE INTIME CONVICTION」は、心象の意)。
そして、事件の真相に近づいていくことに快感を覚える・・・
ノラがひとり息子をそっちのけで、どんどんと事件にのめりこんでいくように。
ここが、この映画の演出での肝で、おそらく当時の仏国内では、夫ジャックに対する疑惑が膨らみ、「イコール犯人」という確信のようなものを覚えたのではありますまいか。
(これと似たような「確信的疑惑」は、日本でも「ロス疑惑」事件で起こっている)
事件の真相に近づく・・・
たしかにそれは、物語としての興奮・カタルシスに近いものだろう。
確信的になればなるほど、さらに興奮のつるぼとなっていく。
「しかし、これは裁判なのだ」とデュポン=モレッティ弁護士はノラを諭す。
デュランデに対する確信的疑惑によって、興奮状態となり、デュランデに対する憎しみの炎が燃えているノラに対して。
裁判は、被告が有罪か無罪かを争うもので、その根拠は明白な証拠でなければならない。
疑わしきは被告の利益に。
「推定無罪」、推定でしかないならば、無罪であるべきなのだ。
その大原則を最終弁論で熱く語るデュポン=モレッティ弁護士の姿は感動的で、オリヴィエ・グルメの熱演は素晴らしい。
裁判の本質は、どこにあるのか。
ともすれば、事件に興奮してしまっている第三者のものではなく、被告のためにあるはずである。
この映画は、そういう映画なわけで、観終わった後、「それで、結局、事件の犯人は誰なの?」などと言ってはいけない。
<追記>
それにしても仏検察、こんな薄弱な証拠で起訴し、一審無罪なのに控訴したものだ・・・と、つくづく思いました。
駆け足ながらスピード感ある法廷劇!
「ヒッチコック狂の完全犯罪」とチラシに書いてありどんなサイコパスな映画かと思ったら普通に面白い法廷劇。
一審有罪、二審無罪で迎えた最高裁。
日本でもありますよね!?
特に「袴田事件」は、警察による精神に異常をきたすほど凄惨な拷問を筆頭に、職場同僚のアリバイ証言を不利な証言に捏造、衣料品メーカーから取り寄せたサンプル布地2点を証拠品に悪用する、事件から1年近く経過してから検察が採用した血のついたミソ漬けシャツが有罪の決め手だったはずなのに40年近く経過しDNA鑑定技術が向上してもシャツを鑑定せず世論の批判を浴び嫌々出した結果「他人の可能性が高い」となっても検察の往生際の悪さゆえ、この国では奇跡的な再審が叶っても最高裁までもつれる。
この映画も同様で、特に最高裁では一審で有罪判決を出した裁判長が出て来て、完全に警察、検察、裁判所がグルになり一人の人間の人格を奪おうと躍起になっている。
とはいえ日本ほど酷くはないけどね…
それ程日本は最悪で、エリート意識の高いこういう連中は一度犯人として公表したり判決出してしまった以上、自分の間違いを認めるより強引にでも犯人に仕立て上げテメエのしょうもないプライドを守ることに専念するしか脳が無いんだろうね。
作品観てたら、容疑者の為に奔走する主人公の女性が、まるで袴田巌さんの為に半世紀以上奔走したお姉さんに見えて仕方がなかった…
闇の中
実際の裁判サスペンスと言う面白そうな前宣伝の割には、主人公ノラが裁判に関わって行く動機がイマイチ説得力がなかったし、何が、サスペンスなのか⁈
主人公ノラは、無罪を信じてと言うより、自分の確信にとらわれて膨大な録音を聴き、仕事も失い事故にまで遭ってしまうのだ。赤の他人に何故そこまで⁈
例えば、ノラが、容疑者の恋人だったり、大学ですごく世話になった先生の為と言う名目があったら腑におちるのだが、それも無く、推定無罪になった彼と喜びを共に分かち合っていないシーンは、なんじゃコレ⁈と思ってしまった。
これは、己が心証を確信にすべくして行く様を映画化していたに過ぎないのでは無いか⁈自分にもあるよなぁ、答えが有って、それに現象を当てはめていく事って😞
しかも、映画は、彼女側に立って作られているから、観客の私達は、スザンヌの恋人だったオリビエが非常に怪しい容疑者としてせまってくるのだ。それは、陪審員にも同じ事。陪審員たちは、再犯されたジャックが絶対?犯人に違いないと思って座っていたが、次第に犯人では無いんじゃないか⁈と変容して行くのだ。
それは、圧巻の陪審員を前にした最終弁論に尽きる。確たる証拠が無い場合、推定無罪となると言うことなのだ。
本当は、鬱を装ったジャックが殺していたとしても‥と、へそ曲がりな私は想像してしまった。
推定無罪という刑事裁判の原則に立ち返った見事な最終弁論
パリは哲学と芸術、自由と人権、美食と恋愛の街というイメージである。しかし人間のどす黒い側面が存在するのは、パリも例外ではない。
どうして行方不明が殺人事件として扱われるのか。日本では行方不明は失踪事件として殺人事件とは区別されるが、フランスではそうではないらしい。映画では最後までその理由がわからなかった。サヴィ警視を筆頭の警察が成績を上げたかったのかもしれない。日本の警察も似たようなところがある。しかし本当の理由は不明だ。
物語はヴィギエ事件と呼ばれる失踪事件が起きてから10年後の裁判の様子を中心に描かれる。3人の子どもを残して失踪した女性の夫を殺人事件の被告としてまず地元で裁判が開かれ、一審で無罪となったが検察が控訴、本作品は第二審をめぐっての話である。
主人公ノラは被告の娘が家庭教師を務める子供の母親である。それだけの関係なのにどうして仕事も子供のことも疎かにして、ヴィギエ事件に没頭するのか、映画を観ているだけでは理由がよくわからないが、どうやらノラはランボー監督がモデルらしい。ランボー監督はノラと同じように事件にのめり込んだようだ。ノラが事件の記録をまとめて、当時無罪請負人として有名なエリック・デュポンモレッティ弁護士に依頼するが、これもランボー監督が実際にしたことらしい。それで少し納得した。ランボー監督自身にも、何故行方不明が殺人事件として裁判で争われるのかについて疑念を持っていたのだ。
ノラの資料と熱意に押されて弁護を引き受けるデュポンモレッティ弁護士だが、いささか強引過ぎるノラの態度と、暴走気味の正義感に辟易しつつも、これまでの経験と知識を生かして裁判に臨む。そこではノラに託した250時間分の通話記録の分析が役に立つ。証人たちは通話記録との矛盾を突かれて証言は二転三転し、ヴィギエ被告は有罪になりそうになったり無罪になりそうになったりする。
ラストのデュポンモレッティ弁護士による最終弁論は、推定無罪という刑事裁判の原則に立ち返った、見事な演説であった。名優オリヴィエ・グルメの面目躍如である。とはいってもフランスもアメリカ等と同じ陪審員制度だ。科学的な見地で判断する人もいれば、直感や印象で判断する陪審員もいる。ヴィギエ被告に対する最終論告に、ノラは固唾を呑む。
デュポンモレッティ弁護士は、その後マクロン大統領の任命でフランスの法務大臣となった。ちなみにフランスの閣僚は男女同数が原則である。
何が彼女をそこまで突き動かしたのだろう
実際におこった未解決事件を題材にした法廷サスペンス。失踪した妻の殺害容疑で捕まった夫の無罪を勝ち取るために努力する弁護士と支援者の女性を描く。
膨大な通話記録を文字に起こす作業をしていた支援者の女性はフィクションであることは説明があったが他はどこまで事実なんだろう。ただ、死体も見つかっていなくて、殺害方法や狂気といった物証・証言が全くないまま殺人で逮捕・立件した警察・検察がそもそも狂っている。推定無罪って原則はどこにいった?
この手の法廷ものでありがちな警察・検察のクソみたいな行動や証言は少し抑えめ。支援者のノラが膨大な通話記録から重要な情報を取り出してくるって流れなんだけど、おいおいそこまでやるか?ってのが正直な感想。子どもや仕事を犠牲にしながらとにかくどっぷりとこの事件にハマりまくる。単純な正義感だけでそこまでできるのか?って思ってしまった(フィクションの登場人物なんだけど)。
そして、ラストは想像通りで、なぜそうなったかを想像すると「殺人犯はそこにいる(清水潔著)」というノンフィクションを思い出した(読んだことある人にしかわからないかもしれないが)。妙な怒りと気持ち悪さと怖さを感じるラストだ。実在する未解決事件だけにかなり重い。
よく理解できませんでした
フランス語を理解できないので、畳みかけるような論戦や応酬の字幕を追うだけで必死になって、しかも追いきれず、よく理解できませんでした。
ノラという存在が・・・なんでああいうふうに仕立て上げたのか、それもよく理解できませんでした。
最後、よく理解できないままに、ぐっときてしまって、雰囲気で見せるような作品でもないのに・・・と最後の最後のエンドロール前まで、よく理解できませんでした
(_ _)
裁判は事件を解決する場ではないということ
実際にフランスで起きた「ヴィギエ事件 」をモデルとして、一部キャラクターや演出としてフィクション要素を散りばめた作品ではあるのだが、そもそもの事件というが、未だに解決されておらず、真犯人どころか遺体も発見されていないため、極端なことを言えば生きているかもしれないし、拉致などの他の事件に巻き込まれた可能性などもある。そんな失踪や行方不明事件というのがフランスでは、年間に数千単位で発生しており、これは日本や他の国でも同じである。
どこかで誰かが急にいなくなるという事件は、今もどこかで起き続けている状況で、不十分な証拠の中で犯人として疑われてしまった夫のジャック。当時、妻とは家庭内別居状態で、妻には愛人がいて、たびたび口論になったりもしていた。ジャックに良い印象をもっていなかった、妻側の親族や、愛人だった男、ベビーシッターなどがジャックを犯人と決めつけ、むしろそうあって欲しいと思っていたこともあり、ジャックが容疑者として捕まってしまい、裁判にかけられたという一連の流れから10年が経過していて、無罪判決は一旦出たのだが、また裁判が続き、どうなるかわからないという舞台設定がまたひとつの今作の味となっている。
死んでいるかもわからない状況ではあるのだが、ジャックは法学部教授であり、以前講義の中で「完全犯罪は可能だ」と言ったことが、マスコミなどに漏れ、情報が拡散することで一気に犯人扱いとなってしまう。
マスコミの決めつけて偏った報道、警察のあくまで仕事としての事態処理によって冤罪というのは起きてしまうわけだが、のちに裁判で無罪になったとしても、そういった報道をされたという事実は残ってしまうし、事件が解決されていない以上は、「犯人かもしれない」というものが一生付きまとう。
裁判で事務的に無罪となることは、この事件にとってはジャックとその家族たちにとって、冤罪状態が続くことと、あまり変化がない...それでは、本人や家族が可哀そうと立ち上がったのが今作のシングルマザーのノラである。
新しい弁護士に協力するかたちで、犯人を見つけ出してやろうという「正義感」があったのかもしれないが、この時点でノラはジャック側に肩入れをしてしまっていて、中立的な判断ができない。
通話記録を入手したことで、ノラは没頭していく。次第に子供との関係も適当になり、仕事にも遅刻したりと、日常生活にも影響をもたらしていく。「正義」と信じて、自分自身が与えられた使命だとも思ったのかもしれない。
しかし、疑惑が疑惑を生み、憶測や言葉の矛盾点を指摘していくことで、真犯人は「愛人だったのではないか」ということを着地点にしようと無意識のうちにしてしまっているのだ。この構造自体が新たな冤罪を生み出すことにも繋がりかねない。
何かを信じ、その考えが間違っているとは思わない、偏った考えから生み出されてしまう「正義」なのだ。実際に犯人なのかもしれないが...「かもしれない」を立証するのは、かなり難しい。
弁護士デュポンはノラに対して「裁判を理解していない」と言うシーンがあるが、悲しくも正にその通りであって、裁判というものは、「正義」や「事実」を振りかざしながら事務的にしか動かいという、かなり厄介なものでもあるのだ。
ジャックが有罪か無罪の裁判であって、極端なことを言えば、真犯人が誰かという問題は別問題でもあったりする。
決定的な証拠、つまり犯人が自白でもしない限り…それでもどうだろうかといった状況。犯行現場が鮮明に映った映像でも出てこれば別かもしれないが。すでに争っているものの発端自体が、裁判から分離してしまっているのだ
冤罪が一気に晴れるなんていう、スカッとした法廷劇では決してない作品ではあるが、「疑わしきは罰せず」という言葉が良い意味にも悪い意味にも左右するのが裁判というものだったりして、今作はそんな裁判というもののあり方、裁判っていったい何なんだというのを改めて考えさせられる作品であった。
ちなみにヒッチコックがどうとかっていうことは、あまり関係ない。
【推定無罪、もう一人の自分】
この法廷劇中心の物語は、通信録音を解析するもどかしくもサスペンスタッチな仕立てで、ウソだと推測される証言、安易な警察・検察、捏造されようとしている犯行、群がり煽るメディア、早期決着を目指す裁判所などフランスの司法制度の問題を炙り出すように進行する。
焦点のひとつは、推定無罪が成立するか否かだが、もう一つは、弁護士モレッティの葛藤だ。
(以下ネタバレ)
職責は、あくまでも被告の弁護。
犯人探しは範囲の外だ。
だが、検察側の証言者に疑わしき者が出てくる。
でっち上げの共謀、拡散されるフェイクニュース。
それに疑念を抱くどころか、通信記録のチェックさえ行わず、審理を急ぐ検察や裁判所に不信は募るばかりだ。
しかし、こうしたフラストレーションは、映画では、モレッティのもう一人の自分、フィクションのノラを通じて表現されているのだ。
映画全体を通してみると、実在のモレッティは、ジャックを無罪に導いたという自身のストーリーより、現代社会やフランスの司法制度の問題をより強く問うているように思う。
日本の刑法は、フランス刑法典を基本としているので、冤罪事件のことを思い返すと、同様な問題はないのかと心配になったりする。
地味目の作品が、推定無罪とは何か、冤罪は防げているのか、私達の司法制度は問題なく機能しているかなど、結構考えさせられる作品だった。
良質な裁判もの
何でこんなレビュー低いんだろw
個人的には非常に面白かった。
事実をもとにしている作品は多いが、その中でも、テンポも良く、話の展開が気になり、最後まで集中して見ることができた。
それと、その中でもやはりそれぞれの役者さんの演技が素晴らしい。
迫力があり、感情を揺さぶられる事が多く、特に最後は圧巻だった。
良き作品でした。
真実よりも大事なこと
弁護人の最終弁論がとにかく圧巻。情熱あふれる演説でありながら、推定無罪の大切さを陪審員の理性に訴えかける。大切なのは、真実を追求することではない。法で定められた被告人の権利を尊重して公平な判決を下すことである。
妻殺しの容疑をかけられた被告人は、心証は限りなく黒に近い。夫婦仲は冷えきっており、大学の法学部の教授であるという立場も離婚になるくらいなら、いっそのこと妻に消えてくれた方がいいと思わせる状況がそろっている。
主人公のノラが被告人の無実を勝ち取るために、真犯人を探し出そうとする。この流れにそって見ている自分の興味も事件の真相に引っ張られてしまう。ここが、脚本の上手いところで、誰もが陥りがちになる落とし穴を気づかせてくれる。
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