劇場公開日 2021年2月12日

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「大陸法系のフランスならではの悲劇。」私は確信する レントさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5大陸法系のフランスならではの悲劇。

2025年7月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

一度、刑事事件で訴追を受けた被告は同一事件では訴追されないという一事不再理の原則は大陸法と英米法ではその解釈が異なる。
アメリカなどの英米法系の国ではこの原則を人権の一つに位置付け、一度訴追された被告として多大な負担を裁判で強いられた者の権利を保障すべきとして、再度の事実審での訴追はたとえ確定判決を経ていなくても許されないとする。
しかし大陸法系のフランスではこのような解釈には立っておらず、検察側の上訴も認められる。
本作を見る限り、被告の有罪を立証する新事実が出てきてないにもかかわらずである。当然、英米法では新事実が出てきたところで再度の訴追は許されない。十分な準備を経て一審に臨んだのだから、主張すべき事実はそこで出し切るべきだということである。
ちなみに日本も大陸法を主に踏襲しており、このような検察官上訴は認められている。

本作でジャック・ヴィギエは失踪した妻の殺害嫌疑により被告人となり、苦しい裁判を乗り越え無罪を勝ち取ったものの、検察側のいわばメンツのためだけで上訴され、再度の事実審を余儀なくされている。
そもそも本件は物的証拠、動機はおろか妻の死体さえ発見されていないにもかかわらず被疑者とされ起訴されたことに驚かされる。大学教授である彼がヒッチコックになぞらえて完全犯罪を講義で言及したことにマスコミが飛びつき話題になったことも影響してるようだ。

彼が無実であるなら、妻を失った上にその嫌疑までかけられ、社会的なバッシングを受け続けたために精神を病んでしまったのも致し方ないであろう。
そして控訴審で繰り返されるのは一審ですべきであったことの繰り返しでしかなく、これは彼にとって拷問でしかない。これではもはや手続き的保障はなきに等しい。

本作の主人公は弁護士の依頼で妻の愛人を含む膨大な音声データの解析に挑むのだが、その内容から明らかに真犯人は愛人ではないかと確信する。
確かにその内容からは愛人が夫に罪を着せようとした意図は感じられるものの、彼による殺害の物的証拠はない。この点はヴィギエと同じである。
愛人が犯人だと訴える主人公に弁護士は君も検察と同じだと切り捨てる。邦題にも使われているが、「確信」ほど裁判において危険なものはないのかもしれない。訴追した検察側も何の客観的証拠もないにもかかわらず「確信」したからヴィギエを訴追したんだろうし。

そもそも裁判とは客観的事実を積み上げていって、最終的にある事実を認定するものである。それが推測や憶測だけで積み上げていけば砂上の楼閣のごとく容易く崩れ去ってしまうだろう。

本作のクライマックスでは負けを覚悟した弁護士が大演説をぶちまける。その内容は確かに心に響くものであり正当な訴えだったと思う。しかし結果的に一審と同じく無罪判決が下ったのはやはり有罪を立証する新たな証拠がなかったからであろう。
いくら陪審制度が問題ある制度だとしても、弁の立つ人間の弁論次第で有罪無罪がコロコロひっくり返るようでは制度を維持してゆくのは困難なはず。
判決は一審と同じく、あくまでも推定無罪の原則に従ったものであった。むしろこの推定無罪の原則に反したのは起訴した検察側であり、本来本件は起訴すべきものではなかった。

結局、事件の真相はやぶの中で妻の行方は不明なまま。殺害したのは夫か愛人か、はたまた自殺かそれとも人身売買組織による誘拐か。フランスだけでも年間失踪者の数は数万人とのこと。
周りの人が心当たりのない失踪ということもありうる。人の心の闇は他人にはなかなか推し量れない。その心の闇と社会の闇がどこかで繋がっているのかもしれない。

本作は登場人物の中で唯一の創作である主人公が裁判にそこまでのめりこむ動機付けとか、弁護依頼を拒否していた弁護士が一転依頼をなぜ請け負ったのか、そして判決に重大な影響を及ぼすであろう音声データの分析をシングルマザーのボランティアに頼るなどなど、法定ものとしては少々粗も目立つが大陸法系の刑事司法の問題に鋭く切り込んだ点において評価される作品だと思う。

公開時劇場にて鑑賞。再投稿。

レント