私は確信するのレビュー・感想・評価
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一人の名もなき女性の意志、行動力、瞳の力強さに引き込まれる
外見からの印象だとかなりお堅い法廷劇のように思える。この種の映画はいざ好みと合致しないと退屈な台詞劇となりかねない。だが結論から言って、私は本作にグイグイ引き込まれた。冒頭、誰かがこの事件を二つのヒッチコック作品に例える。ひとつ目の『バルカン超特急』が示すのは完全密室犯罪という可能性であり、もう一方の『間違えられた男』が示唆するのは、タイトル通りの”冤罪”の可能性。そして被告がいざ後者の道を歩もうとする時、意を決して立ち上がるのが、一人の名もなき女性だ。膨大な通話記録を選り分け、分析し、文字に起こすことで、彼女の中で高まっていく確信は弁護側の原動力となっていく。面白いのは事件以上にこの女性の「黙って傍観などしていられなかった」という姿勢に焦点をあてていること。そうした強靭な意志、瞳の力強さに感化されるように、観る側も自ずと身体が熱くなっていくのを覚えるはず。硬派な興奮が味わえる秀作である。
“確信”の危うさは現代の偏向SNSにも通じる
本作については当サイトの評論・批評枠に寄稿したので、その補完的な論点をこちらに書いてみたい(あわせて読んでくださるとなおありがたい)。
まず原題「Une intime conviction」は、英語では「(an) intimate conviction」、直訳すると「内なる確信」となるが、日本の法律用語では「心証」に該当し、裁判官や陪審員が審理においてその心中に得る確信を指す。私も含めフランスの司法に明るくない人なら、心証が優先される裁判を相当異常に感じるはずだ。遺体という物証もなければ、殺人の目撃証言も自白もない(つまりスザンヌはどこかで生きている可能性もある)のに、殺人罪で起訴され、陪審員の心証が一定数あれば有罪になるのだから。
ただし、この心証優先主義は、かつて強要された自白が判決に影響し冤罪を数多く生んだことの反省から、現行のように改められたそうで、いまだ発展途上という気もするし、「怪しい、疑わしい」というだけで司法・マスコミ・世論が“犯人”を決めつける悲劇はどこの国でも起こりうる。さらに言えば、SNS上の不確かな情報だけで誰かを攻撃したりデマを拡散したりするのも、自分の判断は正しい、自分がやっていることは正しいという独りよがりの正義感が行動原理という点で同根の問題なのだろう。
事件と裁判の主要関係者を実名のまま俳優に演じさせて裁判の経緯を再現しているが、アントワーヌ・ランボー監督は唯一創作したノラのキャラクター設定で印象操作を行ったと思う。評論枠で書いたように、ノラのモデルになったのは、法学部の学生だった頃にジャックと出会い、スザンヌの失踪後に彼と同棲するようになった若い女性。もし映画のノラがより現実に即して、もっと若い20代くらいの女優によって演じられ、単なる善意のボランティアでなく、被告人と恋愛関係にある(さらに言えば利害関係もある)という設定だったら、観客の印象もかなり変わったのではないか。さらに言えば、ヴィギエ夫妻の家庭内別居の発端は、ジャックが学生と度々浮気したことだったという。こうしたジャック側の不都合な真実を劇映画化にあたって見せなかったことで、妻の愛人オリヴィエの印象は相対的に悪くなった。
控訴審弁護人デュポン=モレッティが終盤で推定無罪の原則を説く弁論は確かに感動的なのだが、「ジャックの冤罪が晴れて良かった!」と喜びつつ、「どうみたって真犯人はオリヴィエだ!奴を訴えろ!」と思ったならば、危うい正義感で突っ走ったノラと変わらない。
「私は確信する」という邦題は、一見恰好良さげだが、確信を抱くことの危うさという含みもあって、よく考えると怖いタイトルだ。
「仮説」と「検証」。裁判の本質が見えてくるフランスの法廷サスペンス映画の傑作。
本作は2000年にフランスで実際に起こった未解決事件の「ヴィギエ事件」を描いた法廷サスペンス映画です。
冒頭に「ヴィギエ事件」とは、という説明が文字で出てきますが、少し早いので、こちらで要点をまとめておきます。
2000年2月にフランスで「スザンヌ・ヴィギエ」という女性が、夫と3人の子どもを残して失踪。
遺体が見つからない中、妻殺害の容疑で、大学教授の夫ジャックが勾留。
ジャックは証拠不十分で釈放される。
ところが、7年後に再び妻殺害容疑で出頭命令が出て、2009年に裁判が始まる。
第1審で無罪となるも、検察が控訴し、第2審に入るあたりから物語が始まります。
本作では、第1審を傍聴したシングルマザーで料理店で働く「ノラ」が、ジャックの無実を確信していて、ノラを主人公として描かれています。
そして、ジャックの娘(20歳)は、ノラの息子の家庭教師をしています。
また、ジャックは「うつ状態」になっていて、ほとんど役に立たない状態になっています。
まず本作で驚いたのは、裁判所に証拠申請をして、250時間にも及ぶ通話記録データが提供された点です。一体、どこからその通話録音データが出てくるものなのかは分かりませんでしたが、その膨大な通話におけるやり取りの中から「事件の真相」を探ろうとします。
ただ、様々な「仮説」を覆せるほどの証拠が出てくるのか?
この辺りが本作の大きな見どころになっています。
特に、敏腕弁護士のデュポン=モレッティによる最終弁論は、非常に深いものとなっています!
なお、本作は実話ですが、物語の一部やノラの人物像などフィクションの部分もあります。
ちなみに、この弁護士デュポン=モレッティは、2020年7月にフランスのマクロン政権下で「法務大臣」に抜擢されて世界中で大きなニュースとなるなど、今のニュースにもつながる面もあるのです。
謎の中毒性
冤罪を証明しよう!って意味では『それでもボクは』に似たテーマ。
物語をぐいぐいドライブさせていく主人公の力強さには引き付けられるし
緊迫感のある法廷シーンも見応えあった。
客観的には自分に関係ないのにかかわらず、
ある種の”謎”にのめり込んでしまうのって世界共通なのかもしれない。
信じる人は強い。
実話とフィクションの塩梅は分からないけど
明確なメッセージ性をもった作品だったと思う。
架空の主人公のパーソナリティ
失踪した妻に対する殺人で告発された男性を救うため、奔走する主人公を描く物語。
事実をもとにした作品のようです。
「死体なき殺人」。「確たる証拠もない状況証拠だけの告発」。日本では少し考え難い裁判ですね。
主人公は被疑者の娘の知り合い。被疑者の無罪を確信した主人公が、辣腕弁護士を巻き込み、その弁護士から通話録音の文字起こしを頼まれ、事件にのめり込んでいきます。
膨大な通話録音、その記録からの気付き、そして裁判シーン。主人公と息子の関係を含めて、緊迫感を十分感じることが出来る展開でした。
残念なのが、主人公が「なぜ確信するのか?」「なぜ事件にのめり込むのか?」が明示されていないこと。
主人公は架空の人物のようですが、そこが明示されていないので、彼女の熱意や苦悩が上滑りしてしまっています。とても勿体なく感じました。
私的評価は標準です。
結局元に戻った
劇場で見逃していたこの作品をやっと配信で鑑賞。
主人公の熱意に引っ張られてストーリーについていったけど、結局最後は、それまでの調査や推測とは関係なく、「敏腕弁護士」が裁判員に大演説をぶって「証拠がないなら推定無罪だよね」と原点に立ち返ることを裁判員に訴え無罪を勝ち取った、という原点回帰(?)のストーリー。ずっこけてしまいました。じゃあここに来るまでの、何百時間もの音声記録の分析や、何人もの証人喚問のシーンや、ノラによる新犯人の推測は何だったのか。
結末シーンとの連続性や関連性がなく、がっかりしていまいました。
日本のように裁判があまりに長引くのもよくないが、フランスの裁判は審理期間があまりにも短いために充分な証拠集めや分析ができず、こんな雑な審理になってしまうのか。だとしたら、制度の見直しの余地がありますね。
ノラ役と弁護士役の俳優はうまかったです。
面白そうな予告編に騙されました(笑)
無罪 or 有罪
妻が行方不明になり疑われた夫。
有罪の証拠がない中、ある女性が録音された証拠を
根気強く解明し、矛盾点を洗い出した。
結果は、無罪を勝ち取る事ができたという話。
でも、真実は解明されず。
8年もの間被告が有罪として拘留され
子供達も大きくなってしまい、
失われた時間の大きさを感じました。
着眼点が面白い
裁判物というと、被告の無実を晴らすために云々。
これもそうなのですが、面白いのが着眼点が「証言者」におかれていること。
被告はほとんどセリフないし、存在も薄い、そして物的証拠もない。
250時間に及ぶ電話記録に出てくる関係者。
それをまとめるのが、被告の娘と繋がりがある・ノラ。
電話記録って、誰が誰かわからないと。内容がわからない。
ノラが必死になって、時に仕事も息子もなおざりにして、のめりこむ。
ほとんどもう執念。見ていてちょっと恐いほど。
妻の失踪から10年。1審は無罪、2審は有罪か?。
「推定無罪」、判決が出るまでは無罪という原則。
でも世の中では一度容疑者扱いされると、それを晴らすのは難しい。
8割が法廷のシーン。
一応フィクションだけど、実際もこんな感じだったのでは?と思わせる様子や。
エンドロール前の「この事件は実際どうなったのか」の説明。
日本語訳だとたった2行に、呆然として終わりました。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「警察の確信がなければ、正義は死ぬ。我々も用無しだ」
一応ハッピーエンドにはなっているが、違和感が大きかった。 何の証拠...
一応ハッピーエンドにはなっているが、違和感が大きかった。
何の証拠もなく、死体も発見されていないのに旦那が殺人犯として起訴される?
そんな馬鹿な・・・・・。
弁護人の言葉に「ハッ」とさせられました
フランスで実際に起きた事件をもとにした法廷劇。
インスタ仲間さんが本作を紹介されていて、大好きなタイプの映画だったので、福岡での上映を待って早速鑑賞してきました‼️
本作、上映開始直後から飛ばし気味の展開。事件の背景や状況が字幕で一気に説明され、本編に入っていきます。
最初はついていけなかったのですが、徐々に内容が理解できてきました。
鑑賞前のチラシで少し勘違いしていたのは「ヒッチコック狂の完全犯罪」という文字があり、「知能指数が高く」「社会性が低い」者による緻密に計画された殺人事件の裁判劇みたいのを予想していました。
冤罪❓真犯人は❓
家庭を犠牲にしてまで、正義感に基づき事件の真相にかかわる主人公に同調しながら、本作ストーリーにのめりこんでいくと、本件の弁護人の言葉に「ハッ」とさせられます。
そして最終弁論。
とても地味な作品ですが、「正義感」「認知バイアス」など、とても気づきの多い作品となりました。
法廷映画に興味が湧いた
あまり普段見るジャンルの映画ではないが、面白い法廷映画とはなんなのか興味が湧くきっかけになった。事実に基づいているものの、自分には映画としてショーアップされすぎていて、善悪もはっきりしすぎている印象だった。実際に冤罪が起きる時、絶対的な悪人はいないのではないか、警察や裁判官の仕事の怠慢だったり、支援者がいなかったりするのではないだろうか。バッドエンドは苦手だがそれよりもリアリティをもっと感じたいと思った。
題材は興味深いが登場人物がちょっとうるさい
刑事司法制度に疑問を抱かざる得ないようなフランスで実際に起きた事件を題材にした法廷ミステリードラマ。
事実だけでも十分面白かったと思うが、作中にフィクションキャラクターが出てくる。個人的にはそれがちょっと邪魔だった。
タイトルなし
裁判サスペンスの映画の中でもなかなか良かったですね。実話を元にしていることでインパクトがありました。確かな証拠も確かな証言もない、推測はたくさんあり、マスコミの報道も不確か。そんな中で殺人罪を問う裁判が始まり、有罪ありきの検察と推定無罪を主張する弁護士の証人尋問によって裁判は進んで行きます。時間の経過などで証言がかわるなど、最後まで目が離せない展開でとても面白かったですね。機会があればまたみたいですね。
裁判の目的がぶれない弁護士に一票
ともすると、「誰が犯人か?」に本題がすりかわってしまいがちなところ。
映画に引き込まれれば、引き込まれるほど、真犯人を探す自分がいたりして。
そのあたりの心理的な描写が巧み。
弁護士だから、当たり前なんでしょうけど、真犯人探しが目的ではないことを、随所に散りばめながらも、真犯人に迫る追い詰め方をする。
まさに法廷映画の真骨頂かもしれません。
最後まで謎なのは、なぜ彼女がここまでこの事件にのめり込むのか?
ただの正義感だけとは思えない、入り込み方。
このあたりが解消されると、もう少ししっくりくるのかも?
推定無罪の重要性
フランスで一番物議を醸したとされる「死体無き殺人」事件の裁判を映画化。
日本ではなじみのないこの事件、いかに複雑なのかと身構えていたら、意外とシンプルで、それ故検察が推定無罪をまるで無視し、状況証拠だけで被告人を犯人と断定するのかまるでわからなかった。
フランス人には説明不要であるのだろう事件の背景は端折られているので、スキャンダラスに発展するまでの経緯は日本人には伝わりづらい。
監督は実際にこの事件の裁判を傍聴し、被告人の無罪を確信してこの映画を作りたいと考えたそうだ。語り手のノラは唯一フィクションの存在だが、監督の立場を代弁した存在といえる。
高圧的で雄弁な検察、策略家めいている行方不明の妻の愛人、ひたすら寡黙な夫。
観客から見ると愛人が限りになく怪しい。語り手のノラも、愛人が真の犯人だと確信し弁護の手伝いをする。しかし愛人の虚言や行き過ぎた行動も、もしかしたら夫が怪しいと確信している故の行動なのかもしれない。…と、観客自身も常に自問自答しなくてはならず、そのもどかしさが苦痛にも感じる。
ノラの確信はついには盲信となる。物的証拠がないまま突き進む裁判のなか、あらためて「推定無罪」の重要性を説く弁護士の姿になんと安堵したことか。
人が人を裁くことの危うさを思い知らされる。
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