「映画に対する深い愛を背景に年老いた声優夫婦の新生活にまつわる悲喜交々を軽やかに描写するもう一つの『マリッジ・ストーリー』」声優夫婦の甘くない生活 よねさんの映画レビュー(感想・評価)
映画に対する深い愛を背景に年老いた声優夫婦の新生活にまつわる悲喜交々を軽やかに描写するもう一つの『マリッジ・ストーリー』
舞台は1990年、『スパルタカス』のカーク・ダグラスの吹替を担当するなどソ連では一流だったユダヤ人の声優ヴィクトルは民営化と世代交代の波には抗えず失職、声優仲間で妻のラヤとともにイスラエルへ移民する。憧れの聖地での新生活に期待を抱く二人だったがそこには声優の仕事はなくヴィクトルはビラ貼りの仕事を始めるが、ラヤは何も知らずに応募して採用されてしまったロシア人相手のテレフォンセックスの仕事で才能を開花させてしまったことから今まで平穏だった二人の生活の雲行きが怪しくなっていく。
イスラエル映画というのは恐らく初観賞かと思いますが、セリフが主にロシア語だからかほぼフランス映画のようなゆったりとした雰囲気で淡々と進むドラマ。しかしここで描写されるのは正に“甘くない生活“。言葉も通じない国でかつてスターだった男とその栄光を影で支えた妻がゼロから生活を始めることの過酷さを微かなユーモアで味付けしながらもしっかり描写しています。夫婦が喉の奥につかえていた心情をぶつけ合う様は『天才作家の妻 40年目の真実』や『マリッジ・ストーリー』のように辛辣ですが、それよりも一切セリフでは説明されないさりげない仕草に何もかもぶつけ合ったわけではないことを匂わせているところに仄かな優しさを湛えています。本作の屋台骨になっているのは映画への深い愛情。フェリーニの諸作品他へのオマージュが随所に仕込まれていますが、個人的には海賊版レンタルビデオ屋のモニターに映し出された『クレイマー、クレイマー』の映像に絡めてヴィクトルがいかに卓越した技能を持つ声優であったかを示すシーンに感動しました。そして最も印象的なのは様々な声色を使い分けることで様々な男達の好みの女性を電話越しに演じるラヤがその才能ゆえに胸の内を掻きむしられるワンシーン。ここで提示される途方もない切なさの余韻は終幕の後もしばらく残りました。