川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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磐石のキャスティングで描かれるファンタジックな法話
決して軽くはないテーマが、のんびりとしてファンタジックな語り口に包まれて暗さや説教くささというえぐみを抜かれ、美味しい味噌汁のように沁みてくる。観終えた後、なんだか心がほぐされたような気分になった。
荻上監督が、NHK「クローズアップ現代」で取り上げられた行き場がなく葬儀をされない遺骨の話に着想を得て紡ぎ出した物語は、どこか死との距離感が近い。
子連れのセールスを方々で嫌がられる墓石屋の溝口。その勧誘方法のせいもあるだろうが、彼を拒絶する人々の態度はどこか、無意識のうちに死という必然の現象を遠ざけて忌む現代の風潮とも重なる。
亡き夫の遺骨をかじっていとおしむハイツムコリッタの大家、南。主人公山田の風変わりな隣人島田は、息子を亡くしているようだ。
山田が食べる塩辛は、ご飯の上に乗せればおいしそうで生きる喜びにも通じるが、工場で処理される様や、彼の父の遺体の話と並べた印象は、どこか屍(しかばね)を連想させ、そこについ不穏さを感じる。食べるためのいかの加工も遺体の話も、人間の生き死ににつながる当たり前のことなのに。
ろくでもない親から生まれた前科者の自分に、ささいな幸せを味わうことさえ許していなかった山田。ろくでもない父親だったと突き放しながら、親を突き放した自分への罪悪感も同時に感じ、そんな自分に彼は罰を課していたのかもしれない。
そんな山田が、図々しい隣人や風変わりなご近所に破られた心の殻の隙間から、彼らの抱える過去を知り、自分に小さな幸せを許し、父の死を自分のこととして受け入れていく様子に、心があたたかくなった。未亡人の南は彼に父親の葬式を勧める。弔いが残された者のためにあることを、経験的に知っているのだろう。
逃れられない苦しみを抱えていたとしても、誰かとの何気ないやり取りや美味しい食べ物の中に刹那の幸せを見いだすことは不可能ではない。
自分が幸せかどうかを、人は置かれた状況から判断しがちだ。そうではなく、空がきれいだとか美味しいものを食べたとか、そういった脈絡のないささいなことの寄せ集めこそが幸福感の正体なのではないだろうか。
何のためか分からなくてもやり続けていれば、10年たって初めて分かることもあると、塩辛工場の社長は言っていた。幸せも実はそんなもので、小さな幸せをこまめに拾い集めていれば、いつの間にかそれなりに幸せな人生になっているのかもしれない。
お坊さんがおだやかな声で語る法話のように、幸せのあり方や命との向き合い方を本作はさりげなく教えてくれる。
配役は磐石の布陣で、安心して見ていられた。
松山ケンイチは山田役のオファーが来たことで田舎への移住を決意したそうだ。ハイツムコリッタの人たちのどこかノスタルジックな距離感には、彼の実生活も反映されているのだろうか。
個人的に普段は癖の強さが苦手なムロツヨシだが、本作では抑えた演技で(監督からそのような演技指導があったらしい)、滲んでくる彼らしさも役柄に合っていた。
主要キャラ以外も柄本佑や緒方直人、ほとんどマスクをしている工場の同僚役の江口のりこ、たまたま南を乗せたタクシー運転手の笹野高史など、隅々までぬかりのないキャスティングが、ファンタジックな描写も多いこの物語に説得力と見応えをもたらしている。
ムロツヨシと松山ケンイチの良さ
昔はめがねとか小林聡美系は好きで観に行ってたのだけど、十数年経ってまた見てみるとかなり退屈だと思ってしまう傾向があった。
満島ひかりほどの女優さんは中々いないし大好きではあるが、ムロツヨシとか結婚後の松山ケンイチとかにちょっと苦手感がある中で見てみたら面白かったのである。
中でもムロツヨシのクレイジー加減は見応えがあった。仕事はして無さそうだったけど。
知久さんやパスカルズも好きで観に行った事があるから、中々自分寄りの映画だったのかな。知久さんは見た目そのままで出演して大丈夫なんだ(笑)
ムロさんだから観ていられました
詐欺師だったらしい青年が出所後、北陸の塩辛工場に流れついて、社長の紹介で川縁のアパート、ハイツ・ムコリッタに一人住まい、奇妙な隣人たちとの交流で、細やかながら生きる喜びを得てゆくお話、見どころはストーリーと言うよりはムロさん演じる図々しいが憎めない本音で生きる隣人をはじめ、部類の善人の社長、訳アリの大家さん、墓石売りの親子など風変わりなキャラで醸し出す雰囲気を愛でるつくりでした。
死後の魂の行方、供養のあれこれ、亡霊、宇宙人まで出てきて宗教映画的、哲学的であるがSF、ファンタジーにも手を広げ、貧しいながらも生を紡ぐ人々への励ましのような社会派ドラマ的でもある、実に奇妙な、作家性の強い映画でした。
正直、どうでもいい流れなのですが風景が良く、ムロさんが出ていたから最後まで観ていられました。
骨壺が落ちる事も想像出来ない者が災害まで予見出来ないよね。
この映画(物語)は一刻館を舞台にした『めぞん一刻』だと直感した。五代くんと四谷さんから話が始まる。
先日『めぞん一刻』のCOMICSを全部断捨離した。
この映画の舞台は富山県らしい。全てが 富山県と関係ない。
まさかね?骨壺が落ちる事も想像出来ない者が災害まで予見出来ないよね。
どうして、富山なのか考えてもどうしても分からない。千葉県松●市の土手辺りでも何ら問題ないと思うが。
粉にすれば何やっても良いけど、自分で粉にするのは、道義的にどうであろうか。
妊婦の腹を蹶りたくなる人物が、カニバ●ズムに走る意味が分からない。
富山で撮影する意味が分かった。北陸●●線開通記念だ。
しかし、イカの塩辛は北海道か青森県でしょ。もっとも、富山のイカと言えば、ホタルイカだから、季節が終わっていたのか?言うならば、どうでも良い理由わからないショートコントのお話。
行政に位牌の焼却を任せて、知らんぷりしても経費の削減で良いと僕は思う。
火葬料金と、遺骨を粉にしても、合計で25万円位じゃないかなぁ。粉にすれば、行政の法令(?)には違反するが、どこにその粉を巻いても罪にならない。是非お勧めする。断捨離になると思う。
で、この映画で笑って良いの?
春さきは甘エビだ。ます寿司も出て来ない。本当に富山地産地消の映画なの?まぁ、原作者は海千山千県人だからね。『ほっとけ樣』の事だけは詳しいようだ。
自分で砕いても良いんだ♥
終わった。
この演出家ってあのオリンピック映画の監督なんだ。今知った。通りでね。やっぱり、なんとか賞は一つの出来レースで国策何じゃない?
日本に限った事は無いが賞を取れる演出家が名演出家ではなくなって来ているってことさ。少なくとも、2回目の受賞作なんて、海千山千の極みなり。
亡くなった人も一員にする優しさ
山田が新しい仕事に就き住居も新しく住み始めると‥‥。
勝手に一番風呂に入り冷蔵庫を開けビールを飲み挙げ句の果てに炊き立ちのご飯も食べる島田。
夫を亡くし娘と二人力強く生きつつも家賃滞納する住居人にもほんわか優しく接する大家の南。
なぜか幼い息子と墓石のセールスをする溝口。
住居も世話してくれた勤め先の社長沢田。
気遣いができよく話しかけて仕事のやりようも褒めてくれ、土産に塩辛を持たせてくれる。
島田のことを昔からよく知っているようで口が堅いとも教えてくれる。なぜ島田を雇わないのか、は疑問。
200万円の墓石が売れた溝口。早速すき焼きを食べていると匂いを嗅ぎつけた島田、山田、南が箸を持ってつつきに来た。そこで岡本さんの話題。
亡くなった人でも違和感なしに仲間に入れる人たち。
前科があろうが気になどしない。
本人がいい人なら、それでいい。
九九七の段逆読みして一人で耐えて来た山田。
父親は早くに出て行き、高校生の時、母親に2万円だけ渡されて蒸発された。
いつの間にか道が逸れてしまっていた。
突然父の死を知らされた山田。
引き取るか躊躇する山田に島田から(父の存在を)無かった事にしてはいけないと諭され引き取りに行き市の職員の堤下に父の事を詳しく教えて貰い改めて自分との共通点を見つけ父と思う。
米研ぎを丁寧にし炊き立ちのご飯の香りを嗅ぐ。
ごく普通の暮らしのようだけど、山田には、なかなか手に入れる事はできなかった。
今やっと一般に言う普通の暮らしができるようになった。
ずっとこのまま続いていって欲しい。
(余談)不燃物置き場、綺麗すぎで、スタッフが並べたそのもの。映し出される度に、気になって気になって、電話やハーモニカに目が行かなかった。
北陸の塩辛工場で働く山田の、過去と現在のこと。
山ちゃんこと山田のお話です。
山ちゃんは前科者で出所したばかりです。
「親もクズだから自分もクズ。クズは遺伝する」
そう思っている山ちゃん。
事実不幸な生い立ちで、
4歳で両親が離婚。
父親とはそれ以来会ってないので顔も覚えていない。
塩辛工場の社長(緒方直人)からは、
「頭使うより、手を使え」
「こんなことやっていて何になるんですか?」
と、山田が聞けば、
「何になるかは10年やってみないと、分からないものだ」
と言われる。
仕事帰りに塩辛をくれる。
山田(松山ケンイチ)は仕事と同時に住まいも提供される。
風呂キッチン付きふた部屋のハイツムコリッタだ。
入浴してると、見計らったように隣の島田(ムロツヨシ)が現れる。
給湯器が壊れているので風呂を貸してくれと、言うが、
山田は必死の思いでドアを閉める。
他人とは関わりたくない。
所持金も底をつき、ふて寝をしていると
島田が不揃いな胡瓜とトマトを差し入れしてくれる。
腹ペコだったので凄く美味しい。
胡瓜とトマトを交互に食べてると、
有無を言わさずに島田が風呂に入ってしまう。
そこからなし崩し的に、
炊き立てご飯をよそって味噌汁も注ぎ、
ご飯もいつのまにかお代わりして、
勝手に1番風呂に入る島田。
冷蔵庫も開けて缶ビールを飲んでいる。
ある日、山田の郵便受けに役所から封筒が届く。
4歳で生き別れして顔も覚えていない父親が
「孤独死した」という報せだった。
困惑して放っておこうとすると、
島田が、
「山ちゃん、それはダメだよ」と強く言う。
バスに乗って役所に行くと、福祉課の堤下(柄本佑)に
沢山の無縁仏を見せられる。
「居なかったことにされた人たちだ」
そう思う山田。
1年間保管して受け取りに来ないお骨は火葬して
共同墓地に埋葬されるそうだ。
白い箱のお骨が山田が寝ている部屋で光る。
怖くて九九の七の段を逆さまから唱える。
七九=六十三
七八=五十六
七七=四十九
七六=四十二
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山田の恐怖克服法だ。
高校生の時、2万円くれた母親は、
「これっきりだからね!」
と、山田の前から消えた。
以来会っていない。
「母親はクズで、父親は野垂れ死」
「クズは遺伝するるですかねー」
それでも炊き立てのご飯と塩辛それに島田の漬けた浅漬け。
しみじみと美味い。
炊き立てのブザー音で蓋を開けて深呼吸をする。
ご飯の香りを吸い込む。
(富山のブランド米「富富富」)
(ふふふと読む)
島田のお喋りが止まらない。
2人で囲む食卓が少しづつ豊かになる。
なんの世話にもなっていない父親。
その遺骨が無言のプレッシャーをかける。
トイレに流そうとするが出来ない。
川に流そうとすると僧侶のガンちゃんが後ろで咳払いをする。
台風の夜、落っこちて骨壷が割れる。
お骨は捨てると3年以下の懲役だが、
粉に砕いて撒けば罪にはならない、
島田が教えてくれる。
突然の遺骨に振り回されれる山田。
他人なのに山田に優しく接するハイツムコリッタの人々。
それぞれ問題や悩みを抱えている。
半年間家賃滞納の墓石売りの溝口とその息子。
200万円の墓石が売れたお祝いの高級牛のスキヤキ。
島田、山田、南と娘。
みんなが箸を持ってきて食べるシーンが極上。
「みんなで食べると美味しいよねー」
「俺、笑っても良いんすかねー」
と、山田が言う。
追記
「いのちの電話」の相談員をしている友達がいます。
自殺の相談より寂しいお年寄りの、
「誰かと繋がりたい」
そういう電話が多いそうです。
2年間の研修と交通費も出ない完全無報酬です。
傾聴に徹すること。
ひたすら話を聞くそうです。
聞き過ぎて、うつ病と戦ってる彼女に頭が下がります。
軽い気持ちのアルバイトがルフィなどの悪に繋がる。
「オレオレ詐欺」に騙された母親は、息子から絶縁されたりする。
(山田は死ぬほどの空腹があった・・そう言っている)
ハウスムコリッタの善意の人々。
山田をクズ、と決めつける人は誰もいない。
幸福な出会いによって救われる青年の、
寓話のようにあったかい話です。
あなたの、私のムコリッタ
荻上直子監督と言えば、『かもめ食堂』『めがね』などのスローライフ・ムービー。ゆったりまったり時が流れ、個性的な登場人物たちが織り成すユル~い笑い。
本作でもその魅力に浸れる。
北陸のとある町の塩辛工場に就職し、安アパートで暮らし始めた主人公の青年・山田。なるべく人と関わらないようにしていたが…
「風呂貸して」とズケズケと上がり込んでくる隣人男・島田。風呂だけじゃなく、食事の時も現れて…。ヨネスケか!
美人未亡人の大家さん・南。これが高橋留美子の漫画だったらロマンスが始まる所。
墓石の訪問販売をしている父子・溝口。やる気があるんだか無いんだかな売り文句。
嫌々?ズルズル?仕方なく?彼らと接していく内に…。
最初は嫌で面倒でぎこちなく気まずかったのに、住人たちとの交流が日常的になってくる。
あんなにウザかった島田。見ていく内に、こちらもいつしか受け入れてしまっている。
風呂なんて毎日入りに来て、上がってからご飯も一緒に。
おせっかいだけど、何処か温かい。あるシーンの台詞が胸に響いた。「居なかった事にしちゃダメだよ」
住人たちも。風変わりだけど、何処か温かい。
それから、ご飯。『かもめ食堂』『めがね』もそうだけど、荻上直子監督の作品に出てくるご飯って、豪華豪勢A級フルコースには程遠いけど、めちゃめちゃ日本人の好みが分かってる庶民的な味。
炊き立ての真っ白なご飯、取れ立てのキュウリにトマト(庭園栽培している島田からの差し入れ)、塩辛(工場社長からの差し入れ)…。
風呂上がりにはビールじゃなく、牛乳。(終盤で思わぬ感動的な“遺伝”)
住人宅からいい匂いが。すき焼き! 家賃もろくに払えてないのに…。
美味しそうなご馳走に人は抗えない。皆で囲って。「ご飯って一人で食べるより誰かと食べる方が美味しい」
中でもイチオシは、暑い夏の日、ビールと味噌付けたキュウリ。これだけでイケる!
フードコーディネーターは荻上監督作お馴染みの飯島奈美。他の担当作品もそうだが、この人が手掛ける“メニュー”ってどうしてこんなに美味しそうなんだろう!
自分のペースの営み、気配りのない交流、美味しいご飯、たまの贅沢…。舞台設定は現代だけど、まるで昭和のような。
タイトルの不思議な言葉、“ムコリッタ”。仏教の時間の単位の一つで、1日(24時間)の1/30=48分を意味する仏教用語。ささやかな幸せを意味し、それは作品のモチーフそのものであり、表している。
私は単純人間だから、こういう作品を見るといつも思ってしまう。こんなささやかな幸せに浸りたい。
荻上監督“らしさ”充分だが、ただそれだけではない。
監督の新境地となったのは、『彼らが本気で編むときは、』。
家族の在り方や幸せを描きつつも、トランスジェンダーを題材にした社会的メッセージに心打たれた。
本作でもシリアスなテーマや社会的メッセージが巧みに込められている。
そもそも本作は、監督が行き場の無い遺骨のドキュメンタリー番組を見たのが着想だという。
孤独死した父親の遺骨を引き取るのを渋る山田。
父とは疎遠。母親ともとっくに生き別れ。両親揃ってろくでなし。
「ろくでなしって遺伝するんですかね?」
そう嘆く山田に工場社長が掛けた言葉…。
「生きてる意味ないんすよ」「ここに居ていいんすかね?」
ようやく山田もここでささやかな幸せを見出だし始めた時、自分自身に問う。南が掛けた言葉…。
誰とも関わり持たないと決めていた筈なのに、住人たちとの交流がいつしか欠けがえのないものになってくる。
それもこれも土足で入り込んできた島田。彼の存在、彼の言葉…。ささやかな幸せを見つける名人。
何故山田はこんなにも自分の人生に悲観的…?
両親がろくでなしだから…?
彼自身、あるものを背負っている。
それは冒頭の工場勤務初日の社長の台詞ですぐ分かる。「更正出来る」
実は山田は前科者。犯した罪は殺人ではないが、お金を騙し取って…。
だからそんな彼が、お金とは縁遠いささやかな幸せを見付けた事に意味を感じた。
罪は罪。それを猛省し、再出発する権利は誰にだってある。
工場側はそれを踏まえて雇い入れてくれたし、アパートでもその事を咎める人は居やしない。
必要の無い人間なんて居ない。居なかった事にされる人間も居ない。生きる意味、ここに居ていい意味は必ずある。
人間だもの。誰かしら何かを抱えている。
それは住人たちも。
悩みなど無いように見える島田。自称“ミニマリスト”のシンプルライフ。
が、彼にだって。飲みの帰り、嘔吐しながら嗚咽。言葉を濁した家族の事…。あるシーンで「俺も連れてってくれー!」。普段の言動からは計り知れないほどの苦悩や悲しみを滲ませる。
彼の幼馴染みの寺の坊主。強面で無口だが、さりげない優しさを見せる。
南は夫と死別。溝口は墓石の訪問販売。
島田の台詞で、川っぺりのホームレスたちが時々台風や大雨で流される。
山田がある時見掛けた住人の老婆。実はそのおばあさんは…。
山田の父親の遺骨、いのちの電話など、“死”が散りばめられている。
が、決してそれは終幕ではない。そこからの再起、再出発。
生と死。生を全うして死が訪れ、死を受けて生を尊いものに。
始めは素っ気ない性格に見えて、複雑な内面や事実を抱えている。松山ケンイチが巧演。
ムロツヨシみたいな隣人は絶対に勘弁!…と最初はうんざりしていたのに、いつしか彼の人柄にやられた。
満島ひかり、吉岡秀隆…彼ら住人の中に入りたくなってくる。
市役所職員の柄本佑、工場社長の緒形直人らの助演陣、マスクで顔が見えない江口のりこ、ワンシーンのみの田中美佐子や“運転手”笹野高史、声だけの薬師丸ひろ子…皆、適材適所。
夏のうだるような暑さを感じさせる雰囲気、時折秀でた映像美。
パスカルズの音楽も心地よい。
初期はスローライフ・ムービーの名手。近年は新たな手腕を見せ、その才は留まる事を知らない。
すでに発表されている次回作は初とも言えるシリアス作品になるよう。
荻上直子監督からますます目が離せない。
でも、今はまだこの作品に浸っていたい。
あなたの“ムコリッタ”は…?
身近な人の死によってつながる絆。
かもめ食堂、めがね、などは未鑑賞でこの監督作品はお初。
4歳以来会っていない父親が孤独死。
最愛の夫の死、そして骨を口にするほど。
(おそらく子どもを亡くしている)隣人。
墓石を売っているご近所さん。
幽霊となって出てくるご近所さん。
隣人の友人のお坊さん。
みんな死を身近に感じている人が集まっている。
それを問い詰めることなく、それぞれのトラウマや思い出を抱えながらも尊重し合っている。
それぞれの距離感は違えども、それも尊重し合って・・・(し合ってない場合もあるが)、見ていて不快感がない。
それぞれの距離感と抱えているものを共有することは、連帯と助け合いが生まれてくるのだな。
食事のシーンは幸福の象徴でもある。それによって生きてきたということ、そしてこれからも生きていくということを教えてもらったような作品だった。
豪華なキャスト俳優さん
他の作品が時間たいが終わってしまい、偶然見つけた埋もれていくのが勿体ない作品だと思ったので観ました!!KADOKAWAさんの本を大切に描く良さが本編に出ていたのと豪華なキャスト俳優さんほんわかだけど死と向き合う食べで美味しさを知るが描かれた作品だと思っいました!!きゅうりとトマトが美味しそうあたしもご飯ですよやイカの塩辛でシンプルにご飯の美味しさあらためて食べたいな身近な幸せを感じたいです
手探りしながら進むんだ。 みんないろんなことを抱えながら。
ちょっとぶっきらぼうだけどさっぱりして快活な南。
てきぱきと大家をこなし、娘を明るく育てる気丈さの裏に、ひとりになれば亡き夫の遺骨を骨壷から取り出し記憶のなかの温もりに抱かれる。切なさをエネルギーにかえているしなやかに逞しいひと。
飄々と他人の領域に来て無類の人懐こさを醸し出す島田。どうやら辛い過去をもち酒に酔っては泣きだし、ふと言いかけてためらう。ああみえて自分のこととなると密かに抱え込むナイーブな部分もある。
子連れで墓石の営業をする礼儀正しく真面目そうな溝口。普段のつつましい暮らしぶりがうかがえる特別な日のすき焼きのシーンには他人への優しさも表れている。どんなときも淡々とした口調は、彼が彼らしくいるために必要で、父子で生きていく上でだいじな拘りのようだ。
マイペースで動じず淡々としている島田の幼ななじみの住職。無表情で人相は悪いが他に媚びたり立場を利用することもない。裏表なしの性格は時に敵をつくり生きにくい時間も重ねてきただろう。
寺に島田が山田を連れて立ち寄ったとき、山田が父の遺骨を捨てようとしたのを見かけたとき、弔いのときなどのシーンで、口数も少なくアピールこそしないのだが本質への直感力の鋭さがあるように思える。
社長。はっきりしてて、多少空気を読まずに前のめりな印象が暑苦しくもある。しかし、あれこれと山田に配慮する姿は情に厚く、他人を見捨てない優しさが溢れている。今となっては珍しいが、昔そこら辺でたくさんあった、親戚でもないのに「親戚以上やや兄弟未満」のつきあい方を地でいく姿は、山田をなんとか励まし軌道にのせてやりたい責任感あふれる叔父のようだ。
職場の先輩、中島。
新入りがきてもあまり笑顔もみせず他人にも自分にも厳しそうな雰囲気。不必要な語りもサービス精神もみせないが、肝心なところだけは押さえて見逃さずさらりと伝えてくれるような姉御肌のようだ。山田のように度々気に迷いがある場合、その塩加減だったり、茹で加減だったり、しめ加減で、タイミングよくサポートしてくれる存在は結果的に背中を押してくれるとおもう。それを単刀直入に、しかも後腐れなくできるひと。相当な芯がある彼女のいままでの道のりを匂わせる。
そんなみんなにいつのまにか寄り添われることになる主人公・山田。
親との絆が薄い生い立ちに翻弄された少年時代。挙げ句の果てに詐欺に加担した前科者という烙印は深い負い目となる。自分でつくった暗い影の範囲にひっそりと収まる暮らしをしようと選んだ新天地が「ハイツ ムコリッタ」だった。
そう、ひっそりと…を望んでいたが
ひっそりとはいかなかった〜!
川っぺり界隈には濃ゆい出会いが待っていたのだ。
山田がそこに住み始めて間もなく、
役所から実父の死の連絡を受けるが長年かかわりがない為、ピンと来ない。遺骨引き取りにも全く義務的で100歩譲って消極的。骨まで愛おしむ南さんとは180度の差で夜な夜な光ってみえる壷に慄いて捨て去ろうとするくらいだ。
それを住職に見つかりとがめられ、改めて散骨しながらみんなで賑やかに弔うことになるのだ。また、図々しく風呂に入りにくる島田のおかげ?で、牛乳を飲む時の父を思い出し親子のつながりを感じたり、誰かと食べるご飯の美味さ、畑仕事で自然の恵にあやかる喜び、河原のホームレスの人々のきままさを選んだ暮らしや南親子と溝口親子の自分にはなかった関係性など、毎日、目から鱗のことばかり。天涯孤独の諦めモードだった山田だが、彼らに出会い次第に笑顔を増していくのだった。
みんな違う
生まれてきた場所、
生きてきた場所、
生きる場所。
そこで
他を受け入れ
自分を弛め
働き、食べ、眠ろう。
いつも
ニュートラルな自分でいれるように。
手探りしながら進むんだ。
みんないろんなことを抱えながら。
…作者はこんな時代だからこそ
伝えたかったのかなと思う。
川っぺりムコリッタ
そこにあるのは
まるで
誰かと誰かがつながる
原点回帰の応援歌だ。
あたたかくじんわり
心地よくくせになるものが
溝口さんのむすこの弾くやさしいピアニカの音色とともに胸のなかに残った。
どこでどんな暮らしをしている人でも、心の中に重荷や十字架を抱えていて、それでも毎日束の間の幸せを感じながら生きているのです。炊きたてご飯がとても美味しそう。
松山ケンイチにムロツヨシに吉岡秀隆。
このキャスティングで一体どんなお話が と
気になっていた作品を鑑賞してきました。
一人の男が暮らし始めた古い安アパート。
そこで生活する人達との交流を描いたお話 です。
それぞれが過去の重荷を背負っている住人たち。
暮らしぶりは豊かとは言えなくとも
毎日の暮らしの中に
ささやかな幸せを見つけながら しっかりと生きている。
主人公の「山田」を演じたのは松山ケンイチ。
詐欺の罪で刑務所に服役していたらしい。
出所してこのアパートを紹介されて住人に。
「人からお金を騙し取った」
ということらしいのですが
おそらく彼自身もそんな事とは知らずに
詐欺の片棒を担がされたのではないか ?
と、そんな感じすら受けるほど
「無口で 人との付き合いがヘタ」
な人物を好演してました。
そんな彼の隣人「島田」がムロツヨシ。
いや~
クセが強く、押しも強く、しかしどこか陰りのある
そんな強烈な
個性120%全開のムロツヨシを堪能しました。 拍手。
この「山田」と「島田」の関係性。
相手の足りない所を互いに補いあえるようになる
その過程の変遷が、見ていてすごく面白かった。
※食事(スキヤキ)に乱入する場面なんか
島田に続き、茶碗とハシだけ持って
「お金持ってません」 と
宣言して食べ始める姿には、清々しさを感じました。 はい。
※溝口サン(吉岡秀隆)には同情するしか無いですが (…涙)
と、まあ
こんな感じに
「ハイツ ムコリッタ」で暮らす人達の
「ささやかな幸福の時間」
を、切り出して描いた作品です。
昭和の時代にはこのような
助け合い、もたれ掛かり合って暮らす生活の場が
あらこちにあったような気がします。 しみじみ。
観て良かったです。
満足。
◇ あれこれ
前科者・その後
を描いた作品を、最近他にも何作品か観ている事に
思い当たったのですが…
「ヤクザと家族」 元々住んでいた世界が違うかも (…汗)
「前科者」 リアルな現実の描写が凄かった (…汗)
「すばらしき世界」 シビアな現実を見せられました (…涙)
う~ん
同じ前科者のその後を描いた作品でも
描く世界観が全く違いますね。
この作品は一番ソフトです。
フグ差し
子供の前で、フグを食べる真似をする溝口(吉岡秀隆)。
表現力は素晴らしかったのですが
幼稚園児くらいの子供に、伝わるのでしょうか ??
(スキヤキなら分かりますが)
※200万の墓、自分の取り分はいくらなんでしょうね? (…下世話)
おばあさん
アパートの前で山田に声をかけた人。
「こんな植物でも、手をかければ綺麗な花が咲くのよ」
後でユーレイと分かるこの人
大家さん(満島ひかり)からは
"会いたかった" "次は私の所に出て"
と熱烈ラブコール。
死んだ後もこんなに慕われる人生も 悪くないかも
そんな風に思ったりします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
とても面白い🤣 ある意味、悲劇の主人公は存在しない。1人ひとり悲し...
とても面白い🤣 ある意味、悲劇の主人公は存在しない。1人ひとり悲しみ辛い事はある生きているのだから。自分だけが特別でない。それがわかった。ちょっと生きるのが楽になった気がする。
帰り道カーステレオからイマジンが流れてきた、とても今の気持ちに馴染んだ〜
出所したばかりの前科持ちの青年・山田(松山ケンイチ)。 他人とあま...
出所したばかりの前科持ちの青年・山田(松山ケンイチ)。
他人とあまり関わりたくないと思っている彼が選んだ勤め口は富山県の小さな町にある塩辛工場。
暮らす場所は工場の社長が紹介してくれた古い長屋建ての「ハイツ・ムコリッタ」。
大家の子持ち未亡人南さん(満島ひかり)は良いひとっぽいが、隣人の島田(ムロツヨシ)はどうにも遠慮がない。
そんな中、山田青年に届いたのは、幼いころに別れた父親の遺骨を引き取ってほしいと役所からの通知だった・・・
といったところからはじまる物語で、舞台設定から『めぞん一刻』か?と思っていたら、冒頭、字幕で「ムコリッタは仏教用語で1日の1/30の時間、48分。最小の時間の単位は刹那」と出る。
うわ、なんじゃぁ。ハイツ=めぞん、ムコリッタ=一刻ではないか。
ということで、バイアスから逃れられない鑑賞となってしまいました。
ま、コミックスの『めぞん一刻』はラブコメなんだけれど、表紙の悪いことに思い出したのは田中陽造脚本の実写映画の方で、「あれは、生と死と性がへんてこりんに結びついた映画だったなぁ」なんてことも。
いやはや、ながらく映画を観ているのは、いいことばかりじゃないですね。
バイアスかかりまくり。
こちらの「ハイツ・ムコリッタ」も、死が背景にある映画で、登場人物のそこかしこに死の影がつきまとっています。
未亡人の大家さんしかり、隣人の島田さんしかり、向かいの黒服親子は墓石の販売員だし、反対側の空き室には2年前死んだばあさんの幽霊が棲みついているし、と。
ちょっと過剰な感じ。
過剰な物語を緻密に描こうとする荻上監督の演出は、原作も脚本も自身の手によるものだけに、冗長になってまだるっこしくなった傾向があります。
後半の、謎の空飛ぶ物体(イカですね)、父親の遺骨を粉砕しながらの山田青年の独白あたりは長々しい。
墓石販売の黒服親子のエピソードも、かなり長い。
付け加えると、いくつかは過去の映画を彷彿させるシーンがあり、それがこの映画では(個人的には)いい方向に働きませんでした。
空飛ぶイカは、『プール』のタイにおけるお盆の風物。
夏のすき焼きは、大林信彦監督『異人たちとの夏』、山田の父の野辺送りは同じく大林監督『野ゆき山ゆき海べゆき』。
実写版『めぞん一刻』を彷彿とさせる性のシーンはないなぁ、と思っていたら、最後の最後の大家さんのシーン。
全体的にまだるっこく、後半ちょっと飽き気味。
120分の尺だけれど、タイトルにあわせて、2ムコリッタ(48分×2=96分)に縮めればよかったのに、と思いました。
なんだろう、「懐かしい」情景を観た。
炊きたてご飯を食べてる松山ケンイチ、ずうずうしくて憎めないムロツヨシ、頼りになる満島ひかり。吉岡秀隆、緒形直人、江口のりこも、さもあらんと思う役回り。意外なキャスティングはないです。
けして裕福ではない昭和な生活をしみじみ観るのかなと思ってたら、あらあら大変。
なんとか真っ当に生きようとしている松山ケンイチ達が、いつ足を踏み外すか、転げ落ちるか、心配していたけど、ここで暮らしていれば大丈夫だと思えた。
音楽もいいです。あの人の声も含めて、耳に心地いい映画です。
生者、死者とお弔いとお骨
ポスターの右下に「…………。でも、孤独ではない。」のフレーズを呟く羊がいて、観終わった後に気づいたのですが、気持ち良く脱力。
◉生者たちの快感
まず生者たちが登場する。主人公(松山ケンイチ)と隣人(ムロツヨシ)の関わりをメインに、しなやか過ぎて折れない墓石業者の父親(吉岡秀隆)と、優しいけれど翳りを含んだ大家さん(満島ひかり)。父親はしなやか過ぎて気味が悪いぐらい。
ご飯の炊き上がった匂い、甘く切ないすき焼きの牛肉、塩辛のキツいしょっぱさ(しかし日々のオカズでは身体に悪かろう)、浅漬けの歯応えや、湯上がりの牛乳の甘さが沁みました。
それに加えて、寝入った身体に優しく吹く扇風機の風や、湯舟で漏れる溜め息。さすがに皆さんが実感タップリに、演じてくれている。
そんな食や睡眠・入浴の営みの快感が、次々に押し寄せる。そして大家さんが見せた、切ない性の営み。
◉境界線のない地帯
隣人は主人公の部屋に侵入して、食事と入浴を強引に共有するけれど、その後の「なし崩しぶり」こそが、この作品の世界観だったように思います。
何かの間違いで大物を買ってもらった墓石業者のすき焼きパーティに、まさか現れた大家さんもそうですが、この方たちの生活や人生には断固とした境界線がない。気持ち良く滲んでいる。
ケジメがないと言うことになりますが、線引きは自分の内側にひっそり引いておいて、時に緩く主張したりすれば、それで構わない。主人公も、隣人から生者・死者の存在感の大切さを説かれる。
役場の担当者(柄本佑)が骨壷を開けて、戸惑う主人公に喉仏を見せる。こんな、一見無表情で機械的な担当者のシーンも、厳然として、かつ「生」のすぐそばにある「死」を語っていたのだと思います。柄本佑が匂わせる、心の中の優しい微笑。
◉死者や宇宙人たちも登場
亡くなってからも、ずっと花に水遣りしている美容師の女性(この方が誰だか分からない)。紫をトレードカラーにした上品な幽霊がさり気なく暮らしに登場するのも、この作品のもう一つの世界観。生者も死者もいつかは皆、一緒になる訳だから。
主人公が寝ている部屋のサッシがほとんど開けっ放しでした。あそこからどんなタイミングで、主人公の父親が現れるか気になって仕方なかったです。カメラワークが絶対にそうだと思っていました。
地震で骨壷が壊れてお骨が散らばった後など、絶対に姿が見られると思いました。充分にドキドキしました。
河川敷に設けられた電話機の墓場が、実は宇宙人との交信基地だったとは! こんなことをする子供たちは最高だし、前途有望! だから塩辛工場を抜け出したイカの亡霊が、大きな宇宙人になって、空を徘徊してくれる訳です。
◉かつての詐欺師も登場
ドキドキはもう一つあって、主人公と隣人の関わりが、詐欺師と被害者の関係でもあったことが分かる瞬間。でもほんの少しのギクシャクの後、自然に時の流れに呑み込まれた。
ところで、主人公がかつて詐欺師だったとは、どうしても感じられませんでした。事件が介在するなら、主人公は被害者にしか見えない。もしくは、被害者から止む無く加害者になってしまったか。
◉普通の呼吸で暮らす
社長(緒方直人)が説く、単調であっても丁寧な「瞬間」の積み重ねの話。
何も考えずに必死で過ごした一日が繰り返されて一年になり、気づいたら十年になるんだ。あまり深く悩まず、細かく考えず、おおよそ時の流れに身を任せなさいと言うこと。
頑張るけれど達成、再生、復活だけを大きく掲げない、普通の呼吸を繰り返す人生。
そう言う解釈でよろしいんですよね、御坊(黒田大輔)? しかしガムを膨らませてはパッチンする坊様など、ヤンキーものの作品でも、私は観たことがなかったです。ちょっと、狙いすぎかも。
ラストの野辺送りの光景は、別世界感溢れた美しいものでした。ガンジス川へ、どこかの川へ、私たちは、また旅立つ……みたいな。大家さんの衣装が、この作品の自由感や遊び心を激しく象徴していたように感じました。
心の闇ではなく、心の光。景色に滲んでいて、決してあからさまには見えないけれど、限りなく大きな光。
禍福は糾う縄の如し
生きていると悲しみの数が増えていく。と言うけれど、悲しみを経験したからこそ、誰かの心に寄り添える様になるのかもしれない。
登場人物がみんな誰かを欠いていて、寂しさを抱えながらどうにか日々を紛らわせて生きている。
タイトルの「ムコリッタ」は「牟呼栗多」と書く。
仏教の時間の単位で48分間のことを指す。
事象が変化する時の時間を示す言葉だそうな。
朝日が登る時間。日が暮れる時間。人が生まれるまでの時間。人が亡くなるまでの時間。
あっちとこっちを隔てる時間のことを示す言葉だそうな。
それを聞いて、ストンと納得がいく。
作品に登場する人物達はギリギリこちら側(生きている側)
にいるけど、彼岸をとても身近に感じて生活している。
俳優陣が演技で魅せてくれる「生きる」仕草や所作が素晴らしい。
松山ケンイチさんが生野菜にかぶりつく場面では本気でお腹が減る。劇場なのにお腹がぐーぐー鳴ってしまう。
自分の罪を後悔しても、帳消しにはならない。
満島ひかりさんの場面では涙が止まらなかった。
この世に留まらなくてはならない理由があるからと言って、哀しみが癒える日が来るとは限らない。
人は寂しいからさ、人と繋がってなんとか紛らわせて日々を粛々と生きていくしかないんだよ。と語っているムロツヨシさんが一番彼岸に渡りたがっている場面でも号泣してしまう。
吉岡秀隆さん親子が墓跡を売り歩いているのも、死の影が彷徨っている様に感じてしまう。
そんな寂しさと哀しさを抱えている人達が並んですき焼きを囲むのに、なぜかとても幸せでお腹も心もいっぱいになっていくんだから不思議だなぁ。
子ども達は河原で宇宙人と交信するし、リコーダーと鍵盤ハーモニカでの演奏会は心が和む演出だった。
生きることと対になる死を描く作品だと思っていたけれど、レビューをつらつら書いているうちにこの映画は「弔う」ことを描いた作品だったんだなと感じた。
各々「弔いの方法」は違えど、「生きるため」に誰かや自分の感情を弔っている。
死を身近に感じた時にこそ、「ムコリッタ」
自分の中の何かとの別れの時が近づいているのかもしれない。
幸せの価値観
昔、矢沢永吉さんがインタビューで「手取り20万の夫婦が細々と生活してて感じるハッピーと、矢沢が億万長者で感じるハッピーは何も変わらない。幸せの価値観は同じだ」と仰ってました。
正直、億万長者の方が幸せの価値観は上だろうと思いました(笑)
突然の満島ひかりさんの艶技にドキドキしました。あそこまで愛されると男も幸せだと思いました。
普段、明るい人ほど心の奥底に闇を抱えてるもんだと思います。
死ぬ時に「幸せで楽しい人生だったな」と言いたいもんです。
悲しいではなく、寂しい
ゆる〜く笑える再生物語かと思いきや、少し違いました。
個人的には、人間ドラマですらなく、登場人物を通して「身近な死との向き合い方」と「ささやかな幸せ」を描いた作品かと。
それぞれの過去を、台詞で軽く触れる程度で具体的に描かないのも、それ故でしょうか。
(個人的には描いてほしかった)
その中でも山田と島田のやりとりは微笑ましく、後半は温かい目で見守っていた。
塩辛の壺のシーンは、開ける前からニヤニヤ。
スピリチュアルな要素はやや浮いているが、多面性という面で意味はあったかな。
また、南さんのセックス(あれは自慰ではなくセックスだと思う)シーンも印象的。
向き合い方も接し方も、人それぞれ。
「自分が死んだときに寂しいと思ってくれる人が一人でもいれば」
ここが「悲しい」でなく「寂しい」なところが、この作品の本質のように感じました。
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以下、個人的なハナシ。
ちょうど今年、職場の方が亡くなって、親類が引き取りも委託も拒否するということがあった。
何十年も関わった会社でも、法律上葬儀をあげることすらできず、役所に掛け合ってなんとか(秘密裏に)火葬にだけ立ち会わせて頂いた。
そういった事情があり、無縁仏は他人事ではなく、非常に感慨深かった。
引き取られ、最終的に弔ってもらえた親父さんは幸せだ。
近い
お隣さんとの距離感が
50年前くらい
さかのぼってます。
いつから
知らない人とは
話さないように
なったんだろう。
すき焼きを
皆で
食べるシーンが好きです。
呼ばれてないのに
集まってくる…
虫が鳴くお堂で
坊さんと島田さんの
やりとりも
なんかいいです。
どうしてるかな。
あいつ。
薬師丸さん
どこにいたんだろう…
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