川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
全202件中、61~80件目を表示
手探りしながら進むんだ。 みんないろんなことを抱えながら。
ちょっとぶっきらぼうだけどさっぱりして快活な南。
てきぱきと大家をこなし、娘を明るく育てる気丈さの裏に、ひとりになれば亡き夫の遺骨を骨壷から取り出し記憶のなかの温もりに抱かれる。切なさをエネルギーにかえているしなやかに逞しいひと。
飄々と他人の領域に来て無類の人懐こさを醸し出す島田。どうやら辛い過去をもち酒に酔っては泣きだし、ふと言いかけてためらう。ああみえて自分のこととなると密かに抱え込むナイーブな部分もある。
子連れで墓石の営業をする礼儀正しく真面目そうな溝口。普段のつつましい暮らしぶりがうかがえる特別な日のすき焼きのシーンには他人への優しさも表れている。どんなときも淡々とした口調は、彼が彼らしくいるために必要で、父子で生きていく上でだいじな拘りのようだ。
マイペースで動じず淡々としている島田の幼ななじみの住職。無表情で人相は悪いが他に媚びたり立場を利用することもない。裏表なしの性格は時に敵をつくり生きにくい時間も重ねてきただろう。
寺に島田が山田を連れて立ち寄ったとき、山田が父の遺骨を捨てようとしたのを見かけたとき、弔いのときなどのシーンで、口数も少なくアピールこそしないのだが本質への直感力の鋭さがあるように思える。
社長。はっきりしてて、多少空気を読まずに前のめりな印象が暑苦しくもある。しかし、あれこれと山田に配慮する姿は情に厚く、他人を見捨てない優しさが溢れている。今となっては珍しいが、昔そこら辺でたくさんあった、親戚でもないのに「親戚以上やや兄弟未満」のつきあい方を地でいく姿は、山田をなんとか励まし軌道にのせてやりたい責任感あふれる叔父のようだ。
職場の先輩、中島。
新入りがきてもあまり笑顔もみせず他人にも自分にも厳しそうな雰囲気。不必要な語りもサービス精神もみせないが、肝心なところだけは押さえて見逃さずさらりと伝えてくれるような姉御肌のようだ。山田のように度々気に迷いがある場合、その塩加減だったり、茹で加減だったり、しめ加減で、タイミングよくサポートしてくれる存在は結果的に背中を押してくれるとおもう。それを単刀直入に、しかも後腐れなくできるひと。相当な芯がある彼女のいままでの道のりを匂わせる。
そんなみんなにいつのまにか寄り添われることになる主人公・山田。
親との絆が薄い生い立ちに翻弄された少年時代。挙げ句の果てに詐欺に加担した前科者という烙印は深い負い目となる。自分でつくった暗い影の範囲にひっそりと収まる暮らしをしようと選んだ新天地が「ハイツ ムコリッタ」だった。
そう、ひっそりと…を望んでいたが
ひっそりとはいかなかった〜!
川っぺり界隈には濃ゆい出会いが待っていたのだ。
山田がそこに住み始めて間もなく、
役所から実父の死の連絡を受けるが長年かかわりがない為、ピンと来ない。遺骨引き取りにも全く義務的で100歩譲って消極的。骨まで愛おしむ南さんとは180度の差で夜な夜な光ってみえる壷に慄いて捨て去ろうとするくらいだ。
それを住職に見つかりとがめられ、改めて散骨しながらみんなで賑やかに弔うことになるのだ。また、図々しく風呂に入りにくる島田のおかげ?で、牛乳を飲む時の父を思い出し親子のつながりを感じたり、誰かと食べるご飯の美味さ、畑仕事で自然の恵にあやかる喜び、河原のホームレスの人々のきままさを選んだ暮らしや南親子と溝口親子の自分にはなかった関係性など、毎日、目から鱗のことばかり。天涯孤独の諦めモードだった山田だが、彼らに出会い次第に笑顔を増していくのだった。
みんな違う
生まれてきた場所、
生きてきた場所、
生きる場所。
そこで
他を受け入れ
自分を弛め
働き、食べ、眠ろう。
いつも
ニュートラルな自分でいれるように。
手探りしながら進むんだ。
みんないろんなことを抱えながら。
…作者はこんな時代だからこそ
伝えたかったのかなと思う。
川っぺりムコリッタ
そこにあるのは
まるで
誰かと誰かがつながる
原点回帰の応援歌だ。
あたたかくじんわり
心地よくくせになるものが
溝口さんのむすこの弾くやさしいピアニカの音色とともに胸のなかに残った。
スローライフムービーかと思いきや、、!
ムロさんを推してる先輩と一緒に観に行ってきた。公開して1週間くらいのレイトショーで見てきたけど、10人ちょっとくらいはお客さん入ってて、思ってたより集客できてそうな気配がした。けどそうじゃなかったのかな、1ヶ月待たずに近くの映画館で上映終了してて、ちょっと寂しかった。
予告とかチラシの前情報を軽くしか入れてなかったから、てっきりお金に困った主人公がハイツムコリッタに転がり込んでスローライフを送る中で生きがいを見つけていく、みたいなストーリーを勝手に予想してしまっていた。だから、前科者であることとかお父さんのお骨のこととか、想像以上に深いテーマが盛り込まれていて、ちょっと驚いたし、またいろいろ考えさせられた。
主要キャストは実力派揃いでさすがすぎた。最近大好きな満島ひかりさん、よかったなぁ〜器の大きい大家さん役。素敵だった。あとこの映画のすごいところは、こんなキャストがこんなちょい役で起用されてる!っていう豪華キャストの贅沢使いがたびたび見られるところ。それだけでもほんとに見応えあった。
みんな言う、この映画見たら炊きたての白ご飯食べたくなった、は共感でしかなかった笑。特にすき焼きのシーンが好きだったな、あんな優しくて温かい世界線探しに行きたすぎる‼︎ってなった。鑑賞後感とても良かった。
あと、観に行ってからしばらくはあのエンディングの音楽が頭の中で永遠ループしてたな。なんか聴いたらしばらく頭から離れなくて中毒性あるし、なんか聴くだけであのムコリッタの世界思い出してにやけてしまうのは私だけかな。
どこでどんな暮らしをしている人でも、心の中に重荷や十字架を抱えていて、それでも毎日束の間の幸せを感じながら生きているのです。炊きたてご飯がとても美味しそう。
松山ケンイチにムロツヨシに吉岡秀隆。
このキャスティングで一体どんなお話が と
気になっていた作品を鑑賞してきました。
一人の男が暮らし始めた古い安アパート。
そこで生活する人達との交流を描いたお話 です。
それぞれが過去の重荷を背負っている住人たち。
暮らしぶりは豊かとは言えなくとも
毎日の暮らしの中に
ささやかな幸せを見つけながら しっかりと生きている。
主人公の「山田」を演じたのは松山ケンイチ。
詐欺の罪で刑務所に服役していたらしい。
出所してこのアパートを紹介されて住人に。
「人からお金を騙し取った」
ということらしいのですが
おそらく彼自身もそんな事とは知らずに
詐欺の片棒を担がされたのではないか ?
と、そんな感じすら受けるほど
「無口で 人との付き合いがヘタ」
な人物を好演してました。
そんな彼の隣人「島田」がムロツヨシ。
いや~
クセが強く、押しも強く、しかしどこか陰りのある
そんな強烈な
個性120%全開のムロツヨシを堪能しました。 拍手。
この「山田」と「島田」の関係性。
相手の足りない所を互いに補いあえるようになる
その過程の変遷が、見ていてすごく面白かった。
※食事(スキヤキ)に乱入する場面なんか
島田に続き、茶碗とハシだけ持って
「お金持ってません」 と
宣言して食べ始める姿には、清々しさを感じました。 はい。
※溝口サン(吉岡秀隆)には同情するしか無いですが (…涙)
と、まあ
こんな感じに
「ハイツ ムコリッタ」で暮らす人達の
「ささやかな幸福の時間」
を、切り出して描いた作品です。
昭和の時代にはこのような
助け合い、もたれ掛かり合って暮らす生活の場が
あらこちにあったような気がします。 しみじみ。
観て良かったです。
満足。
◇ あれこれ
前科者・その後
を描いた作品を、最近他にも何作品か観ている事に
思い当たったのですが…
「ヤクザと家族」 元々住んでいた世界が違うかも (…汗)
「前科者」 リアルな現実の描写が凄かった (…汗)
「すばらしき世界」 シビアな現実を見せられました (…涙)
う~ん
同じ前科者のその後を描いた作品でも
描く世界観が全く違いますね。
この作品は一番ソフトです。
フグ差し
子供の前で、フグを食べる真似をする溝口(吉岡秀隆)。
表現力は素晴らしかったのですが
幼稚園児くらいの子供に、伝わるのでしょうか ??
(スキヤキなら分かりますが)
※200万の墓、自分の取り分はいくらなんでしょうね? (…下世話)
おばあさん
アパートの前で山田に声をかけた人。
「こんな植物でも、手をかければ綺麗な花が咲くのよ」
後でユーレイと分かるこの人
大家さん(満島ひかり)からは
"会いたかった" "次は私の所に出て"
と熱烈ラブコール。
死んだ後もこんなに慕われる人生も 悪くないかも
そんな風に思ったりします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
とても面白い🤣 ある意味、悲劇の主人公は存在しない。1人ひとり悲し...
とても面白い🤣 ある意味、悲劇の主人公は存在しない。1人ひとり悲しみ辛い事はある生きているのだから。自分だけが特別でない。それがわかった。ちょっと生きるのが楽になった気がする。
帰り道カーステレオからイマジンが流れてきた、とても今の気持ちに馴染んだ〜
食べるとは生きること
日本映画って印象的な食事のシーンが少ない気がする。観終わった後にあれ食べたくなるなってなるやつが。そんな中、本作の食事シーンはいい。炊きあがったばかりの白いご飯をしゃもじでかき混ぜるシーンから魅力的。
豪勢なおかずがあるわけではない。でも、とても美味しそうだったし、力強さを感じた。動物や魚介類、植物にしてもそう、人は生きているものを食す。そうだよな、食べるって生きることなんだよなと改めて実感する。
一方、死んでしまった者たちのエピソードも散りばめられる。島田の子ども、大家の南の夫、そして山田の父親。ついでに言えば同じアパートのおばあちゃんも。亡くなった者たちとの向き合い方も生きるってことにつながるってことだ。
時間の進み方がやたらとゆったりと感じるのもこの映画の魅力。説教臭いところが全然ないのになぜか力をもらえる、そんな不思議な魅力がつまった映画だった。もちろん、塩辛とご飯が食べたくなる!
ムコの鎖骨でナニシテハッタ?
友人の告別式に出た日に何か一日の終わりに心が暖かくなる邦画を求めて見た一本。
まさかでした。
せっかくきれいに残っていたお骨を骨壷に順に入れたのに、入りきらないとふんだヤキ場の職員さんが大きなカラダで上から全体重をかけてボキボキにして詰め込み、そのあと灰を刷毛で必要以上にバカ丁寧に集めては入れるのを見ている間、なんとも空しい気持ちになりました。
そしたら、この内容。
ムコリッタが仏教用語だとも知らず、ムロツヨシと黒田大輔の出演を確認しただけで選んでしまいました。
でも、故人はこの映画を見て、オレを今日の最後まで偲んでくれよと導いてくれたんだなと思いました。
友人は58歳で逝きました。KISSのファンクラブに長年入っていたロックバカでした。もちろん、ジーン・シモンズの斧ベースを筆頭に5本のベースを所有しておりました。
喪主の15年下の彼の嫁さんは式場のBGMでロックンロール・オールナイト、ラヴィン・ユー・ベイビー、ハード・ラック・ウーマン、ブラック・ダイヤモンド、ラブ・ガンをエンドレスで流しました。
それから、遺骨関連の邦画を3連チャン。
そのうち、川っぺリとアイ・アムまきもとに満島ひかりが。
一合だきの小さい炊飯器も共通。
赤い金魚も両方に出てきた。薬師丸ひろ子の命の電話の相談員の話。魂の金魚。
偶然にしては・・・・きっと何かの縁でつながっているのかも。
開放的な長屋暮らしはまるでシェアハウス。
店子のすき焼きに生卵持参で駆けつける大家さん。きついな~
大家さんが旦那の遺骨を少しカリカリしたあと、なんかしてはった。あれは鎖骨。ちょうどいい形とサイズだなぁと思いました。たぶん、荻上直子監督の本には書けない映画だけのサービス場面だったと思う。
帰りにイカの塩辛を買って帰り、何杯も献杯してしまいました。
これは、令和版 「どですかでん」 である。
ゆったりとして不思議な時間の流れがこの作品の魅力だ。
主人公・山田の過去(前科)を含めて、 常識の埒外にあるような登場人物たちの生活すべてが、良い意味で“どうでもいいわ〜”と思えてしまう。
野菜を作りながら図々しく風呂や食事を要求する隣人。
黒いスーツ姿と無感情な笑顔で墓石を売り歩く親子。
死んだ夫の遺骨を齧りながら自慰をしてしまう大家。
死んでいるのに花に水をあげてまだ“そこにいる”女性。
ひたすらイカの塩辛を作る事に疑問を持たない工場長。
みんな愛おしく感じてしまった。
荻上直子監督(&脚本)が、黒澤明の「どですかでん」を意識しているのは間違いないだろうなぁ。
余談だが、この映画の前に「アイアムまきもと」を見たので、やはり「お見送り係」は必要だなぁと思ってしまった(^_^;)
出所したばかりの前科持ちの青年・山田(松山ケンイチ)。 他人とあま...
出所したばかりの前科持ちの青年・山田(松山ケンイチ)。
他人とあまり関わりたくないと思っている彼が選んだ勤め口は富山県の小さな町にある塩辛工場。
暮らす場所は工場の社長が紹介してくれた古い長屋建ての「ハイツ・ムコリッタ」。
大家の子持ち未亡人南さん(満島ひかり)は良いひとっぽいが、隣人の島田(ムロツヨシ)はどうにも遠慮がない。
そんな中、山田青年に届いたのは、幼いころに別れた父親の遺骨を引き取ってほしいと役所からの通知だった・・・
といったところからはじまる物語で、舞台設定から『めぞん一刻』か?と思っていたら、冒頭、字幕で「ムコリッタは仏教用語で1日の1/30の時間、48分。最小の時間の単位は刹那」と出る。
うわ、なんじゃぁ。ハイツ=めぞん、ムコリッタ=一刻ではないか。
ということで、バイアスから逃れられない鑑賞となってしまいました。
ま、コミックスの『めぞん一刻』はラブコメなんだけれど、表紙の悪いことに思い出したのは田中陽造脚本の実写映画の方で、「あれは、生と死と性がへんてこりんに結びついた映画だったなぁ」なんてことも。
いやはや、ながらく映画を観ているのは、いいことばかりじゃないですね。
バイアスかかりまくり。
こちらの「ハイツ・ムコリッタ」も、死が背景にある映画で、登場人物のそこかしこに死の影がつきまとっています。
未亡人の大家さんしかり、隣人の島田さんしかり、向かいの黒服親子は墓石の販売員だし、反対側の空き室には2年前死んだばあさんの幽霊が棲みついているし、と。
ちょっと過剰な感じ。
過剰な物語を緻密に描こうとする荻上監督の演出は、原作も脚本も自身の手によるものだけに、冗長になってまだるっこしくなった傾向があります。
後半の、謎の空飛ぶ物体(イカですね)、父親の遺骨を粉砕しながらの山田青年の独白あたりは長々しい。
墓石販売の黒服親子のエピソードも、かなり長い。
付け加えると、いくつかは過去の映画を彷彿させるシーンがあり、それがこの映画では(個人的には)いい方向に働きませんでした。
空飛ぶイカは、『プール』のタイにおけるお盆の風物。
夏のすき焼きは、大林信彦監督『異人たちとの夏』、山田の父の野辺送りは同じく大林監督『野ゆき山ゆき海べゆき』。
実写版『めぞん一刻』を彷彿とさせる性のシーンはないなぁ、と思っていたら、最後の最後の大家さんのシーン。
全体的にまだるっこく、後半ちょっと飽き気味。
120分の尺だけれど、タイトルにあわせて、2ムコリッタ(48分×2=96分)に縮めればよかったのに、と思いました。
婿養子の話だとおもた。
萩上さんの作品なんで、淡々と、ゆるっと、幸せなやつかな、、、と思って後回しにしてたが見て良かった。
思っていた以上に重く、しかし追い詰めず、いつものつまらないユーモアもあり、、なかなか見終わった後の充実感が良かった。端役にこのレベルの役者を集める事が出来るのが凄いし、皆んな余計な事しない所が凄い。
たぶん今までやってないカメラの動き、主にハンディがエモさの原因じゃないかと思う。
自分もよくやるけど炊飯器の蓋を開けた時の立ち上がる米の香りが好きだ。鈴木清順の昔の映画を思い出しながらいつもやってしまう。
なんだろう、「懐かしい」情景を観た。
炊きたてご飯を食べてる松山ケンイチ、ずうずうしくて憎めないムロツヨシ、頼りになる満島ひかり。吉岡秀隆、緒形直人、江口のりこも、さもあらんと思う役回り。意外なキャスティングはないです。
けして裕福ではない昭和な生活をしみじみ観るのかなと思ってたら、あらあら大変。
なんとか真っ当に生きようとしている松山ケンイチ達が、いつ足を踏み外すか、転げ落ちるか、心配していたけど、ここで暮らしていれば大丈夫だと思えた。
音楽もいいです。あの人の声も含めて、耳に心地いい映画です。
ささやかなシアワセによる新しい繋がり
「かもめ食堂」の荻上直子監督の最新作は、美味しそうな食事と「ささやかなシアワセ」で満たされている。
だからといってノー天気な映画ではなく、「 光あれば影あり」と言われるように、モチーフとなっている「遺骨」が象徴する「死」が、作品に影を投げ掛けている。
北陸の小さな町に訳あって引っ越してきた山田は、職を得たイカの塩辛工場の社長から紹介された川沿いに建つアパート「ハイツムコリッタ」で暮らし始める。
出来るだけ人と関わらずに生きていこうとしている山田だが、隣の部屋に住む島田が毎日のようにやって来て、静かな日々は一転してしまう。
そんな時、子供の頃に自分を捨てた父親の孤独死の知らせが入り、遺骨を引き取ることになる。
このアパートの住人は皆、社会からは少しはみ出した訳あり人たちばかりで、そして貧乏だ。
未亡人の大家の南さんは何かを抱えているようだし、墓石売りの溝口さんは息子を連れて訪問販売しているし、静かにと暮らしたいと思っていた山田だったが、何故か住人たちと関わりを持つようになっている。
友達でも家族でもない関係だが、山田は孤独ではなくなり、新しい「繋がり」を築いていく。
コロナ禍で益々格差が生まれて分断され、無縁社会が広がっていく中、この作品は、そういう風潮に静かに抗うように新しい「繋がり」を我々に提示しているような気がする。
共感するところも多いのだけど
富山ロケだし達者な役者が揃っているので映画館で鑑賞。
大方のロケ地が分かるので、なんで最寄り駅をそこにした?なんてツッコミを入れながら観るのも楽しい(^-^*)
話の方は過去に大きな傷を持った人たちが寄り添いあって生きていく様子を丁寧に描いている。
共感するところも多いのだけど、島田や溝口の過去など明かされないことも多く、想像で補え、と来る。
その割に山田の心情など、セリフでガッツリ説明されてしまう部分もあったりして、そのあたりは若干ちぐはぐな印象は受けてしまう。それをセリフでそこまで言っちゃったら野暮でしょ、って(^-^*)
とはいうものの、見慣れた風景の中を「ほんとにこんな人たちがここで暮らしているのかな」と思ってしまうような丁寧な描写で見せてくれる良い映画だった。
とりあえず。
満島ひかりが大家さんなら俺も入居したいわ(笑)
寂しさと優しさと時の流れ
何年もそこで暮らしている人達の中に、余所の街から訳アリの青年がやって来て、他と関わりたくないと思っているのに、隣人がズカズカと踏み込んでくる。
青年は戸惑うが、実は誰もがみな何かを抱えて生きていることを知り、心を開いていく。
誰もが邪心なしに近づいてくれるならそんな暮らしもいいが、現実は優しくなんかないだろうと内心反発しつつ、川っぺりのシーンで流れる音楽は優しくて心地よく、ちょっとホッコリする映画だった。
非現実的な世界でささやかな幸福を謳った
前作の「彼らが本気で編むときは、」を観ていないので、2012年の「レンタネコ」以来10年ぶりの荻上直子監督作。
これはかなり好きだった。
人から金を騙し取り服役した主人公。刑期を終えた彼を迎えたのは富山の塩辛工場、そして古い安アパートのハイツムコリッタ。
これは荻上監督が創出した理想のコミューン?
リアリズムを排した非現実的な世界だった。
人とふれ合うささやかな幸せを謳った。
幸福論があった。
温かい空気にふれ幸せな気分に浸った。
そう、非現実的な空間で真実を語るのが荻上スタイル。
2007年のマイベストテン第2位とした「めがね」以来15年ぶりのテン入りもあると思う。
「無縁社会」への処方箋
NHKのドキュメンタリーで、官報に載っている「行旅死亡人」を追跡し、遺骨の引き取り手のない人たちの生前を取材した特集番組「無縁社会」がかつてあった 「無縁社会」はNHKが作った言葉ではあるが、家族がいても自分から関係を閉ざして亡くなっていく人がたくさんいて、市役所の福祉事務所には引き取り手のない遺骨が管理されていることも番組で伝えられていた
山田さんは受け取りを拒否することもできたであろうに、役所からの連絡に応じて遺骨を引き取る
出所後誰とも関係を拒絶して生きていくはずだったのに、ムロさん演じる島田さんのしつこい「押し」によって、他人を受け入れる素地が作られていったのかもしれない
「個人の生活」を大事にしたいと多くの人が思っている反面、ああいった人間関係に憧れを感じることもある 子どもやまわりに迷惑をかけたくない、と思いつつも(「PLAN75」の考え方だろうか)「無縁社会」の中で生きていかなくてはならなかったり、山田を刺そうとした蚊がたたき殺されるように「突然の死」を迎えるかもしれない、という恐怖
煩わしい関係を受け入れたくもなる、という思いは年齢のせいかもしれない
(10月2日 イオンシネマりんくう泉南にて鑑賞)
生者、死者とお弔いとお骨
ポスターの右下に「…………。でも、孤独ではない。」のフレーズを呟く羊がいて、観終わった後に気づいたのですが、気持ち良く脱力。
◉生者たちの快感
まず生者たちが登場する。主人公(松山ケンイチ)と隣人(ムロツヨシ)の関わりをメインに、しなやか過ぎて折れない墓石業者の父親(吉岡秀隆)と、優しいけれど翳りを含んだ大家さん(満島ひかり)。父親はしなやか過ぎて気味が悪いぐらい。
ご飯の炊き上がった匂い、甘く切ないすき焼きの牛肉、塩辛のキツいしょっぱさ(しかし日々のオカズでは身体に悪かろう)、浅漬けの歯応えや、湯上がりの牛乳の甘さが沁みました。
それに加えて、寝入った身体に優しく吹く扇風機の風や、湯舟で漏れる溜め息。さすがに皆さんが実感タップリに、演じてくれている。
そんな食や睡眠・入浴の営みの快感が、次々に押し寄せる。そして大家さんが見せた、切ない性の営み。
◉境界線のない地帯
隣人は主人公の部屋に侵入して、食事と入浴を強引に共有するけれど、その後の「なし崩しぶり」こそが、この作品の世界観だったように思います。
何かの間違いで大物を買ってもらった墓石業者のすき焼きパーティに、まさか現れた大家さんもそうですが、この方たちの生活や人生には断固とした境界線がない。気持ち良く滲んでいる。
ケジメがないと言うことになりますが、線引きは自分の内側にひっそり引いておいて、時に緩く主張したりすれば、それで構わない。主人公も、隣人から生者・死者の存在感の大切さを説かれる。
役場の担当者(柄本佑)が骨壷を開けて、戸惑う主人公に喉仏を見せる。こんな、一見無表情で機械的な担当者のシーンも、厳然として、かつ「生」のすぐそばにある「死」を語っていたのだと思います。柄本佑が匂わせる、心の中の優しい微笑。
◉死者や宇宙人たちも登場
亡くなってからも、ずっと花に水遣りしている美容師の女性(この方が誰だか分からない)。紫をトレードカラーにした上品な幽霊がさり気なく暮らしに登場するのも、この作品のもう一つの世界観。生者も死者もいつかは皆、一緒になる訳だから。
主人公が寝ている部屋のサッシがほとんど開けっ放しでした。あそこからどんなタイミングで、主人公の父親が現れるか気になって仕方なかったです。カメラワークが絶対にそうだと思っていました。
地震で骨壷が壊れてお骨が散らばった後など、絶対に姿が見られると思いました。充分にドキドキしました。
河川敷に設けられた電話機の墓場が、実は宇宙人との交信基地だったとは! こんなことをする子供たちは最高だし、前途有望! だから塩辛工場を抜け出したイカの亡霊が、大きな宇宙人になって、空を徘徊してくれる訳です。
◉かつての詐欺師も登場
ドキドキはもう一つあって、主人公と隣人の関わりが、詐欺師と被害者の関係でもあったことが分かる瞬間。でもほんの少しのギクシャクの後、自然に時の流れに呑み込まれた。
ところで、主人公がかつて詐欺師だったとは、どうしても感じられませんでした。事件が介在するなら、主人公は被害者にしか見えない。もしくは、被害者から止む無く加害者になってしまったか。
◉普通の呼吸で暮らす
社長(緒方直人)が説く、単調であっても丁寧な「瞬間」の積み重ねの話。
何も考えずに必死で過ごした一日が繰り返されて一年になり、気づいたら十年になるんだ。あまり深く悩まず、細かく考えず、おおよそ時の流れに身を任せなさいと言うこと。
頑張るけれど達成、再生、復活だけを大きく掲げない、普通の呼吸を繰り返す人生。
そう言う解釈でよろしいんですよね、御坊(黒田大輔)? しかしガムを膨らませてはパッチンする坊様など、ヤンキーものの作品でも、私は観たことがなかったです。ちょっと、狙いすぎかも。
ラストの野辺送りの光景は、別世界感溢れた美しいものでした。ガンジス川へ、どこかの川へ、私たちは、また旅立つ……みたいな。大家さんの衣装が、この作品の自由感や遊び心を激しく象徴していたように感じました。
心の闇ではなく、心の光。景色に滲んでいて、決してあからさまには見えないけれど、限りなく大きな光。
演出戦略
それぞれに傷付いた登場人物たちが、それぞれの傷を抱えながらひと夏を過ごし、やっと一歩を進めるお話。
正直、寓話的な部分と驚くほどリアルな部分のバランスがこちらの想定と違っていたりしてギョッとするところもあるが、それも含めて人間って…と愛おしくなる。
マツケンの慟哭、ムロツヨシのごめんなさい、満島ひかりの骨噛みエロス…
役者の個性と演技力を活かしながら独自の世界を築く、荻上直子監督のしたたかな演出戦略の勝利だと思う。
全202件中、61~80件目を表示