川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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主人公が生きていていいんだと安堵し嗚咽するシーンでは、思わずもらい泣きしました。
※前半のみ詳しくネタバレしています。後半ネタバレなし
映画『川っぺりムコリッタ』試写会レビュー
本作のタイトルになった「ムコリッタ」という妙ちくりんな言葉、皆さんはご存知でしたでしょうか。漢字で書くと「牟呼栗多」と表記する仏教の時間の単位のひとつなのです。
では「ムコリッタ」の時間の長さはどのくらい長いのでしょうか。仏教の「大毘婆沙論」や「倶舎論」では、「1昼夜」(24時間)が30×「牟呼栗多」といわれています。ということは、「1昼夜」を30で割ると48分となります。これが「ムコリッタ」の長さです。
この「牟呼栗多」には、境目のときという意味も含まれています。物事が変わる節目の時間として48分というのは充分な時間です。
昼から夜にかわるとき。空が夕焼け色に染まっているとき。ひとが生まれて死んでゆくとき。それらの境目のときを抽象的に表した言葉が牟呼栗多なのです。
ちなみに1刹那は、牟呼栗多の21万6千分の1となる約0.013秒となります。1刹那の中にも生滅があり、すべての物はこれを繰り返していると仏教では考えます。
物語は、孤独な青年・山田たけし(松山ケンイチ)が、就職のためにイカの塩辛を作っている北陸の小さな工場を訪れるところから始まります。そして社長の沢田(緒形直人)の紹介で、川沿いの小さな町の川っぺりに建つ「ハイツムコリッタ」の住人の仲間入りをすることになったのです。
職場では、パートの中島(江口のりこ)が丁寧に山田に仕事を教えようとしてきます。けれども、山田はもう誰とも関わらず、目立たずひっそりと暮らしていきたい、どうせ自分なんていてもいなくても同じなんだからと思っていました。
物心ついた頃には父はいなくて、唯一の家族だった母には高2のときに捨てられていたのです。
お風呂上りにパンツ一丁で、寛いでいたら、玄関をノックする音がします。出てみると伸び切った髪に無精ひげの男が立っています。「無理です。無理。」山田は誰とも関わらず一人で生きていく決意をしたばかりでした。
給料日まであと2日、財布の中にあるのは数円。どこにも行かずに、ひたすら空腹に耐えて寝ていたら、あの無精ひげの男島田(ムロツヨシ)がやってきて、庭で取れたキュウリとトマトを差し出すのです。それが仇となって、山田の静かな日々は一変します。給料日に買った米を炊いていると、島田はどかどかと部屋に入ってきて、飯を食わせろから始まり、風呂を貸せと要求するようになったのです。さらには島田が狭い庭に作った畑まで手伝わされることになってしまいました。そのあとは島田は当たり前のように山田の部屋で風呂に入り、ご飯を食べていきます。
ある日山田の元に富山市役所から、孤独死した父の遺骨を引き取りに来てほしいという内容の手紙が届きます。年少時に家族を置いて出ていった父の記憶すらなくしていた山田は引き取りを迷います。
山田はこの前の手紙のことを島田に相談してみました。
島田に「山ちゃんの父親がどんな人だったとしても、いなかったことにしちゃダメだ。」と言われ、山田は遺骨を引き取りに行くことにしました。
ムコリッタには島田のほかに、203号室には大家の美しい女性・南さん(満島ひかり)とその娘のカヨコ、201号室には墓石の訪問販売をしている溝口さん(吉岡秀隆)といういつも黒スーツを着た父と息子の洋一が住んでいました。
そんな201号室からすき焼きのニオイがしてきます。図々しい島田はいつものようにどかどかと部屋に入っていき、胸ポケットから「マイ箸」を取り出してすき焼きを食べ始めました。山田は慌てて箸を取りに戻って同じように参戦!そこへニオイを嗅ぎつけた南さん親子もやってきました。
このあとお話しは、2年も前になくなっていたハイツの住人だった岡本さんと山田が遭遇。岡本さんが好きだった花壇のお花の話を聞かされます。「この紫色が生まれて消える間に、誰かが生まれて誰かが死んでゆくんだ。」と。
岡本さんのオバケと遭遇してしまった山田は、夜は怖くて眠れなくなり、父の骨壺にも怖さを感じて、遺骨を捨てようと思って川へ行くけれど、思い直します。
ハイツの住人たちからの助言を得て、山田は次第に父と向き合うように変わっていくのでした。
本作は、人と人のつながりが希薄な社会で、人はどうやって幸せを感じることができるのかという、根本に立ち返って実感することができる温かい物語です。
生きることの楽しさが、荻上監督が得意とする食や美術、会話を通して表現され、きっと観る者たちに幸せの意味を問かけてくることでしょう。荻上ワールドおなじみの「おいしい食」と共にある、「ささやかなシアワセ」の瞬間をユーモアいっぱいに描く、誰かとご飯を食べたくなる作品となりました。
試写会に登壇した荻上監督は、「食べる」という生きることに繋がる行為とともに、「弔い」という死と向き合う行為も描かれる。生と死は生活の中に当たり前に存在しているということを描きたかったと話されました。「おいしい食」とは「死」に対する「生」として描いてきたそうなのです。
「カモメ食堂」からずっと「おいしい食」の裏側には、そんな死生観を監督が持ち続けてきたことには驚きました。だからこそ、刹那として生きている間の繰り返すごはんは、たとえ白米とみそ汁とイカの塩辛だけの質素なものであっても、至高の幸せな時間として本作では描かれているわけです。
詐欺に関わり逮捕されて出所したばかりの山田は、できるだけ人と関わらず生きたいと思っていました。しかし図々しくて、落ちこぼれで、人間らしいアパートの住人たちに囲まれ、山田は少しずつ「ささやかなシアワセ」に気づいていきます。
ひとりぼっちだった世界で、生と死の狭間を明るく生きる住人たちと出会い、友達でも家族でもない人たちと接するうちに、孤独だった人間が、孤独ではなくなっていく様相を、松山ケンイチが静かな演技で演じきるところは素晴らしいです。山田が自分が生きていていいんだと安堵し嗚咽するシーンでは、思わずもらい泣きしました。加えて、お金が底を着いて数日間絶食するシーンでは、松山は実際に絶食したそうです。どうりで島田が差し出すキュウリを上手そうにかじるところは真に迫っていました。あれは演技ではなかったのですね。
そして図々しい人間を演じさせたら天下無双のムロツヨシ!でも単なるいやなヤツなら簡単なのに、次第に島田が心の温かいいいやつに見えていくのは、ムロツヨシならではの絶妙な演技だからこそなのでしょう。
ところで本作では原作と比べてこの世的な「ささやかなシアワセ」に重点が置かれていて、原作で強調されている「あっち側とこっち側の境目」の描写ははっきり描かれなくなりました。川っぺりというのも川のほとりのブルーシートの小屋に住むホームレスたち生死の境目のことだったのです。それが冒頭の「川が氾濫すれば…」の言葉につながっているわけですが、本作ではホームレスの存在が希薄になってしまいました。
また本作では、随所に死んだらどうなるのか?投げかけるシーンが散りばめられています。特に劇中の葬儀シーンは傑作で、ひと目みれば、黒澤監督の『夢』第8話「水車のある村」からパクっていることは明白です。あくまでリスペクトとして、パクリことを認めた荻上監督です。そこまで描きたいのならね次回作ではもっとズバリ死んだらどうなるかという直球勝負をしてほしいと思いました。仏教をかじっているものとしては、何とももどかしい刹那の描き方なのです。
・公開 2022年9月16日
・上映時間 120分
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