川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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不思議と生きることに前向きになれる
コメディーでもファンタジーでもない不思議な映画だが、観終わった後に、生きることに前向きになっている自分に気付く。
それは、過去の過ちのせいで心を閉ざしていた主人公が、ずうずうしい隣人のおかげで「幸せになってもいい」と気付く様子や、それを補強するかのような美味しそうな食事のシーン、そして、死者の弔いは、生きる者のためにこそ行われるべきであるというメッセージから、自然に沸き上がってくる感覚なのだろう。
人は一人では生きられないし、生者であれ、死者であれ、他人と関わることによってしか生きていけないものなのである。
欲を言えば、隣人たちの過去に何があったのかを、もっと詳しく知りたかったし、主人公と、ミニマリストの隣人だけだなく、大家さんの母子やお墓のセールスマンの父子とのカラミも、もっと観たかったと思う。
ただ、あまりエピソードを詰め込むと、タイトルにもなっている独特のゆったりとした時間の流れが阻害されることにもなりかねないので、これはこれで良かったのかもしれないが・・・
白飯の匂いが伝わってくる
炊きたての白飯の美味さがスクリーンから直に伝わってきて、空腹がとても刺激される。松山ケンイチとムロツヨシの食べっぷりも見ていて気持ちよく、おいしく食べることが食べ物への最大の感謝。そんなことを考えてしまう。
コミカルなテイストで軽快に物語が始まり、徐々に登場人物の過去が明かされていく。
序盤は気にならなかったのだが、中盤あたりからキャラを作りすぎというか、奇をてらいすぎというか、感情移入を妨げるような演出がノイズになって、単なる変な人たちを見せられているようにも感じる。
すき焼きのあたりは、ちょうどいいバランスだったのに、ファンタジーにいったり、エロスを醸し出したりして人間ドラマとしては浅くなってしまっている。
食欲はそそられましたが、物語しては今ひとつ。そんな作品でございました。
帰る場所を無くした人達が帰る場所をつくる話
本当は2021年公開だったんですよね。いろいろ葛藤はあったかと思います。何せこの映画、みんなで同じ釜の飯を食うシーンが結構あるので、延期に至った厳密な理由は存じ上げませんが、撮影とか世情とかいろいろなことを考えなきゃいけなかったんじゃないかなと。
ただ、この場面が省かれてなくて良かったです。話の内容からして、この場面は最重要。そして肉にキュウリ、イカの塩辛にコメ…出てくる食材それぞれに意味がある。
予告編とキャスト、製作陣の面々から絶対ハズレは無いだろうと思っていましたが、期待以上でした。
社会からいろんな理由で弾かれたが故に、帰る場所を無くした人達が、自分達の帰る場所を作っていく物語。
結構いろんな場面で映画館内にクスクス笑いが起きてました。大体はムロツヨシ氏が出てくる場面でしたが。
個人的に好きなのは、主人公がある人との別れを思い起こし、ポツリと一言だけ呟いた某場面。
観た方には『柄本佑』『アパート』の単語だけで簡単に連想頂けるかと思いますが。あの場面でかなり本気で泣きました。
また観に行きたいです。地味ですが、観れば観るほど旨味が深まるような作品。
誰かを亡くした人たちに訪れる ささやかな幸せ
ぼく、お金ありません!久しぶりに日本人でよかったな〜と思える作品に出会えた…本当にいい映画だったな。仏教的思想が感じられる。最初に気づいたのは主人公・山田が風呂上がりに窓際で牛乳を飲むカットだけど、それ以降も(他の人と同じカットに収まるときは別)常に構図として前が詰まっていて後ろに空間を背負う形になっていて、山田の過去やそれに対する後ろめたさを象徴的に示唆していた。あと、包み込むように暖かな光が差し込んでいるのが印象的だった。炊きたてふっくらご飯みたいな映画でした!
ご飯炊く才能ある"山ちゃん"、松ケンの自然体な魅力。"社会性のない"土足で強引にズカズカと上がり込むピュアなムロツヨシの魅力。二人の食事シーンの長回しが毎回すごく良くて、本当に美味しそうだったし、会話劇としても良かった。助演男優賞など獲ってもおかしくない。満島さんも安定に素晴らしい。山田の働く水産会社の社長の少し暑苦しいくも、同時に真剣に向き合う人としてのあったかさみたいなものがあって素敵だった。
ありがちな表現になってしまうかもしれないけど、ぼくたち現代人が忙しなく過ごす中で忘れがちなものを思い出させてくれるような優しい空気が流れていた。その中で、悪く言えば作品から"浮く"ような、異彩を放つカットやシーンがいくつかあったけど、それが作品通して見たときに決して悪目立ちするわけではなく、むしろ却って登場人物たちをより身近に感じる大切なタイミングとして効果的に生きていた。その他、ワンシーンくらいしか出てこないキャストも名前のあるしっかりとした役者陣だったり、総じて魅力的。大切な人や身近な人を喪ったときの向き合い方、弔い方も人それぞれ。この出会いを大切にしたい。
☆満島ひかり出演。彼女の「女」を感じる描写を初めて観たような、、松...
☆満島ひかり出演。彼女の「女」を感じる描写を初めて観たような、、松山ケンイチ主演、ムロツヨシの共演で、孤独な青年がアパートの住人との交流を通して社会との接点を見つけていく姿を描く。
主人公・山田役を松山、島田役をムロがそれぞれ演じる。タイトルの「ムコリッタ(牟呼栗多)」は仏教の時間の単位のひとつ(1/30日=48分)を表す仏教用語で、ささやかな幸せなどを意味する。
【近しい人の死をきっかけに、人と人が繋がっている大切さや、生きている事の有難さを見つめなおす作品。”牟呼栗多”かあ。今作は”生”と”死”の間にある時間をユーモラスに描いた作品なのである。】
ー 前科者故に、人との関りを避けて生きて来た山田(松山ケンイチ)は、イカの塩辛工場で働きながら、逐50年の”ハイツムコリッタ”で暮らし始める。
隣人の、ミニマリスト島田(ムロツヨシ)から頻繁に風呂を使われ、困惑するが・・。-
◆感想
・心を閉ざしていた山田の部屋に、ズカズカ入って来て、風呂に入るは、そのうちにご飯まで食べる島田の姿が、オカシイ。お土産は、庭で取れた不揃いな形の夏野菜・・。
そして、彼はボソッと”自分が死んだときに、寂しいと思ってくれる人が居る事が、細やかな幸せなんだ”と金言を口にしたりする。
ー ムロさんって、ホント良い味を出すよなあ。けれど、島田も、過去に辛い出来事があっただろうことも、さりげなく描かれる・・。-
・そんな山田の所に市職員(柄本佑)から4歳の時に別れた切りの父の遺骨を引き取ってくれ、と連絡がある。
ー 遺骨を引き取りに行った際の、数多くの無縁仏になってしまうだろう、遺骨の箱。荻上監督が行き場のない遺骨について、取り上げたTVのドキュメンタリー番組を見たことが、今作製作の切っ掛けであるそうだが、インパクトあるシーンである。
だが、荻上監督はこのシーンも暗いモノにはせず、慇懃な市職員に”こんなに、立派な喉仏はナカナカありません・・”と山田に見せる。確かに仏様が、合掌しているようだ・・。ー
・大家の南(満島ひかり)も、夫を亡くしているが、明るく生きている。
・イカの塩辛工場の社長も”一つ一つこなして行けば・・”と彼を励ます。
ー 正に、”牟呼栗多”である。-
■”ハイツムコリッタ”の住人である、墓石のセールスマン(吉岡秀隆)と息子がお金持ちの奥様(田中美佐子)に”犬用”の墓石200万円也を買って貰い、すき焼きを食べようとするシーンが可笑しい。
匂いを嗅ぎつけた島田や南とその娘。そして、山田までも集まって来て・・。
食事は、大勢で食べた方が美味しいよね!
これは、私の推測であるが、荻上監督は劇中、屡、食事のシーンを写しているが、食事を”生”のイメージとして表しているのだろうなあ、と思ったよ。
荻上監督の作品は食事のシーンがとても多い事はご存じの通りだが、今作でもフード・スタイリストは、飯島奈美さんが担当している。嬉しい。
<虫の声や、お盆の茄子や胡瓜の”精霊馬”を馴染の寺(僧侶は黒田大輔!無口である。)の欄干に島田と置いたりして、永遠に続くと山田が思っていた辛い時間を、”牟呼栗多”として、過ごすことが出来るようになった山田は、後半になるにつれ、笑顔が増えてくる。
今作は”生”と”死"の狭間にある時間を、ユーモラスに描いた作品なのである。>
「友達って呼べる人が数人いるけど最近会ってないな~」 ってヒトが見に行くといい映画です。
学生の時ってさ、友達関連が頭の中のほぼ9割を占めていた。
うまくいってる時は最高に楽しいけれど、気をつかったり、悩んだり、落ち込んだり。
「あの子にこんなこと言われた…うぅ…」、「ああーーーどうしてあんなこと言ってしまったんだろうーーー」そんなことばっか考えた。
友達関係が上手くいくことイコール学生生活が上手くいくことだった。
けれど、この映画は
友達にならなくても、
一緒にご飯食べたり同じ作業をしたり(畑とか防災とか)の時間って、
楽しいもんなんだよ。
って伝えてくれる映画です。
友達関係が世界の100パーセントを占めてた
昔の私がこの映画を見たら、
「はっ」と気づくことが出来ただろうか?
それとも、
この映画のメッセージに全く気が付かずボヘエ~綺麗なエイゾーって
思っただろうか。
この映画のムコリッタ(仏教用語で60分にちょっと足りない48分のこと)とは、
通常にちょっと足りないってことだな。
普通の人より、ちょっとお金が足りない
普通の家族より、ちょっと誰かが居ない
普通の人より、ちょっと生きる意欲が少ない
死を通して生きることを描いている映画ですので、
ほのぼのした映像なのに、
幸せな気持ち100パーセント!!!になる映画ではありません。
んー、どんなヒトが見に行ったらいい映画かな。
人生いけいけドンドンなヒトは見に行っても面白く思わないんじゃないかな。
だからといって崖っぷちなヒトが行くのもちょっと違うな。
んー。
「友達って呼べる人が数人いるけど最近会ってないな~」
ってヒトが見に行くといい映画です。
心の準備が♡
富山の小さな町にやって来た前科持ち青年が、貧しく暮らすアパートのご近所さんと触れ合い交流する様になっていく話。
働き始めた塩から工場の社長の紹介で、築50年の長屋のアパートで暮らすことになった主人公の生活に、隣人が馴れ馴れしく踏み込んで来て巻き起こっていくストーリー。
自分だっら絶対に拒絶して近寄らないであろううざ~~~いたかり屋な隣人だけど、初給料前のありがたい野菜が切っ掛けになっちゃった感じですかね。
のらりくらりなコメディ感はありつつも、生と死や人の繋がりや因縁とか、スピリチュアルな世界の話とか、そんなものを絡めて生きる意味がどうたらを考えてみてね!という感じの作品で、刺さるわ~とはならなかったし抑揚はあまりなかったけれどそれなりに愉しめた。
ささやかな幸せ
…食べる
ことは生きるに繋がる
お金は無いけど
炊きたてのご飯 味噌汁 塩辛 漬物
を松山ケンイチが美味しそうに頬張る
ご馳走とは言えないが
…ささやかな食事
そして
一人ではないふたりで楽しそうに
…食べる
孤独死が叫ばれる昨今
生き別れた父に何の思い出も無いが
…故人を忍ぶ
どんな人だったのか
どんな生活をしていたのか
故人との想いをみつめながら
自分に合ったお別れ
ここでは沢山の生き物か出てきます
可愛い牛柄の子やぎ ナメクジ 猫 蜘蛛 セミ 金魚など
野菜もきゅうりトマトに茄子
特に採れたてのきゅうりの音が
美味しそうでとても贅沢
に思える
人も自然の中の生き物の一つ
死んで魂が何処にいくのか…
笑顔で過ごしていらっしゃいますか
と…吉岡さんがいい味だしてます
自然の風景にお寺の鐘の音に癒されて
ムロツヨシの図々しさに笑ったりして
元気になれる🎬です
沁みる
みんな何かしら抱えているのだけれども
しっかりご飯を食べ、1日1日をちゃんと生きようとしている
それだけで尊いですね。
死という重いテーマを扱っていても
あの軽快な音楽が自然と心強く、根拠はないけど
大丈夫だ〜 という気分にさせてくれました。
情緒あふれるもの
都会から離れた
懐かしい雰囲気
昔は近所同士で
よく助け合ってたよなぁ〜
イタズラしたら
オッちゃんやオバちゃんに
よく怒られたし
でも親が仕事で忙しいときは
ご飯食べて寝泊まりさせてもらって
野菜もらったり
漬物や煮物もお裾分けしたり
されたり…
なんか現代では無くなっちゃった
昔ながらの情緒を久々に感じたなぁ〜
大人になっても助け合えるってイイよね〜
ムロツヨシ、イイ役だったなぁ〜
色んな人がいてバランス取れてて
人は社会的にも心も
人に助けられて
または人を助けて生きてる
ただその時その時の方法が違うだけ
しかしお米が美味しそうやったなぁ〜(腹ヘリ)
へんてこりんで不思議な映画
全体的に平坦で緩い映画である。
坊さんが風船ガムを膨らませたり、墓石屋が子供と一緒に訪問販売したり、シリアスとコメディとスピリチュアルがごっちゃになった、かなりへんてこりんな映画である。
妙な空気感が変に心地よい不思議な映画でした。
おせっかいだけど図々しいムロツヨシの演技が良かった。
セリフで語らせちゃ冷めちゃいます。
荻上監督ファンにはハマるんだろうなぁ。
かもめ食堂は好きな作品なんだけど、本作はそこまで惹かれなかった。
好きな俳優さん、技量ある俳優さんだらけで、僕にとってはかなりご馳走作品だったけど、消化不良かな。
作品内に流れる空気感は好きなんです。だけど、なんだろうなー、全体的に散漫で芯が外れてる気がするんです。家族の話なのか?誰にもあるだろう脛の傷の癒やしの話なのか?死生観の話なのか?全部ぼんやりしてるし、さらに強引に結びつけてる気がするんです。
なんやかんやあって、ラストやラスト近くのシーンで、登場人物に心情や葛藤や癒しを全部セリフで語らせておさめようとしてる感じが、すごくガッカリでした。えー、それはなんかずるくない?って。さらに、そこまで言えるほどの関係性あったっけ?もっと観客側の思考に余白与えて欲しかったし。
あと、管理人役の満島さんの仏壇シーン、すごく邪魔。あれ、意味ある?ま、前半にフリはあるけどねー。
期待しすぎたのかも?ですが、本作は僕は合わなかったです。
クスッと笑えてじわじわ沁みる
プレミアム先行上映にて
身近な死、行き場の無い遺骨、縛られた過去とテーマは重いけど、独特な空気感と水彩画の様な映像が和らげていた。個性的な役者達の演技はクスッと笑えてジワジワ沁みました。
役者松山ケンイチ やっぱり良いなぁ
満島ひかり は色っぽいし、舞台挨拶での荻上後の ムロツヨシって話、主演2作観ていたから納得だった。
あと、ちょい役とか声だけ出演が豪華
見てのお楽しみ
白飯食べたくなります。
死と繋がって生きている
裏庭のガラス戸が映り込む度に、お隣さんの姿を期待しちゃいます。
風変わりな人々との掛け合いが笑えますが、テーマはガッツリ骨太。
ハイツムコリッタの住人はみんな「死」と繋がって生きている。
肉親の死に直面した人、死と共にある人、死を生業にする人、そして死を受けとめられずにいる人。
「死」から見えてくる親子の繋がりや日本のしきたりには、救われることもあれば苦しめられることもある。
もしそれらが足枷や呪縛になるのなら、他にもいろんな向き合い方があるし、いろんな生き方がある。
自分で選べるんだよ。自分で選んで良いんだよと言ってくれている気がしました。
イカの塩辛はグロテスクだけど美味しい。
常に逆説がセットで描かれます。
映画を観ながら「今回はオリジナル脚本じゃなくて原作モノの映画化なのか…」と感じたのですが、
実は企画が流れてしまった脚本を監督自身が小説にして、今回ついに映画化に至った作品だそうです!
どおりで今までの語り口との違いを感じたわけです。
監督は小説にすることで人物が深くなったとおっしゃってましたが、
確かに人物が深くなったことで、必要以上に人物の主観に寄りすぎない距離感が俯瞰の視点となって、物事の多面性がより伝わった気がしました。
生と死、親と子、日本文化、格差社会までが網羅されます。
そして、未だ彷徨い中の人物も描かれているところに、俯瞰の優しさを感じました。
舞台が、命の危険と隣り合わせの「川っぺり」なのも素晴らしいし、なんと言っても「イカの塩辛」の絡ませ方が凄い!
監督は最初と最後だけを決めて脚本を書き始めるそうで、なぜ「イカの塩辛」にしたのか自分でもわからないそうです。
無意識に筆が走るとか、イメージが降りてくるとか、そんな感覚なことをおっしゃってました。
いろんな出来事がリンクして、変化して新たな着地点におさまる。
小説っぽいと感じた一因に、この一つも無駄の無い計算された構成があったのですが、まさかこんな神がかった脚本だったとは!驚きでした。
以下、具体例なのでネタバレあり。
◾️逆説や対比
親との関係が希薄な主人公と対照的に描かれる親子。
顔も覚えていないのに親子の繋がりを感じるシーンがある一方で、
長い時間を共に過ごすことが虐待に繋がることもある。
親から受ける影響が良いことばかりとは限らない。
とくに暴力や言葉による虐待とは違う、無自覚な虐待は非常に厄介。
ランドセルがあったけど夏休み限定?だとしても炎天下にあのスーツは…
セリフの言い回しから、黒澤明監督の『どですかでん』と同じ結末になるのではないかとハラハラしながら見ましたが、電話が鳴るのを待っているだけではいけないと気づけて本当に良かった。
◾️常識や文化の否定ではない
死者と繋がり続けていたい人物が驚く行動に出ますが、それは暴走してしまいそうな自分をセーブする為。
弔いの儀式やしきたりには、残された者が死と向き合う側面もある。
でも、それが自分の心にしっくりこない時は?
後ろから蹴りたい気持ちに蓋をするのではなく、自分の中に蹴りたい気持ちがあることを認めたうえでアイスで発散。
割烹着って“家庭的”のコスプレだと思っていましたが、確かにミシンの糸屑が服につくのは防いでくれるかも。
自分にしっくりくる部分は取り入れる。
※ちなみに私は動物的だと感じるの好きです。自分だって動物のくせに偉そうにしている人間の化けの皮が剥がれたようで愉快。
よだれと温かい感情が溢れ出る映画
ミニマルライフを心がける人はもちろん、(誤解を恐れず言うが)生きる意義を見い出せず死にたいと思っている人にこそ観てほしい映画。劇中にも登場する「いのちの電話」と同じく…かそれ以上に救いになると思う。映画、物語の力とはこういうときにこそ真価を発揮する。
でも決して「踏ん張れ」とか「生きろ」と北風のように鼓舞するのではなく、“生”よりも“死”を描くことによって優しく寄り添い「生の実感」をじんわりと起こさせてくれる。
人が死ぬ作品がうける世の中で、敢えて死んだ人や死後の世界をテーマにしたと自称天邪鬼の監督が言っていた。
最初から最後まで心地よいペースでのどかに進み、要所要所で劇場が笑いに包まれる緩急が上手い。
それを引き立たせているのがムロツヨシの存在。彼の作り出す空気感はさすがで一気に場を温める。登場するとまた何かやってくれるのではないかと観客が待ち構え、期待通りに笑いを生み出してくれる。
そして荻上監督の真骨頂である食事のシーンはシズル感がたまらない。ただそれは単純に食べものを映えさせるということではなく、それを囲む人たちの関わりで表現する。
美味しいとは何を食べるかよりも、誰と食べるかだし、どんな状況で食べるかが重要。お腹が減っている状態でありつけるただの一杯の白いご飯の至福さと言ったら。一汁一菜でご飯に合うお供があるだけで幸せ。これだけで日本に生まれて良かったと感じさせられる。そして畑で体を動かし汗を流して野菜を育てて、それを採れたてで食べることの贅沢さよ。
この映画を観た後は(塩辛…はある場面から好みが分かれそうだが苦笑)ご飯にお供を乗せたものを頬張り、きゅうり一本を丸かじりしたくなること必至だろう。
生きるうえで本当に大切なもの・こととは何かを改めて考えさせてくれる。
ただ生きて、誰かのために毎日働き、それで得たもので食べて暮らしていける。その普通がいかに尊いか。
それだけで幸せなのに人は満たされると次の欲求が生まれてしまうもの。マズローの五段階欲求で最低限の生理的と安全が保たれると、社会的な人のつながりを求め、そうするとどうしてもその中で認められたいという承認欲求が生まれ、その地位を得られると自己実現への高みを目指してしまう。
でも満たされた現代において高尚な快楽を求めるのも、せっかく生きている醍醐味として否定できるものではない。
行き過ぎた資本主義の貨幣経済に対しては思うところがあるが、とにかくいつ死ぬか分からない限りある人生どう楽しみ尽くすのかを前向きに考えていたいものである。
また人の死生観についても語り合いたくなる作品。
植物や動物は死んだらそのまま微生物に分解され土に戻っていく。ペットなどの動物もそのまま埋葬するのになぜ人間は生態系の循環から切り離し、わざわざ無駄なエネルギーを使って火葬するのか。体や骨をそのまま遺棄したら犯罪になるのに、海に散骨などよく聞くが粉状にして撒けば罪にならないというのが法律だと初めて知った。
お金と時間と場所を使うお葬式もお墓も何の意味があるのか。(仏や霊を信じるか信じないかはあなた次第だが)故人の供養というが残った人の慰めのためなのであろう。
目だけしか出てこない江口のりこや声だけの薬師丸ひろ子など贅沢でもったいないほどのキャスティング。それほどまでに関わりたくなる荻上監督作品の魅力か。
試写会のティーチインで初めて拝見し話を聴いたが、まさに映画のようなハートウォーミングでユーモラスな方で一気に好きになった。
最後に、牛乳や塩辛の壺など伏線が絶妙。
昭和の夏の思いで
真夏の昭和時代を醸し出す楽しいコメディ作品でした。タイトルから想像できないほどに「骨」がクローズアップされる展開は、シリアスさとコメディさを混ぜ合わせたい、強い監督の思いが感じられる演出だと思います。家族で笑いながら楽しみたい映画ですね。
全202件中、181~200件目を表示