「あなたの、私のムコリッタ」川っぺりムコリッタ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
あなたの、私のムコリッタ
荻上直子監督と言えば、『かもめ食堂』『めがね』などのスローライフ・ムービー。ゆったりまったり時が流れ、個性的な登場人物たちが織り成すユル~い笑い。
本作でもその魅力に浸れる。
北陸のとある町の塩辛工場に就職し、安アパートで暮らし始めた主人公の青年・山田。なるべく人と関わらないようにしていたが…
「風呂貸して」とズケズケと上がり込んでくる隣人男・島田。風呂だけじゃなく、食事の時も現れて…。ヨネスケか!
美人未亡人の大家さん・南。これが高橋留美子の漫画だったらロマンスが始まる所。
墓石の訪問販売をしている父子・溝口。やる気があるんだか無いんだかな売り文句。
嫌々?ズルズル?仕方なく?彼らと接していく内に…。
最初は嫌で面倒でぎこちなく気まずかったのに、住人たちとの交流が日常的になってくる。
あんなにウザかった島田。見ていく内に、こちらもいつしか受け入れてしまっている。
風呂なんて毎日入りに来て、上がってからご飯も一緒に。
おせっかいだけど、何処か温かい。あるシーンの台詞が胸に響いた。「居なかった事にしちゃダメだよ」
住人たちも。風変わりだけど、何処か温かい。
それから、ご飯。『かもめ食堂』『めがね』もそうだけど、荻上直子監督の作品に出てくるご飯って、豪華豪勢A級フルコースには程遠いけど、めちゃめちゃ日本人の好みが分かってる庶民的な味。
炊き立ての真っ白なご飯、取れ立てのキュウリにトマト(庭園栽培している島田からの差し入れ)、塩辛(工場社長からの差し入れ)…。
風呂上がりにはビールじゃなく、牛乳。(終盤で思わぬ感動的な“遺伝”)
住人宅からいい匂いが。すき焼き! 家賃もろくに払えてないのに…。
美味しそうなご馳走に人は抗えない。皆で囲って。「ご飯って一人で食べるより誰かと食べる方が美味しい」
中でもイチオシは、暑い夏の日、ビールと味噌付けたキュウリ。これだけでイケる!
フードコーディネーターは荻上監督作お馴染みの飯島奈美。他の担当作品もそうだが、この人が手掛ける“メニュー”ってどうしてこんなに美味しそうなんだろう!
自分のペースの営み、気配りのない交流、美味しいご飯、たまの贅沢…。舞台設定は現代だけど、まるで昭和のような。
タイトルの不思議な言葉、“ムコリッタ”。仏教の時間の単位の一つで、1日(24時間)の1/30=48分を意味する仏教用語。ささやかな幸せを意味し、それは作品のモチーフそのものであり、表している。
私は単純人間だから、こういう作品を見るといつも思ってしまう。こんなささやかな幸せに浸りたい。
荻上監督“らしさ”充分だが、ただそれだけではない。
監督の新境地となったのは、『彼らが本気で編むときは、』。
家族の在り方や幸せを描きつつも、トランスジェンダーを題材にした社会的メッセージに心打たれた。
本作でもシリアスなテーマや社会的メッセージが巧みに込められている。
そもそも本作は、監督が行き場の無い遺骨のドキュメンタリー番組を見たのが着想だという。
孤独死した父親の遺骨を引き取るのを渋る山田。
父とは疎遠。母親ともとっくに生き別れ。両親揃ってろくでなし。
「ろくでなしって遺伝するんですかね?」
そう嘆く山田に工場社長が掛けた言葉…。
「生きてる意味ないんすよ」「ここに居ていいんすかね?」
ようやく山田もここでささやかな幸せを見出だし始めた時、自分自身に問う。南が掛けた言葉…。
誰とも関わり持たないと決めていた筈なのに、住人たちとの交流がいつしか欠けがえのないものになってくる。
それもこれも土足で入り込んできた島田。彼の存在、彼の言葉…。ささやかな幸せを見つける名人。
何故山田はこんなにも自分の人生に悲観的…?
両親がろくでなしだから…?
彼自身、あるものを背負っている。
それは冒頭の工場勤務初日の社長の台詞ですぐ分かる。「更正出来る」
実は山田は前科者。犯した罪は殺人ではないが、お金を騙し取って…。
だからそんな彼が、お金とは縁遠いささやかな幸せを見付けた事に意味を感じた。
罪は罪。それを猛省し、再出発する権利は誰にだってある。
工場側はそれを踏まえて雇い入れてくれたし、アパートでもその事を咎める人は居やしない。
必要の無い人間なんて居ない。居なかった事にされる人間も居ない。生きる意味、ここに居ていい意味は必ずある。
人間だもの。誰かしら何かを抱えている。
それは住人たちも。
悩みなど無いように見える島田。自称“ミニマリスト”のシンプルライフ。
が、彼にだって。飲みの帰り、嘔吐しながら嗚咽。言葉を濁した家族の事…。あるシーンで「俺も連れてってくれー!」。普段の言動からは計り知れないほどの苦悩や悲しみを滲ませる。
彼の幼馴染みの寺の坊主。強面で無口だが、さりげない優しさを見せる。
南は夫と死別。溝口は墓石の訪問販売。
島田の台詞で、川っぺりのホームレスたちが時々台風や大雨で流される。
山田がある時見掛けた住人の老婆。実はそのおばあさんは…。
山田の父親の遺骨、いのちの電話など、“死”が散りばめられている。
が、決してそれは終幕ではない。そこからの再起、再出発。
生と死。生を全うして死が訪れ、死を受けて生を尊いものに。
始めは素っ気ない性格に見えて、複雑な内面や事実を抱えている。松山ケンイチが巧演。
ムロツヨシみたいな隣人は絶対に勘弁!…と最初はうんざりしていたのに、いつしか彼の人柄にやられた。
満島ひかり、吉岡秀隆…彼ら住人の中に入りたくなってくる。
市役所職員の柄本佑、工場社長の緒形直人らの助演陣、マスクで顔が見えない江口のりこ、ワンシーンのみの田中美佐子や“運転手”笹野高史、声だけの薬師丸ひろ子…皆、適材適所。
夏のうだるような暑さを感じさせる雰囲気、時折秀でた映像美。
パスカルズの音楽も心地よい。
初期はスローライフ・ムービーの名手。近年は新たな手腕を見せ、その才は留まる事を知らない。
すでに発表されている次回作は初とも言えるシリアス作品になるよう。
荻上直子監督からますます目が離せない。
でも、今はまだこの作品に浸っていたい。
あなたの“ムコリッタ”は…?