「奈良を舞台にしたロードゴーイング・ムービー? 国境を越える家族」再会の奈良 Misaさんの映画レビュー(感想・評価)
奈良を舞台にしたロードゴーイング・ムービー? 国境を越える家族
少し前に予告編を観ていて、なんとなくこれは観たいなあと思っていた。こういうカンは、映画の場合得てして当たるのである。主な理由は、中国残留孤児や移民といったテーマに興味があったからである。
奈良に住んでいる日中ハーフのシャオザーのところに、おばあちゃん代わりとも言える陳おばあちゃんがやってくる。シャオザーのお父さんの友だちのお母さん、という関係。そのお友だちのお母さんの代わりにお乳をもらったという。陳おばあちゃんは、1945年の満州引き揚げの際親に置いて行かれてしまった日本人の子どもを育てたが、のちに自分の息子も生まれた。が、その息子が死んでしまったため、事実上日本人の娘(麗華)だけが子どもになってしまっていた。
麗華は中国で育ったものの1972年の日中国交正常化を機に日本に帰って暮らしていた。おばあちゃんに手紙を送っていたがあるところから音信不通となり、心配したおばあちゃんが奈良まで探しに来たというわけだ。
しかし麗華の日本名も分からず、手がかりは奈良に住んでいたこと、手紙、写真だけ。雲を掴むような捜索活動が始まる。が、幸運なことにシャオザーが働いていたお店の常連さん(吉澤)が警察OBということが分かり、探すのを手伝ってもらえることになる。
わずかな手がかりを追って、あっちに行ったりこっちに行ったり。奈良県内の残留孤児や中国人に会うことになるが、移動していくのでロードゴーイング・ムービー的な印象を持った。3人(シャオザー、陳おばあちゃん、吉澤)で歩いているシーンがすごく多い。たまに車に乗っていることもあったが。
面白いなと思ったのは肉屋に入った陳おばあちゃんが、言葉が分からないため肉屋の店員と動物の鳴き真似で意思疎通を図るシーン。また、お寺で、並んでベンチに座った陳おばあちゃんと吉澤が、無言で(あたかもパントマイムのように)コミュニケーションを交わすシーン。パントマイムと書いたがミニマルなダンスのようでもあった。
異文化接触モノとして思い出すのが『ロスト・イン・トランスレーション』なのだが、アジア人同士のせいかもっと沈黙度が高いようだった。
全編を通じ面白いと思ったのは、音楽。BGMの当て方というか選曲というかが、なにか面白いセンスをしているのは日本側でなく中国側がやったからなのだろうか? 見慣れた日本の風景とかぶさって、面白い効果を出していたと思う。
お寺やお祭りなど、日本的なものは中国の人には面白いのかもしれない。
私はこの映画には大いに感動した。まず、捨てられてしまった赤ちゃんを育てるという中国人の母の愛。そして、消息を絶ったら探しに来てしまうというのも母である。そのおばあちゃんを慕っている「孫同然」のシャオザー。吉澤はじめとする、温かい人たち。お寺の耳の聞こえない管理人さんや、麗華が働いていたお店の女主人などの人物。日本人なのに、故国へ帰ってきても中国人扱いされ、生活に苦労をする残留孤児たち。
私の父方の家族は満州に住んでいた時期があり、引き揚げは戦争勃発以前だったが、一番年下の叔母はやはりあやうく置いてこられるところだったという。赤ん坊の叔母がいっしょに帰ってこられたのは僥倖だったのだろう。今と違い、いったん国を離れてしまえばそうやすやすと再訪することも叶わない。自分の育った土地や、事実上の家族への愛着も測り知れないものがあっただろう。私自身、海外に住んだことがあるため、よく分かる。最近、いがみ合いがちな日本と中国だが、国境や政治体制を越えた家族やつながりがあるということを思い起こさせてくれた映画だった。