ポゼッサーのレビュー・感想・評価
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クローネンバーグの創造的破壊は、2世監督だけでなく現代の観客にも受け継がれた
ブランドン・クローネンバーグ監督の長編第2作となる「ポゼッサー」は、デビュー作「アンチヴァイラル」にもまして父デビッドの影響を感じさせる強烈な映像作品となった。デビッド・クローネンバーグ監督は1980年代から90年代にかけて、特殊メイクやメカトロニクスを活用して異形者への偏愛や人体損壊をはじめとする残虐な描写を追求し、サスペンスホラーの領域にありながら独特の美意識と世界観でジャンルを超えてファンを獲得した。ハリウッドでCGによる視覚効果が普及していった90年代以降、流れに逆行するかのようにVFXに頼る作品が減り、人間の内面、心の闇に迫るサスペンスドラマを多く手がけていったのも興味深い変化だった。
さて、息子ブランドンが脚本も兼ねた本作も、人格を乗っ取る技術というSF設定や、主人公が他人の体を乗っ取って遂行する殺傷の過激なバイオレンス描写で、一時代を築いた偉大な父の影響を逃れられない血の宿命のようなものを感じさせる。さらに言えば、これ見よがしなCGの利用は避け、殺傷場面で損壊される身体の特殊メイクや、手作り感のあるマスクを使った心理描写など、アナログな手法にこだわっているのも、やはりデビッドの美意識を受け継いだことをうかがわせる。
そして、「ポゼッサー」の映像表現に心をざわつかせながらも魅了されてしまうとすれば、その観客もまた、直接的、間接的にデビッド・クローネンバーグの創造的破壊の影響下にあるのではないか(デビッドの諸作を未見の人でも、デビッドに影響を受けた監督の映画を観た可能性があるという意味で)。一ファンだった評者も、ブランドンの作風に懐かしさを覚えつつ、いつか父を超える映像作家になってほしいと期待している。
お腹が空いて死にそう
世界観や背景がレトロフューチャーなのはとても好きなのよ。
タシャは他人の体を乗っ取り殺害し、帰還するには自害するしかないとんだブラック企業勤め。
自我がしっかり戻ってるかの確認で私物を確認されるけど、その時の上司の少しの反応がひょっとしてタシャが少しずつ変わっているのでは?と感じた。
銃を持っているのにナイフを使ったのはなぜ?の問いに手に合うから…ってそれは誰の手?
自我を乗っ取り殺人を。
数日間の乗っ取りだけど、記憶は残る。
それは少しずつ、油絵の具をのせるように少しずつ何かが上書きされるのでは。
その証拠のように、別れた夫と子供に会いに行く時に角を曲がった突き当たり、家を眺めながら「お腹がすいて死にそうよ」と「自分の」口調を取り戻す様に呟く。
次の仕事は資産家の父とその娘の彼氏になり2人を殺害する。タシャは男を望遠鏡で眺めながら口調を練習する…
いやいやいや、ザルでしょ
そんな身近すぎる男に憑依するんだからもう少し観察しよう?
口調だって仕草だって行動だって毎日変わるし機嫌によっても変わってくる。
それをいきなりターゲットの彼氏に変わるなんて、彼女も違和感感じるよ…
なんだかんだで娘は死亡、父親は重症
やはり自殺できないタシャ。男はゆっくりと自我を戻し歪んだタシャの顔をかぶる。
男とタシャはタシャの中でせめぎ合い歪み合う。
男の姿でタシャの家の前へ
「お腹が空いて死にそうよ」呟く。
この辺からは誰がどんなでどうしたとかもうよくわからなくなってくる。
夫を打ち子供に刺され、思わず子供を打つ。
血溜まりの中、子供の「離脱」の言葉で初めて身近な人が乗っ取られて自分を殺すというエグさに改めて気がついた。
ラスト、再びタシャは自我確認へ。
タシャとは誰なのだろう?
映される性行為
女で、男で、
タシャはどっち?
画像に映される他人の性行為、タシャはどちらの目で見るのか。
世界観やその組織や人間関係などの背景を詳しくする説明もないし想像で補う部分…というか私が読み取ったり考察したりできないのでとても難しかった。
映像はとても綺麗でオシャレでした
でも口に合いませんでした。
ごめんなさい
鑑賞中「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」を観ていた時に感じた、いや〜な気分になったのでチラッと観たけど息子さんなのね…
おじさんは父親目線で応援している
息子クローネンバーグを。と思ったら大して年齢変わらんかった。
人の体を乗っ取り殺人を敢行、乗っ取った体は自殺して処理して完全犯罪成立!という恐ろしい暗殺手法を使う殺しの組織?で乗っ取り役、つまり殺し屋として働く主人公のターシャ。冒頭はその殺しのテクニックを見せる…はずがどこかおかしい。ターゲットを殺してから自殺して終了のはずが、手元の拳銃の引き金を引くことができない。
駆けつけた警官と銃撃戦の末に死亡して無事乗っ取った体から意識を離脱させる。
その以来から心身ともに衰弱しつつあるターシャだったが、離れて暮らす家族と束の間の再会の後に次の大掛かりな依頼を受ける決心をする。
それは、大企業の社長とその娘の殺害の依頼、娘の恋人の体を乗っ取り近づくというものだった。
ブランドン・クローネンバーグ監督作品。なのでどうしても父との比較をされてしまうのはもう宿命としか言いようがないし、お互いSFホラー作品、独特の世界観という共通項があるように思う。
この作品もそこはかとなく父の臭いを感じさせつつもオリジナリティあふれるストーリー展開で、その体を乗っ取る瞬間のビジュアルなどはかなり凝っていて面白い。視覚的に、あー乗っ取ったんだなーとなんとなく納得させる画作りになっていてセンスを感じた。
その分、ストーリーがどこか説明不足でこちらの脳内にもチップ埋めて色々情報仕込んでよと思うような説明不足部分がチラホラ。後半に進むに従ってその綻びが大きくなっていった印象。
題材がメチャクチャ面白いし、映像化もしっかりできている分脚本の作り込みの甘さが感じられて少し残念だった。
後で解説見て、ああそのタイミングで意識を支配してるのはこっちやったんか、とちょっと驚いたりもしたぐらい。しかも恐ろしく静かなシーンが多くて珍しく一瞬寝落ちした。
正直映画単品としての評価はそれほど高くできない。あまりにも説明不足なのと、終盤のあるシーンがちょっと許せんかった。
でも、ブランドン監督にはこれからも是非頑張って欲しい。お父さんがザ・フライの監督をしたのが43歳の頃なのでちょうど今のブランドン監督ぐらい。まあお父さんはその時点でスキャナーズとかヴィデオドロームとか快作を出しまくっていた頃だけど、今は一本映画を作るにもどえらい費用が掛かるからそんなにポンポン出せんと思う。
それでも、お父さん同様完全オリジナル脚本でニッチ市場でしか受けなさそうなヘンタイ作品を作り続ける映画監督さんはハリウッドではレアな存在だと思う。
親の七光りと言われてもいいから、オリジナリティ溢れる独特のクローネンバーグワールドを作り続けて、このヒーローものとディズニーの続編しかないような映画業界にエログロワールドを守り続けて欲しいと期待している。
無感覚の外道
この作品がえげつないのは、人格を乗っ取られた人間が死ぬことでしか中の暗殺者が離脱できないことだ。
つまり憑依される人間は暗殺のターゲットというわけでなく、ただ犯人に仕立て上げられる無関係の人ということになる。
そして、そのことに全く罪悪感など感じていない組織の人々。自分たちは正義を遂行しているかのような清々しさでいることが不気味だ。
暗殺を請け負う組織はハッキリ言って悪だ。多くの映画などの悪は自分たちが悪事を働いている自覚がある、もしくは正義のための悪事、いわゆる確信犯であることが多い。
しかし本作の組織の人間には、自分たちが悪事を働いている感覚すらない。信念もない。ただ自分の利益のみを追求する外道。こうなるとどこまででも落ちていく。自分たちを止めるものを何も持っていないからだ。
そんな中、主人公タシャは別れた夫とまだ小さい子どもに執心している。「自分」しか考えない組織にあって異質の存在といえるかもしれない。
それはある意味でタシャの仕事への集中力の欠如、任務に対しての非情さの欠如に繋がっているように思える。
先任の暗殺者だったガーダーはタシャを有能とみているようだが、本当にそうだろうか。オープニングの任務のときすでにタシャは不安定に見えた。
そんな不安定さからなのか、タシャとタシャに体を奪われた男の意識の混濁が物語のメインだ。
体に入り込むタシャの意識や記憶が元々自分が持っていたものなのか体の持ち主のものなのか定かではなくなっていく様が面白い。
次第に何をしようとしているのか、何をしたいのか自分でも分からなくなっていく。二人の人間の意識が溶け合って一つになっていくような不思議さが面白かった。
体の男の意識にタシャの意識の中のいらないものが溶け込んで、離脱したあとのタシャは組織にとって都合のいい、自分たちと同じ無感覚の外道になったのかもしれない。
余談だが、血の表現がなかなか強烈で、食事中に観るのは向かないなと思った。
そんなわけで血がグロいので苦手な人は観ないほうがいいと思う。
変態映画
まさにこの親あってこの子。時代が違えば評価も違うのは当然だが、血の繋がった者同士突き詰めるものには似た物がある様だ。父であるデヴィッド・クローネンバーグは70~80年代におけるスプラッタホラー全盛期の真っ只中を突き進みつつ、残虐描写の中に独自の美的センスを放り込み、芸術的ともとれる残虐描写を完成させた変態であった。だがそれも過去の話。ガソリンをバンバン使うスポーツカーが流行したのが今や電気自動車が闊歩する時代になった様に映画業界も目まぐるしく進んでいるのである。正直本作がこの時代の一般社会に受け入れられるとは到底思えない。こんな作品を撮る人はぶっ飛んだ人間に決まっている。だが、こういう作品は無くしてはいけないだろう。ビジネスにおける映画業界は右向け右になる物だが、時代に逆らうかの様に放たれる本作の様な作品は映画ファンの心にグサリと刺さるはずである。
アンドレア・ライズブローが不細工メイクで挑む役は、人の脳に侵入して対象の人物を殺すという、いわゆる殺し屋である。分かりやすい例えだとクリストファー・ノーラン監督の「インセプション」だろうか。冒頭で細い針を脳天に突き刺す所をアップで映す極めて悪趣味な展開からパーティ会場でお偉いさんの喉にナイフを突き立てる衝撃的なシーンの連続だが、それを操る側は至って静かな物であり、そのギャップがこれまた不気味である。次の標的に移ったタイミングでトラブルが発生するのだが、操られる側のしている仕事が意味不明過ぎていたり、ワールド全開のフルスロットルで畳み掛けてくる。その辺を深く考えてはいけないのだろうが、鑑賞後に良い意味でも悪い意味でも強く印象に残る事間違い無しである。本作も時代が数十年前ならばファンが絶えることの無い名作として語り継がれていたかも知れない。個人的には映画好きだけで語り合いたい映画ナンバーワンの作品だ。
ラストでいきなりツッコミどころ
テーマは面白く、映像も、特に建造物の俯瞰などは、アングルなども工夫されていて好印象でした。
精神面での、ウィルスと免疫とのせめぎ合いといった構造なと理解しながら鑑賞していました。
ストーリも、ラストまでは納得性のある流れでしたが、最後の最後で、疑問符が付き、シックリ来ないままエンディングを迎えました。
浸食するためには、デバイスの埋め込みも含め、予めの前準備が必要だと思いますが、先輩が操作したターゲットにも、こうなる事を想定して、措置が施されていたという事なのかな?
そもそも、あの環境そのものがダミーの集まりなんだとしたら納得ですが。
父親と同じ見世物小屋のオヤジだが、看板倒れの感が否めず
父親の作品は、見世物小屋で見せる蛇女とか人間ポンプ、タコ娘、ロクロ首…のようなグロテスクなブツを中心に、それに合わせるようにして世界観やストーリーを構築しているところがあった。
血は争えず、息子も見世物小屋のオヤジよろしくグロをゴリゴリ押し出してくるのだが、どうにも展開がまどろっこしい。グロをゴリゴリやってれば面白いというわけではなく、親父のように奇怪で醜悪な人間やストーリーや世界観が伴ってこそ面白いはずなのに…如何せんそれがない。いや、奇怪な世界の表面は見えるが、その具体的な中身の展開がない。
したがって感覚的で刺激的なグロによるショックにとどまり、思想のグロさ、エゲツナサにより見る側の感情を揺るがせるところまで行っていない。あるいは映像志向の監督でそっちの方面には興味がないのかもしれないが、ならばもっとスゴイ映像で勝負してくれないだろうか? 残念ながら看板倒れの見世物小屋という感じが拭えないのである。
静かな恐ろしさが沁みてくる
冒頭からすごい不穏。
宿主って?となってったら、当初思っていたのと違ってました。
SFベースのサスペンスなんですね。
随所にインパクトのある映像を差し込んでおり、これが作品にとても作用しています。
終盤は肉体をコントロールしているのが宿主なのかどっちなのか、分かりにくく作られており、これがまた惹きつけられました。
糸一本あった拠り所はかくして断ち切られ、そうして出来上がった完全体。
静かな恐ろしさが沁みてくる作品でした。
鑑賞動機:あらすじ5割、ごく一部の評判5割
このネタ(接続された女)なら色々なアプローチの仕方があるだろうに、なぜにエグみと血飛沫だけをぶちこむのかイイゾモットヤレ。好き嫌いはともかく特異なセンスなのかも。
センスはほんっとに好きなのですが・・・
理解追い付かず
CG不使用とかアングルとか設定とかとても好みなんですが
いかんせん観る者の素質が問われる作品
この作品大好き!という方に話を聞いて成程成程そこか~と言いたい作品
エロいグロいがイマイチ
殺人請け負い会社の女工作員は、第三者の意識に入り込み殺人を遂行し、ターゲットを仕留めた後は自殺し意識から離脱し元に戻るはずが、ある時自殺出来ず二重意識になってしまい・・・てな話。
最初の殺しのシーンで警官が既に何発も銃弾を浴びて反撃してこない状態なのに息の根を止めたのががってんいかなかった。次の殺しのシーンは目ん玉グリグリで多少グロくセックスシーンはボカシが有ったりで、ここがR18+なのだろうけど、大したことはない。
全体的に暗くて状況がよくわからないし、主演女優も周りの出演者も興味をそそる人が居なくて残念だった。
他人の意識に入るためにターゲットの近しい人を誘拐して脳に工作する事が簡単に出来るならあんなめんどくさい事をしなくても良いように感じ、ストーリーも合わなかった。
頭の中の様子を上手く描写出来たで賞
他人の脳をハックしてその意識の中に入りこみ、殺人を行う暗殺者の主人公が、ある以来遂行中にハックした人物と意識が倒錯していく話。
ストーリーは正直退屈極まりないのだが、対象者の意識に入り込んでいく様子やその対象者と意識が倒錯していく描写がtheアート作品って感じで好きだった。というか脳の中で巻き起こるイメージをここまで分かりやすく映像化できるのこの監督だけでは?と思った。分かりにくいようで、すごく分かりやすく映像で伝えてくれてる。
この主人公の仕事、色んな人に成り代わるからだんだん"自分"というものが失われていくようで、主人公の上司はもう自分が何者なのか分からない模様。主人公も自分の家族(と思われる人達)に会う前に喋り方を調整しないといけない。
それでも主人公の殺し方は、この人自身の本質な気がする。自分より体の大きい男性は必ず自分の手で何度も刺したり殴って殺す、女性のような弱い人は銃で殺す。このマッチョ的な殺し方こそ主人公の本質だとすれば、本人と思われる女性の体も実は借り物なのでは?と思えてくる。
あるいは、人は自分の身体や見た目に応じた振る舞いをするようにできていて、その皮が剥がれたら最後野性的なところが残るってことなのかも。
エンドロールの色がいい
殺しのシーンは、執拗にめった刺しにまぁまぁなうへぇ感。
ラストあたりの殺戮シーン、えぇ〜ちょっとダメだわ。
息子さん、お父さんを踏襲してます。
グロいけど笑える変な作品
主人公の女子がアニキの体を乗っ取って色んなことをやらかす話。
目的はよう分からん資産家を抹◯するということですが、その手前でアニキの彼女とおせっ◯◯したり、他人のおせっ◯◯場面を出歯亀したりします。なお出歯亀するのはアニキの仕事らしいのですが、アニキ何してる人なのかいまいち分からんかった。
まあそれで目的も無事果たしたか……と思いきや、肝心の本体に戻れなくなるという。
なおグロ描写は結構あります。むしろこの映画の見どころはそこですね。顔ブシャアてなった後でポコって眼球が軽く飛び出るような描写とかあります。でもモツはないです、確か。ただめっちゃ殴ります。めっちゃ血飛んでます。ド真っ赤です。
そんなグロ描写がある一方で、外見アニキ中身女子が他人のおせっせ場面を見て気持ち悪くなったりするんすよね。
めっちゃ他人撃ちまくるのに、自分のことは大好き過ぎるのか撃てないし。
グロいけど笑える作品ですとしか言いようがない。
なお最後まで観ましたが、結局のところ彼らが何の目的であの仕事をしてるのかいまいち謎なままでした。
まあ面白くないことはなかったです。何だかよく分からなかったけれど。
中二病っぽい魅力はあるが、あまりお勧めはしない。
主人公がはっきりしない女の背景はあるが男の背景が描写しきれてないため、そちらに感情移入するのは難しい。
殺人のプランが不自然、というかストーリーの辻褄合わせにしか見えない。
寄生虫による脳の支配?
意図的に二重人格を作る?
何が言いたいのかよくわからない
背景を掘り下げるのはきつかったのでは?
結局、中二っぽい展開になってしまった
独特の風味があるので、そのうち面白いものできるかもとは期待できる。(父親もあたりはずれあるタイプだったし)
今作は今一つ
容赦なくグロい、エグいが・・、映像と音の表現は斬新、評価に値する。
他の方が記載している通り、暴力表現、血の量はビックリするぐらいヤバい。
よく、公開の許可がおりましたね・・。ってレベルです。ご注意ください。
前提の説明も少なく、精神世界の表現が多いので、ついていけないところも、多々あります。
ですが、相手に入りこむ映像、不安、恐怖、葛藤の映像表現、音の表現は斬新です。
見ている人を終始、何とも言えない嫌な気持ち、不安な気持ちにさせます。
私自身、直視できなくて、片目をつむってしまうところもありましたが、見る価値はあると感じました。
主人公が戻ってきて、精神状態をテストするシーンが複数あります。
これから見る方には、しっかりセリフを見てほしい。
そこに、この映画の本質の1つがあるように思いました。
** ここからは、鑑賞した人向けです。**
感じたこと、怖かったこと。
自分の心と自分の身体 (社会的な地位) 両方が揃ってるときは、
恥とか道徳、倫理とか、ルールや法律、そういう縛り(?)によって、一般的にいう「人として」の行動をしていても、
心が他人の身体に入り、それらの縛りが消えてしまうのであれば、欲望のままに動いてしまう。
絶対に罰せらられない状況。
対象の相手は一切、自分に無関係。
命を奪える武器は、自分だけがもっている。そして、相手は自分を攻撃してこないことがわかってる。
そんな状況が揃っていたら、引き金をひいてしまう人は多いだろうな・・、自分は留まれるだろうか??と
作品を見終わって考えました。京極作品でいうところの「とおりもの」を思い出しました。
引き金をひけないこと。
ひとつは、暴力をふるいたい要求、相手を痛めつけることでの解放感を味わいたいから、単に面白くないから、
もうひとつは〇殺という行為が「自分」を強く意識させるから、突然怖くなる、現実に戻される、死ぬほど痛いのは嫌だ、
自分がかわいいため、と私は感じました。ここの説明がないところに、批判も多いですが、私は良い表現だとおもいました。
白い澱。
本当に気味が悪かった。頭の中のゴミというか、不純物というか。
そして、新しいけど、誰にでも何となく伝わる映像表現というのも凄い。微妙に振動しているところも、不安にさせる。
つぶされるアレ、かぶるアレ。
凄い表現だった。え!?えええ~。って感じ。
どっちに主導権があるのか、分からなくなる混乱要素でもありますが、とにかく象徴的な映像表現。
夢に出てきそうで、すこぶる怖い。
消えゆくものと、継がれていくもの。
暗殺を続ける中で徐々に「人としての何か」が消えていく。精神状態のテストからもそれが伺える。
最初は口に出してたものが、出さなくなってる。そうやって、より純粋、無垢な暗殺者になっていくのだろう。
そして、それは継がれていく。と思えた。
母と娘の血と血がつながっていくシーン、親子の繋がりを感じさせる共に、継承や世代交代を意味しているような気がした。
本当のポゼッセーとは。
暴力シーンや、精神世界の強烈な絵に頭をもっていかれますが、
心と体、それを制御するものは一体、何のか。社会の縛りのない世界で、人は何をするのか。そんなことを考えてしまう作品でした。
2 回目は見ないですが、深く、心に刻まれた衝撃作であったことは間違いありません。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
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