劇場公開日 2022年3月11日

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「失った人生は心に空いた穴」林檎とポラロイド 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0失った人生は心に空いた穴

2022年3月17日
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鑑賞方法:映画館

 面白い作品だ。記憶とは何かについて、改めて考えるきっかけとなった。記憶喪失が蔓延するという発想は奇抜だが、それ以外は至って常識的である。常識的にするためには記憶の代用をしてくれるスマホやPCが邪魔だ。だから時代設定はそれらがまだ一般的でない年代にしたと思う。1970年頃だろうか。その場で一枚限りのポラロイドカメラを小道具にした発想もいい。

 人格は記憶によって形作られる。生まれたばかりの赤ん坊には、人権はあるが人格はまだない。遺伝的な気質に加えて、乳児期から幼児期にかけて決定する気性、それに記憶が累積することによって人格となる。
 記憶とは脳に入力された情報である。情報は五感から得られるものと、想像や思考によって獲得されるものがある。その大半は潜在意識に蓄積されて、ときどき取り出される。思い出すという現象だ。日常生活や仕事に必要な記憶は顕在意識に置かれて、すぐに取り出せるようになっている。
 俗に記憶喪失と呼ばれる症状は、逆行性健忘症といって、顕在意識の記憶が損なわれた状態である。潜在意識にはすべての記憶が残っているから、損傷したシナプスが回復するなど、脳の回路が復旧したら、再び顕在意識に取り出される。つまり思い出すのだ。自分の名前は記憶の最初から繰り返し情報を重ねているから、忘れることはまずない。

 本作品はそういった医学的な常識とは裏腹に、医師が奇想天外な治療法を施す。毎日様々な行動を課せられるのだ。患者は街の至るところにいて、何故かみんな真面目で大人しい。課題は日常的な些細なことから、真面目な人が日常生活ではあまりしなさそうな課題まで多岐にわたる。脳や記憶とどんな関係があるのだろうと考えながら観るから、単に踊っているだけの映像が違った意味合いを持つ。
 顕在意識の記憶がなくなっても、潜在意識には残っているから、人格を喪失することはない。しかし長期の記憶がなくなると人生を失う。記憶が戻らないのなら、新たな記憶を獲得すれば再び人生を始められるというのが本作品である。ただしこれまでとは別の人生だ。それが本人にとって幸福なのかどうか。

 痴呆症になって家族の名前さえ忘れてしまうのは、当人にとって人生を失ってしまうのと同じことだが、失ったことさえ認識できなければ不幸ではない。人生だけでなく人格も喪失しているからだ。
 しかし健忘症は人格がありながら、人生の一部を喪失している。これは不幸だ。主人公が知り合った女性が課題をこなす姿に虚しさを感じたのは、当方だけではないだろう。おそらく主人公も同様の虚しさを感じたはずだ。記憶をなくすことで失った人生は、心に空いた穴である。

耶馬英彦